現在では結構知られた事かもしれませんが、エリック・クラプトン ジェフ・ベック、そしてジミー・ペイジ、この三人を指して、(ロックの)三大ギタリストと呼ぶのは日本だけのことだそうです。その昔あるロック雑誌にて、同じヤードバーズ出身の彼らをこのように括ったことが始まりとか何とか… という訳で今回は最後の一人、ジミー・ペイジ、というより言わずと知れた、彼をリーダーとしたバンド レッド・ツェッペリンについて。最初にこんな事を言うのは何ですが、私、ペイジのギタープレイ自体にはあまり興味がありません(ペイジファンの方々本当すいません <(_ _)> あと断っておきますが、私、ツェッペリンは大好きです。ビートルズ、ピンク・フロイドなどと共に、中学~高校にかけて、私を昔の洋楽の世界に引きずり込んで、逃れられなくしてくれた存在です)。
これもよく言われる事ですが、ペイジのプレイは技術的には(三大~の)他の二人や、また同時代の名手と言われたプレイヤー リッチー・ブラックモア、ブライアン・メイといった人たちと比べると、劣っているとされています。確かに、スタジオ盤はまだともかく、ライブ盤を聴くと、それが顕著です。かなり速く弾く瞬間があるのですが、左手の運指及び右手のピッキング、共に追いついていない時が多いというか、正確さに欠ける演奏です。例えばクラプトンの、流れる様な、綺麗なフレーズにはなっていない場合が多いです。ペイジ自身が、必死の練習にも関わらず、その上達に限度があったのか、それとも自分はそのようなテクニックはそれ程追い求めない、目指す音楽のベクトルが異なる、として割り切っていたのか、そのどちらであったのかは分かりませんが、単純にギタリストとしての力量だけを見れば、同時代の彼らと同列に並ぶのは無理な存在だったでしょう。
しかし、レッド・ツェッペリンが、彼ら、またはその属するバンドのいずれよりも、(90年代以降のクラプトンとは甲乙付け難いとこですが)、商業的に成功したバンドであったのは紛れもない事実です。売上総トータル3億枚以上とも言われ、コンサートの観客動員数でも記録を塗り替えていった、ハードロックと呼ばれるジャンルにおいては、最も成功したバンドと呼んで良いでしょう。どうしてツェッペリンはここまで成功し、ハードロック界で唯一無二の存在となれたのか。また、その後のハードロックバンド達に、直接影響を与えたのは、ディープ・パープルの方が強いと言われます。パープルの方が真似しやすかった、とかでは決してないと思います。なぜツェッペリンの追随者は現れにくかったのか。
ヤードバーズ末期には、ペイジは既に新バンドの構想を持っていたと言われています。時代はビートルズ、ストーンズ、フーなどの”第1次ブリティッシュ・インヴェイション”の波は一服し、サイケデリックムーブメントが巻き起こり、文化的にも”カオス”なものが好まれるようになり、ロックシーンにおいては、クリーム、ジミ・ヘンドリックス、アメリカではヴァニラ・ファッジなどが、よりヘヴィーなサウンドを作り出していました。
もう従来のビートロックでは、特に若い層のロックファンは満足しなくなってしまっていたようです。ヤードバーズ末期のライブなどでは、かなりその様なサウンドを目指していたようですが、如何せんメンバーの演奏力が追いつきませんでした
(失礼<(_ _)>)。
そこで紆余曲折の末、新メンバーを探し出し、当初はニュー・ヤードバーズと名乗っていましたが、レッド・ツェッペリンと改名し、コンサート活動を行うと好意的な評価を得ます。大音量のサウンド、歪んだギターの音色などは、クリーム、ジミヘンも既に取り入れていましたが、静と動を織り交ぜた劇的な(構築美・様式美とでも呼ぶべき)楽曲展開、ヨーロッパ的な哀愁(ブリティッシュ・トラッドフォークの影響等)を漂わせながら、ロックサウンドを作り上げたのはツェッペリンが初めてと言っても良いでしょう。
もっとも、直近にかなり近い事をやった人がいます。ジェフ・ベックです。”第1期ジェフ・ベック・グループ”が半年程前にリリースした1stアルバム「Truth」では、先述した様な音楽性を持ち合わせています。しかし、幸か不幸か「Truth」はそれ程売れなかった、そしてツェッペリンは華々しく、センセーショナルなデビューを飾った(ジェフが嫉妬した程)という明暗が分かれました。
(※・・・と、昔は言われていたのですが、ネット時代になって、当時のチャートアクションが調べられるようになると、「Truth」は全米チャートで15位まで行っています。ヤードバーズである程度知名度はあったにしろ、基本的に海の向こうの新人バンドがトップ20に入るというのは十分なヒットです。あくまで”ツェッペリンと比べて”ということでしょう)
