#210 Take Me to the Pilot

1stアルバムがお世辞にも商業的成功を収めたとは言えなかったエルトン・ジョンですが、
DJMレーベルはエルトンの才能を買っており、米におけるプロモーションツアーが実行されます。
70年8月、その皮切りとなるL.A.でのライヴは、音楽関係者やプレス関係者がたくさん招待されました。
しかし実はエルトン、かなりの神経質かつ癇癪持ちで、そのプレッシャーから公演前には相当ナーバスに
なっていたそうです。
米における初ステージにおいて、最初の二曲を聴衆はあまり聴いておらず、業を煮やしたエルトンは
三曲目で、” 僕のステージが好きになれないなら、R&Rでもどうだろう?その方がお望みらしいから ”
とキレました。その怒りをぶつけた悪魔のような激しいプレイに、一転して聴衆は魅了されました。
あくる日の音楽誌面でその模様は絶賛され、海を隔てた大陸において、エルトンはスターダムへ
登りつめるきっかけをつかんだのです。

エルトンを語る上で、欠かせない人物が数名いますが、もちろんその一人は作詞家である
バーニー・トーピンです。
バーニーのプロフィールまで触れるとかなりの文章量になってしまうため割愛しますが、
英音楽誌に掲載された募集広告によって引き合わされた二人は、たちまち意気投合し、
やがて数々の名曲を創り出すソングライターチームとなります。
上は2ndアルバムにおいて、おそらく二番目によく知られる曲である「Take Me to the Pilot」。
ただし本曲の歌詞は和訳を読んでも意味がわかりません。というよりも、ネイティヴでさえ
理解不能だそうです。
バーニーはフィーリングで詩を書くタイプらしく、本曲はその典型だそうです。
歌詞はわかりませんが、私は本曲が2ndアルバムにおけるベストトラックではないかと思っています。
その後におけるエルトンの音楽性が萌芽した最初のナンバーではないでしょうか。

エルトンが本国では芽が出ずに、アメリカに渡ってから成功した。という事は以前から読んだことが
ありましたが、どのような詳細だったのかは今回調べてみて初めてわかりました。

余談ですが、まだ売れる前のエルトンがビーチボーイズのブライアン・ウィルソンに会いに行った。
という話も読んだことがあります。エルトンはブライアンを尊敬しており、アメリカに行った際は
ぜひとも会ってみたいと、かねてからの希望が叶ったのです。それがこの米公演の際だったのでしょう。
もっともこの頃のブライアンは麻薬とアルコール、そしてノイローゼによって最悪の状態で、
有名な話ですが、自室のピアノの下に砂場を作り、そこに一日中引きこもっていた時期です。
エルトンの歌と演奏を聴いたブライアンは ” 君はそのスタイルを貫くべきだよ ” の様な意の発言を
したと言われています。
天才同士、相通じるものがあったのでしょう。
それから30年後、二人は同じステージに立ちます。
01年に行われたブライアン・ウィルソン トリビュートコンサートにて、「Wouldn’t It Be Nice」を
デュエットしています。

#209 Your Song

昔の洋楽好きには結構有名な話しですけれども、エルトン・ジョンはひょっとしたら
キング・クリムゾンのヴォーカリストになっていたかもしれませんでした。
クリムゾンの2ndアルバム「ポセイドンのめざめ」において、当時まだ無名でセッションミュージシャンを
していたエルトンが歌う予定であったとか(契約金まで既にもらっていたらしい)。
ところがロバート・フリップはエルトンの歌を聴いて首を縦に振らず、その話しはお流れに・・・
クリムゾンは
#15~#17で書いていますのでよろしければ。
ちなみに「ポセイドンのめざめ」という邦題は誤訳から生まれたもので、原題 ” In The Wake Of Poseidon ” の Wake を目覚めと捉えてしまった為だそうです。この場合の Wake は後を追う事、
の様な意味だそうで、実際は ” ポセイドンの跡を追って ” という意になるそうです。
興味の無い人にはどうでもイイ話ですけどね・・・・・・・・・・・・・

上では無名でセッションミュージシャンをしていた、と書きましたが、エルトンの1stは69年6月、
「ポセイドンのめざめ」のレコーディングは70年1~4月(発売は5月)となっていますので、
ソロデビュー後もやれる仕事はなんでもこなし、なんなら他のバンドでシンガーとしてでも …
といった具合だったのでしょうか。もっともデビューアルバムをリリースしたDJMレーベルとは
専属契約を結んだ、とあるので少し矛盾する気もしますが・・・
はれてクリムゾンのヴォーカリストと ” ならなかった ” 
エルトンは70年4月に2ndアルバムを
リリースします。という事は2ndのレコーディングをしながら、クリムゾンのオーディションも
受けていたという事になり、この辺り当時の事情がますます分からなくなってきます。

その辺はさておき、その2ndアルバムこそがエルトンを一躍スターダムへと押し上げた
「Elton John(僕の歌は君の歌)」です。
その邦題が示す通り、オープニングナンバーである「Your Song(僕の歌は君の歌)」が
ブレイクのきっかけとなった曲であり(実際にはその直前に予兆はあったんですけどその辺りは
次回以降で)、全米8位を記録した本曲によってエルトンの名は世間に周知される所となりました。
あまりにも有名過ぎる曲であるので、ここでは詳しくは触れません。いろんな人が本曲について
述べているサイトがあるので、興味がある方はそちらをご参照のほど。

