#91 Message in a Bottle

パンクムーヴメントが収束して、ポップミュージックの流れはニューウェイヴへと移行していったというのは以前書いた通りですが、パンクの中でデビューし、ニューウェイヴとも一線を画し、ワンアンドオンリーなロックバンドとなっていったバンドがあります、それがポリスです。

 

 

 


77年、ロンドンで結成。当初はもう一人ギタリストがいて四人編成だったらしいですが、彼が他の三人と比べてどうしても同水準で演奏できる技量ではないという事で辞めてもらい、三人となったそうです。スティング(vo、b)、アンディ・サマーズ(g)、スチュワート・コープランド(ds)、以降はこの布陣にて活動します。とにかく彼らはデビュー時からその演奏技術・音楽性の高さがずば抜けていました。パンクムーヴメントの中でデビューし、その志向もあったので(コープランドが特に)、初期はパンキッシュな楽曲が多いですが、凡百のロックバンドとは明らかに異なり、スリーコードのR&Rをただただファストテンポで特急列車の様に勢いだけで演奏するというものではありませんでした。

彼らの音楽を語る上で欠かせないのは、私が今更言う事でもないのですがレゲエミュージックの影響です。特にリズム面でそれが顕著であり、普通のポップミュージックにおけるオンビート、ワン・ツー・スリー・フォーの ”ワン” のビートが抜け落ち、2拍目から、もしくは所謂1拍目の裏 ワ ”ン” からビートが始まるリズムパターンはレゲエでは常套手段なのですが、ロック・ポップスではあまり聴かれません。レゲエミュージックをロック・ポップスに取り入れたのはポリスが初めて、という訳ではありませんが、この様なリズムアプローチを大胆に、多くのシチュエーションで取り入れたのは彼らが初めてと言って良いでしょう。

初期の代表曲「Roxanne」はその好例と言える楽曲。スティングによる本曲は、はじめの内はボサノバのリズムで演奏されたそうです。しかし当時の音楽状況から鑑みて、ボサノバ調の楽曲が受けるとは思えなかったので、レゲエのリズムにしてみたとの事。リズムのアイデアはコープランドによるもので、スティングがそれに合わせて、あの様なパターンになったそうです。白状しますと、今回ポリスについて書くにあたり、アンディ・サマーズの自伝『One Train Later』(07年刊 ブルースインターアクションズ社)を参考にしております。読まれた方は ”自伝に書いてあったのそのまんまじゃん(・3・)” とかどうぞ思わずに・・・78年中に、「ロクサーヌ」「Can’t Stand Losing You」をシングルリリースするもヒットはせず、デビューアルバム「Outlandos d’Amour」(78年11月)からの1stシングルである上記の「So Lonely」もチャートインすらしませんでした。本作の発売前にバンドはアメリカツアーを行います。本国では今一つ芽が出ない彼らにマネージメントサイドが提案したようです。すると海の向こうの米国では思わぬ好評を得て、観客は大そうエキサイティングしたそうです。これが功を奏したのか、評判が逆輸入の形で本国に伝わり、全英6位・全米23位のヒットとなります。発売時は振るわなかった既出のシングルも翌年に再発し、「ロクサーヌ」12位、「Can’t StandLosing You」2位というチャートアクションを英で記録します。もっともこの2曲が初販時に売れなかったのは、「ロクサーヌ」は娼婦、「Can’t Stand・・・」は自殺を歌った歌詞なので、当初はBBC(英国営放送)から放送禁止を喰らったせいもありますけども。

アンディ・サマーズは42年、英国ランカシャー生まれ。スティングが51年、コープランドが52年生まれなので二人とは一回り違う世代と言えます。後期ではありますが、超メジャーバンド アニマルズに在籍していた事もあったので、そのキャリアは当初においては二人より圧倒的に上でした。少年時代はスキッフル(英で流行っていた、若者が演る軽快な踊りのための音楽)などを演奏していたそうですが、やがてセロニアス・モンクやジョン・コルトレーンといったモダンジャズに傾倒していきました。これがやがてポリス時代における、独特なテンションノート(9th・♭9th・11thなどの、クラシック的には不協和音とされる音)の織り交ぜ方に影響していった事は言うまでもありません。60年代中期にエリック・クラプトンやジミ・ヘンドリックスによってロンドンでブルースブームが巻き起こっていた時には既にサマーズもプロとして活動しています。クラプトンとも同じクラブで演奏し、個人的にも付き合いがありました。クラプトンの事は凄いブルースギタリストだと認めていた一方で、自分が目指すべきプレイは彼の様なものではない、と、この当時から既にサマーズ独自の音楽観が芽生えていたようです。

