#171 I’m Not in Love_2

上は「I’m Not in Love」のシングルヴァージョンで、6分以上あった原曲を3分40秒程に
短縮したもの。日本版ウィキでは短縮版は米向けで英版はフルサイズとありますが、実際は英でも
短縮版でリリースされ、その時はチャートで28位とあまり奮わなかったらしく、その後に
ファンやプレス連中の要求からフルサイズをラジオで流すようになった所、見事全英No.1を獲得します。
米でも最高位2位を記録しバンド最大のヒットとなりました。ちなみに1位を阻んだのはヴァン・マッコイ
「ハッスル」やイーグルス、ビージーズといった強者達でタイミングが悪かったとしか言い様がありません。
それにしても当時の編集技術では致し方ないとは言え、3:18の処理は残念過ぎます・・・・・

前回でも触れたケヴィン・ゴドレイの提案による ” 声のウォール・オブ・サウンド ” は本曲における
肝であり、ポップミュージック界に大きな衝撃を与えました。BS-TBSの『SONG TO SOUL』では
本曲の回でムーンライダーズの鈴木慶一さんが出演されていました。当時ムーンライダーズは
アイドルタレントのバックバンドとして活動しており、その地方公演の為滞在していたホテルにて
ラジオから流れてきた本曲が初めて耳にしたものだったそうです。いかにも英国的な、練り込まれた
ポップスという印象だったとか。番組出演にあたり改めて本曲を聴き込み及び解析したところ、
何十年という時を経て新たな発見があったとの事。プロの耳をもってしても容易には理解できない
アレンジの緻密さがあるという事です。勿論本曲のマスタリングや再生機材の向上もあるのでしょうが。
” 声のウォール・オブ・サウンド ” の制作過程についてはかなり専門的で長い文章になってしまい
(正直わたしも ”?” という点が多々ありました)、レコーディングエンジニアを経験した人間で
なければ理解できない部分も多いのであまり詳しくは言及しません。出来るだけ簡潔にまとめると、
半音階で12音(13という説も有り)、つまり一オクターブをメンバー四人で録音しました。
それを磁気テープに録音しループ(輪っかにする)させてエンドレスで再生するというもの。
サンプリングマシンが一般化する80年代中期以降であれば全く無意味な作業ですが、当時こんな事を
しようとした人達は他にはいなかったのではないでしょうか。革命的レコーディングという
点ではビートルズのサージェントペパーズ(#3ご参照)に繋がるものがあります。
『SONG TO SOUL』でも語られていましたがテープの継ぎ目でどうしてもノイズが入る、
その為ループを出来るだけ長くする必要があり、その解決策としてスタジオを対角線に使い、
角と角にマイクスタンドを設置してそれをテープのガイドローラーとしての役割を負わせ、
12フィート(約3.6m)のテープが工場のベルトコンベアの如く廻ってマルチレコーダーに
録音させたそうです。ミュージシャンというより工作技術者といった方が相応しい程です。
そうして624声という素材をミックスダウンさせる事に成功したそうです、頭が下がる … <(_ _)>

文章ばかりでは飽きるので、ハマースミス・オデオンにおける77年のライヴを。
本曲では偶然の産物という結果もありました。冒頭から聴こえる、特にエレピが入る前において
よくわかりますが ” サー ” というノイズが聴こえます。私の様なアナログ世代ならお馴染みですが
これは磁気テープ特有の ” ヒスノイズ ” というもの。意図的に入れたものかと思いきや真相は
異なり、理由はわかりませんがこの時フェーダー(音量を上げ下げするツマミ)の下部にガムテープを
張って一番下まで下がらないようにしており、その為無音ノイズとも呼べるヒスノイズが全編に
渡って入っています。本来であれば余計なノイズなのですがこれが結果的に本曲における独特の
浮遊感・空気感を産み出しています。

