#193 52nd Street

ビリー・ジョエルが78年に発表したアルバム「52nd Street(ニューヨーク52番街)」は、
ビリーにとって初の全米アルバムチャートにおけるNo.1ヒットとなり、更にグラミー賞(80年)において
最優秀アルバム賞及び最優秀男性ポップボーカル賞を受賞します。「ストレンジャー」からの勢いは
留まる事を知らず、時代の寵児となりました。
上はB-③の「Half a Mile Away」。「マイライフ」同様にポップな曲調ですが、歌詞は「マイライフ」
の様に病んで(?)はいません。ものすごくざっくり言うと ” 毎日くたくたになるまで働いているんだ、
週末くらいは好きに遊ぼうぜ!半マイル向こうに別世界があるんだ!” のような内容だそうです。
N.Y. における市井の人々の暮らし・願望を歌った、くらいのビリーにとっては普通(?)の歌詞です。

B-④「Until the Night」を聴けば、知っている人はライチャス・ブラザーズの
「ふられた気持ち」じゃね? と思ってしまいますがそれは正解です。ビリーとプロデューサーである
フィル・ラモーンは明確な意図をもってフィル・スペクターによるこの稀代の名曲を
リスペクトしたそうです。もっともフィル・スペクターサウンドという点については「さよならハリウッド」ですでに取り入れていましたが。本曲が後の「イノセントマン」につながるのは言わずもがなです。

ダイナミックな「Until the Night」の後、アンコール的に歌われる様な形を取った小曲「52nd Street」
にてアルバムは終焉を迎えます。

私見ですが、「ストレンジャー」「ニューヨーク52番街」「グラス・ハウス」「ナイロン・カーテン」
「イノセント・マン」がビリーの黄金期であり、いずれも甲乙付け難い作品であります。
それでもこの中からどれか一つと問われれば、各楽曲のクオリティーやトータルバランスという点において、私は本作が頭ひとつ抜きん出ている、と思っています。
ほんとにちょっとです、どれも大好きなアルバムばかりです。

#192 Rosalinda’s Eyes

78年4月にビリー・ジョエルは初来日公演を行います。しかし本公演はぎりぎりまで実現出来るか
どうか危ういものだった、というのは意外な話しです。77年中には「素顔のままで」のヒットと共に
アルバムも売れていたのに何故?と思ってしまいますが、実は「素顔のままで」が全米チャートを
駆け上がっていったのは翌78年になってからであり、最高位3位を記録したのは2月18日の事。
勿論インターネットなど無い時代、最新の洋楽紹介番組である『ベストヒットUSA』も
まだ始まっておらず、海の向こうの最新音楽動向などは
一部の業界関係者、もしくはよほどの
マニアしか知る由がない所でした。

日本では同時期にビリーの知名度が上がる下地が作られます。ソニーのテレビCMに
「ストレンジャー」が使用されたのです。これは勿論米におけるビリーの大躍進の兆しを
知っている業界関係者によるものでした。ちなみにアルバム「ストレンジャー」の日本における
リリースは翌78年の事。またシングル「ストレンジャー」が日本のみの発売となったのは
このテレビCMが先にあった為、というのも言わずもがなです。
はじめに豪公演の後に日本へ寄りたい、という申し出がビリー側からあったそうです。
しかし会場の問題などで日本サイドは二の足を踏んでいました。ところが「素顔のままで」の大ブレイクと
日本における「ストレンジャー」の人気から、何とか調整をして来日公演を実現させたそうです。