寡黙ではあるが自身の信念をしっかりと持ったスティング。見たまんまやんちゃなコープランド。この二人との出会いから、何か新しい音楽が出来ると直感で感じたそうですが、先述の通り当初はもう一人のギタリストが既にいて、彼の存在がネックとなっていたようです。結論的に言えば彼にクビを宣告したのですが、プレスによってはサマーズが追い出した、と報ずる所もあり、困惑したと彼は述べています。もっともサマーズ視点での話ですので真相は?・・・

79年10月、2ndアルバム「Reggatta de Blanc(白いレガッタ)」を発表。”ホワイトレゲエ” つまり白人によるレゲエという、当時における彼らのスタイルを表したそのまんまの意味。基本的に前作と同カラーの作品と言えますが、パンク色は薄れ、その後の彼らの特色とされるサウンドエフェクト、先に述べた高度な和音の使い方、リズムアレンジがそれぞれ高い次元で結晶化された初期の傑作です。私があれこれ言うより、サマーズの言葉を引用した方が早いと思うので自伝から。『・・・パンクのエネルギーを美しい旋律やハーモニーと組み合わせて、エッジや刺激を生み出した。70年代の傲慢ともいえるロックには満足しないサウンド。適した時代に適した環境で3人がバンドを結成したことで実現したのだ。・・・』(One Train Laterより)

「Message in a Bottle(孤独のメッセージ)」。「白いレガッタ」からの第一弾シングル。初の全英1位を記録します。作曲・編曲面、または演奏者目線にて、本曲の素晴らしさは至る所で語り尽くされていることですので、今更私が何を言っても陳腐にしか聞こえません。ですので、言えることはただ一つ ”カッコイイ” ということ。アレンジ・演奏技術的な細部はネット上で幾らでも述べられていますので興味がある事はどうぞそちらを。一般的には彼らの代表曲と言えば、83年の超特大ヒット「Every Breath You Take(見つめていたい)」という事になるのでしょうが、ポリス全期に渡る、そのエッセンスを凝縮した楽曲と言えば本曲にほかなりません(あっ!(゚Д゚) 「見つめていたい」も名曲ですよ。それは間違いありません)。

「白いレガッタ」は全英1位を記録。本作からシングルカットされた「孤独のメッセージ」と「Walking on the Moon」も英でNo.1ヒットとなりました。アメリカではまだ大成功とまでは言えないまでも、この頃には確かな手ごたえをつかみ始めた、とサマーズは述べています。続きはまた次回にて。

#90 Stop Making Sense

トーキング・ヘッズが84年に発表したライヴアルバムであり、同名映画のサウンドトラックである「Stop Making Sense」。一見、コンサートの模様を淡々と映し出しているフィルムの様に観えますが、実は斬新な演出などが施されており、発売時から現在に至るまで長年に渡ってライヴフィルムの傑作と称えられている作品です。映画オンチの私ですら、そのタイトルくらいは知っている『羊たちの沈黙』などで有名なジョナサン・デミが監督を務めました。

 

 

 


何もないステージへ、アコギとラジカセのみを持ったデヴィッド・バーンが向かうところから映画は始まります。上の「Psycho Killer」がそのオープニングナンバーです。間違いなくギターは弾いていませんし、歌も多分、所謂”口パク”でしょう。次にベースのティナ・ウェイマスが加わり2曲目を演奏
、その後ろでドラムセットが運ばれてきてドラムのクリス・フランツが登場。やがてジェリー・ハリスンも加わりここでやっとバンドの全員が揃います。その後パーカッショニスト、キーボーディスト、サポートギター、女性コーラス隊が曲を追うごとに登場して全てのメンツが揃います。

