#154 White Shadow

ピーター・ガブリエルは50年、英国サリー州生まれ。ジェネシス回 #22~24で既述の事ですが、
オリジナルメンバーは全員が貴族の家柄です(後から加入したフィル・コリンズやスティーヴ・ハケットは
一般階級)。父方の祖父が財を成した人で、相続により農場とコテージを貰いピーターはそこで育ちます。
父親は電気技師でかなりの発明マニアだったとの事。仕事部屋で色々なものをこしらえ幼き日のピーターは
それにワクワクします。母親も貴族の家柄で五人姉妹の内二人は王立音楽院に在籍するといった超音楽
エリートの家系。勿論この母方の影響はあったのでしょうが、意外にもピアノのレッスンなどに対して
ピーターはあまり興味を示さなかったそうです(むしろ妹のアンが真面目だった)。
ピーターはシャイである一方、周囲の人達をあっと言わせる仕掛けを施すような子供だったそうです。
それは天真爛漫というよりも、こうしたら皆は驚き、そして喜んでくれるんじゃないかな?という思いから
だった様との事。これが後におけるピーターの創作・表現の根幹となっています。

77年暮れからピーターは2ndアルバムの制作に取り掛かります。プロデュースはロバート・フリップ。
フリップは前作に納得がいっておらず、またピーターのソロとしての始動にも若干煮え切らないものを
感じていたそうですが、やはり親友なのでそれを引き受けます。
上はオープニング曲の「On the Air」。勢いのあるロックチューンでピーターとしては無難な
楽曲だと思いますが、これには裏エピソードが。米ではアトランティックが発売元だったのですが、
とにかくシングルとして売れる曲を作れ、という要望だったそうです。次の「D.I.Y.」も含めて
ピーターはそれを受け入れます。これに関して彼は金銭的成功が欲しかった事は認めつつ(実際
この時点ではジェネシス時代の印税に頼っていた)、少し斜に構えた考えを持っており、
” 自分達が創造的姿勢をあくまで崩さずに、表面上は商業的なものが会社に受け入れられるかどうか
(=だまくらかせるかどうか)試してみたかったんだ ” の様な趣旨のコメントをしています。

アトランティックが意図した通りのシングル向けの楽曲もありますが、基本的に本作は
内省的な楽曲の方が多いです。上は妻ジルと共作した「Mother of Violence」。

個人的には本作のベストトラックであるA面ラストの「White Shadow」。地味ではありますが
ジェネシス色を感じさせる佳曲です。ジェネシス時代とは決別を図っていたピーターでしたが、
やはりそう簡単に払拭出来るはずはありません。そしてファンにはそれが嬉しいのです。
特筆すべきはロバート・フリップによるギターソロ。(多分)ナイロン弦によるプレイも
素晴らしい効果を上げていますが、3:20過ぎからのエレクトリックギターによるソロが
絶品です。フリップとしては珍しく(?)緩急のついた、起承転結のあるフレーズ構成であり、
おそらくはギブソンレスポールのフロントピックアップを用いて、トーンを絞り軽く歪ませる、
エリック・クラプトンがクリーム時代によく使った所謂 ” ウーマントーン ” というやつですが、
このむせび泣くような音色がたまりません。キング・クリムゾンの「スターレス」も同様です。
考えてみればフリップの速弾きというのもレアなプレイです。そしてトニー・レヴィンの
ベースも秀逸であるのは言わずもがな。レヴィンは前作でボブ・エズリンが引っ張ってきたのですが、
フリップとの出会いはこの頃からだったようです。81年にクリムゾンがレヴィンを交えて
再結成するのはクリムゾン回 #16で述べた通り。エズリンを毛嫌いしていたフリップでしたが、
この出会いにだけは感謝するべきでしょう。

少し時間は遡りますが、ジェネシスを脱退した頃のピーターの精神状態はかなりヤバい状態だったようです。
妻ジルによると、レタスの栽培に凝っていたそうですが、異常とも言える偏執的な凝り方であり、
この人はどうにかなってしまったのではないか?という程だったとの事(でも次回以降で書きますが、
この人は生まれた時から ” どうかしてる ” ヒトなんですけどね・・・失礼 …… )。
しかしやがて徐々に幾つかの出会いから音楽活動を再開出来るようになり、1stソロの制作へと
こぎ着ける事が出来たのです。

