#112 David Garibaldi_2

デヴィッド・ガリバルディのプレイにおける特徴としてよく挙げられる点として、パラディドルを
用いたリズムパターンと変則的なビートがあります。この二点は密接に結びついている、
というよりも、ある種不可分のものであるとも言えます。
パラディドルは変形の手順、右左を交互に叩くオルタネイトスティッキング(シングルストローク)
ではなく、シングルとダブルストロークを組み合わせたものと理解すれば良いかと思います。
代表的なものには右左右右左右左左などがあります。彼の教則ビデオ「Tower of Groove」でも、
序盤でこれをそのまま用いたリズムパターンを実演しています。右手ハイハット・左手スネアで
2・4拍のスネアにアクセントを付ける、口で言えば『チタチチチタタチタチチチタタ』という感じ。

 

 

 


私の英語力が拙いせいもあって、説明の内容は断言できませんが、彼が念を押して言っているのは
次の二つだと思われます。①アクセントとノーアクセントをはっきり叩き分ける②スネアとハイハットの
音色を近づける。
強弱の差をきちんと付ける、これは基本的な事です。大きい音はより大きく、小さい音はより小さく、
どの楽器においてもダイナミクスというものは大事なことです。次のスネアとハイハットの音色、
これはスネアにおけるチューニングと密接なつながりがあります。ここでのスネアはノーアクセントの
ショットを指すと思われますが、前回も触れたゴーストノート、主にスネアで叩かれるものですが、
ハイハットの『チッ』という音色に近いサウンドがこの場合は求められます。スティーヴ・ガッドも
同じことを言っており、比較的高いピッチの軽いスネアショットとハイハット(手で叩くのと
足で踏んで鳴らす場合の両方)の音色を出来るだけ近づけるようにしていると語っていた記憶があります。
この二つのサウンドはブレンドし易く、それがフュージョン・ファンクの16ビート、及び勿論ジャズの
4ビートにおいても、相似的な音色の連なりがグルーヴを生み出すとして必要とされているのでしょう。
これは全てがフルショットを必要とされるヘヴィメタル・ハードロックでは機能しないものです。例外的な
人もいますが、それらの音楽では『ズダーン』といったド迫力の重いスネアサウンドが求められます。
これはどちらが良い悪いではなく、音楽的ニーズから来る音色の差です。

もう一点である変則的なビート。やや乱暴に言ってしまえば2・4拍のスネアによるバックビートが
必ずしもないリズム、と言い替えても良いかと思います。1st・2ndアルバムでもその様なリズムは
若干ありましたが、大々的に取り入れられたのは三作目から。前々回取り上げた「Oakland Stroke」や、
上の「Soul Vaccination」にてそれは完成したと言えます。彼はこのアイデアをラテンミュージックの
ドラムから得たと語っています。ラテンも基本的には2・4拍にアクセントがあるアフタービートの
音楽ですが、ロックの様に強烈なものではなく、またそのリズムはシンコペーション、裏拍を強調した
ものであるため、流動的とも言えるビートです。所謂ロックは ”タテノリ” 、ジャズ・ラテンは
”ヨコノリ” と呼ばれるものです。
この変則的ビートは先述のパラディドルを用いる事でより緻密かつグルーヴ感溢れるものになります。
何よりガリバルディのプレイにおいて重要なのは、ただいたずらに複雑なリズムにしている訳では
無いという点です。所謂手クセ・足クセで演奏するのではなく、タワー・オブ・パワーにおいては
ホーンセクションのソリ(ホーン隊がユニゾンで吹くフレーズ)に合わせ、計算されたフレージングで
あるのです。よく聴くと、スネアのアクセントがホーンのソリと合わせていたり、また掛け合いの様に
なっていたりします。

タワー・オブ・パワーにおけるガリバルディのプレイを語る上で、欠かす事が出来ないのはベーシスト
フランシス・ロッコ・プレスティアの存在です。所謂チョッパー(スラップ)などの派手なテクニックは
使わず、基本的に指弾きで正確無比かつ怒涛の様な16ビートを敷き詰めるそのスタイルはある意味
圧倒的であり、同時代におけるスラップベース生みの親であるラリー・グラハムとは対照的です。
しかしベーシストからはグラハムと遜色ないほど、現在においても尊敬を受け続けているプレイヤーの
一人だと言わています。名盤「Back to Oakland」の制作時には、ガリバルディやロッコ達の
リズム隊はジャムセッションにかなりの時間を費やしたと語っており、「Oakland Stroke」などは
その過程から生まれたそうです。5thアルバム「Urban Renewal」に収録されている
上の「Only So Much Oil In The Ground」は、ロッコ、ガリバルディ、そしてホーン隊による
スピード感に溢れながら、
なおかつ一糸乱れぬ16ビートプレイが堪能出来る快演です。

