#95 Stewart Copeland_2

日本にはドラムにおいて、世界に誇る三大メーカーがあります。パール、ヤマハ、そしてスチュワート・コープランドも使用しているタマ(TAMA)です。偉大なるジャズドラマー エルビン・ジョーンズ、超絶テクニックを誇るビリー・コブハムといったジャズフュージョンのプレイヤーから、#20~21で取り上げたビル・ブラッフォード、サイモン・フィリップスといった世界のトップドラマー達が愛用していました。

 

 

 

 

 当時のTAMAドラムにおけるプロフェッショナルモデルのラインアップは、メイプル材(カエデ・楓)のアートスター、バーチ材(カバ・樺)のスーパースター、そしてマホガニー材のインペリアルスターがあったと記憶しています。コープランドはインペリアルスターを使用していると当時のドラムマガジンには記載されています。ドラムの材としてはメイプルとバーチが圧倒的に多く、ギターではお馴染みであれども、マホガニーを使用したドラムは珍しかったと思います。メイプル・バーチが好まれるのは勿論その鳴りの良さがあるのですが、非常に強度に富んでいるという理由もあります(ただしその分重い)。マホガニー材はそれらに比べると軽く、加工もし易い、ただしその分強度では劣ります。その為、メイプル・バーチなどは6プライ、6枚の張り合わせ合板を使用してドラムを製作するのが一般的ですが、インペリアルスターは9プライと厚めに作られていました。
一般的に硬い木材は硬い音、柔らかい材は柔らかい音がすると言われています。私はこの説に必ずしも同意は出来ないのですが、セオリーとしては信じても良いかと思います。コープランドのチューニング(ドラムヘッドの締め具合等)はロックドラマーとしては高めで、ジャズドラムに近いものです。そのためズドンと腹に響く様な重低音ではなく、明るめのスコーンと抜けるような音色でした。ハイピッチでありながらも硬すぎないトーンを、という意図からのマホガニー材の選択だったのかもしれません。

TAMAは独創的なドラムを生み出してきました、その一つがオクタバンです。現在でも生産されている製品で、6インチの小口径でありながら長い胴を持つ(確かアルミ製)のドラムです。 ”オクタ” というのは「8」を表しており、つまりドレミファソラシドの音階を作れるという事。しかしコープランドは8個全部は使わず、上の右写真がわかりやすいかと思いますが、昔から4つ程のみ使用してきました。あくまで、ドラムでメロディを奏でるというよりは、パーカッション的な使い方をしてきた様です。
またスプラッシュシンバルを多用するドラマーでありました。シンバルは主にリズムを刻むライドシンバル、曲展開の節目にアクセントを付けるクラッシュシンバルがあります。クラッシュは16~18インチで、”シャーン” といった、サスティーンのある響きですが、スプラッシュは8~12インチと小口径で、”シャッ” ”パシャッ” といったサスティーンが殆どないクラッシュ音のシンバルです。やはり上の写真で確認できますが、スプラッシュをはじめ、複数のシンバルをセッティングしており、場面場面でのチョイスが非常に絶妙です。ユーチューブで「Synchronicity Concert」と検索するとほぼコンサートの全容を観る事が出来、そのプレイを視覚で確認可能です。もし興味があれば。あっ!勿論お金に余裕がある人は買ってください、別に私はA&M(現ユニバーサルミュージック)の回し者ではないですけどね・・・

ドラムにディレイをかけたのも私が知る限りではコープランドが初めてだと思います。勿論アンディ・サマーズがいたからこそ、その様な手法を取るに至ったのでしょうが、それにしてもその斬新さが見事です。80年代以降、ギターでは当たり前に行われる事となりましたが、ディレイタイムをきっちり合わせて、リズムを作り出したドラムは上の「Walking on the Moon」が最初ではないでしょうか。5、6か所で聴くことが出来ますが、特に印象的なのが3:20秒辺りのハイハットと、4:20辺りのスネアによるリムショット。ディレイ音を加えて2拍3連(正確には裏の2拍3連” )のビートを作り出しています。

現在で言う所の ”スリップビート” を取り入れたのもコープランド(=ポリス)が最初だったと思います。ポリス回でも述べましたが、いきなり1拍目が抜けて始まるので、ただでさえリズムが取りづらいのですが、上の「Spirits in the Material World」はその極地と言える曲です。普通に聴くとシンセとハイハットの刻みが四分音符で、ベースドラムが裏拍と錯覚してしまいますが、実はシンセとハイハットが裏拍で、ベードラはオンビート(多分2・4拍)。サビに移る時に変拍子かと思い込んでしまう程にトリッキーなリズム構成です(ひょっとしたら変拍子なのかもしれません、実はいまだによく理解出来ていません…)