B面トップの「Indigo」は隠れた名曲。30年代のミュージカル映画にインスパイアされたという
本曲は、死を目前にした父親が今まで潜めていた感情を吐露するといった内容です。
寂寥感溢れる曲調、なによりピーターの歌唱が何とも言えぬほど切ないです。

先述の通り本作はレコード会社を説得する(=だまくらかす)為のポップな楽曲と、内省的なものとが
混在しています。その中にあって異彩を放つのがピーター&フリップによる実験的ナンバーである
「Exposure」。翌79年のフリップ初ソロ作のタイトル及びタイトルチューンとなる訳ですが、
よく取りざたされるのが『フリッパートロニクス』というやつ。私も詳しくはないのですが、
二台のテープレコーダーを用いてギターに独特の音色変化をもたらすもので、適切な表現かどうかは
わかりませんがギターシンセのアナログ版とでも捉えれば良いのでしょうか?
私はそれよりもドラムの音が気になります。本作から参加しているジェリー・マロッタは兄のリックと共に
第一線で活躍するセッションドラマー。二人とも何の予備知識もなくその姿を見れば絶対にプロレスラーだと
思う程の体格ですが、その音も体格通りの音です(別に筋力がなければパワーが出ないという事は絶対に
無いですけどね、凄く細いのにめちゃくちゃパワフルなドラマーは大勢いますから)。
本作全編に渡りシンプルでありながら、そのタイトでパワフルなドラミングにて貢献しています。

エンディング曲である「Home Sweet Home」はピーターが初めて書いたラブソングだと言われています。
彼がラブソングを作るなどという事は精神状態が良かったのでしょうから、前述したジェネシス脱退直後の
不安定さは解消されていたのでしょう。このようにメロウな曲も ” ちゃんと ” 書ける所から(失礼だな)、
ソングライターとして非凡な才能が伺い知れます。

本作はオリジナルアルバムの中で最も売れなかったアルバムです。個人的には好きな作品なのですが、
商業的失敗については様々な要因を思いつく事が出来ます。元ジェネシスのリーダーであった
ピーター・ガブリエルのソロという話題性は1stで切れてしまった。1stはまだジェネシスらしさが
残っていた為に昔のファンは喜んだのだけれども、本作には先述したレコード会社を説得するための
ポップな素材が入っており、それがコアなリスナーには敬遠されてしまった。また何よりジャケットが
暗過ぎます。この人に明るさを求めるのは端から無理ですけれども、表は勿論の事、裏ジャケットは
特に陰惨な雰囲気を漂わせています(興味がある人はググってください)。もっともジャケットの
異様さは(良い意味で)今後も続くんですけどね・・・・・

同時期にジェネシスはギターのスティーヴ・ハケットの脱退をもこれまた乗り越え、「そして三人が残った」
という自嘲的タイトルのアルバムが大ヒットを記録し、ますますその世界的成功を手中に収めていきます。
このままピーターとジェネシスの(商業的な)差は広がっていくのか?その辺りは次回にて。

#153 Solsbury Hill

ケイト・ブッシュ回でその名前が挙がったのでこの人を取り上げます。
#22~24のジェネシス特集にて、私がジェネシスマニアであることは述べました。
ですので当然この人もジェネシスにおける活動及びソロワークは鼻血が出るほど聴きました。
その人は言うまでもなくピーター・ガブリエル。英国が生んだ屈指の天才(奇才)ミュージシャンです。

75年にジェネシスを脱退した彼は、その年の終わりからデモテープを作り始め、それは20曲程となります。
76年から77年1月にかけてトロントとロンドンで録音を行い翌2月に1stソロ「Peter Gabriel」を発表。
上はオープニング曲である「Moribund the Burgermeister」ですが、のっけから怪奇色満載で、
かと思えば劇的な曲調に変わる、これだけ聴くとジェネシスかと思う程です。
それもそのはず、1stに収録された多くはジェネシス在籍時に書かれたものだそうです。
初めに白状しておきますと、今回かなりの割合でピーターの自伝『ピーター・ガブリエル(正伝)』
(スペンサー・ブライト著・岡山 徹訳・音楽之友社)を参考にしています。