冒頭から聴こえるベースドラムの音というのが実はシンセサイザーによるものだというのは
今回調べていて初めて知りました。てっきりマレットでもって手で弱く叩いているものかと思って
いましたが、当時ロル・クレームが購入した最新鋭のムーグを使用したそうです。
心臓の鼓動をイメージして作ったというこのビートもまた本曲を構成する重要な要素の一つです。
また本曲におけるベースパートはエリックのエレピによるもの。つまり弦のベースではなく
フェンダーローズの左手によるベースラインにて賄われています。それは制作段階からであり、
ベースギターが入る余地はないと考えられていたのですがある日エリックの頭にアイデアが
浮かびます ” ベースソロを入れたらどうだろうか? ” と。
ジャズにおいてバラード中でベースソロを入れるというのは普通にある事ですが、ポップソングで、
しかも70年代中期の段階ではまず無かった試みでした。
とにかく10ccというバンドの中に流れていた信念は ” 他人と同じ事はやりたくない ” というものでした。
” 普通でない ” アイデアを出すためには何日~何週間という時間をかけるのも珍しくなかったらしく、
このバンドの精神性はその辺りにあると思います。もう少し具体的に言えば、全員が器楽演奏・歌・
作曲・編曲をこなす、これだけなら他のバンドでも無くはありませんが(そんなにはいないか・・・)、
更に彼らは全てがレコーディングエンジニアでもあるという特異性がありました。
それを可能にしたのは彼らが活動の拠点としていたスタジオにあります。そのスタジオとは
『ストリベリースタジオ』。元々は68年にエリックが小さなデモ用スタジオを購入し、後にグレアムが
共同出資者となり更にはロルとケヴィンもその経営に参加しスタジオはバンドのものとなります。
前述の通り自分達で作曲・編曲し演奏と歌もこなす、というバンドは70年代に入ってから
決して珍しい存在ではありませんでしたが、彼らは更にその一歩先を見越していました。
つまりポップミュージックは録音・編集まで含めてのトータルな表現であると。その先見性には驚愕します。日本では大滝詠一さんが早くから自身のスタジオを所有していましたが、やはり同じような考えで
あったという事は言わずもがなです。
偶然かもしれませんが大滝さんの『福生45スタジオ』も75年から存在していたとされています。
ちなみに『ストリベリースタジオ』という名の由来は言うまでもなくビートルズ「ストロベリー・
フィールズ・フォーエバー」。10ccの面々が影響を受けたのは自明の理です。更に言えば
エリック達は初期におけるエルビス・プレスリーのレコードの様な音に惹かれ、あのような音を
自分で創りだしたいと思ったとの事。それは少し割れて(歪んで)しまっていたりするものや
真空管マイクで録音した独特のヴォーカルなど、68年においてもかなりレトロなサウンドで
あったのですが、これらに興味を持ったのが始まりだったようです。

そして中間部のパートと言えば忘れてならないのが、あ!・・・ またいつの間にこんなに長く …
二回でも無理でしたね・・・という訳で続きは次回「I’m Not in Love」その3にて。

#170 I’m Not in Love

前回で「I’m Not in Love」とは10ccにおいて異端の曲だ、などとほざきましたが、
やはりポップミュージック史に残る名曲であることは間違いありません。
で、今回のブログは丸々「I’m Not in Love」尽くしとします。
今回はおフザケも噛まさず、ボケもないです。かなり真面目にこの偉大なる楽曲を自分なりに
掘り下げます。
(ボケ? オメエ今まで全部スベってたの気づいてねえのか? (´∀` ) …… ハイ!おフザケ終わり)