13年の暮れに「Hipper Than Hip」というライヴ盤が発売されます。74年にラジオ番組用として
収録された音源が40年近くの時を経て作品となり日の目を見ました。ほぼ同時期に山下達郎さんと
ピーター・バラカンさんがラジオで取り上げ、バラカンさんは ”何故これが40年もお蔵入りに?” と、
達郎さんは ”本当の音楽っていうのはこういうのを言うんですよ…” と語っていました。
絶頂期のバンドを収めた見事過ぎるアルバムです。前々回も取り上げた名曲「Squib Cakes」も
演奏されていますが、『ライヴでこれかよ!!!』と叫んでしまう様なクオリティーの名演です、
いや、むしろライヴならではの名演、といった方が適切でしょうか。
ちなみに米におけるドラム&パーカッション専門誌 モダンドラマーにおいて、「Back to Oakland」は
ドラマーが聴くべき最も重要なアルバムの一つと認定されている事を付記しておきます。

ガリバルディは70年代後半からバンドと距離を取り始め、80年には完全に一度袂を分かちます。
理由はバンド内におけるドラッグの蔓延。これが彼には我慢出来なかったとの事です。
良い子のみんなはマネしちゃダメだぞ!☆(ゝω・)v  ・・・・・・ しねえよ!(._+ )☆\(ー.ーメ)
☆(ゝω・)v ダメだよ、真似しちゃ!〇エー〇た … やかましい!( °∀ °c彡))Д´)・・・・・
マネはダメヨ!☆(ゝω・)v 三〇〇子さんの次男 … いい加減にしろ!ヽ( ・∀・)ノ┌┛Σ(ノ;`Д´)ノ

デヴィッド・ガリバルディ特集はまだ続きます。

#111 David Garibaldi

デヴィッド・ガリバルディ。この名前を聞いてピンと来る人は、洋楽に通じている人でも
そう多くないのではないかと思います。
日本が世界に誇るドラマー 神保彰さん。圧倒的なテクニックと、エレクトリックドラムなどの
ツールを使って常に新しいプレイを追及し続ける神保さんが、昔ドラムマガジン誌上にて
影響を受けたドラマーは?と尋ねられ、その時に挙げたのがスティーヴ・ガッド、ハーヴィー・メイソン、
そしてデヴィッド・ガリバルディだった記憶があります。
70年代フュージョンシーンを担ったガッドとメイソンは、ドラムを演ってない音楽ファンでも
その名前くらいは聞いた事があるかもしれませんが、ガリバルディというと『誰?』、となるのでは
ないでしょうか。


 

46年、オークランド生まれ。10歳でドラムを始め、17歳からプロとして活動し始めましたが、
66年、つまり二十歳の時にベトナム戦争へ徴兵されます。空軍の軍楽隊に所属していたそうです。
除隊してから帰郷して70年7月にタワー・オブ・パワーへ加入します。9月から11月までレコーディングを
行い、そうして出来上がった1stアルバム「East Bay Grease」をその年のうちにリリースします。

前回既に述べた事ですので重複は避けますが、フィルモア・ウェスト/イーストの設立者 ビル・グレアムが立ち上げたばかりのレーベルから本作は発売されました。二作目以降のワーナーと比べれば録音環境は
劣っていたのでしょう。ドラムの音などは殆ど生音ですが、それが却ってガリバルディのプレイを
生々しく忠実に伝えてくれています。
オープニングナンバーである「Knock Yourself Out」。ガリバルディは17歳の時にサンノゼ公会堂で
ジェームス・ブラウンのステージを観て衝撃を受けたそうです。午後の早い時間に会場へ行くと
バンドがリハーサルを演っていて、間近でそれを観ることが出来たとの事(大らかな時代だったんですね)。
彼のファンクミュージックへの興味はこの辺りから湧いてきたようです。