第一弾シングルである「Solsbury Hill」。ソルズベリー・ヒルとはイングランド南西部の
サマセット州にある古代塚で、当時ピーターの住まいは近くにあったとの事。
これから手に入るかもしれないものの為に、今持っているものを捨てる覚悟を書いた歌詞だと
本人は語っています。子供も生まれ(それに対して他のジェネシスメンバーが無理解だったのが
脱退の要因の一つであった事はジェネシス回で触れた通り)、新しい出発という意味で
第二の人生における希望のシンボルにしていたそうです。
変拍子である所を除けば本曲はメロディックで親しみやすい方ですがエンディングはやはり・・・
本シングルは全英で13位にチャートインし、アルバムも英7位、米でTOP40に入るという
好成績を上げ、英・仏・独でゴールドディスクに認定されました。ソロとして上々の滑り出しです。

平凡な・単調な、という意味である「Humdrum」。確か邦題は「虚ろな日々」だった記憶があります。
ラリー・ファーストのエレピに乗せて気怠く歌われる導入部から、途中では舞踏曲を思わせる箇所もあり、
エンディングは荘厳な展開へ。これもジェネシス時代を思わせる曲です。
キーボーディスト ラリー・ファーストはその後ピーターと永く関わる人物。そしてガットギターは
言うまでもなく盟友ロバート・フリップです。
プロデュースはボブ・エズリン。正直ピンク・フロイドの「ザ・ウォール」とピーターの本作でしか
名前を知らない人でしたが(アリス・クーパーのプロデュースが有名らしいですが私は詳しくなく … )、
大仰な音楽の作り方をする人で有名だそうです。

B面トップの「Slowburn」はイントロだけ聴くとアメリカンロックかと思ってしまいますが、
これもエズリンの影響かと。昔は輸入盤で本作を聴いていましたが、向こうのLPはジャケットの中に
ゴロッとポリ袋に包まれたレコードが入っているだけで、詳しい情報、つまり演奏陣などは
判りませんでした。ですので本曲のギターもロバート・フリップが弾いているものと思っていました。
やがてネット時代になって別のギタリストがいるとわかり合点がいきました。
エズリンはフリップに対してロックギター然としたプレイを要求し、フリップはそれを拒んだそうです。
当初は偽名でクレジットするよう頼んだそうですが(それ程までにエズリンとは合わなかった)、
親友であるピーターの為に渋々実名でのクレジットを許可したとか。余談ですがその後のツアーでは
偽名で参加し、アンプの陰に隠れて弾いていたそうです。
「Slowburn」のエンディングではやはりピーター・ガブリエルワールドが展開されます。

ブルースのパロディのようなナンバー「Waiting for the Big One」。しかし演奏が素晴らしいので
ただのパロディでは終わっていません。

壮大なオーケストレーションとタイトなR&Rが同居する「Down the Dolce Vita」は「Slowburn」と
同カラーの楽曲。次のエンディングナンバーである「Here Comes the Flood(洪水)」への
導入部も兼ねています。

「洪水」は全てが洗い流され、後に新しい世界が到来するといった多分にキリスト教的な内容だそうです。
私は詳しくないのですが黙示録というものでしょうか。自身のソロとしての再出発にもかけた意味合い
との事。本アルバム全体を通してその手のメタファー(隠喩)が込められているとか。

自伝でピーターが語っていますが、本アルバムはかなりの割合でエズリンに主導権を握られていた様です。
それでも彼はフリップの様にエズリンを毛嫌いする事なく、自分には出来ない音楽の作り方をする人と
認めています。しかしそんなピーターでも本曲はいじり過ぎだったと回顧しています。当初のイメージは
もっとシンプルなアレンジだった様であり、それは多分上の様なヴァージョンだったと思われます。
これは79年に放送されたテレビ番組『ケイト・ブッシュ クリスマススペシャル』におけるもの。
スタジオライヴを収録したこのプログラムにピーターはゲスト出演し、本曲を披露しました。
勿論の事、ご覧の通り冒頭でケイトが出ています。

