#150 Marvin Gaye

『離婚伝説』などと、うまいこと言ったつもりか!とツッコミたくなるようなマーヴィン・ゲイによる
78年のアルバム「Here, My Dear」は、当初商業的にも批評家からの評価も芳しくないものでした。

『離婚伝説』という邦題が示す通り、A-②の「I Met a Little Girl」を皮切りに(元)妻アンナとの
出会いからを回想していく内容だそうです。上はオープニングのタイトル曲。

二枚組である本作の終盤に収められた「Falling in Love Again」は二番目の妻となるジャニスの
事を歌っているのだと思います(多分)。結局は彼女とも破綻するのですが・・・・・
前々回触れた、作品の収益でもってアンナとの慰謝料へ充てることになったというのは勿論本作の事。
ところが本作は先述した通り期待していた程売れませんでした。ここからマーヴィンの凋落が始まります。

ファンの間でもとかく評判の悪い81年のアルバム「In Our Lifetime」。” ゴキゲン ” かつ
” トロピカル ” なダンスビートに乗せたサウンドは従来のリスナーにも新しい層へも響かなかった
ようです。上はオープニングナンバーである「Praise」。

しかし秀逸な曲もあります。「Funk Me」はタイトなファンクナンバーで、「Far Cry」は変則的
ビートから途中でジャズに。ピアノやドラムもマーヴィン自身によるもので、あまり知られて
いない事かもしれませんが、元々はドラマーとしてモータウンへ入ったのでその実力は折り紙付きです。
リズムに対するセンスが他のシンガーとは一線を画しているのは、スティーヴィー・ワンダーと同じく
ドラマーである事に起因しているのかも。本作は07年に未収録ヴァージョンを加えて二枚組として
再発され、そちらは評判が良い様ですが私はまだ聴いてません(今回間に合いませんでした … )。
ちなみに本作がモータウンからリリースされた最後の作品。

81年当時マーヴィンは英国に滞在(逃げ出した)していたそうです。低迷していた彼をイギリス・
ヨーロッパのミュージシャンや資産家達が支えていたと言われています。やはりここでも
向こうにおけるブラックミュージック志向が伺えます。本国では見捨てられつつある過去のスターを、
海を渡った大陸で羨望の眼差しで眺めていた人たちがマーヴィンを救ったようです。
アルバム「Midnight Love」は81年10月から翌年8月にかけて、米録音もありますがベルギーや
ドイツでレコーディングされた作品です。欧州のミュージシャン達の協力を得て作られた本作から
先行シングルとして発売されたのが上の「Sexual Healing」。
人生はどこでどうなるか全くわかりません。本シングルは米でポップス3位・R&B1位、全英でも
4位という大ヒットとなり ” マーヴィン・ゲイここに復活 ” と相成ります。
CBSへ移籍した彼は「Sexual Healing」リリースの翌月にアルバム「Midnight Love」を発売。
当然アルバムも大ヒット。ポップス7位・R&B1位、英で10位というチャートアクションを記録し、
イギリスでゴールドディスク、そして本国ではトリプルプラチナ(300万枚以上)という、
結果として自身にとって最大のセールスを記録する事なりました。
翌83年初のグラミー賞を受賞し、壇上で最大級の喜びを表したそうです。

ホール&オーツやフィル・コリンズの様にチープなリズムマシンを敢えて使用した所や(#58ご参照)、
現在からするとこれまた安っぽいシンセの音色などは時代的なものなので致し方ありません。
本アルバムがマーヴィンの作品の中で上位に来るものとは個人的に決して思いませんが、
これも82年当時におけるマーヴィンの音楽だったのでしょう。上は「Third World Girl」と
「My Love Is Waiting」ですが、80年代初頭の空気感を味わえるトラックだと思います。

個人的に本作のベストトラックと思っているのが上の「’Til Tomorrow」。80年代的音色と
テクノロジーに乗せて、私的 ” マーヴィン三部作 ” の雰囲気が漂っている様な気がします。

的外れという意見を承知で書きますが、私はマーヴィン・ゲイという人をブラックミュージックにおける
エルヴィス・プレスリーではないかと思っています。サム・クックやスモーキー・ロビンソンなど、
マーヴィン以前にもソウル界に男性スターはいました。しかしあれほどセックスシンボルとして
売り出され、私生活でもタブロイドメディアを沸かせる様な生き様をした、良くも悪くも ” スター ” として
扱われた男性シンガーはマーヴィンが初めてだったと思います。
しかし70年代から時代の、特にロックミュージック側の波を吸収し、ソウル界をより深遠かつ精神的な
世界へと誘った先導役・リーダーとなり、やがて自ら破滅の道を歩んでしまいました。

