#120 Songs in the Key of Life

ロック・ポップスの分野において、二枚組の大作と呼ばれるものがあります。
ビートルズ「ホワイト・アルバム」、フー「トミー」、ピンク・フロイドの「ウォール」などが
それです。私は鼻血が出る程のフロイドマニアではありますが、その私を以てしても「ウォール」は
”長いな … ” と冗長さを感じる事がありますし、「ホワイト・アルバム」にしても同様です。
しかしながら、ある二つの作品は二枚組でありながら全くそれを感じさせる事なく、一部の隙も
無いほどの完成度を誇っています。それはエルトン・ジョン「Goodbye Yellow Brick Road」
(73年)と、今回から取り上げるスティーヴィー・ワンダー「Songs in the Key of Life
(キー・オブ・ライフ)」(76年)です。

スティーヴィーの代表作にして一千万枚以上のビッグセールスを記録した本作は、ポップミュージックに
おける金字塔としてあらゆる所で語られ、また研究し尽くされています。であるので、通り一辺倒の
うわべだけをなぞる様な取り上げ方をしても意味が無いと思われるので、自分なりの
「キー・オブ・ライフ」論を書いていきたいと思います(もとい …『論』などと大仰なものでは
ありません、ただの本作にまつわる四方山話です)。貴様の考えなど読みたくないわ! ( ゚д゚)、ペッ
という方、お忙しいお人などはちゃっちゃと読み飛ばして頂いて結構です。なおその様な趣旨ゆえに、
No.1ヒットである「愛するデューク」「回想」や、「可愛いアイシャ」などの超有名曲は取り上げません。
どちらかと言えば本作でもあまり陽の目を見ていない楽曲や、一般的なレコード評では書かれていない
事柄について述べていきたいと思います。
上はオープニングナンバー「Love’s in Need of Love Today(ある愛の伝説)」。スティーヴィーの
多重録音による印象的なコーラスから始まる本曲は、厳かさを感じさせながら、決して堅苦しくない
ソフトな曲調です。大作の一曲目としてはインパクトが薄いのではないか?と思う向きもあるかも
しれませんが、身も蓋も無い言い方をしてしまうと、本作はコンセプトアルバムの様な体を成しておらず、
スティーヴィー自身もそんな意図もなかった様であり、その時点における彼の優れた作品集といった
アルバムです(それがこんな大傑作になってしまうのですからこの時期のスティーヴィーがいかに
凄かったか、という事です)。曲の途中からはお得意の唱法、フェイクやシャウトが入り始め、
結局はスティーヴィーの歌以外の何物でも無い、といった仕上がりになっています。

「Village Ghetto Land」はストリングスをバックにスティーヴィーの独唱による楽曲、と思いきや、
これ実はシンセなのだそうです。本作からお目見えしたYAMAHA GX-1は当時一千万円以上した
もので全く売れなかったとの事。しかし本器が彼の創造に多大な貢献をした事は間違いない様です。
TONTOシンセとそのスタッフであるマゴーレフ&セシルが本作に関わる事はありませんでした。
これはスティーヴィーの意向というより周囲の思惑であったとか。厳かな楽曲ではありますが、
歌詞はかなり悲惨で、貧困層について歌ったもの。狙ったものなのでしょうが曲調との対比が印象的です。

マイケル・センベロのギターをフィーチャーした4曲目のインストゥルメンタル「Contusion」も
素晴らしいのですがここでは割愛。B面の2曲目「Knocks Me Off My Feet(孤独という名の恋人)」は
地味ではありますが心に染み入る曲。個人的には本作でもかなり好きな方の楽曲なのですが、他の有名曲の
陰に隠れてしまっている感があります。尚コーラスから演奏まで全てスティーヴィーによるもの。

「孤独という名の恋人」の様なシンプルに愛を歌った曲があれば、上の「Pastime Paradise
(楽園の彼方へ)」は哲学・宗教的であり、享楽的で他人任せな人間を戒める内容。先述の通り、
音楽的にも、歌詞の面においても本作は ”ごった煮” の様なものです。ただしそれが、恐ろしい程に美味な
”ごった煮” であったからこそ時代を超えて名盤とされているのです。