個人的にはバラードとしては「Your Song」よりもこちらの方が好みです、「Border Song」。

ゴスペルスタイルである本曲は、2年後にアレサ・フランクリンによってカヴァーされます。

エルトンのプロとしてのキャリアはホテルのラウンジピアニストから始まります。
母の再婚相手の勧めでオーディションを受け採用されます。しかし酔っぱらった客はろくに
演奏など聞いておらず、灰皿を投げつけられる時もあったとか・・・・・
そのホテルではよくカントリー&ウェスタンを演奏していたそうです。それが影響しているのか
どうか、エルトンのアルバムにはカントリースタイルの曲が結構あります。
上はそんな一曲である「No Shoes Strings on Louise」。
その後友人らとR&Bのバンド『ブルーソロジー』を結成し、活動を始めます。
しかし注目は端正な顔立ちのメインヴォーカリストに集まり、エルトンはキーボードの
後に隠れてコーラスを取っていたくらいだったそうです。内気な性格で自身のルックスに
コンプレックス(小太りで、かつ既に頭髪が薄くなり始めていた)を抱いていた為、
積極的にフロントへ出ることはなかったそうです。この頃はまだ・・・・・・・

#208 Skyline Pigeon

昔はエルトン・ジョンという名前を本名だと思っていました。
情報が無い時代なので致し方なかったのですが、インターネット時代になって
わかるようになりました。ちなみにビリー・ジョエルやスティーヴィー・ワンダーも
本名だと思っていました・・・
エルトンの本名はレジナルド・ケネス・ドワイト。ソロデビュー前はレジ・ドワイトと
名乗っていたそうです。
勝手な思い込みなのですが、イイとこのお坊ちゃまで、英才教育を受けて育ち、王立音楽院へ
入学したエリートなのだろうと思っていました。
実際は、決して貧しい訳ではなかったようですが、それほど上流階級の出身ではなかったのです。
父親はイギリス空軍の軍人で、エルトンが生まれた頃の階級は大尉、つまり下士官クラスだったので
それなりの地位にはいたのですが、言ってみれば一公務員であるので、金持ちという程では
ありませんでした。一家は公営住宅に住んでいたそうです。
そのステージネームは、バンドメンバーなどの身内にエルトン、及びジョンという名前の人間達がいて、
それぞれから取ったもの、だそうです。意外に安直な付け方ですね・・・

デビューアルバム「Empty Sky」の中で最もよく知られているのが上の「Skyline Pigeon」でしょう。
もっとも知られているのはオリジナルバージョンではなく、こちらの方ですが …

73年のシングル「Daniel」のB面に収録するために再録された上のテイクが圧倒的に有名で、
ベスト盤などにも収録されているはずです(私もこちらしか聴いた事がありませんでした)。
楽曲はどちらも「Skyline Pigeon」に違いはありません(当たり前だ (´・ω・`)・・・)。
しかしアレンジ、演奏、そして何より歌唱でもってガラリと変わってしまいます。
勿論オリジナルが悪いとは決して言いません。メロディは殆どこの時点で完成されており、
73年版でもほぼそのまま踏襲されています。
やはり最も大きな違いはなんと言ってもエルトンの歌でしょう。デビュー時のそれはまだ線が細く
(初々しいとも言えますが)、73年版になって、圧倒的にヴォーカリストとして成長した姿を
改めて確認する事ができます。力強く、時に大人の色気(この場合は ” 男性的 ” という意味で
 … )
を感じさせる歌いっぷりは、デビューから数年経って完成されたものでした。

#207 Empty Sky

前回まで9か月間に渡ってビリー・ジョエルを取り上げてきました。
今回からはエルトン・ジョンを取り上げます。斬新な試みですね …………………
…………………………………………………………… 誰か!ツッコんで!!(´;ω;`)

毎度の如く、生い立ち、少年(?)期における音楽的背景などはおいおい。

「Your Song(僕の歌は君の歌)」が、エルトン初期の作品としてあまりにも有名な為、
デビューアルバム「Empty Sky(エルトン・ジョンの肖像)」(69年)は忘れ去られがちです。
私も中学生の時分になけなしの金をはたいて買った ” ロック名盤ガイド ” 的な本で
一応その存在を知ってはいましたが、白状しますと今回が初聴です。
結論から言いますと、この時点ですでにエルトン・ジョンです・・・・・・・・
オマエは何を言っているんだ?当たり前だろ、頭オカシイのか (´∀` ) ……
などとはゆめゆめ思わぬように(オカシかったりして (´・ω・`) ・・・・・)

時系列は遡りますが、エルトンのデビューは上のシングル「I’ve Been Loving You」によってです。
68年3月1日にリリースされた本シングルによってエルトン・ジョンのキャリアは始まったと言えます。
ちょっとまて!その前にバンドでの活動があったろ!というツッコミはごもっとも。
それはまたおいおい・・・

アルバム「Empty Sky」をウィキでググると、全米において6位というチャートアクションに
なっていますが、これは「Your Song」以降の成功を受けて75年に初めて米で発売された時のもの。
69年の時点ではアメリカにおいてはリリースすらされませんでした。
本国でもまったく鳴かず飛ばずだったそうですが、DJや評論家の受けは決して悪くなかったそうです。
プレス連中というのは決して信用の出来る人種ではありませんが、やはりしっかりとした耳を
持っている人間はいつの時代でもちゃんといるようです。
ちなみに日本では、69年時に一応発売された、と語られているブログを散見しました。
これが事実かどうかは確認できませんが、いずれにしろすぐ廃盤になったとか・・・・・

当時、英における販売実績は二千枚との事。それでも無名の新人としては悪いものでは
なかったそうです。
勿論その後におけるエルトンのセールス枚数とは天と地の差ですが・・・・・・・・