ガリバルディのプレイにおける特徴であるスネアのゴーストノートや16分裏の強調はこの時点で既に
完成されています。ジェフ・ポーカロ回(#63~#66)でもゴーストノートについては触れましたが、
2・4拍で強く叩くスネアショットとは別に、ごく小さな音量でプレイされるスネアショットを
こう呼びます。このゴーストノートがある事によって独特なグルーヴ感が生まれ、特にファンクなどの
16ビートドラミングには欠かす事が出来ません。本作からもう一曲「The Price」。16分裏のリズムが、特にベースドラムによって強調されているナンバー。口で言えば『ッド・・・』という感じ。

二作目である「Bump City」は、前作にあった怒涛の様なファンク色はやや薄れています。ただし
良い意味で洗練され、音質も向上しています。大レコード会社ワーナーへの移籍に因るもので
あるのは言うまでもないでしょう。それに伴いガリバルディのプレイも、1stにあったようなゴリゴリの
16ビートドラミングは少し鳴りを潜めていますが、その本質は基本的に変わっていないものと私は
思っています。上はシャッフルビートの曲「Flash in the Pan」。シャッフルについては、これまた
ジェフ・ポーカロ回で述べていますが、『タッタタッタタッタタッタ・・・』と所謂 ”ハネる” リズム。
本曲では ”タッ” の裏拍に左手でハイハットやスネアを叩く事でよりオフビートを強調しています。
これは割と古いスタイルのブルース・R&Bのドラミングによくあったプレイスタイルですが、
ガリバルディがプレイすると古さなど微塵も感じさせず、彼のドラミングになってしまいます。
先達の技を踏襲しながら、その上で自身なりの新しいスタイルを築く、まさしく温故知新です。

私見ですが、インストゥルメンタルと ”歌もの” の演奏は別、との意見が散見されますけれども、
共感出来る部分も無くはないのですが、基本的に根っこは同じだと私は思っています。そして一流の
プレイヤーは例外なくどちらも巧い。上は初期におけるバラードの傑作「You’re Still A Young Man」。
歌ごころあふれるガリバルディのバッキングプレイが堪能できます。二代目ヴォーカリスト
リック・スティーブンスの名唱が見事。一昨年惜しくも他界してしまいました、合掌。

93年にVHSビデオで発売された「Tower of Groove」。ガリバルディ自身が自らのプレイに
ついて実演しながら解説し、バンドとのスタジオライヴを交えてその素晴らしいグルーヴを披露して
くれています。VOL1・2がありますが、DVDでは一枚にまとめられています。現在は
ユーチューブで観れてしまいます。上はその中の一曲「Lakeside Shuffle」。タイトルは
シャッフルですが、ただのシャッフルでは終わらぬ一筋縄ではない楽曲。四分の四のシャッフルと、
八分の六拍子のアフリカンビートが交錯する所謂ポリリズム。途中でジャズのスウィングの
パートもあり、ガリバルディとしては珍しい4ビートプレイを観ることが出来ます。
本編ではこの演奏の後に本曲のプレイについて解説していますので興味のある方は。もっとも
英語ですから何を言っているか私には断片的にしか判りませんが …
一点だけ気になったのは、4ビートのパートで、シンバルレガート(チーンチッチ・チーンチッチと
いったジャズの基本的なリズムをトップシンバルでプレイする事)の際に、裏拍にアクセントが
付いている箇所がかなりある事。口で言えば ”チーンチッ・チーンチッ・チッチーン・チーンチッ
の様な感じ。エルヴィン・ジョーンズなどもこういったレガートをよくしましたが、これは裏拍を
強調し、よりリズムをドライヴさせる効果があります。おそらくエルヴィンにしろガリバルディにしろ、
自然とそうなったのだと思いますが。

余談ですがその昔DCⅠビデオは非常に高価で、七・八千円から一万円以上しました。おいそれと手が
出るものではなかったです。その点日本の、リットーミュージックの教則ビデオなどは良心的で、
ものによっては三千円台で買えました。リットーミュージックさんお世話になりました。
えっ? (*゚▽゚) ナニ
のビデオでお世話になったって …( °∀ °c彡))Д´)( °∀ °c彡))Д´)( °∀ °c彡))Д´)

当然一回では書き切れないので次回以降へ続きます。一字一句を惜しんで少しでもガリバルディの
魅力をより多くの方たちへ伝えていく所存であります! (`・ω・´)キリッ ・・・・・・・・・・・・・・
だったら上みたいなくだらねえこと書いてんじゃねえよ!!!ヽ( ・∀・)ノ┌┛Σ(ノ;`Д´)ノ