「I’m Not in Love」は3rdアルバム「The Original Soundtrack」のA面2曲目に収録されています。
サウンドトラックと銘打っていても別に何かの映画のそれという訳ではなく、架空のサントラといった
設定です。本作全体については次回以降で触れます。
75年にリリースされた本曲の制作はその前年に始まります。きっかけはエリック・スチュワートが
書いた素材。「I’m Not in Love」という印象的なタイトル(歌詞)は後述しますが、妻とのやり取りから
思いついたというのは結構有名な話しです。
既に曲の骨格は出来上がっていたらしくスタジオへ行きグレアム・グールドマンに助力を乞います。
本曲ではフェンダーローズ(エレクトリックピアノ)があまりにも印象的な為に信じられないのですが、
実は当初エリックとグレアム共にギターで本曲を練り上げていたそうです。そしてまたまた
信じられない事に、初めはアップテンポのボサノヴァ調であったとか。
08~09年だったと思いますが、BS-TBSで放送されていた『SONG TO SOUL』にて
本曲が取り上げられています。録画して何回も観ましたが非常に興味深い内容でした。
今回のブログはその記憶と(消さなきゃよかった … )、ネット上における多くの方々の文章
(やはり『SONG TO SOUL』を観ていた人が多いです)、そして英語版ウィキが基になっています。
グレアムはそのメロディから違うコードを提案し、またイントロとブリッジセクション( ” 
~ Ooh, you’ll wait a long time for me. ~ ” のパートだと思われます)を思いついたそうです。

2~3日間で曲を書き上げ、ギター・ベース・ドラムという普通の編成で前述の通りボサノヴァのリズムで
演奏してそれを録音しました。しかし出来上がったものはロルとケヴィンのお気に召さないものでした、
特にケヴィンにとって。ケヴィンはこう言いました ” これはゴミだよ ” 、と。
バンド内ではこの様なディスカッションというか批判は珍しくなく(バンド内が必ずしも円滑でなかったのは
前回で触れた通り)、エリックが ” OK。じゃあこれを良くする為に何か付け加えるものなど、何らかの
建設的な意見は?” と問うとケヴィンは更にこき下ろします。” No!ただのゴミだよ!どうしようもない、
やめよう!” と、身も蓋もない言い方で締めてしまいます。よほど気に食わなかったのか、それとも
この時期にエリックとの間に感情的な何かがあったのかはわかりかねますが、皆はそれに同意し、
デモテープも消去してしまったそうです。
『SONG TO SOUL』ではエリックの記憶を頼りに再現した当初のボサノヴァ調「I’m Not in Love」が
流れました。確かに「I’m Not in Love」には違わないのですが、リズムとアレンジが異なると
まるで別の曲です(当たり前ですね)。ジャズ界には ” ジャズに名曲なし、名演あるのみ ” という言葉が
あります。どれだけジャズという音楽がプレイヤーの力量に因る所が大きいかを示した言葉ですが、
私はロック・ポップスにおいても、ジャズほどではないにしろこれが当てはまると思っています。
誰がどんな風に演奏しても(歌っても)絶対的に名曲になるものなどはありません。一般的には
特に歌い手による差が大きいと思われがちですが(古今東西問わず音楽とは九割方がメインの歌しか
聴いていないものですから)、アレンジも曲を決定づける重要な要素です。どんな名曲もアレンジ次第では
駄作になってしまうのです。もっともボサ「I’m Not in Love」はそこまで酷くはなかったですが・・・

拙い文章ばかりでは嫌気がさしてしまうので少し動画を。上は11年4月にウェールズ州で行われたライヴ。
オリジナルメンバーはグレアムだけですが、やはりこのアレンジは崩していない、というか崩せないと
いうのが正しい所でしょう。発想の転換で根本からアレンジを変えて、名曲に仕上がったものも
世にはありますが、本曲に関してはそれをやった瞬間に雲散霧消してしまいます。

この様にして一度は放棄された本曲ですが、ある日スタジオのスタッフ達が ” I’m Not in Love ~ ” と
口ずさんでいるのを耳にします。彼らにはあの旋律がこびりついてしまったのです。
エリックはメンバーに対してもう一度この曲を生き返らせるよう説得することを決意します。
ですがケヴィンはまだ懐疑的でした。しかしながら彼はその時思いついたラジカルなアイデアを
エリックに対して提案します。それはこういうものでした ” いいか!この曲を活かす術は誰も
やった事のないレコーディング方法を用いる事だ。楽器を使わずに全部『声』だけで演ってみようぜ!! ”
陳腐な物言いになりますが、名曲が生まれた瞬間、とはまさにこの時を言うのでしょう。
不意を突かれた三人でしたが、このアイデアに同意し ” 声のウォール・オブ・サウンド ” を
創り出します。そしてそれは本曲のカギを握るポイントとなるのです。

