#231 This Song Has No Title

エルトン・ジョンが73年に発表したアルバム「Goodbye Yellow Brick Road」は彼の代表作かつ
最高傑作とされ、RIAA(全米レコード協会)において8×プラチナ、つまり800万枚のセールスを
記録しています。
もっともRIAAでは二枚組作品は売上2枚とカウントするようになっているらしく、本作に関しては
400万セットという事になります。

”イエロー・ブリック・ロード”とは富と名声に繋がる出世街道の様な意であり、それに別れを告げる、
つまり当時のエルトンの状況をやや皮肉的に揶揄した内容です。スター街道まっしぐらの
エルトンを相方である作詞家 バーニー・トーピンはやや冷めた眼で見ていたのです。
しかしそんな歌詞とは裏腹に本タイトル曲は極上の楽曲です。やはりこの時期におけるエルトンの
異常とも言える創造性には唸るしかありません。
下は12年のラスベガスにおける演奏。ファルセットは出なくなっていますが力強い歌は健在。

B-②「This song has no title」は本作においてはあまり取り沙汰される機会の少ない楽曲です。
しかしながら、私が本アルバムを歴史に残る名盤と思うのは、この様な地味な楽曲ですら
とてつもない程のクオリティーであるという点があります。スティーヴィー・ワンダーの
「キー・オブ・ライフ」においても同じことが言えるのですが、一聴してアルバムの中では決して
目立たないトラックであっても、それが何気に素晴らしい完成度を誇っており、やはりこの時期に
おける二人の異常とも言えるクリエイティヴィティが伺えるのです。
その歌詞は哲学的とも言える内容であるのにも関わらず、” こんな歌にタイトルはいらない ” とは
バーニーお得意の皮肉というか逆張りの発想でしょう。

 

#230 Bennie and the Jets

当の本人が精魂込めて ” これぞ俺の渾身の力作・最高傑作だ!” と、創り上げたものが世間では
イマイチ評価されなかった … という事は往々にしてあります。ビリー・ジョエルのアルバム
「ナイロン・カーテン」(82年)などがそうでした(#199ご参照)。
逆にこれは売れないだろうと思っていたのに大ヒットというパターンもあります。
これもビリーで例えると「素顔のままで」がそうです(#183)。

エルトン・ジョンが73年に発表したアルバム「Goodbye Yellow Brick Road」に収録され
全米No.1シングルとなった
「Bennie and the Jets」もそんな一曲です。
本曲を形容するならばエルトン流ソウルミュージック、とでも言ったところでしょうか。
それまでにおけるエルトンの曲風とは異質なものである意味で耳を引きます。
エルトンはブラックミュージックもこよなく愛しており、ソウル・R&B調の楽曲もアルバムに
入れたかったとの事ですがそこはエルトン、ただの黒人音楽の模倣で終わらないのは言わずもがな。

” Bennie ” とは『空想のロック女神』であるそうです。近未来における女性R&Rバンドの
ヴォーカリスト、しかもロボットであるとかないとか・・・・・
上は76年ロンドン アールズ・コートでのライヴ。相当に ” ショー化 ” されたステージは
観ていて楽しいものです。もっともエルトンがブレイクしたのはアメリカツアーにおける
そのかっ飛んだパフォーマンスであったのでこうなるのは自明の理。英国が誇るパーカッショニスト
レイ・クーパーの若き頃が拝めるのも興味深いです。

本曲について語られる時、その疑似ライヴアレンジが必ず挙げられます。
プロデューサー ガス・ダッジョンによるそれは、現在のテクノロジーからすれば
ややチープにこそ聴こえてしまいますが、当時としては画期的なものであったようです。
ちなみにその歓声等の音源は72年におけるロイヤルフェスティバルホールと、
なんとジミ・ヘンドリックスの有名なワイト島におけるものを使用したとの事。
上は00年、マジソンスクエアガーデンで行われた『One Night Only』での模様。
ビリー・ジョエル、ブライアン・アダムスといった大物たちも参加したライヴです。

エルトンは本曲はシングルに向かないと言っていたそうですが、オンタリオのラジオで本曲が頻繁に
取り上げられたり、デトロイトマーケットで1位に上り詰めたことからリリースに踏み切り、
結果として全米ポップスチャートでNo.1となり、R&Bチャートでも15位を記録します。

余談ですが、エルトンはこれと逆の事をある人へ提言したことがあります。言わずと知れた
ジョン・レノンの74年「真夜中を突っ走れ」です。デュエットで参加したこの曲を
ジョンはシングルにしてもどうせ売れないよ、と言ったそうですがエルトンはシングル化を
進言し、もし1位になったら僕のコンサートへゲスト出演してくれ、と要求し結果は見事
エルトンに軍配が上がりました。有名なマジソンスクエアガーデンにおけるライヴがそれです。
時系列的には本アルバムの後なので後日取り上げます。
しかし「Goodbye Yellow Brick Road」についてもまだまだ序盤・・・・・
いつになることやら …………………… (*´∀`;)