#110 Back to Oakland

スティーヴ・フェローンが在籍したアヴェレージ・ホワイト・バンドを聴いていると、
どうしてもあるバンドを思い出し、また比較してしまいます。鉄壁のリズムセクション、
ソリッドなブラス隊、そしてソウルフルなヴォーカル、これでもか!というファンクグルーヴを
繰り出すそのバンドの名はタワー・オブ・パワー。カリフォルニア州オークランドで結成された
彼らの音楽は、それを指してオークランドスタイルファンクと呼ばれる一ジャンルとして語られる程、
ポップミュージック界において、特に同業者達へ影響を与えました。

 

 

 


#85のヒューイ・ルイス&ザ・ニュース回において彼らに触れ、いつか必ず取り上げますと
述べましたが、思ったよりも早く書くことが出来ました。

バンドの出発点は68年に創設メンバーであるエミリオ・カスティロとステファン・カップカが
出会った所から始まります。ただしこのバンドはメンバーが多く、またその変遷も激しい為、
それらについては割愛します。興味がある人はウィキ等で。
当初彼らは『ザ・モータウンズ』と名乗っていた、もしくは周りに勝手に名付けられたらしいです。
カスティロは後のフィルモア・ウェストの前身、フィルモア・オーディトリアムへの出演をオーナーである
ビル・グレアムへ交渉しようとしますが、『ザ・モータウンズ』では彼が出演を認めてくれないと
考え、バンド名の変更を容認するようになります。そうして70年までにはタワー・オブ・パワーという
新しいバンド名が確定し、当時ビル・グレアムが設立して間もないサンフランシスコレーベルから
1stアルバム
「East Bay Grease」をリリースします。
72年にはワーナーへ移籍し、二作目となる「Bump City」を発表。アルバムはR&Bチャートで16位、
シングルもTOP40に入り、徐々に世間への認知度を高めていきます。

73年、3rdアルバム「Tower of Power」をリリース。上はオープニングナンバー「What Is Hip?」。
百聞は一聴に如かず、問答無用のこの曲を聴けば彼らの凄さがわかるはず。

1stシングルである「So Very Hard to Go」は彼らにとって最大のシングルヒットとなりました
(ポップス17位・R&Bチャート11位)。本作はセールス的にバンドにとって最大の成功作と
なりました。ポップスチャートで最高位15位を記録し、ゴールドディスクに認定されます。

74年発表の「Back to Oakland」。セールス的にこそ前作には及びませんでしたが、彼らの
最高傑作と評するリスナーが絶えない名盤です。オープニングとエンディングを飾るナンバー
「Oakland Stroke」。最初は0:53、最後は1:08と短い曲。短くて良いでしょう、
あまりにも凄すぎて、この尺でも十分です。上はUP主が2曲を繋げたらしいですが、
オープニングもフェイドアウトで終わっているのに、境目が全く分かりません。一体どうやって
作ったのでしょうか?・・・・・ナゾの技術・・・才能のムダ・・・・・
(._+ )☆\(―.―メ)そこまでは言われる筋合いはない!
(※と、思っていたのですが、更に調べたところ、昔シングル盤で発売されたことがあったらしいです)

私が思う本作のベストトラックは二曲あるのですが、上はその甲乙付けられない内の一つである
「Can’t You See (You Doin’ Me Wrong)」。あまりごちゃごちゃは言いません、聴いて下さい。

インストゥルメンタルパートが取りざたされる事の多い彼らですが、ヴォーカル曲も秀逸です。
ヴォーカリストは割と入れ替わりが激しいバンドでしたが、黄金期に在籍したのがレニー・ウィリアムズ。
レニーの素晴らしい名唱が堪能出来るのが上の「Just When We Start Makin’ It」。

私にとってもう一つのベストトラックがこれ、「Squib Cakes」。これもあまりごちゃごちゃは
言わないつもりでしたが … 少しだけ言わせて下さい・・・・・・・・・ごちゃごちゃ ……………
(._+ )☆\(―.―メ)言うとおもった!!!
完璧なグルーヴ、ソロプレイヤー各々のアドリブ、ブラスのソリ、どれを取っても超一級品の演奏。
全編に渡って素晴らしいプレイのオンパレードですが、やはり聴き所は4:55からのオルガンと
ギター・ベース・ドラムのリズム隊によるプレイ。途中からはワンコードになり、主役は完全に
ベースとドラム。派手な耳を引くソロプレイではない、リズムの掛け合いであるのに、これ程までに
甘美と言っても過言ではないグルーヴを私は他に知りません。6:02でコードチェンジする部分は、
カタストロフとでも呼ぶべきそれまでのテンション感が一気に弾ける鳥肌モノのパートです。