初めに述べた通り私は相当なジェネシス&ピーター・ガブリエルフリークなので、ついつい思い入れ過多の、
独りよがりで
、マスTーBーション的(伏字の意味ねえな)な内容になってしまいがちなので、出来得る限り
” ピーター・ガブリエル?ナニソレ?食べられるの?” という方にも分かり易い内容で書いていきます。

既に ” 付いていけねえ ” と思ってるんじゃねえかな、見てる人いたら? … の話だけどな (´∀` )・・・・・
・・・・・・それは言うなあ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!━(# ゚Д゚)━

#152 Wuthering Heights

ドリーム・アカデミーがピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアによるプロデュースを
受けてデビューしたという事は前回述べましたが、ギルモアによってその才能を見出された人と言えば
彼女を挙げずにいられません。

天才・鬼才・奇才という表現があまりにもしっくりくる女性ミュージシャンの筆頭ではないかと
思います。その名はケイト・ブッシュ。上は彼女のデビューシングルにて全英No.1となった
「Wuthering Heights(嵐が丘)」(78年)です。
親が医者で裕福だったとか、11歳からピアノを始めたとかは日本版ウィキにありますので
そちらをご参照を。今回調べていて初めて知り納得がいったのは、彼女が空手を習っており
(兄のジョンは空手家)、時折発する奇声は空手の気合であり、またデビュー作の
ジャケット等における日本風のコスチュームはそれに由来するものの様です。
そのレコードジャケットに関して、「嵐が丘」や1stアルバム「The Kick Inside」で画像検索すると
いくつかのヴァージョンが出てきます。先ほど「嵐が丘」は78年(1月)リリースと述べましたが、
実は前年の11月に一旦は発売されたようです。しかしそのジャケットを彼女が気に入らず、
ラジオ局などへいくらか出回った分を回収し、翌年までペンディングさせたそうです。
それにしても、たかだか18、19歳の小娘の言う事に天下のEMIが従ったというのも驚きです。
それだけ期待が大きかったのか、あるいはギルモアの威光があったからか?(多分後者)・・・
「嵐が丘」は英女性作家の同名小説を基にしているそうですが、詳しくは他で検索を。

「嵐が丘」は英女性シンガーソングライターとしては初の全英1位となり、アルバムも100万枚以上の
セールスを記録します。しかしアメリカでは成功を収める事が出来ませんでした。米ラジオ局のシステム、
また彼女の美しい容姿を積極的に打ち出さなかった事などが原因ではないかと色々非難があったそうです。
日本風衣装に凧というジャケットの他に、胸元が大きく映ったバストショットのものも出てきますが、
米市場で売り込む為に後から作成されたものの様ですけれども、彼女は後にこれについて批判しています。
上はアルバムのオープニング曲「Moving(嘆きの天使)」。摩訶不思議なイントロから、
ヨーロッパ的叙情味溢れるメロディとケイトの歌で早速彼女の世界に引き込まれてしまいます。

タイトル通りこれまた不思議な曲調の「Strange Phenomena」。かと思えば一転してコミカルな
曲調の「Kite」はアルバムジャケットの元になっていると思われます。

2ndシングルで全英6位となった「The Man with the Child in His Eyes」。彼女は早くから
プロモーションビデオに力を入れており、音楽のみならずその歌詞や演劇的なステージアクトなど
全てをひっくるめてケイト・ブッシュの音楽と相成っています。ちなみに本曲は13歳の時に作り、
16歳でレコーディングされたとか。

B面のトップはこれまたガラッと変わってブギ・ロック調のナンバーである「James and the Cold Gun」。終盤では叙情的なプログレ色に染まっていきますがやはりギルモアの仕業か?
これらの曲を10代後半で一人で創り上げたというのは驚愕に値します。勿論アレンジや演奏陣の仕事に
よって出来の如何にはだいぶ違いが生じますが、ありあまる天賦の才を持った人に間違いはないです。
こうして書いていくと、どうしても同様の日本人女性シンガーソングライターと比較してしまいます。
言うまでもなくユーミンです。細野晴臣さんや後に伴侶となる松任谷正隆さん達のキャラメル・ママ
(後のティン・パン・アレー)などのサポートを受けその才能を世間へ知らしめた天才ミュージシャン。
ケイトも先述の通りデヴィッド・ギルモアやアラン・パーソンズ・プロジェクトの面子によって
そのミュージックワークを支えられ、この様な傑作をデビュー作として生み出すことが出来たのです。
私は運命論などは全く信じていないのですが、やはり才能をもっている人間は然るべき出会いなどを経て
世に出ていくのかと思わされます(勿論世に認められず埋もれた才能もたくさんありますが … )。