最後に動画を一つ。モータウン25周年を記念して83年に行われたTVプログラムより。
マーヴィンは既にモータウンを離れていましたが出演し、前半の語りではブラックミュージックの
歴史をピアノを弾きながら述べています。そして始まる曲は勿論彼の代表曲「What’s Going On」です。
ちなみにこれがテレビ等の公式なメディアにおける最後の出演となったそうです。

以上でマーヴィン・ゲイ特集は終わりで、一年間続いたブラックミュージック特集も最後です。
何回か前に書きましたが、半年くらい続くかな?程度で始めた割には一年も持ってしまいました。
やれば出来るもんですね(ナニがだ?)。来年からは … はて、どうしましょう?・・・・・
来年もヨロシク ノシ

#149 A Christmas Gift for you

マーヴィン・ゲイ特集をあと一回残していますが、旬のものでクリスマスにちなんだ回を。
去年の今頃のブログでは ” クリスマス?何それオイシイの?” などとのたまわりましたが、
いくら私でもクリスマスくらいは知ってます。12月24日から25日にかけて
イエス・キリストの誕生を祝うものです。そのクリスマスにはサンタクロースという
空想上の人物がお馴染みですが、ニコラオスという人物をモデルにしたこの者は、
赤い服に白髭といった珍妙な恰好で、しかもトナカイに乗って空中を移動するという常軌を逸した
移動手段を用いて、あろうことか他人の家の煙突から不法侵入し、すやすや眠る健全な
子供たちの枕元に立ち、得体の知れない物品を靴下に忍ばせるという奇行に走ります。
またその日には七面鳥の丸焼きを食する習慣がありますが、その調理工程とは先ず
後肢に綱を掛け頭部を下にして吊るしたら、間髪を入れずに動脈を切断し絶命させ、
その後全身の羽をむしり取り・・・・・・・・・・・ヤメロ!ヽ( ・∀・)ノ┌┛Σ(ノ;`Д´)ノ
という訳で、クリスマスなのでクリスマスソングの特集したらイイんじゃね!、という
斬新な企画を思いつきました … かと言ってマ〇〇ア・キ〇リーとかはよく知りませんし、
ジョン・レノンの「Happy Xmas (War Is Over)」とかもベタ過ぎるので取り上げません
(好きな曲なんですけどね。あの日本人女性の奇妙奇天烈なコーラスが無ければ最高なんですが)。

とっぱじめはダニー・ハサウェイ。#131~135でダニーは取り上げましたが、この曲は今回の為に
あえて外していました(忘れてた訳じゃないですよ。ほ、本当です!… )。70年12月9日に
リリースされた本曲は、アフリカンアメリカンのクリスマスミュージックに関する表現の目的だったとか。
この時期ダニーは(数少ない)私生活が充実していた時期であったそうで、前向きな精神状態で
あったからこそこの様にポジティヴな楽曲が生まれたのかもしれません。しかしその後は・・・・・・・

クリスマスもののアルバムと言えばこれに尽きるのではないでしょうか。「A Christmas Gift for You from Phil Spector」(63年)。残りは本作の曲だけを取り上げてれば今回は済むんじゃねえか?
と言う位にクリスマスアルバムの決定盤です。フィル・スペクターによる当時のフィレスレコードの
面子を集めて制作されたオムニバスアルバムですが、実質はクリスマスソングの名を借りた
フィル・スペクターサウンド、所謂ウォールオブサウンドの極めつけの様な作品。
フィレスの看板ミュージシャン達によって歌われるのは殆どがクリスマススタンダードですが、
楽曲はアレンジ次第というのを改めて教えてくれます。上はロネッツによる「Frosty the Snowman」。
今年他界したL.A.の第一級セッションドラマー ハル・ブレインによるプレイが素晴らしい。
ハシっているのかと思う程ですが、決してテンポは変わっておらず、前へ前へと疾走していく様な
フィーリングは見事です。これはフィルの指示なのかハルのアイデアなのか、どちらだったのか?