その後、セールス的にヒットを上げる事はなく低迷していたバンドでしたが、ヒューイ・ルイスの
力添えなどもあり地道に活動を続け、今日まで解散することなく、根強いファン、また同業者達からの
応援を受け続けています。
レコードセールス面だけを見れば、ゴールドディスクが一枚、TOP20入りしたシングルも一枚と、
決して大成功を収めたバンドではありません。インストゥルメンタルの比重が多いので、一般ウケしづらい
のは如何ともし難い所でしょう。卓越したシンガー達が在籍したバンドですので、もっとバラードなどを
フィーチャーした売り方をすれば、ひょっとすると違った結果があったかも
(たらればですけど…)。
しかし彼らは、自分たちの本分はグルーヴを重視したファンクミュージックであるとの自負が
あったのでしょう。そして、その様な姿勢を貫く彼らだからこそ、コアなリスナーや同業者達から常に
尊敬の念を受け続ける事が出来たのではないでしょうか。

一人か二人しかいない読者の中には、ドラマーについて全然書いてないじゃん、と思われた方も
いるかもしれません。…………… いない … かな?・・・・・゜:(つд⊂):゜。。
そうです。タワー・オブ・パワーのドラマー デヴィッド・ガリバルディについては、次からの
テーマとするためにあえて触れませんでした。という訳で次回からはデヴィッド・ガリバルディを
取り上げていきます。

#109 Steve Ferrone_2

私がドラムを始めた80年代半ば、スティーヴ・フェローンはパールドラムスのエンドーサーであり、
彼の姿はカタログに必ず載っていました。



 

 

 

 

最初に金を貯めて購入したドラムセットはラディックであったと述べています。英ジャズロックの草分けで
あるブライアン・オーガーのバンドなどで活動した後、アヴェレージ・ホワイト・バンド(以下AWB)へ
加入する事となります。

前々回でもあげた、75年ソウルトレイン出演時の映像ではグレッチのセットを使用しているのが
確認出来ます。シンバルは確認出来ませんが、その後フェローンが永く使用する事となるセイビアンは
81年の設立なので、この時点ではまだ存在しません、おそらくはジルジャンだと思いますが。
上は同じソウルトレインにおける「Person to Person」。それにしても1:50辺りからの
プレイは本当に素晴らしい・・・

この頃のフェローンのチューニングはスネアがハイピッチで、ベースドラムはローピッチ、つまり
高音から低音までまんべんなく音が出ているという事です。スネアはピッチが高くはあれども、
決してカンカン・パンパンという、ただヘッドをきつく締め上げただけの耳障りな音色ではなく、
高い音ではあるが甘い音でもあります。そしてベースドラムは ”ちゃんと鳴っている音” です。
ロックポップスのドラムにおけるベードラは、ともすれば ”ドッ” ”ボッ” のような、アタック音が
強調される事が多いです。勿論ハチマキを締めた応援団が叩くような大太鼓みたいに ”ドーン” と
いう音では全体的なサウンドにそぐわないのですが、やはり太鼓本来のサスティーン、余韻を
犠牲にしているのも確かです。彼のベードラは ”ドン” と、締まりはあるが、一方でちゃんと
ドラム本来のサスティーンも感じさせる音色です。ベードラの中に毛布を入れてミュートしたり、
フロントヘッド(お客さんから見える方)に穴を空けたり、ベードラはサスティーンを調整するのが
常ですが、フェローンはそれを最小限にしているのではないかと思われます。

チャカ・カーンの1stアルバムから「Some Love」。ロール( ”ザ~~~” と音が繋がって聴こえる
テクニック)に始まり、竹を割ったようなアクセントショットで締める、このスネアだけでシビれます。
ベースはウィル・リー。鉄壁のリズムセクションとはこの様なコンビを言うのでしょう。
70年代半ばにおいて、特にアメリカのファンクバンド、あるいはウェストコーストロックなどの
ドラマーは、裏面のヘッドを外してしまうのがトレンドでした。余韻の無い、乾いた音色を求めていた
ドラマーが多かったようです。それが確認出来る最も有名な映像がイーグルス「ホテル・カルフォルニア」
におけるドン・ヘンリーのドラム。ユーチューブにて『Eagles Hotel California』で検索すると、
多分一番上に出てきますので興味のある方は。しかし米のファンク・ソウルミュージックを追い求めた
AWB及びフェローンでしたが、音色はこれには倣わなかった様でした。ただし、それ以降に同じく
ソウルトレインへ出演した際には、ベードラのフロントヘッドを外していたり(79年)、以前より
大きく穴を空けていたり(80年代初頭)する映像も観られますので、当然ですが時代によって
その音色は変化していったようです。