上はコンサート前半のハイライトである「Burning Down the House」。メンバー全員が登壇して演奏された始めの方の曲目である事もあってか、熱量が物凄いです。特に黒人サポートミュージシャンのステージアクトが見後に熱く、圧巻です。個人的には本作におけるベストトラックの一つです。発売時は2時間以上ののステージを46分程度に収めたアルバムでしたので、当然半分以上はカットされ、また曲順もセットリストに沿ったものではありませんでした。当時、”貸ビデオ屋” で借りてきたVHSビデオで映画は観たので、コンサートの曲順は一応知ってはいましたが、専らLPで聴く方が圧倒的に多かったので、セットリストとは異なる、ややシャッフルされたオリジナルアルバムの曲順の方にどうしても馴染みがあります。99年に、数曲を除いた”ほぼ完全版”がリリース、その後にその数曲もボーナストラックとして含めた”完全版”が発売されていますので、これから聴く方はそちらを聴くのがよろしいかと。

コンサートでは終盤に演奏されたナンバーでしたが、オリジナルアルバムではA面のラストに収録されていた「Girlfriend Is Better」。”Stop Making Sense” とは本曲の歌詞に出てくるフレーズ。『意味を見出そうとするのはやめてくれ』の様な意になるそうですが、昔は『勘繰るのはよしてくれ』、みたいな訳し方をしているモノの本もあった記憶があります。歌詞はバーンが書いたものなので、当然のようにワケがわかりません。

前回も取り上げた「リメイン・イン・ライト」に収録の「Once in a Lifetime」。オリジナルの本盤ではB面の一曲目でした。原曲よりポップな仕上がりとなっており聴きやすいかと。それにしても、バーンのステージアクションはかなり個性的と言うか、奇妙奇天烈と言うべきか、観ていて飽きません。この振り付け(?)に本曲における歌詞の意味が隠されているのかもしれません。ですが、それはバーンが言う所の ”Stop Making Sense(勘繰るのはよしてくれ)”になってしまうのでしょうね。

オリジナルではラストを飾る、アル・グリーンのナンバー「Take Me to the River」。ヘッズは2ndアルバムにて本曲をカヴァーしています。黒人音楽への傾倒はその時点から既に始まっていました。

トーキング・ヘッズの四人は、それまでのロックミュージシャンのイメージとはかけ離れた人物達でした。それまでのロッカーと言えば、長髪に髭・破れた衣装とワイルドなものか、またはひらひら・フリフリのサイケデリックな華美・派手な衣装、といったものが定番だったと思います。しかし彼らは違いました。またその経歴も、有名な美術大学出身という風変わりなものです。ちなみにドラムのクリスとベースのティナは名家の出であり、どちらも親が米海軍のお偉方だそうです。二人は77年に結婚しています。ロックと言えば、暴力・セックス・ドラッグといったイメージが拭いきれなかった時代において、彼らはそのようなイメージが自身たちに定着するのを避けたようです。そんな一風変わったN.Y.の若者たちにブライアン・イーノは興味を持ち、それまでとは全く違ったベクトルのポップミュージックを共に創り上げる事に成功したのです。

88年のアルバム「Naked」を最後に、メンバー間の不和などを原因としてバンドは解散したと言われます。実は初期の頃から、バンド内には確執が生じていたそうです。ベースのティナは「リメイン・イン・ライト」よりも前にバンドを離れたいと言った事があり、その時はクリスになだめられて思いとどまったとの事。イーノが関わってから以降はどうしてもイーノとバーンがイニシアティブを握るようになり、他のメンバーは必ずしもそれを快く思わなかったようです。やがてティナは姉妹とクリスでトム・トム・クラブを結成し、ジェリー・ハリスンもソロ活動を開始。それらはバーンへの反発と、勿論自身のミュージシャンとしてのアイデンティティーを確立するためもあったのでしょう

では「リメイン・イン・ライト」をはじめとする作品群はイーノとバーンだけの力で創り上げたのかというと、決してそうではありません。「リメイン」はバハマにある有名なコンパスポイントスタジオでレコーディングされたのですが、クリスとティナはここに別荘を購入しており、同所での休暇を終えてから同スタジオにてジェリーとレコーディングを始めました。やがてバーンがそこに加わったのですが、彼らはリードシンガーとそのバッキングをするバンド、という図式の音楽に辟易とし始めていました。バーンの言葉によれば『相互連携のために各々のエゴを犠牲する』、直訳だと少しわかりずらいのですが、各パートはフロントマンの引き立て役に終始するのではなく、皆が音楽の中で対等の立場・役割を取り、そして完成される音楽が何よりも第一とされ、そのためには各パートが ”ここは是非とも聴かせたい”という箇所があったとしても、アンサンブルの前にそれは優先されるものではない、くらいの意味かと私は解釈しています(長いな…)。それは「リメイン」を聴けば一聴瞭然であります。彼らはその様な理念の下にジャムセッションを繰り広げていきました。イーノがバハマに着いたのは、バーンより三週間ほど遅れての事だったそうです。実の所、イーノもヘッズのプロデュースをする事に嫌気がさし始めていたそうなのですが、既に録られていたデモテープを聴いた途端にそれまでの気持ちとは打って変わって、とてもエキサイトしたとの事です。