お次はボブ・B・ソックス&ザ・ブルー・ジーンズの「The Bells of St. Mary’s」。本作の中で
最もウォールオブサウンドがさく裂しているトラックではないでしょうか。エンディングの
フェイドアウトにおけるハルのドラミングがやはり素晴らしい。

再びロネッツの「Sleigh Ride」。アフリカンアメリカンによるクリスマスミュージックという
コンセプトという点においては、本曲で完成されているのではないでしょうか。

上はダーレン・ラヴによる二曲「A Marshmallow World」と「Christmas (Baby Please
Come Home)」。素晴らしい歌唱。表舞台では陽の目を見なかったという彼女ですが、
これらのトラックを聴く限りでは信じられません。もっと凡庸なシンガーもどきが売れて
しまっているのがポップミュージックの常ですが、彼女に光るものを見出したフィル・スペクターは
やはり凄い人物だったのでしょう。人間性は別でしたが・・・・・・
今回はあげませんでしたが、彼女はオープニング曲の「ホワイト・クリスマス」も歌っています。

クリスマスアルバムといってフィル・スペクター以外に浮かんだのはこの作品でした、ビーチボーイズ
「The Beach Boys’ Christmas Album」(64年)。約半分がオリジナル、残りはスタンダードという
構成の本作はリリースが64年11月です。65年3月に発売された、「ペットサウンズ」への序章となる
「The Beach Boys Today!」の前作品にあたりますが、録音時期としては同じ時期で被っているものも
あり、「トゥデイ」の片鱗が垣間見える個所もある興味深い作品です。上はオープニング曲である
「Little Saint Nick」ですが、何を隠そう本曲はブライアン・ウィルソンがフィルのクリスマスアルバムにインスパイアされて作ったそうです。
フィルを敬愛し、フィルの様な音楽を目指したブライアンでしたが、はじめて会った時にくそみそに
こき下ろされふさぎ込んでしまったというエピソードはビーチボーイズ回#1をご参照。

カヴァーの中で秀逸なのはエルヴィス・プレスリーで有名な「Blue Christmas」でしょうか。
極上の楽曲、アレンジ、そしてブライアンの歌ですが、内容は「憂鬱なクリスマス」という通り
悲しいもの。ブライアンらしいと言えばそれまでですが・・・・・

本ブログは基本的に英米のロック・ポップス等を取り上げているので、ジャズはごく稀に話の
流れで触れる程度ですが、今回は番外編なのでジャンルに関係なく。
私は神も仏も全く信じていない不信心者ですが、もし歌の神様がこの世に顕現していたとするならば、
それはエラ・フィッツジェラルドに他ならないと思っています。

番外編ですからエラについての詳しい記述は避けますが、ビリー・ホリデイと並ぶ
女性ジャズシンガーの最高峰。エラもクリスマスアルバムを二枚残しています。
「Ella Wishes You a Swinging Christmas」(60年)と「Ella Fitzgerald’s Christmas」(67年)がそれですが、上は前者に収められた「Santa Claus Is Comin’ to Town」。60年と言えば
歴史に残る大名盤「Ella in Berlin」と同年です。この頃のエラの声が張りと成熟味のバランスが取れていて
最も好きです(40~50年代の初々しさも、70年代の円熟味も勿論良いのですが。要は全てイイのです!)。

本作よりもう一曲は「Let It Snow! Let It Snow! Let It Snow!」。何を歌ってもエラになります。

67年の「Ella Fitzgerald’s Christmas」は前作とは打って変わり荘厳で宗教色の濃い、ある意味で
正統派のクリスマスアルバムとなっています。上は言わずと知れた「Silent Night」ですが、
これほど慈愛に満ち、圧倒的な「Silent Night」は他に思い当たりません。エラの声も60年より少し低めで
落ち着いた感じになっています。7年の間で円熟味が醸し出されてきたのでしょう。

もっと取り上げようかと思っていましたけれども、あっという間にスペースが費やされてしまいました。
結局ダニー・ハサウェイ、フィル・スペクター、ビーチボーイズ、そしてエラ・フィッツジェラルドで
終わってしまいました。しかし音楽の素晴らしさからしてこれで十分ではないでしょうか。

という訳で番外編のクリスマスソング特集はこれにて終わりです。それではみなさん、良いお年を!!!
・・・・・・そこはメリークリスマス!!!、だろ!!!!!ヽ( ・∀・)ノ┌┛Σ(ノ;`Д´)ノ

#148 I Want You

” I Love You ” ” I Need You ” ” I Want You ” 。カビがはえる程にポピュラー音楽の歌詞や
そのタイトルに使われてきたフレーズですが、時として陳腐な言葉に聞こえてしまうものも
少なくない中において、これ程までに胸を締め付けられる様な ” I Want You ” を私は他に
知りません。76年、マーヴィン・ゲイによる「I Want You」がそれです。