ストレンジャーの世界的成功に気負う訳でもなく、かといって二番煎じを作るでもなく、
次作「52nd Street」が余裕さえ感じられる傑作となったのは既述の事です。
A面に有名曲が集まっている為にB面は地味な印象を一般的には受けてしまいますが、
実はA面に負けぬほど素晴らしい楽曲ばかりが収録されています。
上はB-①の「Stiletto(恋の切れ味)」。スティレットとは先の細く尖ったナイフを指します。
ナイフで切り付けられ様な恋愛、といったかなりマゾヒスティックな内容に取れますが、
もうちょっと深い意味があるのかな、と私は思っています。
本曲は妻エリザベスの事を表したとされていますが、後に離婚する二人ですけれども
まだこの頃は円満であったと言われています。
それにしても「素顔のままで」であれほど甘い歌を創った後に、同じ妻に対して真逆の歌を創ってしまうのは
興味深いです。ちなみにエリザベスはかなりやり手のマネージャーでもあったそうです。

今回のテーマであるB-②「Rosalinda’s Eyes」はビリーの中で決してメジャーな曲ではありません。
なのですが、私はともすれば「ビッグショット」と並んで本作のベストトラックではないかと思っています。
アルバム中少なくとも一曲はラテンテイストの曲を入れる事をポリシーにしている、というのは
以前に書きましたが「52nd Street」においては本曲がそれです。
かなりゆっくりめのサンバフィールとでも形容しましょうか、それはボサノヴァでは? と言う向きが
あるかもしれませんが、本曲のグルーヴは明らかにボサとは異なり、やはりサンバとしか言えません。
随所でエレクトリックピアノが印象的な本曲ですが、本アルバムにおいてビリーはフェンダーローズと
ヤマハCP70の両方を使用しています。私は鍵盤は門外漢なので自信はありませんけれども、
これはローズだと思います。CP70はクラヴィネットっぽい音色だそうですから。
ロザリンダはビリーの母親の名前(スペルは ” Rosalind ” でaが付いてないらしいですが)。
つまり本曲は母に捧げたものです。

舞台はN.Y. のスペイン街であり、ミュージシャンである主人公とロザリンダという(多分)踊り子の
物語です。決して生活が楽ではない主人公だが、ロザリンダはその才能を認めて信じてくれている。
ロザリンダの瞳を通して主人公はキューバの青空を見る(キューバはスペインの植民地であった)。
自分はそこに行くことはないだろうと語っているので、彼はキューバの出ではないのでしょう。
ビリーの母親は彼のミュージシャンになりたいという願いを肯定的に認めてくれていたそうです。

ポルトガル語にサウダージという言葉があります。翻訳家泣かせのワードらしいのですが、

郷愁、思慕、切なさといった憂いの感情を指し、ブラジル人気質を表す言葉と言われます。
明るい、あるいはのどかな曲調の中にもどこか切なく憂いを帯びた雰囲気を漂わせる、サンバやボサノヴァに限らずラテンミュージックには甘さと辛さが表裏一体となった独特のテイストがあります。
それは本曲でも感じる事が出来、特にリコーダーソロが終わって歌詞で言うと三番の歌いだしの所、
演奏が中断されビリーの歌のみとなり、そこにエレピの音色が素晴らしい栄えをもたらします。
この部分の歌詞は、バンド内でも孤独でなおかつ安月給の自分ではあるが結婚式のドレスを準備するんだ、
というもの。影と希望が同居し、それが明るくリズミックな曲調の中にも寂寥感を醸し出していて、
これこそまさに ” サウダージ ” なのだと私は思っています。

最後にユーチューブで面白いものを見つけたのでご紹介。「Rosalinda’s Eyes」のデモその1・その2が
上がっています。興味深いのは1の方で、最初の段階ではだいぶ印象の異なるものであった事。
このテイクも素晴らしいので、何なら本ヴァージョンでも仕上げて欲しかったと個人的には思ってしまう …

#191 Zanzibar

ビリー・ジョエルと言えば「素顔のままで」「オネスティ」といったバラード、というイメージが
定着している。というのは既述ですが、「素顔のままで」はともかく「オネスティ」は米本国で
それほど認知されていない楽曲だというのは意外な事です。

