#227 Goodbye Yellow Brick Road

以前に書いた事ですが私は鼻血が出る程のピンクフロイドファンです。
79年に発表された二枚組の大作「ザ・ウォール」は名盤と称され、永年に渡りロックの
名作として聴き継がれています。私も好きな一枚です(#28ご参照)。
それでもあえて言いますが、やはり途中でダレます。これは「ザ・ウォール」に限らず
ロックの二枚組大作とされるビートルズの所謂ホワイトアルバム、フー「トミー」など、
素晴らしいアルバムである事に異論はありませんが、やはりやや冗長だな … と思ってしまうのです。
ところがポップミュージックにおいて二枚組大作でありながら、一部の隙も無く、完璧な仕上がりで、
圧倒的なクオリティーを誇るものが二枚あります。一枚はスティーヴィー・ワンダーの
「キー・オブ・ライフ」(76年)。これは既述です(#120~121ご参照)。

モーツァルトはトイレに入っている内に一曲創ってしまったと言われています。用を足している時間、
つまりあっという間に曲が出来てしまっていた … どれだけ泉の様に湧き出ていたかのたとえ話です。
ポップミュージックにおいても何人か、ある時期異様なほどの創造力を発揮した人たちがいます。
60年代においてはジョン・レノン、ポール・マッカートニー、そしてブライアン・ウィルソンが
そうでした。特にブライアンは異常あるいは病的とも言える程の … 実際病んでしまったんですが …
70年代に入ってからはエルトンとスティービーの創造性が突出していたと言えるでしょう。
エルトンがデビュー前にかなりの楽曲ストックを持っていた事は以前に触れましたが、
やはりそれを上回る程にこの時期は次から次へと湧いてきたのでしょう。スティービーの
「キー・オブ・ライフ」に至ってはLP2枚で収まり切らず2LP+1EPとなったのも
スティーヴィー回で既述です。

A-①「Funeral for a Friend/Love Lies Bleeding(葬送〜血まみれの恋はおしまい)」。
のっけから葬式というのは如何なものか?などという懸念は全く払拭されてしまいます。
ピンク・フロイドやイエスを彷彿とさせる様なドラマティックなイントロ、そして抒情的な
ギターソロと動的なビートを反復する構成は圧巻の一言。ちなみにフロイドの「狂気」は
同年の3月リリースですから影響を受けていたとしても全く不思議はありません。
後半「Love Lies Bleeding」の入ると、もはやゴキゲンなエルトンサウンド。しかし
歌詞は二人の破局を表しており、作詞家 バーニー・トーピンとその妻マキシンを謳った
ものだと言われていますが、実は亀裂が生じ始めていたのはエルトンとバーニーの関係でもあり、
その意味も込められているとの説も。

スティーヴィー・ワンダー「キー・オブ・ライフ」と並びポップミュージック史に燦然と輝く
完璧な二枚組大作とは、そう、ここまで書いてきて今さらですが・・・・・
エルトン・ジョンが73年10月に発表した歴史的名盤「Goodbye Yellow Brick Road」に
他なりません。次回以降、当面の間は本作について。
今年中に終わるかな?・・・・・・・(*´∀`;)

#226 Don’t Shoot Me I’m Only the Piano Player

エルトン・ジョンが73年にリリースしたアルバム「Don’t Shoot Me I’m Only the Piano Player
(ピアニストを撃つな!)」は前作に引き続き全米1位を記録します。ちなみに英では初のNo.1
アルバムとなりました(前作は2位どまり)。

A-②「Teacher I Need You」はコーラスに少しフィル・スペクターサウンド臭がします。
A-③の「Elderberry Wine」。エルトン流ソウルミュージックといった感じでしょうか。
しかし歌詞の中身は先だった妻を思う夫の気持ちを歌ったものだそうです。

前作では参加しなかったポール・バックマスターが再び戻っています。A-④「Blues for
My Baby and Me」は彼のストリングスアレンジが堪能できる一曲。デイヴィー・ジョンストンは
シタールもこなします。A-⑤「Midnight Creeper」はまたまたソウル風ナンバー。
ブラスアレンジはガス・ダッジョンで、ギターソロと競って吹いているのが忙しくて面白い。

華々しいイントロから一転して重い曲調に変わるB-①「Have Mercy on the Criminal」には
耳が引き付けられます。このアイデアはエルトン?ダッジョン?それともバックマスター?
B-②の「I’m Going to Be a Teenage Idol」にジョン・レノン臭を感じるのは私だけ?
エルトンとジョンの関係についてはいずれ。

B-③「Texan Love Song」で改めてエルトン&バーニーのカントリー志向が伺えます。
そしてラストナンバーである壮大なバラード「High Flying Bird」でアルバムは幕を閉じます。