またまただいぶ長くなってしまいました。一回では無理ですので二回(ひょっとしたら三回?)に
分けて書きます。これ程の名曲、かつポップミュージック史に偉大なる足跡を残した楽曲ですから
それだけの価値はあるのです。という訳で次回に続く。

#169 10cc

前回までジェネシス関係を取り上げ続けてきましたが、彼らはイギリスでなくては
産まれなかったバンドだと言えます。カラッとしたアメリカの風土に比べて
(勿論米にも ” 闇 ” はあるのですが)、陰影に富んだ英国独特の国民性・精神性といったものに
起因しているのだと思われます。
英国独特のバンドと私が思うものの筆頭としてジェネシスと並ぶ人達がいます。決して音楽性が
似ているという訳ではないのですが、その ” 妙ちくりん ” な音楽性は『やっぱイギリスだな~』と
思わざるを得ません。そう、それが今回のテーマである10ccです。

10ccも早く取り上げたいと思っていたバンドなのですがなかなかキッカケがなく、
またジェネシスツリーの後は何を書こうかと思っていた所へ、そうだ!彼らにはこんな共通点が
あるじゃないか!と、何の違和感も無くとてもスムーズに話が繋がった訳であります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・” ムリヤリ ” って言葉知ってる? (´∀` )

10ccと言えば「アイム・ノット・イン・ラヴ」、という程に圧倒的な本曲による知名度のせいで、
バンドの実体的姿が正しく理解されていない様な気がしています。「アイム・ノット・イン・ラヴ」は
70年代を、というよりポップミュージックを代表する名曲の一つに間違いありません。
勿論私も本曲で彼らを知ったクチですが、むしろこの曲は彼らの中では異端な部類に入る方だと
知ったのはもう少し後の事でした。
上の動画は多分10ccにおいて ” 三番目くらい 
” に知られる曲であろう「Donna」(72年)。
洋楽を多少でもかじった人ならば当然お分かりでしょうが、ビートルズ「オー!ダーリン」のパク ……
リスペクト・オマージュです。
英国人は洒落を解するんでしょう。デビューシングルである本曲はいきなりの全英2位を記録します。

上は初の全英No.1ヒットとなった「Rubber Bullets」(73年)。「Donna」と同様に
バンド名を冠した1stアルバムからシングルカットされました。
ストレートなロックンロールナンバーなのですがやはり彼らが演るとパロディっぽくなります。
そう。このバンドの重要な要素としてコミック・パロディがあるのです。
「アイム・ノット・イン・ラヴ」を聴いている限りはとてもそんなバンドには思えないのですが・・・
それにしても上の映像は当然の事ながら口パク・当て振りなのですが、せめてもう少しくらいは
ちゃんと演奏してる様にする気概くらいはなかったのでしょうか・・・

しかしコミック・パロディといっても、半端者のつくったのはとても聞けたもんじゃないのですが、
きちんとした素養・技術がある人間が大真面目にやると大いに聴きごたえのある作品となります。
勿論10ccは後者の方です。
2ndアルバム「Sheet Music」(74年)は前作より更に ” コユイ ” 内容となったアルバム。
R&R、ポップス、フォークロア、ハードロック、クロスオーヴァー、ラテン、アヴァンギャルド etc …..
これらを全て良い意味で  ”斜に構えながら ” 取り入れ、いたって真剣に創った作品です。
上はA-②「The Worst Band in the World」。シャレなのか自虐なのか、しかし演奏・アレンジともに
しっかりとしているのでとてもワーストワンなどとは言えない曲です。