「リメイン・イン・ライト」に代表される、トーキング・ヘッズによるポップミュージックの変革点となった作品群は、ロックミュージシャン然とせず、新しい音楽を模索していたヘッズのメンバー達と、同じく既存の音楽にとらわれず、自身の理想を追求していたブライアン・イーノが出会った事による、幸運な奇跡だったのでないかと思うのです。

#89 Remain in Light_2

リメイン・イン・ライト回その2です。B面トップを飾るナンバー「Once in a Lifetime」。リズミックな楽曲であるのは同様ですが、A面とはややカラーを異にするもの。当初、ブライアン・イーノは本曲を気に入らず、バンドもそのままうっちゃっておいたそうです。メンバーのジェリー・ハリスンによれば、”何しろコードチェンジも無い楽曲なので、ある種の『トランス』が全てだった”との事。コーラスを付けるのにも困難が生じていたそうですが、デヴィッド・バーンは本曲に信念のようなものを持っており、イーノが無歌詞でコーラスを付け、本曲は”収まるべき所へ収まった”との事です。
バーンの歌詞は非常に難解で、ネイティブでさえ理解するのは困難であるそうなので、それについてあまり取り上げるつもりはなかったのですが、本曲においてのみ少しばかり。一番では極狭住宅に住んでいる所から、別世界で大きな車、美人の妻を持つ自分に驚く話。続く二番にて、それらがどこかへ行ってしまった事に困惑する話。各合間にて”Letting the days go by…”のコーラスが繰り返されますが、このパートは”水に流される様にただ日々は過ぎていく…一生に一度だけ地下を水が流れる”の様な意。”Once in a lifetime , water flowing underground”をどう捉えるかは人それぞれの様で、人生に一度は来るチャンスをモノにするんだ!といったポジティブな解釈をする人もいれば、”after the money’s gone(一文無しになって・・・)”という一文がある事から、ビジネス・投資などにトライしてみたものの、失敗して破産してしまった男の話とみる人もいます。ネイティブもわからないのですから、私がわかるはずもないのですが、何しろバーンが書く歌詞ですので、具体的ではないシュールかつ観念的な意味の様な気がします。後半で繰り返される”Same as it ever was(今までと同じ=何も変わらない)が鍵を握っていて、SF的並行世界に迷い込んだか、あるいは精神を病み妄想の中で混乱する男を題材にしながら、どっちが現実なのか?『胡蝶の夢』的な説話を意味したかったのではないでしょうか。つまるところ、成功も不成功も大して意味はない、人生などただ生まれてただ死んでいくだけの事、幸も不幸も人間が作り出しているただの幻想、の様な意だと勝手に解釈しています。ジェリー・ハリスンがシンセで水泡(bubble)の音を表現した、と語っていることから、本曲では水がキーワードになっているのは確かだと思います。

次曲以降はおとなしめの楽曲となっていきます。B-②「Houses in Motion」では中近東風のフレーズが聴かれます。アフリカのみならず非西洋、所謂”サードワールド”へ、イーノやヘッズの面々が視点を向けていた表れでしょう。B-③「Seen and Not Seen」は浮遊感漂う形容しがたい不思議な楽曲。B-④「Listening Wind」。本作の中では比較的”ちゃんとした”歌(=メロディ)を持った曲。異国(やはりアフリカ・中近東・アジア等の非西洋)を彷徨っている様な情景が浮かびます。B-⑤「The Overload』。本作のエンディングナンバーである本曲は、前々回触れたポストパンクのバンド ジョイ・ディヴィジョンにインスパイアされた楽曲であるとの事。

本作では実はロバート・パーマーが参加しています(#73ご参照)。本作の製作に参加した事が自身の音楽にもかなり影響を与えたらしく、同時期にリリースされた「Clues」にてそれは顕著です。