「孤独という名の恋人」と同様に本作ではあまり陽が当たらない楽曲ですが、私はともすれば
本作のベストトラックではないかと思っているのが「Summer Soft」。題名通り柔らかな
印象の始まり方ですが、サビ( ” And She(He)’s Gone ” ~のパート)からの盛り上がりが見事。
本曲は2回目のサビにおけるエンディングにて半音転調し、その後それを繰り返していくという
”どこまで行くんだ~《 ゚Д゚》” というテンション感が肝になっています。35年程本曲を聴いてきましたが、
今回初めて気が付いた事がありました。転調は2回目サビ終わりからと思い込んでいたのですが、
ギターを手に取って実際弾いてみると、2回目サビ頭で違和感が? 実は2回目サビ頭の時点で
(2:17辺り)半音上がっているんですね。その後4回転調を繰り返し、整理すると1回目サビがBm、
2回目サビ頭でCm、そこからC#m、Dm、E♭m、そして最後はEmまで上がります。
何気なく聴いていただけではわからない事がまだまだあるものです(でも音楽はあまり難しく考えずに
何となく聴くものだと思っていますけどね、私は)。オルガンが効果的に使われていますが、
これはサポートミュージシャンによるもの、スティーヴィーは生ピアノをプレイしています。
エンディングのオルガンソロはもうちょっと長く聴いてみたかった、と個人的には思っています。

冒頭で本作を二枚組と紹介しましたが、私以上(49歳)の年代ならおわかりでしょうけれども、
アナログレコードではLP二枚+EP一枚というパッケージでした(CDでは二枚に収録)。
二枚では収まり切らなかったんでしょうけど、それは彼の溢れ出る創作が如何に凄かったかの表れでしょう。
そのEP盤におけるA面2曲目「Ebony Eyes」。宗教的厳かさを感じさせる曲、スリリングな
16ビート、これまでのポップミュージックにはカテゴライズされない斬新な楽曲と、
様々なスタイルが詰め込まれている本作ですが、この曲の様に飄々とした、どこかコミカルでさえある
ナンバーもあります(でもそれさえも素晴らしいのですけれどね)。本作が万人に愛されている所以は、
「エボニー・アイズ」の様な肩肘張らずに聴く事が出来る楽曲も存在している事ではないのでしょうか。

以上で丁度半分を紹介しましたが、当然これ程の大作を一回で書き切れるとは思っていません。
ですので次へ続きます。次回は「キー・オブ・ライフ」その2です。

#119 Fulfillingness’ First Finale

73年8月6日、スティーヴィーを乗せた車がトラックを追い抜いた際、接触により積み荷の木材が
崩れ落ち、それがスティーヴィーを直撃し一時は生と死の境をさまよいました。
前回の最後にて触れた交通事故の概要は上の様なものですが、驚異的な回復を遂げ、一か月半後に
エルトン・ジョンのコンサートへ登場したのも既述の通りです。
しかし本来予定していた「インナーヴィジョンズ」のプロモーションは当然出来ませんでした。
ところがこのアクシデントがメディアにおいて報じられる事によって注目を浴び、結果的に
セールスを押し上げた面もあったとの事(そんな事は関係なく名盤であるのは言わずもがなですが)。

一度死に直面した人が、その後の思想・人生観などを変えてしまうという事はよく耳にします。
率直に言って音楽面においては、その事故前後によってスティーヴィーの作品が極端に変わったとは
思いませんが、音楽面以外では影響が出ている様です。
74年6月リリースの「Fulfillingness’ First Finale(ファースト・フィナーレ)」。タイトルや
それまでの彼の歩みを網羅した様なアルバムジャケットからして、スティーヴィーがそのキャリアに
一区切り付けようとした事は明らかです。命は有限であるという、当たり前の事なのですが、普段は
忘れてしまいがちな事実を再確認したのでしょうか。
かと言って、本作が生と死、あるいは思想・宗教観などに向き合った様な重厚な作品、などと言う事は
全くなく、むしろ三部作中では最も聴きやすい仕上がりになっていると私は思います。
上はオープニングナンバー「Smile Please」。本作から参加しているマイケル・センベロのギターが
印象的なイントロです。私の世代だとセンベロと言えば映画『フラッシュ・ダンス』のサントラに
収録されたNo.1シングル「マニアック」(83年)がすぐに思い浮かびますが、元は非常に優れた
セッション・ギタリストです。次作「キー・オブ・ライフ」においても多大な貢献をする事となります。

「Too Shy to Say」は「You and I 」からの流れをくむ様なバラード。ただし「You and I 」と
異なるのはシンセを使わずスティール(スライド)ギターを採用した事。この当時のシンセでも
似たような音色は作れたかとは思いますが、やはり細部においてはスライド(厳密に言えば
このプレイはペダルスティールによるもの。ハワイアンでお馴染みのやつ)特有のフレーズを
聴く事が出来ます。多分シンセで演ってはみたものの満足がいかなかったのではないでしょうか。