本作では地味な存在ですが、非常に興味深いナンバー「L’Amour Looks Something Like You」。
本作が米で売れなかった事は既述の通りですが、そのルックスをフィーチャーしなかったからだとか
色々言われていますけれども、本質はそこではなくて、この寂寥感の様なものをアメリカ人は
理解出来ないのではないかと思っています(別に米国人差別じゃありませんよ。アメリカ人の悲哀は
ブルースやカントリー&ウェスタンみたいなカラっとした悲惨さですから)。
ブリティッシュトラッドフォークは、日本の古謡・童謡に通じるプリミティヴな哀愁があります。
本作が日本で受け入れられたのはその辺りにあるのではないかと私は思っています。

「Them Heavy People」のPVを観て思うのは、せっかく美人なのにどうしてこんなキワモノ的な
メイクやパフォーマンスをするのだろうか?という事です。しかたありませんね、本人が望んで
そうしたいんですから。これら全てがケイト・ブッシュなのです。演劇的なステージ・アクトなどは
ピーター・ガブリエルの影響を感じさせます。勿論二人の間には交流があります。

タイトルトラックである「The Kick Inside」。刺激という意味にもなるらしいのですが、
この場合は文字通りの意味で、(胎児が)内側から(母親のお腹を)蹴るといった意味の様です。
その子の父親とは実の兄という、つまり近親相姦によって出来た命で、最後に主人公は自ら命を絶つような
結末を示唆するエンディングらしいです。私はポップミュージックの歌詞というものにそれ程重きを
置いていない者なので歌詞の深読みはしませんが、ギリシャ神話をモチーフにしているとか。
ただ一つ言えるのは10代の女性シンガーのデビュー作タイトル曲にて、この様なテーマを扱うことを
許した天下のEMIレコードの度量の深さ(=暴挙)への驚きです。いくらデヴィッド・ギルモアの
後ろ盾があったとは言え、やはりイギリスという国の奥深さ(=ヤバさ。誉め言葉ですよ)に感嘆します。

ケイト・ブッシュ特集はこの一回でひとまず終了します。これ以降の彼女についてはまた折を見て。

#151 Life in a Northern Town

昨年は一年に渡ってブラックミュージックを取り上げてきましたが、はて、今年はどうしたものか?
と考えあぐねていました。ずっと真っ黒けっけだったので、今度はナマっ白い連中の音楽に
しようかと、極東の島国の黄色いサルは思いましたとさ(こういう書き方しときゃ、差別だとか
ナンとかイチャモンも付けられないでしょ)… 大丈夫だ、誰もこんなブログ見てねえから (´∀` )
。・゚・。・゚・。・゚・。・゚・。・゚・。・゚・・゚・。・゚・。・゚・。・゚・。(ノД`)・゚・。・゚・。・゚・。・゚・。・゚・。・゚・。・゚・。・゚・。・゚・。・゚・。・゚・。

という訳で当面は英米の白人によるロック・ポップスを特集していきたいと思います(特に英)。
寒いこの季節にピッタリかなと思いついたのがこれ。85年11月にリリースされたイギリスのバンド
ドリーム・アカデミーによるデビューシングル「Life in a Northern Town」と本曲が
収録された同月発売の1stアルバム「The Dream Academy」です。ちなみに本国では
シングルは3月にリリースされたそうですが、当時私の耳に入ってきたのは当然米と同じ時期です。
リアルタイムで聴いたので思い入れがあります。その印象的なコーラス、北欧を思わせる
凍り付く様な曲調とサウンドに魅了され(英も北欧も言ったことないけど … )、なけなしの金を
はたいてLPレコードを買い、中三の終わりに聴きまくりました(受験はどうした?・・・・・)。