オーティス・レディング回で、ソウルシンガーの真骨頂はそのライヴにて発揮されると
書きましたが、勿論マーヴィンも同様です。

74年の米オークランドにおける模様を収録した「Marvin Gaye Live!」は最も脂がのっていた
時期に録られた一枚です。前年における「Let’s Get It On」に収められた「Distant Lover」は
オーディエンスの熱狂ぶりからもこの時期のマーヴィンの人気・勢いがわかるテイク。
あまりにも素晴らしかった故か、ライヴヴァージョンとしてシングルカットされヒットしています。

「What’s Going On」、「Let’s Get It On」そして「I Want You」を私は勝手にマーヴィン三部作と
呼んでいます。精神的・思索的な「What’s Going On」から、「I Want You」は前作同様に
愛(性愛)をテーマとし、音楽的にも当時流行した(しつつあった)フィラデルフィアソウル及び
ブラックコンテンポラリーを基調としています。上はA-②「Come Live with Me Angel」ですが、
途中でムフフな女性の声が聴こえるのは前作同様 ♡♡♡(*´▽`*)♡♡♡ ・・・(ムフフって昭和だな … )

本作は元々当時モータウンに所属していたリオン・ウェアというシンガーソングライターがリリースする
予定で制作されていたアルバムでした。しかしベリー・ゴーディーの判断によりマーヴィンのアルバムとして
世に出される事になったとか。全ての楽曲にリオンの名があるのはその為であり、さらにアーサー・ロスと
いうソングライターが半分近くを共作していますが、その当時リオンとコンビを組んでいた人物であり、
彼はダイアナ・ロスの弟です。

B面の「All The Way Around」と「Since I Had You」。後者に関しては何も言うことはありません。
ただくれぐれも女性と一緒に居るときに聴くのはご注意ください。

エンディング曲「After the Dance 」。ダンスは文字通り踊りの事なのか?、はたまた・・・・・
A-③には本曲のインストが収録されています。余談ですが、十年前位だと思うのですけれど、
志村けんさんがラジオ番組をやられていて、その番組の途中に短く流れる音楽にそのインスト版が
使われていました。志村さんはかなり黒人音楽に造詣が深い方で、ヒゲダンスのテーマが
テディ・ペンダーグラスの曲を使ったものであったのは洋楽ファンには結構知られている事です。
ご自身(ドリフ全員)がプロのバンドマンであるので当然ですが(志村さんはギタリスト。ファンキーな
カッティングがユーチューブにあがっていてそれがカッコイイ!)、音楽を愛しているのが伺い知れます。
しかし、テレビなどのメディアでは一切そういう事は語らず、バカに徹している所はプロです。
中途半端な特技を ” オレこんなコトも出来るんだぜ! ” の様にひけらかすテレビタレントが
結構いるとの事ですが、本当に格好いいのは志村さんの様な姿勢だと思います。
アルバム「I Want You」もポップス4位・R&B1位と大ヒットを記録します。

もう一枚のライヴ盤「Live at the London Palladium」(77年)は二枚組。前年における
ロンドン公演を収めたもので、これもポップス3位・R&B1位とその勢いは留まらず。
テンション感なら「Marvin Gaye Live!」、完成度・洗練さなら本ライヴ盤といった所かと
私は思っていますが、どちらも素晴らしいのは言うまでもありません。
上はC面のメドレーⅡ。「What’s Going On」の収録曲からなるメドレーですが、イントロで
まずシビれます。バックミュージシャンの面子はスタジオ盤とは違いますが、鉄壁の演奏に
変わりはありません。いかにもこの時代らしいエレクトリックピアノやフルートですけれども、
今聴いても全く古臭さを感じません。
本作のD面「Got to Give It Up」のみスタジオ録音で、シングルカットされポップス・R&Bチャート
双方でNo.1となります(全英でも7位)。

前回の最後で少し触れましたが、商業的成功と比例してプライベートも充実していたのかというと、
勿論の事そうは問屋が卸しません。マーヴィンの私生活について触れているサイトは幾つもあるので、
ここで詳しくは取り上げませんが、大別すると「女性問題」「借金」そして「麻薬」で苦しみました。
17歳上の姉さん女房であるアンナ(ベリー・ゴーディーの実姉)との結婚生活は破綻を来たし、
次の若い妻とも結局は破局を迎えます。アンナとの離婚裁判で多額の慰謝料を請求され、その時点では
支払能力がなかった為に次作の収益でもってそれに充てる事に。そして結婚生活が上手くいかなかった
理由としては彼の麻薬常習が原因と言われています(勿論女性にだらしなかった、というのも・・・)。
こんな逸話があります。73年の「Diana & Marvin」は内容こそ極上の音楽ですが、制作現場は
かなり険悪だったそうです。ダイアナ・ロスという人は ” アタシがモータウンのトップスターよ!” 、
という自尊心・自負心が強い女性だった事で有名であり、対するマーヴィンも ” オレこそが
モータウンを支えているんだ!”、とプライドがありました。実際どちらの名前を先にクレジットするかで
揉めたそうであり(結局はロスが先に)、一筋縄ではいかなかった現場であったとの事。
しかしロスの機嫌を損なわせたのはそれだけではなく、マーヴィンのだらしなさもあったそうです。
録音現場にドラッグやアルコールを持ち込み、それを平気で ” 嗜む ” マーヴィンにロスは我慢が
ならなかったと伝えられています。