「Boogie On Reggae Woman」はシンセベースがとにかく印象的な曲。ベースの奇抜さと
ハーモニカソロ以外は割と飄々かつ淡々と演奏している様に
聴こえますが、歌詞はかなり性的なもの。
どんな歌詞かって?……… ここでは言えません・・・♡♡♡(´∀` )♡♡♡

ラテンフィールの「Bird of Beauty」。クイカというパーカッションによる独特のサウンドから
始まるサンバとクロスオーヴァーファンクの混合とも言えるナンバー。70年代クロスオーヴァーの
香り漂う、この時期のマイルス・デイヴィスやハービー・ハンコックにも通じるリズム・サウンドです。

本作は「フィンガーティップス」と同時発売のライヴ盤(63年)以来となる、ポップスチャートでの
1位を記録しました。先述の通り生死を彷徨った直後ではありながら、決して死生観・宗教などの
重苦しいテーマ・雰囲気を漂わせるような事無く、ポップミュージックとして完成しているのが
功を奏したのも一因ではないかと私は思っています。

その中にあって唯一の例外が上の「They Won’t Go When I Go(聖なる男)」。厳粛な雰囲気に
満ちた本曲は、直接的な表現こそ無いものの、天国や地獄といった来世について歌っている様です。
ここでもシンセの使い方が実に巧妙で、それ無しでは本曲は成立しなかったと思われます。

エンディングナンバー「Please Don’t Go」。最後を飾るに相応しいまさしく大円団といった
雰囲気の楽曲。途中からゴスペル風になる本曲は、前曲の「聖なる男」が静的なゴスペル調の曲で
あったのに対して、本曲は動的なゴスペルで締めくくる、まさに ”ファースト・フィナーレ”
といったエンディングの迎え方です。

所謂 ”三部作” は本作にて完結し(スティーヴィーが ”三部作” などと考えて創っていたかどうかは
わかりませんが)、いよいよ「キー・オブ・ライフ」の制作へと向かう訳ですが、その辺りはまた次回にて。

#118 Innervisions

あまりに周知の事実と思って今まで触れてきませんでしたが、スティーヴィー・ワンダーは
盲目です。未熟児として生まれ、保育器における酸素の過剰摂取により視力を失ったそうです。
「トーキング・ブック」に次ぐアルバム「Innervisions」(73年)。”内なる眼・視界” の様な
意味になるのでしょうか、本作はスティーヴィーだけに見える世界を歌ったものなのかも。

スティーヴィーの代表作にて最高傑作は「キー・オブ・ライフ」(76年)とされるのが
一般的ですが、本作「インナーヴィジョンズ」こそ最高傑作とするファンが決して少なくなく、
それがうなずける程に音楽的に優れた、密度の濃い(ともすれば息苦しささえおぼえるほどの)
傑作アルバムです。
オープニングナンバー「Too High」。冒頭からのテンション感に ”まともな曲じゃないな”
(誉め言葉ですよ)と思わせる楽曲。クロスオーヴァーとファンクが見事に融合した本曲は、
印象的なシンセベース及び電気ピアノ、ヴォーカルにかけられたエフェクト、コーラスなどが
妖しげな雰囲気を漂わせています。タイトルや曲の雰囲気からしてドラッグについて歌っているのかな?
と推察される所ですが、確かにドラッグに関する歌詞でも、内容はそれを戒めるものです。
”ピ〇〇ル〇き” みたいになっちゃダメだぞ!☆(ゝω・)v  ・・・・ やかましい!(._+ )☆\(ー.ーメ)

「Living for the City(汚れた街)」は歌唱の素晴らしさについてよく賛辞を贈られる楽曲。
ストーリー仕立ての歌詞であり、状況によって歌い方を使い分けているので、ちょっとした
ドラマを観ているよう(中間部には劇のような場面がありますし)。エンディングが次曲に
繋がっているので、本曲だけで聴くとブツッと切れてしまうのが難点です。

レッド・ホット・チリ・ペッパーズによるカヴァーでもよく知られる「Higher Ground」。
「迷信」や「愛するデューク」もそうですが、どうしたらこの様なうねり・粘りといった
グルーヴが生まれるのでしょうか?当然ドラムはスティーヴィー自身。ドラムが本職ではないので、
そのプレイには勿論粗い部分もあるのですが、このドラミングはスティーヴィーにしか
出来ないものだと私は思っています。