本作のタイトルは仏映画「Shoot the Piano Player(ピアニストを撃て)」から取られたと
されています。私もそう思ってました(勿論映画オンチの私は観た事がありません)。
実際ジャケットを見ればそう考えるのが当然でしょう。
ところが色々調べてみるとその映画の題名というのは、アメリカ西部開拓の時代に荒くれ者が
集う酒場にて、当然喧嘩は日常茶飯事であって鉄砲玉が飛び交うことも珍しくなかった状況でも、
” ピアニストだけは撃つなよ! 酒場が盛り上がらなくなるからな!” といった、ピアニストは
酒場にとって大事な存在であったという逸話から取られたとの事。
つまり有名映画に掛けたように見せかけながら、実は本来の意味へ回帰しているという、
非常に奥深くて粋なネーミングであったのです。バーニーは米開拓期を扱った書物などを
好んで読んでいたらしく、その辺りに起因しているのでしょう。
勿論ここで ” 撃つなよ ” 、としているピアニストがエルトンである事は言うまでもありません。

それにしても ” ピアニストを撃つな!” という邦題が印象的で見過ごしがちですが、原題から
すれば ” 撃たないでくれ!俺はただのピアノ弾きだから!! (((( ;゚д゚))) ” といった
意味合いであり、あまり恰好のイイものではありませんね・・・・・(*´∀`;) ……

本作のリリースは73年1月、エルトンは同年10月にもう一枚(二枚と言うべきか?)発表します。
DJMレーベルとの間で年に2枚のアルバムをリリースする契約となっていた、という事は
以前に述べましたが、これは異常なペースです。この時期におけるエルトンの尋常ではない創造力が
うかがい知れます。そしてそれは、ポップミュージック史に残る大傑作なのでした。

#225 Daniel

喧嘩両成敗という言葉があります。
喧嘩をした者は双方とも裁かれる、ペナルティーを負うといった意味合いでしょうか。
しかし一方的に吹っ掛けられ、やむを得ず喧嘩になってしまった場合や、たしかに先に手を出しはしたが、
それに至るまでに相手方の執拗で狡猾な嫌がらせや
恫喝などがあったのにも関わらず、
喧嘩は双方とも悪い、と紋切り型で
片付けられてしまうのはどうも腑に落ちません。

テーマは「Daniel」なのに何で「Crocodile Rock」なんだ?などとは思わずに。
ちゃんと理由があります。(思わねえよ!なにせ読んでる奴なんていねえからな!ケケケ!!Ψ(`∀´)Ψ
イヤーーー!!!ヤメテーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!((o(>皿<)o))

「Crocodile Rock」はアルバム「Don’t Shoot Me I’m Only the Piano Player」
(ピアニストを撃つな!)の先行シングルとして72年11月(英では10月)にリリースされ、
エルトン・ジョン初のNo.1シングルとなった代表曲の一つです。
実は「Crocodile Rock」と「Daniel」の二曲は、どちらを先にシングルリリースするかで
揉めたものです。
エルトンと作詞家 バーニー・トーピンは「Daniel」を推しましたが、DJMレーベル社長
ディック・ジェームズはポップなロックナンバーである「Crocodile Rock」を先行シングルとすべきだ、
と譲りませんでした。ディック・ジェームズの主張は
もっともであったと言えます。
「Daniel」は優しい曲調ではありますが、ともすれば内省的とも
受け取られ、まずアルバムの成功を
第一に願うレコード会社としては当然の考えでしょう。
そしてディック・ジェームズの意見が優先され、
発売された「Crocodile Rock」は先述の通り大成功を収めました。

それでもエルトンとバーニーは諦めませんでした。何とかして「Daniel」をシングルカットするよう
ジェームズに掛け合い続け、ついにジェームズを折れさせる事に成功しました。
それでも本曲のシングル化には懐疑的で、プロモーションなどに決して力は入れなかったとされていますが、フタを開けてみれば全米2位・全英4位のこれまた大ヒット。エルトンとバーニーの主張も決して
間違っていなかった事が証明されました。ちなみにこの時1位を阻んだのはポール・マッカートニーの
「マイ・ラヴ」。相手が悪かった …

本曲は歌詞だけを見ると、失明した兄(Daniel)がスペインへ旅立つのを見送る弟の視点で語られており、
療養か何かでスペインへ行くのかな?思われてしまうそうですが、これには設定があって、
Daniel はベトナムからの帰還兵であり、戦地での負傷により視力を失ったのだとバーニーは語っています。地元では帰ってきた彼を皆が英雄視し、もてはやしましたが、Daniel は平穏な生活を望んでおり、
それが叶わず別の地へと旅立つ決意をしたのだというストーリーだそうです。なおこれにはモデルになった
実話があったとかそういう類ではないとの事。
上は76年、スコットランド エディンバラにおける演奏。個人的にはともすれば本曲に関して、
この弾き語りの方が好みです。

このケースは喧嘩両成敗ならぬ、喧嘩両WIN、あるいは争ったけれども双方成功、
といった具合でしょうか?もちろんそんな日本語はありません。私が今考えたのですから・・・・・
どちらも相譲らず、双方が主張を貫いた結果がどちらも良い目を見たという、なかなか珍しい展開で
上手く収まった出来事だったのです。