”「誠実」なんて虚しい言葉だろう ” このあまりにも有名な一節を含んだ本曲は「52nd Street」
からの3枚目のシングルとしてリリースされましたが、チャートアクションは24位という
決して大ヒットと呼べるものではありませんでした。

日本で特に人気が高いのはひとえに上のテレビCMによるものでしょう。ネッスル社のCMによって
本曲はお茶の間に浸透しました。私以上の世代(昭和45生)なら絶対に視ているコマーシャルですが、
前作「ストレンジャー」からタイトル曲が日本でシングルとして大ヒットした事が本曲を起用した
一因となっているのは言うまでもないことでしょう。ただ本曲はオリコンチャートにおいては53位と
「ストレンジャー」ほど奮いませんでした。爆発的に売れたのはフランスにおいて。8週連続1位という
快挙を成し遂げ、70年代における最も売れた曲TOP10に入ったそうです。言われてみれば、
少しシャンソンに
通ずる哀愁が漂ってなくもないですよね。

本作からの第一弾シングルであり全米3位の大ヒットなったのが「My Life」。一聴すると軽快な
ポップソングですがその歌詞はとてつもなく厭世的なもの。
商売が上手くいかず、物質的豊かさのみの米流大量消費生活に辟易した主人公が西海岸へ移住し
畑違いの芸能関係を生業とする。友達に窘められても放っておいてくれ、と言う事を聞かない。
ここでの ” 俺の人生だ!” というのは前向きなものではなく、世をはかなんだものです。
それにしてもアメリカンドリームをつかんだと言って良いほどの成功を収めたのに、
次の作品でこんな後ろ向きな歌詞を書く。この人はやっぱりネガティブの塊の様な人なのでしょう。

A面ラストの「Zanzibar(ザンジバル)」。前作における「イタリアンレストランで」に
相当する様な楽曲です。ただしその歌詞は「イタリアンレストランで」とはだいぶ異なるもの。
「Zanzibar」という異国情緒(アフリカ風?)あふれる店名のバーを舞台にしています
(ちなみに語尾の ”bar” が酒場のバーとかかっている事は言うまでもない)。
店が舞台という点では「イタリアンレストランで」と同様ですけれどもその中身は・・・

ボクシングと野球が好きなビリーらしく二つのスポーツを用いて書いています。
1番ではモハメッド・アリが登場し、彼の活躍を観る事によって自らを鼓舞させる内容。
ただしそれはヒロイックなものではなく、酔っぱらった昭和のオヤジが巨人や阪神が
勝った負けたと言って一喜一憂して騒いでいる下卑た様なもの。
そして自分はザンジバルの ” 顔 ” であり、店のウェイトレスと ” イイ ” 仲であると自慢する。
そしてサビが、

I’ve got the old man’s car I’ve got a jazz guitar
I’ve got a tab at Zanzibar Tonight that’s where I’ll be
俺には古い車がある ジャズギターだってある
そしてザンジバルにはつけがある 今夜俺はそこにいるだろう

古い車、ジャズギター、さらには飲み屋にツケがあるという事は大人の男だということ。
しかしあまり格好の良いものではなく、オレこんなの持ってるんだぜ!、的な陳腐な自慢です。
2番はピート・ローズが出てきます。野球と恋愛をかけた内容で、そして狙っている相手は
勿論ザンジバルのウェイトレスでありません。しかし結局は玉砕する・・・
そして3番では結局ウェイトレスのもとに戻ってくる、といった内容です。

結局の所この歌詞は、粋な大人の男で、しかもプレイボーイを気取ってはいるが、
とどのつまりはダメ男である、といった内容です。
「イタリアンレストランで」とは、若さゆえの無鉄砲・無計画な行動で一度挫折を味わった者達を、
甘やかす訳でもなく、かと言って窘めるわけでもなく、それもまた人生だとありのままに認め、
門戸を開いて彼らを受け入れる店でした。
「フォンタナ ディ トレビ」という実在したビリー行きつけの店がモデルになってはいますが、
実はこの世のどこにも存在しない、観念的・精神的な心の拠り所だと私は思っています。
それに対して「ザンジバル」は、特にモデルになったバーがあったようではありませんが、
その辺にいくらでもある飲み屋であり、またこの男もその辺りにいそうなダメな輩です。