前回、「You and I 」を含めて私なりの ”スティーヴィー三大バラード” が あると述べました。
「All in Love Is Fair(恋)」はそれには含まれていませんが、それらに勝るとも劣らない
傑作バラードです。その三曲とはカラーが異なるので別枠としているだけです。
本曲は最初の妻 シリータ・ライトとの別れについて歌った曲だと言われています。実際における
二人の結婚生活がそれほど綺麗事であったかどうかは『?』が付く所であるのは前回述べた所ですが、
少なくとも本曲においては狂おしいほど切ない想いが朗々と、かつ劇的に歌われています。
スティーヴィーによる名唱の一つ、と言って間違いないでしょう。

個人的には本作のベストトラックである「Golden Lady 」。シンコペーションが際立つ
リズム(特に左チャンネルのハイハット)、ムーグによるベースとシンセのフレーズはかなり
テクニカルで、ともすれば歌を邪魔しかねない程ですが、全くそれは感じさせません。
よくバンドなどでは先ずたたき台があって、スタジオでセッションを重ねていく内に、時には
最初描いていた形とは異なる着地点に落ち着く、という話をよく聞きます。しかし、おそらくこの頃の
スティーヴィーは完成形が頭にあって、それにどう近づけていくかという作業に没頭していたのだと
思います。各パートだけを個別に聴くと『いったい何が創りたいんだ?』と理解が困難なのですが、
しかし全てを合わせてみると見事にピースがはまるという訳です。60年代のブライアン・ウィルソンも
(特にペット・サウンズは)そうであったとの事。ちなみに「汚れた街」の次が本曲で、この二曲は
繋がっているので続けて聴くべきです、というより本作は丸々一枚通して聴くべきアルバムです。

「インナーヴィジョンズ」は勿論ラブソングもありますが、ドラッグ、理想社会、人種差別、
宗教、その歌詞だけでは理解できない抽象的・観念的なテーマなど、歌の内容においても変化を
遂げた作品と評価されています。これは人好き好きでしょうが、マーヴィン・ゲイの
「ホワッツ・ゴーイン・オン」等と同様に、ラブソングだけを歌っていれば良かった時代の
終焉を告げるものだったのではないでしょうか。

本作リリースのわずか三日後、交通事故によりスティーヴィーは一時意識不明の重体となります。
しかし驚異的とも言える回復を見せ(若干の後遺症は残りましたが)、9月末にはエルトン・ジョンの
コンサートへゲストとしてステージに昇りました。
この事故がその後の創作、大仰に言えば人生観へも影響を与えたらしく、スティーヴィーの作品は
また新たなる境地を示し始めますが、その辺はまた次回にて。

#117 Talking Book

ジェフ・ベックについてはこのブログの初期において取り上げましたが(#5~#7)、
とにかくこの人は子供の様な人なのだそうです。「迷信」をめぐるスティーヴィー・ワンダーと
ジェフの確執についてはよく知られた所ですが、かいつまんで言うと、「迷信」は「トーキング・ブック」においてプレイしてくれたお礼としてジェフのために書いた曲で、72年の夏頃にはジェフは既にバンドで
演奏しており、シングルとしてのリリースも考えていたそうです。ところがスティーヴィーの
前作「心の詩」がセールス的には(60年代と比較して)今一つだった事から、マネージメントサイドが
強引に第一弾シングルとして発売し、あろうことかそれがNo.1ヒットとなってしまい、
ジェフは『スティーヴィーの野郎!オレの為に書いたと言ってたくせに!!』と激怒したとか。
スティーヴィーも意に沿わぬ形でリリースされてしまったもので、ジェフに対しては申し訳ないと
謝辞を述べたと言われています。なのでそこまで怒ることもないとは思うのですが・・・
前回たまたま三大ギタリストという単語が出ましたが、残る二人、ジミー・ペイジはしたたかというか
狡猾というか、失礼を承知で言えば悪魔的な人物で、愛人二人がホテルで鉢合わせしてしまった際、
取っ組み合いのケンカを始めた彼女たちをニヤニヤしながら眺めていたとか・・・
エリック・クラプトンはとにかく神経の細い人で、すぐに酒とドラッグに逃げてしまい、また女性に
対してとにかくルーズであったとか・・・あれ!一人としてちゃんとした人間がいない!!∑(゚ロ゚〃)
今回の枕はこんなしょうもない話から・・・・・