「Hotel」はのっけからサイケ感満載のナンバー。と思えばリズミックな曲調へ一転し、またサイケな
パートを再び含むという変態的な楽曲。
本曲はロル・クレームとケヴィン・ゴドレイによるもの。私の世代では圧倒的に映像作家チーム
「ゴドレイ&クレーム」としてなじみがあるのですが、彼らが10ccのメンバーであったというのは
ゴドレイ&クレームを認知した時点よりも後の事でした。
彼らは四人全員が作曲・アレンジが出来、しかもヴォーカルをこなせるという稀有なバンドでした。
なので一人が強力なリーダーシップによりバンドを牽引していくといったタイプとは真逆の、
一人親方が群れた様な集団でした。であるからして当然の如く、バンド内は調和がとれた状態とは
曲がりなりにも言えなかったそうです。
有名な話しですが、グレアム・グールドマンとエリック・スチュワート組と、ロル&ケヴィン組で
よく対立したと言われています。そして ” ヘンな ” 曲はロル&ケヴィンによるものが多かった様です。

グレアム&エリック組もヘンな曲は創っています。上の「Baron Samedi」はライヴですが、
オリジナルでも同様に ” サンタナかよ!” とツッコミたくなる曲ですけれども、サンタナ風味の10ccと
でも呼ぶべき ” おかしな ” 仕上がりです(ホメ言葉ですよ)。それは演奏力と構成力が
しっかりしている為であることは言うまでもありません。
ちなみにロルが3:27からギターを交換する場面が映っていますが、弦でも切れたのかと思いきや、
ロルとケヴィンが開発したギターアタッチメントである『ギズモ』を装着したギターであり、
どうやら次曲の冒頭でギズモを必要としていた為に、本曲の後半で持ち替える必要があったようです。
ギズモは興味がある人は自身でググってください。結局はうまくいかなかったエフェクターの様ですが …

1stと2ndこそ10ccの真骨頂とするファンが多いようです。実際そうだと思います。
「アイム・ノット・イン・ラヴ」で興味を持ってベスト盤などを聴いてみたら全くの期待外れだっと
言う人が多いのは、例外の方から入門してしまった為でしょう。しかしやはり
「アイム・ノット・イン・ラヴ」もよく聴けば10ccフレーバーがてんこ盛りなんですけどね。

ちなみにバンド名の由来は、男性が一回に放出する〇ー〇ンの量だとかなんだとか … 嘘か真かは
わかりかねます。これも興味があったならご自身でググれカス・・・・・・・・・・・
次回へ続く。

#168 A Curious Feeling

#153から15回に渡ってピーター・ガブリエル、そしてフィル・コリンズを取り上げてきました。
この流れでないと今後触れる機会がないかもしれないので、ジェネシスの他メンバー、つまり
トニー・バンクス、マイク・ラザフォード、そしてスティーヴ・ハケットについて取り上げたいと
思います。

先ずはトニー・バンクス。上は79年のソロアルバムで「A Curious Feeling」におけるオープニング曲の
「From the Undertow」。一聴するとジェネシスの「トリック・オブ・ザ・テイル」や「静寂の嵐」に
収録されていても全く違和感のない曲です。バンドの楽曲・サウンド面を主に担っていたのがトニーで
ある事を物語っています。
50年生まれなので現在70歳。ピーター・ガブリエルと同年、というよりマイク・ラザフォードも
同い年であり、オリジナルメンバーの三人は同級生であったという事です。そしてピーター回において
既述ですが勿論彼も貴族の家柄。8歳からピアノを始めたとの事です。
ジェネシスはガーデン・ウォール及びアノンというバンドに在籍していたメンツが結集して出来ました。
いずれも貴族の子弟であり、この辺りから貴族が作ったバンドと言われる所以です。
フィルとハケットは後から参加して、一般階級の出であるのは以前触れた事。

私がトニーの最高傑作だと信じて疑わないのが「Firth of Fifth」。「月影の騎士」(73年)に収録された
楽曲です。以前も書いた事ですが、「月影の騎士」では良くも悪くもピーター色が薄れ、メンバー全員の、
特にトニーの音楽性が前面に押し出され洗練されたものとなりました(しかし次作である
「幻惑のブロードウェイ」(74年)で再びピーター色が強まったのも既述)。
抒情味溢れる本曲はただ小綺麗なだけではなく、リズミックなパートや後半におけるスティーヴ・ハケットの
素晴らしいギターソロが堪能できるメランコリックなパート、そして再度テーマに戻り劇的かつ感動的な
フィナーレを迎える展開は珠玉の名曲です。
「月影の騎士」はそれまで前面に押し出されていたピーターの個性により、一般には受け入れられ難かった
シュールな物語性等が、トニー達の発言権が強まった事により中和され、実験性・革新性と親しみやすさが
絶妙な所で良い意味において折り合いを付けた作品となっており、それが本アルバムを名作たらしめて
いるのでしょう(でも「怪奇骨董音楽箱」や「フォックストロット」といったピーター色全開の作品も
コアなジェネシスファンにはたまらないんですけどね … )

