#238 Don’t Let the Sun Go Down on Me

以前にも書きましたがエルトン・ジョンの父親は英空軍の軍人で階級は大佐だったそうです。
かなり厳しい人で家庭にまで軍隊流の規律を持ち込み、エルトンと母親は常に気の休まる時が無かったとか。
もっとも音楽的才能はその父親から譲り受けたもので、彼は優秀なトランペット奏者であったそうであり、
これもまた皮肉な話です。のちに母親はエルトンを連れ離婚して出て行った事もこれまた既述(のはず…)。

いち早くエルトンの音楽的才能に気づいたのは祖母だったそうです。正式なレッスンを受けさせるように
勧められ、それは功を奏し神童と呼ばれるほどになります。
母親の再婚相手は画家で、この人もまたエルトンの才能を見抜いており、15歳のエルトンにホテルの
ラウンジピアニストを勧めたのは彼でした。そして英王立音楽院へ進学します。
もっともエルトンにとって音楽院での授業は退屈だったそうで「…僕はハ調やト調だけで演奏出来れば良いと思っていたので学校での授業は面白いと感じられなかった。でも後になってそれらは役に立ったけどね…」
の様な事をのちに語っています。

前回で「Caribou」に収録されている有名曲が取り上げられていないのは何故?と気づいた人は …
いませんよね・・・誰も読んでませんから ……… このブログ・・・・・・・( ;∀;) ………
「Don’t Let the Sun Go Down on Me」。74年のアルバム「Caribou」に収録され、
先行シングルとしてリリースされた本曲は全米2位の大ヒットを記録します。ちなみにこの時1位を
阻んだのはジョン・デンバー。やはり北米ではカントリー&ウェスタンが強い・・・・・
オリジナルもエルトンの代表曲の一つである事に間違いありませんけれども、本曲をさらに世間へ知らしめる事となったのはあるシンガーとの共演でした。
言わずと知れたジョージ・マイケルとの共演版がそれです。ロンドン ウェンブリー・アリーナにおける
91年3月23日のパフォーマンスは、本曲をレパートリーとしていたジョージが、ツアー最終日に
エルトンをサプライズゲストとして招きデュエットしたもの。エルトンが登場した時の聴衆の
歓喜振りからその盛り上がり具合がうかがい知れます(上の動画で3:00頃)。
同年11月に本演奏はシングルとしてリリースされ、こちらは見事全米1位、というより少なくとも
世界12か国にてチャートのトップに輝きました。動画も1億3300万再生 … スゴイ・・・

ジョージがライヴレパートリーとして取り上げるきっかけとなったのが上の動画。これまた有名な
ライヴエイドにおけるエルトンとの共演でした。85年7月13日、ロンドン ウェンブリー・スタジアムと
フィラデルフィア ジョン・F・ケネディ・スタジアムにて同時進行で行われた一大チャリティーコンサート
であるこのステージ(勿論ウェンブリーの方で)にて二人は共演して本曲を披露しました。
個人的には91年版よりこちらの方が好みです。
お若い方には知らない人も多いでしょうのでライヴエイドについて少しだけ。その前年である84年に
エチオピア救済の為に起ち上げられたバンドエイド「Do They Know It’s Christmas?」に
端を発します。イギリスの有名ミュージシャン達が挙って参加した本シングルは成功を収め、
翌年にそのライヴ版であるライヴエイドが催されることとなった次第です。
ちなみにフィル・コリンズはウェンブリーで演奏した後、超音速旅客機コンコルドでフィラデルフィアへ
飛んでアメリカでもパフォーマンスしたのは有名な話(#164ご参照)

いったいこの人はいつ寝ていたのでしょう … (´・ω・`)?
エルトンは富を得た70年代からチャリティーに注力していました。そのような活動を通して故ダイアナ妃
と親交を持ち、それが「Candle in the Wind 1997」へ繋がった事もこれまた既述(#228ご参照)。

壮大かつ劇的である本曲はロックバラードのスタンダードナンバーとなっており多くシンガー達によって
カヴァーされています。

ジョー・コッカー、91年のアルバム「Night Calls」に収録されたヴァージョン。この人が歌うと
何でも ” コッカー味 ” に仕上がります(イイ意味で、ですよ (*´∀`*))。

フーのロジャー・ダルトリーも取り上げています。87年の映画「The Lost Boys」のサントラに
収められたもの。ちなみにこの人もピート・タウンゼントもいまだ現役 … スゴイですね (*´∀`*)

少し変わり種と言えばゴスペルシンガー オリータ・アダムスのヴァージョン。もっともエモーショナル
なフィーリングがみなぎる本曲はゴスペルにはもってこいですね。

本タイトルを直訳すると ” 太陽を僕の上に沈ませないでくれ ” となりますが、勿論これでは (´・ω・`)?
何人かの人が本歌詞を和訳されていますので詳しく知りたい方はそちらをどうぞ。大体の意味は
自らのもとを去ろうとしている恋人へ投げかけた言葉(彼女=太陽)だそうです。
相方である作詞家 バーニー・トーピンらしい作品。