ニック・レアードを中心とするドリーム・アカデミーのデビュー作は、ピンク・フロイドの
デヴィッド・ギルモアによるプロデュースを受けてリリースされています。ギルモア回#29~30
でも述べた事ですが、ケイト・ブッシュの才能を見出し、いきなり全英No.1へと導いた彼には、
人の才能を見極め、そして引き出す才能もあったようです。

作品を通して主にオーボエでもってヨーロッパ感を漂わせることに寄与しているのは紅一点である
ケイト・セント・ジョンによるもの。アカデミックな音楽教育を受けた才女であり、ニックの作る
楽曲へ更なる彩りを添えています。それが顕著なナンバーが上の「In Places On The Run」。

A面ラストを飾る「This World」はリチャードという人物を主人公に仕立て上げた物語的楽曲。
曲調はそうでもないのですが、かなり救われない内容の歌詞であり、麻薬中毒になったニックの
友人をモデルにしたとかしないとか。

日本版ウィキを引くと彼らについて ”・・・派手な楽曲が主流となっていた時代に、非常にシンプルな
サウンドを展開し異彩を放った ” とあるのですが、あまり的を得ていないと思います。
基本的に80年代的ファッショナブルかつダンサンブルな曲調ではなかったのはその通りですが、
シンプルなサウンドというのには首をかしげます。殆ど全曲に渡ってきちんと練られたアレンジがなされ、
当時における凡庸なロックバンドなどよりよほど複雑かつ高度な音楽を展開しています。そしてさらに派手な
楽曲も収められており、それが上の「Bound to Be」。B面トップを飾る16ビートのジャンプナンバーは
非常に刺激的です。本曲以外でも金属的なベースの音色、ゲートリバーブを効かせたドラム、
シンセの多用など80年代的エッセンスは間違いなく彼らの中にあります。「Life in a Northern Town」の
ヨーロッパ的・牧歌的イメージが強すぎて、おそらくはそんな形容をさせているのかと思われますが
(その「Life in ~」だってよく聴けばとても単純ではなく、一筋縄ではないんですけどね)。
本当の意味でその様な ” 80年代的呪縛 ” から解放された音楽を作る人達が現れるのはもう少し後の事。

「Moving On」も「Life in ~」同様にコーラスが印象的な佳曲。本作はケイトのオーボエ以外にも管楽器が
フィーチャーされています。途中のハモンドオルガンがピンク・フロイド臭を漂わせているのは
やはりギルモアによるものか?シンセや(多分)フレットレスのベース及びその音色などは80年代的です。

少し売れ線狙いかな?とも思いますが、決して嫌いじゃないのが「The Love Parade」。「Life in ~」は
全米チャートで7位、アルバムもTOP20に入るといったイギリスの新人バンドとしては素晴らしい
デビューを飾った彼らでしたが、レコード会社(米ではワーナー)は更なるヒットを期待し本曲を
シングルカットしたそうです、わざわざ米用の別ヴァージョンをこしらえてまで。結果的には
かろうじてTOP40に入る程度と、それほどのヒットとはなりませんでした。上はアルバム版です。

「The Party」も「Life in ~」同様にクラシカルかつ牧歌的楽曲。ストリングスのクレジットは
なされていないのですが、どう考えてもこれは生のストリングスでしょうね。エンディング間際に
本作の収録曲が軽くリプライズされ、コンセプト感を出しています。やはりギルモアの影響か?

アルバムラストの「One Dream」。本作では最もシンプルな楽曲ですが、オブリガードを
奏でるトランペットが印象的であり、やはりきちんと作り込まれているものです。

その後二枚のアルバムをリリースしますがデビュー作程のヒットとはならず91年に解散します。
ニック・レアードという人は才能のあったミュージシャンであったのでしょうが、時代の波に
今一つ乗り切れなかったのかな、と思います。
匂い、味、そして音(音楽)は時間を飛び越えてその当時を思い起こさせる、刷り込みの様な
効果があると言いますが、たしかにドリーム・アカデミーを聴くと、冷え切った部屋で石油ストーブを付け、
かじかんだ手でレコードを取り出しターンテーブルに乗せた35年前の記憶がよみがえります。
昨日食べた昼飯も思い出せなくなってきているのに・・・・・