パンクムーヴメントが収束して、ポップミュージックの流れはニューウェイヴへと移行していったというのは以前書いた通りですが、パンクの中でデビューし、ニューウェイヴとも一線を画し、ワンアンドオンリーなロックバンドとなっていったバンドがあります、それがポリスです。
77年、ロンドンで結成。当初はもう一人ギタリストがいて四人編成だったらしいですが、彼が他の三人と比べてどうしても同水準で演奏できる技量ではないという事で辞めてもらい、三人となったそうです。スティング(vo、b)、アンディ・サマーズ(g)、スチュワート・コープランド(ds)、以降はこの布陣にて活動します。とにかく彼らはデビュー時からその演奏技術・音楽性の高さがずば抜けていました。パンクムーヴメントの中でデビューし、その志向もあったので(コープランドが特に)、初期はパンキッシュな楽曲が多いですが、凡百のロックバンドとは明らかに異なり、スリーコードのR&Rをただただファストテンポで特急列車の様に勢いだけで演奏するというものではありませんでした。
彼らの音楽を語る上で欠かせないのは、私が今更言う事でもないのですがレゲエミュージックの影響です。特にリズム面でそれが顕著であり、普通のポップミュージックにおけるオンビート、ワン・ツー・スリー・フォーの ”ワン” のビートが抜け落ち、2拍目から、もしくは所謂1拍目の裏 ワ ”ン” からビートが始まるリズムパターンはレゲエでは常套手段なのですが、ロック・ポップスではあまり聴かれません。レゲエミュージックをロック・ポップスに取り入れたのはポリスが初めて、という訳ではありませんが、この様なリズムアプローチを大胆に、多くのシチュエーションで取り入れたのは彼らが初めてと言って良いでしょう。
初期の代表曲「Roxanne」はその好例と言える楽曲。スティングによる本曲は、はじめの内はボサノバのリズムで演奏されたそうです。しかし当時の音楽状況から鑑みて、ボサノバ調の楽曲が受けるとは思えなかったので、レゲエのリズムにしてみたとの事。リズムのアイデアはコープランドによるもので、スティングがそれに合わせて、あの様なパターンになったそうです。白状しますと、今回ポリスについて書くにあたり、アンディ・サマーズの自伝『One Train Later』(07年刊 ブルースインターアクションズ社)を参考にしております。読まれた方は ”自伝に書いてあったのそのまんまじゃん(・3・)” とかどうぞ思わずに・・・78年中に、「ロクサーヌ」「Can’t Stand Losing You」をシングルリリースするもヒットはせず、デビューアルバム「Outlandos d’Amour」(78年11月)からの1stシングルである上記の「So Lonely」もチャートインすらしませんでした。本作の発売前にバンドはアメリカツアーを行います。本国では今一つ芽が出ない彼らにマネージメントサイドが提案したようです。すると海の向こうの米国では思わぬ好評を得て、観客は大そうエキサイティングしたそうです。これが功を奏したのか、評判が逆輸入の形で本国に伝わり、全英6位・全米23位のヒットとなります。発売時は振るわなかった既出のシングルも翌年に再発し、「ロクサーヌ」12位、「Can’t StandLosing You」2位というチャートアクションを英で記録します。もっともこの2曲が初販時に売れなかったのは、「ロクサーヌ」は娼婦、「Can’t Stand・・・」は自殺を歌った歌詞なので、当初はBBC(英国営放送)から放送禁止を喰らったせいもありますけども。
アンディ・サマーズは42年、英国ランカシャー生まれ。スティングが51年、コープランドが52年生まれなので二人とは一回り違う世代と言えます。後期ではありますが、超メジャーバンド アニマルズに在籍していた事もあったので、そのキャリアは当初においては二人より圧倒的に上でした。少年時代はスキッフル(英で流行っていた、若者が演る軽快な踊りのための音楽)などを演奏していたそうですが、やがてセロニアス・モンクやジョン・コルトレーンといったモダンジャズに傾倒していきました。これがやがてポリス時代における、独特なテンションノート(9th・♭9th・11thなどの、クラシック的には不協和音とされる音)の織り交ぜ方に影響していった事は言うまでもありません。60年代中期にエリック・クラプトンやジミ・ヘンドリックスによってロンドンでブルースブームが巻き起こっていた時には既にサマーズもプロとして活動しています。クラプトンとも同じクラブで演奏し、個人的にも付き合いがありました。クラプトンの事は凄いブルースギタリストだと認めていた一方で、自分が目指すべきプレイは彼の様なものではない、と、この当時から既にサマーズ独自の音楽観が芽生えていたようです。
寡黙ではあるが自身の信念をしっかりと持ったスティング。見たまんまやんちゃなコープランド。この二人との出会いから、何か新しい音楽が出来ると直感で感じたそうですが、先述の通り当初はもう一人のギタリストが既にいて、彼の存在がネックとなっていたようです。結論的に言えば彼にクビを宣告したのですが、プレスによってはサマーズが追い出した、と報ずる所もあり、困惑したと彼は述べています。もっともサマーズ視点での話ですので真相は?・・・
79年10月、2ndアルバム「Reggatta de Blanc(白いレガッタ)」を発表。”ホワイトレゲエ” つまり白人によるレゲエという、当時における彼らのスタイルを表したそのまんまの意味。基本的に前作と同カラーの作品と言えますが、パンク色は薄れ、その後の彼らの特色とされるサウンドエフェクト、先に述べた高度な和音の使い方、リズムアレンジがそれぞれ高い次元で結晶化された初期の傑作です。私があれこれ言うより、サマーズの言葉を引用した方が早いと思うので自伝から。『・・・パンクのエネルギーを美しい旋律やハーモニーと組み合わせて、エッジや刺激を生み出した。70年代の傲慢ともいえるロックには満足しないサウンド。適した時代に適した環境で3人がバンドを結成したことで実現したのだ。・・・』(One Train Laterより)
「Message in a Bottle(孤独のメッセージ)」。「白いレガッタ」からの第一弾シングル。初の全英1位を記録します。作曲・編曲面、または演奏者目線にて、本曲の素晴らしさは至る所で語り尽くされていることですので、今更私が何を言っても陳腐にしか聞こえません。ですので、言えることはただ一つ ”カッコイイ” ということ。アレンジ・演奏技術的な細部はネット上で幾らでも述べられていますので興味がある事はどうぞそちらを。一般的には彼らの代表曲と言えば、83年の超特大ヒット「Every Breath You Take(見つめていたい)」という事になるのでしょうが、ポリス全期に渡る、そのエッセンスを凝縮した楽曲と言えば本曲にほかなりません(あっ!(゚Д゚) 「見つめていたい」も名曲ですよ。それは間違いありません)。
「白いレガッタ」は全英1位を記録。本作からシングルカットされた「孤独のメッセージ」と「Walking on the Moon」も英でNo.1ヒットとなりました。アメリカではまだ大成功とまでは言えないまでも、この頃には確かな手ごたえをつかみ始めた、とサマーズは述べています。続きはまた次回にて。