パーマーの様に直接「リメイン・イン・ライト」に関与した訳ではないのですが、本作とそのコンセプトを同じくする音楽を創りだしたミュージシャンがいました。間接的に知り得たか、あるいは共時性的現象とでも言うのか、世界には似たような事を考える人間が、全然離れた場所でも同じ時期に現れるというやつです。

ピーター・ガブリエルが80年に発表したアルバム「Peter Gabriel」。全英1位を記録した本アルバムのリリースは3月と、「リメイン」(10月)より早いのですが、『リズム』『アフリカ(非西洋)』をコンセプトとした点においてはカラーを同じくする作品です。本作にイーノは関わってはいませんが、ピーター、イーノ、そしてキング・クリムゾンのロバート・フリップは旧知の仲でしたので、何らかの形でイーノとヘッズが取り組んでいた音楽がピーターに伝わった可能性は大いにあります。もしくは先述した共時性(シンクロニシティ)が起こったのかもしれません。上の「No Self Control」におけるドラムはフィル・コリンズ。言うまでもなくジェネシスにおいて以前活動を共にしていた二人。ピーターはフィルに対してシンバルを外してプレイして欲しいと要求したそうです。70年代に彼らが目指していた、テクニカルかつ、進歩的な、文字通りプログレッシブロックのリズムパターンとは対極に位置するとも言える、金属の音色を排して太鼓の音だけをフィーチャーした、よりプリミティブ(原始的)なビートを創り出す事に成功しています。技巧が必要無いなどとは決して思いませんが、本作においては、人間の根源に訴えかけるリズムを見事なまでに表現しました。

#16でも触れたキング・クリムゾンの「Discipline」(81年)。発売時はクリムゾンがトーキング・ヘッズになってしまった、などと不評を買ったのは#16で述べた通りで、それは表層的な部分だけを捉え、本質を見ようとしなかった当時の評論家・ライターの目が節穴であった為であり、後年になってから再評価されるようになっていったというのも既述です。「ディシプリン」にて、アフリカン・エスニックビートの要素は薄く、以前よりはシンプルになったとは言え、”何しろクリムゾン”ですから、そんなに単純なリズムではありません。しかしながら70年代中期、第2期クリムゾンの頃から、反復されるビートやリフが生み出す高揚感のようなものにフリップが着目していたのは確かだと思われ、そこにイーノ達の作品からインスパイアされて、かねてから思い描いていたコンセプトを「ディシプリン」にて具現化するに至ったのではないでしょうか。勿論エイドリアン・ブリューの起用は、ヘッズでの活躍を見た事からであるのは言わずもがなです。

直接的、あるいは間接的であれ、これら一連の作品群に影響を受け、以降のポップミュージックにおけるリズムが変化を遂げていったという事は間違いありません。ドラムパターンはシンプルに1・3拍のキック(ベースドラム)と2・4拍のスネアドラムが、同時期にフィル・コリンズらによって創り出されたゲートリバーブ(ゲートエコー)の効果と相まって、それまでよりも圧倒的に強調され、反してハイハットやトップシンバルで刻むビートは音量的に小さくなっていきました。言うまでもなく、80年代から一般的になっていったドラムマシン、シーケンサーがそれらを助長していった事実もあります。余談ですが、その反動とでも言うのか、90年代に入ってからはハイハットがガシャガシャ鳴っている荒々しく生々しい音色が好まれる様になり、またドラムに限らず、ヴォーカル、ギターなどにおいてもノーリバーブが見直されるようになりました。大滝詠一さんは生前ラジオで、「スピーカーの面(ツラ)で歌っている、演奏している様だ」と語っていたのを思い出します。奥行を全く感じさせないサウンドは、80年代を経験してきた人たちにとって、奇異に感じるものだったのです。音楽に限らず、流行り廃りというのは、時代によって両極にブレるもののようです。

#88 Remain in Light

伝統的アフリカ音楽において、中心となる楽器は打楽器であると言って差し支えないでしょう。勿論、弦楽器や笛、カリンバ(親指ピアノ)などもありますが、ジャンベに代表される太鼓類が最もポピュラーだったようです。西洋に比べると、音階(特に複音)を奏でることが出来る楽器が未発達、また入手しにくいなどの要因もあってか、その音楽はリズム中心というベクトルに向かっていったと考えられるのでないでしょうか(ただし、アフリカにもハーモニー・和音の概念を持った音楽を操る部族もいたという話もありますが、その辺まで突っ込むと際限がないので割愛)。