この様に商業的成功に反して私生活は惨憺たるものだったのですが、それは改められず70年代後半から
80年代初頭にかけてますます酷くなっていきます。ナニがヒドイかって?麻薬とセッ〇スですよ。
エリック・クラプトンの様に薬物のリハビリセンターに通ったのですけれども、クラプトンは止められましたが
(その代わり酒量が増えた)マーヴィンはダメだったそうです。ツアーをドタキャンするは、人間関係を
ブチ壊すはで、要は困ったちゃんだったのです。そして結末は最悪なものへと。
あまりのコカイン依存の為実家に身を寄せていたマーヴィンでしたが、既述の通り問題のあった
(どっちもどっちですが)父親と口論になり、激高した父親により射殺されてしまいます。
享年44歳、84年4月1日の事でした。

#147 What’s Going On

説教師(牧師とは違うらしい)であったマーヴィン・ゲイの父親が、マーヴィンの幼少期から
ひどい虐待を行っていたというのは有名な話しであり、それがマーヴィンの人格に
多大な影響を及ぼし、後の音楽や弱い(=だらしない)メンタルに波及したであろうと
いう事は多くの人が言及しています。ここではそれについて詳しくは探りませんが、
71年のアルバム「What’s Going On」における作品性に深く関わっている事は確かです。

モータウンの創業者 ベリー・ゴーディーが本曲・本作に良い顔をしなかったというのも
有名な話しです。3分間の良質なポップソングこそが大衆の支持を得る、というゴーディーの
信念からすれば当然の事でしょう。私もこの考えが一概に悪いとは決して思いません。
前々回から当たり前のようにゴーディーの名を挙げてきましたが、スティーヴィー・ワンダー回
#115~#124)で彼については言及済みですのでよろしければそちらをご参照の程。

アルバム「What’s Going On」はトータルコンセプトアルバムです。ビートルズ「サージェント・
ペパーズ」、フー「トミー」、ピンク・フロイド「狂気」などと同様にテーマ・ストーリー性を
その作品中に内包し、そしてポップミュージック史に残る大傑作である事は衆目が一致する所です。
私はポップミュージックにおいて歌詞にメッセージを込める事にあまり興味を抱かない人間なのですが、
本作に関してはその歌詞の内容を理解せずして味わうことは出来ないでしょう。
と言ってもそれに関しては解説しているサイトが幾らでもありますのでここでは最低限に。
戦争・平和・環境・家族・人種問題・貧困等の不平等・若者と大人との間における不理解・宗教、
そして勿論のこと愛について。そういった事が歌われています。

A-②「What’s Happening Brother」。前曲の流れを汲み楽曲・歌詞共に相似した内容ですが、
エンディングで不穏な空気が・・・

A-③「Flyin’ High (In the Friendly Sky)」。前二曲の ”表向き” は軽快な曲調から
一転して荘厳な楽曲に。歌詞も宗教的なものへ変容していきます。

私はともすればタイトル曲と双璧をなす本作におけるベストトラックではないかと思っています。
A-④「Save the Children」。宗教者の説法の様な語りと、朗々としたマーヴィンの歌は
勿論ですが、秀逸なのはその楽曲アレンジです。過分に重々しく宗教染みた楽曲にしてしまって
いたなら、それほど大した曲ではありませんでした。宗教音楽・ゴスペル・黒人哀歌・ソウル・
ジャズなど、新旧問わずあらゆるブラックミュージックのエッセンスを取り入れ、そして
混沌としているようでありながら音楽的に洗練されており、ポップミュージックとして
素晴らしい完成度を誇っています。オープニングから通してジェームス・ジェマーソンの
ベースが素晴らしいのは言わずもがな。後半からリズムが再び当初の16ビートへ戻り、
A面ラストの終息へと向かいます。