マイク・ラザフォードのソロプロジェクトであるマイク & ザ・メカニックスは現在まで息の永い
活動を続けています。上は1stアルバム「Mike + The Mechanics」(85年)よりシングルである
「All I Need Is A Miracle」。全米5位の大ヒットとなりバンドは華々しい門出を迎えます。

バンドとして最大のヒットは2ndアルバムからのシングルである「The Living Years」(89年)。
全英2位・全米1位を記録しマイク & ザ・メカニックスはそのキャリアにおいて頂点を極めます。
どちらもかなり80年代的アメリカナイズされた楽曲に聴こえます。時代のすう勢というものも
勿論あったのでしょうが、マイクの作風が元々こういうポップセンス溢れるものだったのだと
私は思っています。

マイクはジェネシスにおいて、スティーヴ・ハケットの脱退までは基本的にベースを担当していました。
そしてハケットの脱退後はスタジオ盤ではギターも弾くようになります。もっともそれより前から
コンサートではベースとギターが一体化したダブルネックを使用して両方弾いていましたけれども。
私はマイクのギタープレイが好きで、#164でも取り上げた「Behind the Lines」のギターソロなどは
素晴らしいものだと思っています。決して速弾きなどする人ではありませんが、曲調にマッチした歌心溢れるプレイをする稀有なギタリストの一人です(何でも速く弾きゃイイってもんじゃないんですよ … )。
私が「Behind the Lines」と双璧を成すマイクの名演とするのが上の「Tonight, Tonight, Tonight」。
ジェネシス最大のヒット作である「Invisible Touch」(86年)に収録された本曲は、これまた最大の
シングルヒットとなったオープニング曲であるタイトルソングの次、つまりA-②に収められたのですが、
この配置は絶妙です。この当時の彼らをやたら売れ線、うれセンと批判する輩がいますが、やはり
英国プログレッシブロック界の重鎮である彼らはそのスピリッツを失っていませんでした。
コマーシャルな「Invisible Touch」が終わると無機質かつダークでヘヴィーな本曲が始まります。
無機質な印象はフィル回で散々言及したリズムマシンの使用や、敢えてシーケンサー的なプレイに
徹するトニーのシンセなどに因ります。であるからして、これまたフィル回で触れたこの時期における
彼による絶唱型の歌唱や、マイクのエキセントリックなギターのフレーズ・音色が映えるのです。
凍てつくような寒さを感じさせる導入部から始まり、やがて徐々にヒートアップしていくことで

熱くたぎるヴォーカルとギターのオブリガード及びソロがとてつもなくドラマティックな効果を生んでいる、本作においてのベストトラックだと思っています。

スティーヴ・ハケットの名演と言えば、トニーの所で触れた「ファース・オブ・フィフス」に他なりません。
多くの人が述べている事ですが ” キングクリムゾンかよ!” と言われる程にロバート・フリップの
影響を受けたとしか思えないソロプレイです。陰鬱な始まりから後半は救われるかの如き演奏の展開は
これまで何百回も聴いてきていますが涙腺が脆くなってしまいます。
「ファース・オブ・フィフス」と甲乙付け難いプレイと言えば上の「The Knife」。ジェネシス初の
ライヴ盤である「Genesis Live」(73年)におけるエンディングナンバーである本曲では、
「ファース・オブ・フィフス」とは一転してエキセントリックなプレイを聴く事が出来ます。