デヴィッド・バーン率いるトーキング・ヘッズによる80年発表のアルバム「Remain in Light」。ポップミュージックにおいて、『リズム』、とりわけアフリカン、そしてそれを源流としたであろうアメリカのファンクミュージックを殊更前面に押し出し、さらにそのエッセンシャルを極限まで抽出して、それまでの如何なるミュージシャンとも異なるアプローチでもって表現した作品です。プロデュースはブライアン・イーノ。前回の最後で取り上げた、前作「Fear Of Music」(79年)の「 I Zimbra」にてその予兆は見え始めていました。

ポリリズムという音楽用語があります。パフュームのヒット曲のおかげで世に知れるようになりましたが、こんな言葉は楽器、特にドラム・パーカッションでも演っていなければ昔は「ナニそれ?美味しいの?(゚Д゚)?」と言われる用語でした。”複合リズム” のような意味ですが、4/4拍子に3拍のフレーズを組み込んだトリッキーなものから、単純なものまで色々あります。考えようによってはセットドラムで演奏される単純な8ビートも、複数の打楽器類(ベースドラム・スネアドラム・シンバル)から成るポリリズムと言えます。先述の通り、ハーモニー・和音の概念がなく、メロディーも決して洗練されたものではなかったアフリカ音楽が特化していったのが、ポリリズムを含む『リズム・ビート』だったのでしょう。
70年代にロック・ポップスはある意味行きつくところまで行ってしまった、旋律・和声・リズム・アレンジ・その他諸々の全ての点において煮詰まってしまったのではないかと思います。これ以上高度・複雑化してその先に何があるのか?(進化を追い求めるのが決して悪いとは断じて思いませんが)70年代後半、それらに反旗を翻すような形でパンクムーヴメントが興った事は既に述べましたが、パンク自体は1~2年で収束してしまいました。その流れの続き、変な言い方をすればパンクの残党がニューウェイヴというジャンルを創りあげていったというのは前回書いた通りです。それらの中からブライアン・イーノ及びトーキング・ヘッズが着目したのが『リズム』、プリミティブなアフリカ起源のポリリズムに代表される様な、一定であり、かつ複数のリズム・ビートの交差からもたらされる躍動感・高揚感だったのです。

本作は基本的にワンコード、メインのメロディ(=バーンの歌)も極論すればあってないようなもの(もっともバーンのヴォーカルはむしろ主旋律以外で変化を付けることに寄与しています)。オープニングナンバー「Born Under Punches (The Heat Goes On)」は本作のコンセプトを最も象徴するものです。各楽器は全て一定のリフ・パターンの繰り返し(中間部のエイドリアン・ブリューによるギターシンセでのソロは除く)、演説の様なバーンの歌、これまでのポップミュージックの定石をひっくり返すような楽曲です。一般的な”Aメロ→Bメロ→サビ”の様な展開、循環進行などを全く無視しています。しかし何でしょう、この不思議なテンション・高揚感は。各パートによってひたすら、執拗といってよいほどに奏でられるリフレインは、甘美なメロディやハーモニーに勝るとも劣らない魅力を醸し出す事に成功しています。リズム・ビートの交錯によって生まれる何かが、人が根源に持っているであろう本能の様なものに訴えかけているのではないでしょうか。”And the heat goes on!…” の動的なバッキングヴォーカル(掛け合い)と、多分バーン自身の多重録音による ”All I want is to breathe・・・” の優しく、かつ物悲しくもあるコーラスの混在は、見事なまでに静と動のコントラストを表現しています。

2曲目の「Crosseyed and Painless」。オープニング曲と同系統の楽曲ですが、こちらの方がややファンク色が強いかも。本作で特筆すべき事項の一つとして、アフリカンミュージックを表現するからといって、民族楽器などを使っている訳ではないということ。コンガ・ボンゴ・クラベスといったラテンパーカッションは使用していますが、普通のロック・ポップスでもこれ位のパーカッション類は使います。ベース・ドラム・シンセサイザー、そして、サポートギタリストであるブリューに至っては先述の通りギターシンセなど、およそプリミティブな音楽には相応しいとは思えない、当時としては最先端の楽器を使用しています。形から入るのも一つの手ではありますが、やはり大事なのは本質を捉える事。アフリカの伝統・民族楽器を使用せずとも、そのエッセンスであるポリリズミックなビート、コール&レスポンス(掛け合い)、躍動感あふれる踊りのような動的フレーズと、アフリカの大地における厳しい生存環境、しかし時には慈愛に満ち溢れた優しい大地を表現するような静的メロディ、これらを現代の一般的な楽器類によって表現する事に成功した稀有な例であり、それが本作を傑作たらしめている要因の一つでしょう。日本的なロックを演ろうとした場合、和太鼓や大正琴を持ち出してくれば良いかというと、決してそういうものではないでしょう。”じゃあ、日本的ロックって何?” というのはまた別の機会に・・・