A-⑤「God is Love」からA-⑥「Mercy Mercy Me (The Ecology)」へ。タイトル曲を
踏襲した楽曲の内容にて、クラシックの交響曲の様な、つまり同じモチーフが形を
変えて異なる楽章を通して表れる事でトータル感、言い換えれば大作としての完成を
成し遂げています。最後は不穏な音、と同時に神が救いをもたらしたかの様なエンディングへ。
A面のみでこれだけ書いてしまいました。B面の三曲も勿論素晴らしいのですけれども
涙を飲んで割愛します。ですが一つだけ、エンディングをどう捉えるか …
これは救われたのか、はたまた・・・・・
ゴーディーの懸念は結果的には杞憂に終わりました。ポップス6位・R&Bでは1位を
記録しゴールドディスクを獲得。しかも英ではプラチナディスクに認定されます。

ニューソウルの金字塔的作品と言われる本作は、60年代後半から主に白人ミュージシャン
(特に英の)によってもたらされた、ポップミュージックの新しい動きに影響された事は
間違いありません。先述した「サージェント・ペパーズ」や「トミー」同様のコンセプチュアルな
作りは勿論、サイケ・アートロック・ジミヘンやクリームなどの即興を打ち出したヘヴィなロック・
プロコルハルム等のクラシック要素を多分に含んだもの、そしてフランク・ザッパに代表される
前衛音楽的なロック、と。表面上、決して本作では今挙げた様な音楽性を見出すことは出来ませんが、
ポップミュージック的時代が大きく変容を遂げた時期と相まった事、そしてタミーの死や
弟フランキーの戦争体験などあらゆる要素がミクスチャーされた結果、マーヴィンの中に潜んでいた
創造的精神に引火したのだと思われます。興味深いのはエンターテインメント音楽の権化の様な
(そういう売り出され方をした)マーヴィンによって、ブラックミュージックの転換点が
持たらされたという事でしょうか。黒人音楽界で同じように濃密なメッセージ色を持った作品としては
同年におけるスライ&ザ・ファミリー・ストーンの「暴動」もあります。どちらもポップミュージック史に
おいて重要な作品である事に間違いはありませんが、よりコンセプト性を持っているのは本作でしょう。

本作の大成功を受けて、マーヴィンは更にチャレンジを試みます。
映画のサウンドトラックである「Trouble Man」(72年)は圧倒的にインストゥルメンタルで
占められたアルバム。全曲マーヴィンのペンによる作品であり、その高度な音楽性は彼のソングライターと
しての実力を十二分に発揮したもの。映画がヒットしたのかどうかはわかりませんが、アルバムは
ポップス14位・R&B3位とこれまた成功を収めます。同じサントラとしてカーティス・メイフィールド
「スーパーフライ」とよく比較される作品でもあります。

73年6月、同名アルバムの先行シングルとしてリリースされた「Let’s Get It On」は「悲しいうわさ」
以来となるポップス・R&Bチャート双方でのNo.1を記録し、初のプラチナディスクを獲得。
アルバムもポップス2位・R&B1位と最高のチャートアクションに。下は次曲「Please Don’t Stay」。
昔から上二曲等のドラミングには興味を持っていましたが、恥ずかしながら今回初めて調べてみました。
ポール・ハンフリーという黒人ドラマーで、R&B・ファンク畑のプレイヤーであったとの事。
60年代はジョン・コルトレーンとも共演歴があり、偉大なるジャズギタリスト ジョー・パスの
16ビート作品にも参加しているらしいです。人によっては ” 叩き過ぎだ!、もっとシンプルに
演ってくれれば良かったのに ” と感じるかもしれませんが、個人的にはこれはこれで素晴らしい効果を
もたらしていると思っています。
ちなみに「Let’s Get It On」の意味は … ♡♡♡(*´▽`*)♡♡♡ … なもの・・・・・

「You Sure Love to Ball」。いきなり♡♡♡(*´▽`*)♡♡♡な女性の声に度肝を抜かれてしまいますが、えっ? (*゚▽゚) ナニをヌいたって …( °∀ °c彡))Д´)( °∀ °c彡))Д´)( °∀ °c彡))Д´)
タイトルの意味や本曲でアルバムのテーマが愛(性を ” 多分 ” に含んだ)であることがわかります。