全米No.1シングル「You Are the Sunshine of My Life(サンシャイン)」をオープニングナンバーと
するアルバム「Talking Book(トーキング・ブック)」(72年)。言わずと知れた大ヒット作であり、
スティーヴィーの黄金期は本作から始まったと、一般的には言われる作品です。
前作「心の詩」と同時期には既に録られていたとされる「サンシャイン」。バックヴォーカルを務めていた
男女のシンガーによるパートを一聴するととても心地よいポップな曲調ですが、スティーヴィーのパートに
入ると様子が変わってきます。動的なリズム・サウンドになり、快適さと躍動感が同居する如何とも
形容しがたい稀有なナンバーです。ちなみに自身でプロデュースするようになってからは殆どが自らの
シンセベースでしたが、本曲に限っては弦のベースです(セッションベーシストによる)。
決してシンセベースが悪いという訳ではありませんが、ボサノヴァ的なこの曲のグルーヴは、
やはりシンセでは不可能と判断したのかもしれません。

ジェフ・ベックとのいわくについては既述の「Superstition(迷信)」。「フィンガーティップス」
以来の全米1位を記録した本曲は今更説明不要なほどの代表曲ですが、このファンキーなグルーヴは
何百回聴いてもたまりません。

そのジェフの為に「迷信」を書くキッカケとなった曲が上の「Lookin’ for Another Pure Love」。
本曲ではジェフのみならずバジー・フェイトンもギターで参加しています。そのキャリアとしては
ラスカルズのリードギタリストとして有名なフェイトンは、前作「心の詩」に収録の
「スーパーウーマン」にて素晴らしいプレイを披露しています。間奏のソロはジェフだというのは
よく言われる事でそれは間違いないと思いますが、歌のパートから既に右・左チャンネルにて
それぞれギターが聴こえます。正直どちらがどちらかは判別が付きかねます(ギターソロは
センターに定位されていますので)。そのギターソロはジェフ節満開、といったプレイ。
”トュルルトュルルトュルルトュルル・・・”といったトリルの連続はジェフの十八番。
1:58~59にて ”Yeah!Jeff!!” とスティーヴィーの掛け声が聴こえます。そうすると
メインの歌とジェフのソロは一緒に録ったのかな?と推察も出来る所ですが真相は?・・・
「迷信」の件の埋め合わせとして「ブロウ・バイ・ブロウ」にて「哀しみの恋人達」と他一曲を、
ジェフの為に提供したのは結構知られた話です。

シリータ・ライトとは72年の春頃に離婚しています。「Tuesday Heartbreak」はシリータとの
別れについて書かれた曲だと言われています。離婚後もかなりの期間において、関係は続いて
いたとされる二人ですが(音楽面、また ”それ以外” においても)、本曲では女性が新しい恋人を
作ったからという一節がありますけれども事実は異なる様で、スティーヴィーも異性関係は
かなり派手だったそうなので、”どっちもどっち” というのが真相の様です。
また本曲ではデイヴィッド・サンボーンが参加しています。当時はまだそれほどビッグネームでは
なかったと思いますが、バジー・フェイトンと共にポール・バターフィールド・バンドに
在籍していた事があるので、そのつながりだったのかもしれません。その後ジャズ・フュージョン界を
代表するアルトサックス奏者となるサンボーンですが、意外にも出発点はブルースのバンドだったのです。
彼についてよく言われる ”泣きのサックス” というのは、その辺りに起因するのかもしれません。

スティーヴィーの独唱・独演による「You and I 」。前回、「心の詩」の「Seems So Long」にて、
バラードのスタイルが出来上がった、と述べましたが。本曲はそれの先ず最初の完成形にて大名曲。
ファンキーでグルーヴィーなチューン、爽やかなポップソング、スリリングなクロスオーヴァー的
16ビート、それまでのポップスの枠に当てはまらない斬新な楽曲、彼はどの様なスタイルでも
創りこなしてしまうソングライターですが、バラードというのが一つの重要な要素であるのは
間違いない所です。私は本曲を含めスティーヴィーの ”三大バラード” があると思っています
(後の二つはいずれ)。このようなメロディックな曲はシンプルにピアノだけで良く、シンセは
不要なのではと普通は思ってしまいますが、これに関してはシンセが無ければ成立していなかったでしょう。
はじめに独唱といった通り、バックコーラスは無く、その代わりを担っているのがシンセであり、
所謂オブリガード、裏メロ的な使われ方です。これが人の声だったとしたならば、スティーヴィーの
エモーショナルな歌がスポイルされていたのでは、と私は思っています。本曲を音楽的に解説している
サイトが幾つかありますので、メロディ・コードの展開などを詳しく知りたい方はそちらを参照して下さい。本曲の素晴らしさについて衆目が一致する所はエンディング部のヴォーカルです。それまでの抑制が
効いた歌は、全てがこのパートへ帰結するためのものだと言えます。

全曲について述べたいところですが、きりがないのでこの辺で。