最後はこれを取り上げて終わります。ビリー・ジョエルとの共演である東京ドームにおける
98年のパフォーマンスは、エルトン・ジョン & ビリー・ジョエル 『FACE TO FACE』と銘打たれたツアーにおける日本公演でのもの。うつ状態(何度目だったのだろう … )となってやる気をなくしていた
ビリーに ” ビリー!一緒に演ろうぜ!! ” とエルトンが声をかけて実現した本ツアーは94年に始まり
10年まで続きました。

#237 Caribou

「あ~!もっと時間があればいろいろやりたい事あるんだよな~!!」
こういうセリフを吐く人にたまに出くわしますが、一日16時間くらい働いていればたしかにしたい事も
出来ないでしょうけれども、往々にしてそういう人は時間があっても何もしないものです。
逆に傍からみると ” あんなに忙しいのにどうやって時間を作っているんだろう? ” というほど多くの物事を
こなす人もいます。時間の使い方の上手い下手もあるのは勿論ですが、人間というものはある程度忙しい中に
身を置いていた方が活動的になるようです。一種の躁状態と言い替えても良いでしょう。

エルトン・ジョンが74年に発表したアルバム「Caribou」はわずか9日間あまりで
レコーディングされたものです。その後に日本公演などを控え詰まりに詰まったタイトスケジュールの間に
録らなければならない状況だったそうです。
オープニング曲である「The Bitch Is Back」。女性に対してお世辞にも上品とは言えない言葉ですが、
この曲においてはエルトン自身を表しているらしいとの事。

この時期エルトンは自身の音楽活動の他に、映画「トミー」への出演及びサントラへの提供や、
ジョン・レノンのアルバムに参加したりと、ちょっと異常とも言えるワーカホリック振りでした。
「トミー」においてはド派手なコスチュームでの魔術師役が有名な所ですが、実はオファーは
初めにロッド・スチュワートへ来ていたとの事。二人は大のサッカー好きという共通点もあり
仲が良かったのですが、ロッドが映画への出演について相談した所、エルトンは断るべきだと告げ
ロッドはそれに従いました。ところが今度はエルトンへ出演依頼が回ってきて、なんと彼はそれを
受けたのです。その辺の感覚は凡人には理解出来ません。
A-②「Pinky」とA-④「Dixie Lily」。後者はお得意のカントリーテイストな楽曲です。

恥をしのんで白状しますが、私永い事「カリブ」はカリブ海のカリブだと思っていました・・・・・
カリブ海に浮かぶ島にあるスタジオで録ったのだろうとか、ぞんざいな推測をしていたのです。
「Caribou」とは北米に生息するトナカイの意。本作はコロラドにある ” カリブー・ランチ ” という
スタジオでレコーディングされ、それにちなむものです。録音場所に由来するという点においては
あながち当たらずとも遠からずいう気も・・・・・しませんね … (*´∀`;)
A-⑤「Solar Prestige a Gammon」はビートルズ後期におけるポールの作風が匂うのですが、
それは私だけでしょうか?
本作ではタワーオブパワーのホーンセクションが数曲において参加しています(#110ご参照)。
A-⑥「You’re So Static」はその中の一曲。

70年代においてエルトンが創った珠玉の作品中において、本作が一番好きという人は多くありません。
しかしながら、前述の様なタイトスケジュールの中で、これだけのクオリティーを誇るアルバムを
創り上げてしまったという事は、この時期のエルトンの異常とも言える創造性も勿論あるのですが、
忙しい中に身を置いているからこそのテンション感、高揚感とでも言いますか、その様なものも
功を奏していたような気がするのです。
B-①「I’ve Seen the Saucers」とB-②「Stinker」。後者はブルース&ソウルミュージックと
いった楽曲ですが、何を演っても絶品なのは言うまでもなし。

エンディングナンバーである「Ticking」は美しい調べに乗せながら救われない歌詞を歌うという、
エルトン&バーニーならではの大作。真面目であれと、厳格に育てられ強迫観念を植え付けられた
少年が犯罪を犯し最期は射殺されるという内容。実在の事件がモデルとも、エルトンの幼少期に
ちなんでバーニーが書いたとも言われています。” Ticking ” とは日本語で言うと ” チクタク ” の意で、
ここでは時限爆弾を表しているとの事。
エルトンの実の父親がかなり厳格な人だったらしく、それがエルトンの性格に影響を与えたと
言われています。
その父親について書こうと思いましたが、長くなったのでそれはまた次回にて。