エンディング曲である「Just to Keep You Satisfied」。妻アンナも共作者として加わった本曲は、
邦題「別離のささやき」というのが何とも意味深。この頃アンナとの仲は既に冷え切っていたそうであり、
繰り返される ” it’s too late ” という歌詞が全てを物語ってています。それにしても
ジェームス・ジェマーソンの
ベースはあまりにも素晴らしい。
社会的・哲学(宗教)的テーマを扱った「What’s Going On」から、本作は愛や性という根源的な
ものへシフトしました。音楽的には ソフィスティケーテッド・メローな曲調が多く、当時台頭しつつあった
フィラデルフィアソウルの影響を受けたのは間違いないでしょうが、いずれにしても素晴らしい作品です。
ちなみに同73年には、ダイアナ・ロスとのデゥエット作「Diana & Marvin」がリリースされ、
「You’re a Special Part of Me」やスタイリスティックスで有名な「You Are Everything」などの
シングルヒットを飛ばしましたが、スペースの都合上仕方なく割愛します。

商業的結果を見れば60年代後半と遜色ない、むしろそれ以上の大成功を収めていると言う事が出来、
順風満帆の様に見えるのですが、果たしてそうだったのでしょうか?続きは次回にて。

#146 Ain’t No Mountain High Enough

マーヴィン・ゲイの最初の結婚相手がモータウンの創業者 ベリー・ゴーディーの姉で
あった事はよく語られる事です。マーヴィンよりも17歳年上の姉さん女房であったアンナと
結婚した事により、マーヴィンのモータウンにおける地位は確固たるものとなります。
勿論それがなくてもゴーディーはマーヴィンのカリスマ性に着目していたのでしょうが、
だから故に妹との結婚を認めた面もあるのかもしれません。
マーヴィンは女性関係に関してかなりの ” フリーダム ” であったそうです(英語はこういう時に
便利ですね。日本語では言えば単に女にだらしない、というだけですから・・・)。
別にマーヴィンの女性問題を取り上げようという訳ではありません。しかし、彼にとって
女性というのは重要なファクターです。別に色恋沙汰だけはなく、音楽上のパートナーという
意味において。前回書き切る事が出来なかった60年代におけるマーヴィンの活動とは、
女性シンガーとの一連のデュエットに関してです。

上は67年のヒット曲である「Your Precious Love」。デュエットの相手はマーヴィンを
語る上では欠かす事が出来ないシンガー タミー・テレルです。60年代のマーヴィンについては
自身のソロとデュエットを並行して捉えなければなりません。

初めての相手は(アッチの方じゃないですよ)メアリー・ウェルズ。当時においてはマーヴィンよりも
格上であったウェルズとコンビを組まされます。上は64年にシングルカットされポップス17位・
R&B2位の大ヒットを記録した「What’s the Matter with You Baby」。本曲が収録された
同年にリリースされた二人のアルバム「Together」についても言える事ですが、全体的に
ソフィスティケートされた音楽です。ウェルズがその路線、つまり白人ウケする方向性で
モータウンから出ていた為だと思われますが、洗練されたスタイルのウェルズにマーヴィンが
追従しているような印象も受け取れます。もっともマーヴィンにしても前回述べた様に初期は
ソフトジャズ志向であったのですからそれほど違和感は感じません。本作はR&Bチャートでは
ランキング圏外でしたがポップスでは42位と健闘。やはりその洗練さからでしょうか。

お次の相方はそれまでマイナーヒットはあったものの一般的には知られていなかったキム・ウェストン。
彼女にとって最初のビッグヒットが上のマーヴィンとの「It Takes Two」(ポップス14位・R&B4位)。
64年には先駆けて二人のデュエットシングル「What Good Am I Without You」をリリースしましたが、
そちらはスマッシュヒットといった結果。かなりブルージーなナンバーでウェルズのそれとは
方向性が違います。66年における二人のアルバム「Take Two」全体に言える事ですが、力強さ・
スピード感・黒人らしい粘り気があります。それでもゴーディーの下から出た作品ですのでポップさは
失われていません。が、今度はポップスでは圏外でありながらもR&Bで24位にチャートインします。