しかし歌詞はダメダメな男でも、楽曲とサウンドは極上のものです。
本曲で取り沙汰されるのはジャズトランペットの大御所 フレディ・ハバートの参加。
ハバートによる二回のソロが本曲をより高みへと押し上げているのは言わずもがなですが、
それに比べてあまり取り上げられないヴィブラフォン奏者 マイク・マイニエリも
素晴らしい貢献を果たしています。

まとめると、本曲は非常にダンディズムに溢れた曲調であるながら、その辺にいるダメな男
またそいつらが行きそうな俗な飲み屋を主人公及び舞台にした、コントラストが際立つ楽曲です。
ビリーは完全にそのギャップを狙ったんでしょうが、本曲においても彼の一筋縄ではいかぬ
創造性が伺い知れて、これはこれで楽しいです(単にひねくれているだけ? … かも・・・・・)

#190 Big Shot

爆発的な成功を収めたミュージシャンが次にどうでるか?
その成功がミュージシャン本来のスタイルであったならば、基本的に前作を踏襲した新作を
創るでしょう。あえて奇をてらう必要は全くありませんから。
しかしなかには爆売れした前作とは打って変わった作品を創り、良い意味で世間を裏切り、
予想の斜め上を行ったミュージシャンもいます。
「アンプラグド」第二弾の様なアルバムを作れば、再度のビッグセールスは間違いなかったのに、
あえてそれをしなかったエリック・クラプトン(#11ご参照)。
同じように「パープル・レイン」のメガヒット後に、当時全く流行の予兆もなかったサイケデリック色を
前面に打ち出した「Around the World in a Day」という傑作アルバムでこれまた世間を
あっと言わせたプリンス(#51ご参照)など。
アルバム「ストレンジャー」が空前の大ヒットとなったビリー・ジョエルははたして?

ビリーにとって最初のヒット作「ピアノマン」の次作である「ストリートライフ・セレナーデ」が、
制作期間の短さから(11か月)、決してそのクオリティーにおいて十分でなかったのは既述ですが、
十分な期間が与えられなかったのは、「ストレンジャー」の次作である「52nd Street
(ニューヨーク52番街)」についても同様でした(13か月)。ではその出来栄えはというと・・・

上は「52nd Street」のオープニング曲「Big Shot」。のっけからエッジの効いたサウンドとフレーズに
当時の人は度肝を抜かれたのではないでしょうか。「素顔のままで」でビリーを知った大半のリスナーは
当然それを期待していたでしょうが、それを見事に良い意味で裏切るハードかつパンキッシュささえ
感じられる快曲。個人的には本作におけるベストトラックです。
 お前は「大物」にならなきゃいけないんだろ。
 お前は「大物」にならなきゃいけない。
 お前は「大物」になりたかったんだろ。
強迫観念になりそうな程成功する事を願っている人物を揶揄した内容、という事で大体あってるかな?
と思います。しかし結局は引き際を見誤ってしまったというオチ・・・・・・・・・
「ストレンジャー」及び「素顔のままで」の大ヒットにより一躍時の人となったビリーがどんな新作を
聴かせてくれるのか?そう期待していた聴衆に対してこれ程の皮肉はないでしょう。
「ストリートライフ・セレナーデ」の二の轍は踏まなかった訳です。決して十分な制作期間があった訳では
ないことは既述ですが、そんな事を全く感じさせない強者の余裕すら感じさせます。
ビリーにとっては ” してやったり ” 、といった感じだったのではないかと私は思っています。

だいぶ短いのですが、前回が長すぎたので帳尻合わせとして今回はこれにて。次回以降は当然しばらくの間
「52nd Street」及びその収録曲についてです。