3曲目である「The Great Curve」。やはり1・2曲目とカラーを同じくするもの。アナログ盤ではここまでがA面、つまり片サイドは同系統の楽曲で固められています。本作では最もアップテンポのアグレッシブな楽曲。後半におけるブリューのギターソロが印象的です。彼としては割と”普通の音色”で弾いています。ちなみにグレートカーブとは女性の腰・おしりを意味しているとか。人類の起源はアフリカにあるといいますが、これも母なる大地アフリカを表現したのかもしれません。

長くなるかな…、とは思っていたのですが、案の定長くなりそうです。ここまでにおいて、まだアルバムの片面のみですので、続きはまた次回にて。

#87 What Is This Thing Called “New Wave”?

前回の後半にて、ロックの歴史が語られる際に、70年代後半から80年代初頭にかけて、パンクムーヴメントの流れからニューウェイヴにシフトしていったとよく言われる、という旨を述べました。何気にニューウェイヴという言葉をポップミュージックにおける一ジャンルを指すものとして使っていますが、はたして”ニューウェイヴ”という音楽とはどういうものなのでしょうか?
ハードロックやパンクといったジャンルはすぐにイメージ出来ると思うのですが、ニューウェイヴという音楽に関して、実は一筋縄で説明するには難しいものがあります。
今回は無謀にもこのテーマに関して触れていきます。

ニューウェイヴを無理くり幾つかのカテゴリーに分けるとすれば、①テクノポップ②環境音楽(アンビエント)③アバンギャルド④その他、とでも分類出来るかと思います。

先ずテクノポップ。これに関しては先駆者であるドイツのクラフトワークが70年から既に活動していました。74年、アルバム「アウトバーン」が全米5位・全英4位という大ヒットを記録し、テクノポップ・電子音楽を一般に知らしめるキッカケとなりました。それまでは前衛音楽の一つくらいの認識でしかなかったのを、ポピュラー音楽として通用するのだと証明したバンドです。日本においては言うまでもなくYMOによってポピュラリティーを得ました。なので、決して70年代後半に新しく生まれた音楽という訳ではないのですが、何故この時期に多くのミュージシャンが取り上げるようになったのか?
あくまで私の推論ですが、内的要因として、ミュージシャン達の中に新しい試み・実験的な音楽にトライしようという機運が高まった事が挙げられると思います。ちょうど60年代にブライアン・ウィルソンが「ペット・サウンズ」、ビートルズが「サージェント・ペパーズ」において行った様な創造的試みが、10数年を経た80年前後に興ったのではないでしょうか。歴史は繰り返す、というやつです。
また外的要因として、それまでデジタルシンセサイザー・シーケンサー・サンプラーといった電子機材はそれ以前はまだ市販化されていなかった、またあってもプロでさえもおいそれとは手が出せない高価なものであったのが、ようやく何とか入手できるようになったという要因もあります(それでも現在から見ればとてつもなく値が張るものだった様でしたが…)。

ブライアン・イーノによって提唱されたとされる環境音楽(アンビエント)。イーノ自身がコメントしているそうですが、エリック・サティから影響を受けたものであるとの事。サティの名前はわからなくても、曲名を知らずとも、99%の人はこれを聴けば「あっ!聴いたことある!!」という曲「ジムノペディ」。イーノがアンビエントミュージックを生み出した際にインスパイアされた曲がジムノペディ、という訳ではないようですが、いずれにしてもサティがアンビエントの源流という事が言えるのは確かなようです。テクノポップ同様、ニューウェイヴより前にあった音楽ではありますが、既述の通り実験的機運がみなぎっていたその時代に、アンビエントを試みるミュージシャンが現れたという事でしょう。
またイーノはアンビエント以外のニューウェイヴにも関わっています(というより、ニューウェイヴだけでは括れないミュージシャンです)。元はロキシー・ミュージックでデビュー。ロキシーに在籍したのは初期のみでしたが(アルバムで言えば2作目まで)、その後もロバート・フリップ、ピーター・ガブリエル、デヴィッド・ボウイとの活動など、ブリティッシュロックを陰で支え続けた目立たない重鎮という存在です。