マーヴィンとのデュエットという点においては、先に挙げたタミー・テレルが最も知られる所です。
実はキムの次のお相手として別の女性シンガーがあてがわれていたらしいのですが、同時にタミーも
ブッキングされていたようです。それまで無名であったタミーは録音に対してかなりナーバスに
なっていて、それをマーヴィンが心をほぐしてあげていたという逸話があります。
用意された楽曲は夫婦ソングライティングチーム アシュフォード&シンプソンによる
「Ain’t No Mountain High Enough」、今回のタイトルです。
恥を忍んで白状しますと、やはり二人の掛け合いは絶妙だな、スタジオで一緒に歌ってこその
グルーヴ感・臨場感だな、などと昔は思っていましたが、だいぶ後になって二人の歌が別々に
録られたものだというのを知りました・・・・アレンジ・ディレクションが如何に大事か、ですね …
67年4月に発売された本曲はポップス19位・R&B3位の大ヒット。同年の8月のアルバム「United」も
R&Bチャートで7位と成功を収めます。
私はポップミュージックの分野において、本曲は類まれなる完成度を誇る楽曲だと思っています。
2:20程のあまりにも物足りないと言える短い楽曲ですが、素晴らしい要素が存分に詰め込まれています。よく言われるのがこの時期モータウンのお抱えバンドであったファンク・ブラザーズのベーシスト 
ジェームス・ジェマーソンのプレイ。勿論ジェマーソン以外のプレイヤーも特筆すべきものです。ジャズフュージョンの様な超絶技巧ではありませんが、それぞれが卓越したセッションプレイヤーとしていぶし銀の様な演奏が本曲の屋台骨を支えているのは言わずもがなです。楽曲に関しては一部の隙も無い創りでありますが、
特に1:30過ぎからの三番の転調へ向かうパートは何度聴いても鳥肌が立ちます。
短すぎる、でもその位の物足りなさを味あわせた方がかえって良いのかもしれません(でもやはりもう少し
味わっていたかった・・・・・)。そして言うまでもなく、マーヴィンとタミーのヴォーカルが
秀逸過ぎる事は当たり前の事。つまり、楽曲・アレンジ・演奏・歌の四拍子が全て高い次元で
完成された、数少ないナンバーの一つであるという事です。
アルバムリリースと同時にシングルカットされたのが一番上の「Your Precious Love」ですが、
これも更にポップス5位・R&B2位というビッグヒットになります。

続けて同年末にシングル化された「If I Could Build My Whole World Around You」も
ポップス10位・R&B2位とヒットを記録し勢いはとどまる所を知りません。
本作には上の様なナンバーも収録されています。フランク・シナトラと娘ナンシーのデュエットによる
No.1ヒット「Somethin’ Stupid」。快活なジャンプナンバーからメローな楽曲まで幅広く網羅した
本作は、黒人・白人問わず男女デュエットものにおける名盤の一枚です。

翌68年3月にリリースされた「Ain’t Nothing Like the Real Thing」はマーヴィンのデュエット曲と
しては初のR&BチャートNo.1となります。

続くシングル「You’re All I Need to Get By」もポップス7位・R&B1位の大ヒット。本曲も
アシュフォード&シンプソンのペンによる楽曲で、昇り詰めていくような高揚感は「Ain’t No Mountain High Enough」と共通しています。
これらを収録した同年8月のアルバム「You’re All I Need」もまたR&Bチャートで4位を記録します。

一躍スターダムへと駆け上がったタミーでしたが運命は皮肉なものです。67年に行われたある大学での
コンサートで歌い終わった瞬間にマーヴィンの腕の中へ倒れこみます。その前から片頭痛などの体の不調を
訴えていたタミーでしたが、モータウン側も、そしてタミー本人も折角上向いた来たこの時期に
休む訳にはいかぬと精密検査などは受けなかったそうです。結果的には脳腫瘍と診断が下され、
その後のタミーには複数回にわたる大手術と壮絶なリハビリが待っているのでした。
上記の曲はその合間を縫ってレコーディングされたものです。とても想像が付かない堂々した、
でありながらも20代前半という若さから弾き出されるキラキラとした歌いっぷりには感服します。
下世話な話しですが、二人の間に男女の関係があったのかと言えば、それはなかったらしいです。
マーヴィンにはその気があったと言われていますが、タミーはあくまで音楽上のパートナーと
捉えていたようです。
70年3月、タミーは急逝します。24歳という若さでした。世に知られる様になってからは実質的に
たったアルバム2枚という短い活動でしたが、だからこそ輝いていたのでないかとも思えます。

マーヴィンの落胆ぶりは相当なものだったそうで、ドラッグ・アルコールなどへのめり込む
一因になったと言われています(もっとも元々メンタルの弱い人だったというのもありますが)。
そして有名な話しではありますが、ベトナム戦争から帰還した弟のフランキーの悲惨な戦争体験を
聞くことによって様々な思いを抱きます。ポップスター・エンターテイナーとしての存在、
その音楽性、自身による音楽の社会への関わり方。その様な思索を抱くようになり、
それがポップミュージック史に残る大傑作「ホワッツ・ゴーイン・オン」の制作へと繋がる
訳ですが、その辺りは次回にて。