80年代に入ってから、ドラムスはパール、シンバルはセイビアンというセッティングが定着します。
前回も述べた事ですが、80年代のドラムはゲートリバーブをかけるのが主流となり、フェローンも
それについてはご多分に漏れませんでした。何回か同様の事を書きましたが、ゲートリバーブの音は
生音では絶対に出ないようなド迫力のサウンドを生み出し、80年代の音楽にマッチングしたのは
事実なのですが、逆を言えば皆同じようなサウンドになってしまい、プレイヤー各々の個性が
損なわれたという一面も否定出来ません。
上はこの時代におけるレコーディングの一曲。アル・ジャロウ「L Is for Lover」(86年)に
収録されている「Across the Midnight Sky」。サンバフィールの本曲は、特にハイハットプレイが
印象的です。これまで取り上げてきたドラマーでも、ジェフ・ポーカロやスチュワート・コープランドを
ハイハットワークの名手と紹介してきましたが、フェローンもその名手の一人であると私は考えます。
冒頭の0:48辺りまでが特に聴き所で、チップ(スティックの先)でタイトに叩くノーアクセント、
ショルダー(スティックの ”お腹” に当たる部分)でハイハットの縁を荒々しく叩くアクセントショット
( ”ヂッ” ”ジャッ” といった音色)。左足の開閉によるオープン・クローズ奏法。そしてダブルストローク
(ワンストロークで2回ずつ叩く、右左一回ずつ叩くシングルストロークの中に織り込むと倍の音符を
叩くことが出来る。この場合はシングルで16分、ダブルで32分音符)の絶妙な組み込み方。
是非ヘッドフォーンでお聴きになる事を推奨します。
それにしてもスティックのお腹なのに ”ショルダー” とはこれいかに・・・
(._+ )☆\(―.―メ)うまいこと言ったつもりか!!!

フェローンのグリップはレギュラーグリップ。左右が同じマッチドグリップと異なり、左手が特有の
持ち方をします。彼のグリップの特徴は左手がスティックを逆に持っているという点。細くなっている
チップで叩くのが通常ですが、彼はその逆です。逆側はグリップエンドなどと呼びますが、チップの
様に細くなっておらず、それで叩くと荒々しい、悪く言えば汚い音色になります。理由は明快で、
レギュラーグリップのパワー不足を補う為。画像で検索して頂けるとマッチドとレギュラーグリップの
違いはお分かりになるかと思いますが、レギュラーは打面に対して角度が付いてしまいます。
ドラムは打面に対して並行に叩く方がパワフルなショットが出来るので、その点では不利なグリップです。
それを解消する為、ドラムの左手前を傾けたり、もしくは左肩を下げてプレイする事で打面に対して
並行にショットしたりもします。しかし左肩を常に下げてプレイする事に違和感を覚えたり、打面は
基本的に地面に対して並行にセッティングしたいと思うドラマーは少なくないので、それでも
レギュラーグリップで音量も稼ぎたい、という望みから音色は多少犠牲にしてもパワーが出る
グリップエンドで叩くドラマーが結構存在します。日本では東原力哉さんがその筆頭です。
右はチップ、左はエンドで叩くと音色にバラツキが生じるのではないかと思ってしまいますが、
人間というものは練習次第でそれを克服してしまう様です。フェローンのプレイを
聴く限り、特にその音色に差が出がちなハイハットにおいても、全くそんな事は感じさせません。
うっとりする程きれいなハイハットワークであるのがお分かりになる事かと。

フェローンが来日した際に行ったドラムクリニックを受講した方のブログに記されていたのですが、
そのクリニックでは超絶技巧などは披露せず、シンプルなリズムパターンを何かの歌を
口ずさみながら、ひたすら気持ち良さそうにプレイしていたのが印象的だったそうです。
テクニックが必要無いなどとは絶対に思いませんが、それだけに固執すると木を見て森を見ず、
大事なものを見失ってしまう事もあるのです。フェローンはそれを改めて教えてくれます。
それを肝に銘じながら練習しましょうね! (`・ω・´) ・・・・・・・・ 
オマエモナ (´∀` )