ポップミュージックでアバンギャルドと言えばその開祖はフランク・ザッパに止めを刺します。時代によって音楽性には変遷がありますが、マザーズ時代からそのオリジナリティーは揺るぎないものです。それ故、ザッパの事をロックミュージシャンと捉えるか、現代(前衛)音楽家とするかは議論が分かれる程です。
ジミ・ヘンドリックスやピンク・フロイドなどもアバンギャルドであったと言えます。フロイドの2枚組「ウマグマ」(69年)のスタジオ録音の方などはもろにそうです。ミュージック・コンクレートやSE技術を駆使した音楽という点ではアバンギャルドです(フロイド回#25ご参照)。その意味では「サージェント・ペパーズ」もアバンギャルドの萌芽と言う事が出来ます。
オーネット・コールマンなどに代表されるフリージャズもアバンギャルド音楽の一種と言えます。規則的なリズム、定石を踏んだ循環進行などを否定したこれも、間接的であれニューウェイヴに影響しているのでは。また狭義におけるアバンギャルドとは異なるかもしれませんが、ノイズ的サウンドに、唸りや叫びの様なヴォーカルを乗せた、暴力的・不協和ロックとでも呼べるようなバンドも含まれて良いのではないかと思います(アバンギャルドよりもエキセントリックと言った方が適当かもしれません)。ドイツのロックバンド カンによる「Monster Movie」(69年)などの影響を受けて、79年、イギリスでポップ・グループがデビューし、衝撃の問題作「Y (最後の警告)」をリリースします。ちなみに名前はポップ・グループでもその音楽は全然ポップではないので、念のため。

最後にその他。実際は殆どがここに分類されるかと思います。①から③の要素を含みながら、各々に独自の音楽性を聴くことが出来ます。アメリカのテレヴィジョン、イギリスのXTCは一介のパンクバンドとは異なるニューウェイヴロックを生み出しました。ジョイ・ディヴィジョンは暗めのポストパンク(パンク後の音楽)の筆頭。中心メンバーの自殺により短命に終わりましたが、その後のオルタナティヴ・グランジと呼ばれるロックに大きな影響を与えたとされています。対してスクィーズはポジティブなポストパンクのバンド。前回取り上げたロックパイルに近い、アメリカンルーツなどをベースにしながら、ニューウェイヴ色で彩られたサウンドは、このカテゴリーでは最も親しみやすいのではないかと思います。

奇才 ジョー・ジャクソンもデビュー時はニューウェイヴの一派とされました。エルトン・ジョンなどと同様にイギリス王立音楽院を出たバリバリのエリートでしたが、クラシックを離れポピュラーの道へ。やがてジャンルでは括ることの出来ない唯一無二のミュージシャンとなっていきます。U2もニューウェイヴのジャンルに含まれる場合があります。「ヨシュア・トゥリー」(87年)の世界的大ヒット以降は多少丸くなった感がありますが、それより前はジ・エッジの凍り付くかのような鋭いギターカッティングが創り出す独自のサウンド、アイルランド出身というバックグラウンド故に政治的な、時にはかなり過激な内容の歌詞を乗せ、ボノが”あの”声で歌いあげていました。

最後に忘れてならないのはトーキング・ヘッズ。初期はテレヴィジョンやXTCと同様のポストパンクとされたバンドでしたが、ブライアン・イーノとの出会いからその音楽性は独自の方向へ。そして80年代におけるポップミュージックの流れを大胆に変える事となる作品を創り出していきます。「Fear Of Music」(79年)に収録の「 I Zimbra」はその序章とも呼べる楽曲。翌80年、先述の通り80年代ポップミュージックにおいて、ある意味最も重要な意味を持つ大傑作アルバム「Remain In Light」をリリースします。

実は今回ニューウェイヴとは何か?と、つらつら綴ってきたのは「リメイン・イン・ライト」の為。最初はヘッズを取り上げながら、ニューウェイヴというものにも触れていこうかと思ったのですが、とてもついででは書き切れるボリュームではないと判り、1回分まるまるこのテーマにしました。という訳で、次回はトーキング・ヘッズ「リメイン・イン・ライト」を取り上げます。