クリーム、ジミヘン、初期ディープ・パープルといった音楽は、当時「ニューロック」「アートロック」などと称されていたそうです。従来のロックよりもより ”先進的””芸術的” という事なのでしょうが、ツェッペリンやキング・クリムゾンなどはまさに新しい時代の幕開けを予感させる音楽でした。
当時をリアルタイムで体感した人の話を読み聞きすると、ツェッペリンの出現がかなり衝撃的だったことが窺えます。ビートルズ、ストーンズなどのビートロックに多少食傷気味だったところに(ビートルズはかなり違う方向に向かってましたが)、ドカンと一発食らった様なインパクトがあったと。恐らく皆何となく「こんなロック(バンド)があったらなあ…)と思っていたところへ、その期待通り(と言うより、更にその斜め上を行くような)のサウンドをかまされたのでしょう。「そう!それだよ!それ!俺たちが求めていたのは!!」
1stアルバム「LED ZEPPELIN」のオープニング曲「Good Times Bad Times」はまさにその期待に対して、ド直球の様な曲だったことでしょう。
ペイジのギターテクニックは先述の通り、ロバート・プラントのヴォーカルは好みが分かれるでしょう(かなり癖のある、金切り声)、そしてボンゾの唯一無二のドラミング。ジョン・ポール・ジョーンズは多彩な音楽性やアレンジ能力を持ち合わせていましたが、かなり個性的な、悪く言えば偏ったバンドだったような気がします。その点ではディープ・パープルの方が演奏(歌唱)力、つまり個々のメンバーがバンドマスターやアレンジャーからの様々な音楽的要求に答えられる、という意味のテクニック、および音楽的素養においては幅が広かったと言って良いでしょう。
じゃあ、何故ツェッペリンがハードロック界で最も成功したのか。言ってみれば先にやったもん勝ちだったのではなかったかと思うのです。先述の通り、(特にアンテナの鋭い若者などの)何となく「こんな音楽があったら・・・」というニーズに、一番乗りでブチかましたのがツェッペリンだったのではなかったのでしょうか。
ツェッペリンがもし現れなかったとしても(勿論全く同じではないにしろ)、いずれ似たような、ハードな音楽性を持ったバンドなどは出現していたような気がします。しかし彼らの特異なところは、ヨーロッパ的な雰囲気(先述のトラッド・フォークなど)を漂わせながら、基本的にカントリー&ウェスタンが最も大衆の支持を得ているアメリカでも大いに受け入れられた、という所の様な気がします。そこまで考察するとかなりディープな話になるので(アメリカ民族のルーツ云々とか…)止めときます。また、メディアへの露出を従来のミュージシャン達より避け、カリスマ性を保った事も、ペイジや、敏腕マネージャー ピーター・グラントによる戦略が大きかったでしょう。
ペイジはよくリフ作りの天才と言われます。確かにギターという楽器の特性を活かした楽曲を作ることには非常に長けていた人だったと思います。しかしソングライターとして超一流だったのか、と言うと必ずしもそうではないと思います。あくまでツェッペリンの様な形態・音楽性のバンドにて、ギターを中心とした楽曲作り、及びプロデュースにおいては成功した、とでも言えば良いでしょうか。そこにジョーンズの幅広い音楽性(多彩な器楽演奏能力、アレンジの才能等)が加わり、ペイジのアイデアを具現化し、時にはプラスαすることもあったでしょう。そしてプラントとボンゾという、暴れ馬のような(ボンゾは腕っぷしもホントに暴れ馬だった)、他のバンドであったら、上手く合っていたかどうか分からないような個性的なプレイヤーの持ち味を見事に引き出した、ペイジのプロデュース能力の勝利だったような気がします。逆に言えば、このメンバーで、この音楽性で、レッド・ツェッペリンというバンドだったからこそ、ここまで成功したのではないかと思うのです。この辺が、あくまで1プレーヤー・1ミュージシャンとして確固としたアイデンティティを確立していったクラプトンやジェフとは違う所だったような気がします。
ハードロックというジャンルを確立させ、次々と新作を発表し、コンサート活動を繰り広げていった彼ら。60年代のロックシーンが持っていた”勢い”のようなものが徐々に鈍化していったと言われ、またロックが多様化していった70年代において、やはりいつまでも同様の音楽性ではいられなかった(というより、いる気もなかった)、彼らの音楽はどのように変化していったのか。その辺は次回にて。