正式なメンバーでこそありませんが、フィルがヴォーカルを取るようになってからのチェスター・トンプソンと、ハケットが脱退してからのダリル・スチュアマーはツアーサポートとして欠かせない人たちであり、
もはや準メンバーと言っても過言ではないと私は思っています。ちなみにフィルやトニーのソロ作でも
二人は関わっており、やはり紛れもなくジェネシスツリーの一員であるという事です。

脈絡もなく突拍子も無い事を言いますが、ジェネシスというバンドは ” マンガ ” だと私は思っています。
……… オマエはとうとう脳漿にウジが湧いたのか?などとどうぞ思わずに、順を追って話を・・・・・
中学の半ばからプログレッシブロックというものに魅せられて40年近くその手の音楽を聴いていますが、
それらのカテゴリーに分類されるバンドを絵に例えたとしたならば・・・
ピンク・フロイドはまさしく絵画といったもの。正確に言えば「狂気」の様な芸術といっても差し支えない
ものから(芸術が必ずしも良いとはこれっぽっちも思ってませんけどね … )、「ウマグマ」みたいに
前衛・抽象画と呼ぶべきもの、「あなたがここにいてほしい」は万人にもわかりやすい絵、と様々ですけど。
そしてキング・クリムゾンは1stこそ「狂気」と同様に芸術的ですが、3rdの「リザード」から変わり始め、
「太陽と戦慄」からは前衛美術といったもの(「レッド」はまた叙情味があって異なりますがね)。
イエスは非常に高度な、繊細かつ緻密であるグラフィックアートの様なものでしょう。
そしてジェネシスはと言えば、『マンガ』です。ただしそのマンガとは、荘厳でクラシカルなパート、
神話や寓話をモチーフとしたシュールかつ幻想的なシチュエーション、かと思えば一転して
コミカルにもなり、泥臭い(=ブルージーな)場面や前衛的な表現さえも垣間見え、しかしその多くが
きちんとした構成力により起承転結が付けられ、伏線を回収しつつ感動のエンディングを迎えます。
これ程までに多くの要素を併せ持ったマンガと言えば、マンガの神様とされる手塚治虫さんによるもの
くらいではないのでしょうか。・・・あ、でも別に私 … そんなにマンガは詳しくないので、…………
その方面からのツッコミはご勘弁を・・・・・・

初期のジェネシスは特に ” 硬派な ” ロックを好むとするリスナーからは敬遠されます。80年代のある
洋楽紹介番組で、過去にロックバンドをやっておりその後テレビタレントの様なものになった人物が、
『昔のジェネシスなんか自分達だけがわかればイイって音楽演ってたんだろ!』と発言した事がありました。
一応ミュージシャンであって(あった?)も認識はそのくらいなのだな、とその時は思いました。
私には特にピーター在籍時のジェネシスはとにかく人々に理解して欲しいという願いから、そのシュールな
アルバムジャケット、前衛演劇かの如きライヴアクトやコスチューム(専らピーター)が
なされていると信じていました。ただそのベクトルが一般人とはちょびっと(?)ずれていただけで …………
90年代以降はオシャレでポップな80年代の呪縛(?)も解け、混沌とした音楽シーンになったことも
あいまってか、初期ジェネシスもそれ程敬遠されなくなったようです。とにかく古今東西でその評価など
ころころ変わるものなのです。
今まで何度も書いてきていますが、少なくとも音楽に関しては
周りの意見など気にせずに己が良いと
思ったものを聴くべきなのです。ただそれだけなのです。

今年の初めにピーター・ガブリエルを取り上げてからその後フィル・コリンズ、そして今回は他の
メンバーを駆け足ながら触れていきましたが、結局はジェネシスについての総まとめと
なってしまいました。まあそれも致し方ないでしょうね・・・・・(ナニが ” 致し方ない ”だ?)

この3~4か月ひたすらジェネシス及び各ソロ作を再び聴き返しました。これも既述ですが中には
20年振り位に耳にしたものもあります。自分の中ではジェネシス及び各メンバーの音楽性を
再確認出来た様な気がしています。
多分向こう一年以上はジェネシスツリーを聴くことはないな、という程に・・・・・・・・・・・