ポリス以外のセッションワークから一曲。ピーター・ガブリエルによる86年の大ヒット作「So」。本作ではコープランド以外に、ジェリー・マロッタ、フランス人黒人ドラマー マヌ・カチェが参加しています。オープニングナンバーである「Red Rain」は、ハイハットがコープランド、生ドラムがマヌ・カチェ、その他に打ち込みのドラムと非常に凝ったものです。冒頭のハイハットがまさにコープランドの真骨頂という音色・フレーズです。コープランドによるセットドラムでのプレイはシングルヒットした「Big Time」で聴く事が出来ます、興味があればご一聴を。
コープランドの話しからは少し逸れてしまいますが、「So」では、その後世界的シンガーとなるユッスー・ンドゥールも参加しています。ユッスーやマヌ・カチェは本作で有名になったと言っても過言ではない程で、#89のトーキング・ヘッズ回でも書きましたが、ピーターは三作目からワールドミュージックを大胆に取り入れており、「So」でもその路線は踏襲されています。音楽性のみならず、人選においてもワールドワイドな視点が、やはり幼少期から世界各国を渡り歩いてきたコープランドにとっても相通ずるセンスを感じ取れたのかもしれません。

ヘヴィメタル・ハードロックの様な速さ・激しさ、ジャズフュージョンの高度なテクニック、ブルースなどにおける所謂 ”味”  ”ニュアンス” といったものとは、コープランドが追及した演奏スタイルは一線を画していました。彼のスタイルはエイトビートドラミングの新しい可能性を図らずも指し示していたのではないかと思うのです。
なのですが、ポリス回の最後と同じような旨を書く事になってしまいますけれども、コープランドの後を継ぐようなドラマーはロック界においては現れていないのではないかと思います。理由は幾つかありますが、その最たるものは、先進的すぎるプレイゆえ、普通のロック・ポップスの楽曲にはそのプレイがマッチングしないという事でしょう。ポリスという、実験性・革新性とエンターテインメントが両立していた稀有なバンドであったからこそ、コープランドの一連のプレイも成り立っていた訳で、凡百のポップソングではせっかくのプレイも猫に小判、というよりもはなから曲にそぐわないでしょう。当たり前の事になりますが、世間一般に受け入れられる音楽はわかりやすいものが多く、作曲・アレンジ・演奏面において、高度あるいは先進的な楽曲は売れにくいです。そういう音楽を創っているミューシャンはいつの世もいるとは思うのですが、残念ながらそれらの殆どは玄人受けこそしても、ヒットにはつながらないものです。ポリスは数少ないバンドの一つだったのです(勿論、スティングの人気というミーハー的要素もあって…)。

(以前も似たような事を書いた記憶がありますが)しかしながら、巷にあふれる音楽が全て、ノリがイイだけのポップソングとメロディックなバラードだけになってしまったならば、この世のポピュラー音楽は陳腐なものばかりとなり、やがて衰退してしまうでしょう。商業音楽なのだから売れることを意識して創る事が悪いとは絶対に思いません。ですが、世間に迎合するだけのものも、やがて人々から飽きられてしまうのです。芸術はもとより、文化・芸能ごとも全てにおいて、実験的精神・トライアルを止めてしまってはその先、仰々しい言い方をすれば未来はないと思います。勿論先達の伝統を踏襲するのも必要です。それを踏まえて自分なりに消化して新しいものを創る事が大事なのです。それは旧態依然でいる、とは似て非なる、というより全く別の事なのです。
ポリスの音楽、コープランドのプレイは、ニューウェイヴの流れにあって、最後、そしてある意味での究極系とでも言うべきロックの形だったのではないかと私は思っています。90年代以降の音楽を殆ど知らない私ですので、その後のロック・ポップス界がどうなっていったのかはよくわかりません。80年代で止まっているのか、それとも新しい遺伝子が芽生えてきているのか・・・

#94 Stewart Copeland

おそらく一人か二人しかいない読者の中には(ひ、一人もいないって言うなー!!)
(━━━(# ゚Д゚)━━━!!)
ドラム教室のブログのくせに、ポリス回でスチュワート・コープランドのドラムに殆ど触れてないじゃん、と、二人の方のうち一人くらいは思われたかもしれません(いない…かな……゜:(つд⊂):゜。。)
それはなぜなら、コープランドは別に取り上げるため、直近のポリス回ではあまり触れませんでした。という訳で、今回はスチュワート・コープランドについて書いていきます。


 

 

 

 

52年、バージニア州生まれ。ポリスの三人中唯一のアメリカ人ですが、父親がCIAの職員であったため、幼少の頃から海外で暮らすことが長かったそうです。少年期をアフリカ・中東で過ごし、これが彼の音楽性、リズムに対する考え方へ大きな影響を与えた様です。イギリスにも二年間住んでいました。

影響を受けたドラマーとして、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのミッチ・ミッチェルやジンジャー・ベイカーの名を挙げています。ロックドラマーとしては珍しくレギュラーグリップ(左手が特有の持ち方をする)でプレイする事から見ても、ジャズがその基礎を担っているのは間違いないと思われるのですが、意外にも本人には ”ジャズアレルギー” があったらしく、その為にバディ・リッチ(ジャズドラム界のスピードキング、とにかく手足が速く動いた)を聴くようにしていたと語っています。

前回も同じ様な事を述べましたが、ポピュラーミュージックにおいてプレイヤーが、その技巧を突き詰めていくと、ヘヴィメタル・ハードロックでよく聴かれる様な超絶的速さ、ジャズフュージョンにおける複雑かつ高度な技巧に走るかのいずれかだと思います。コープランドも非常に高い技量の持ち主であったのですが、彼が目指したプレイスタイルはそのいずれとも異なるものでした。

パンク全盛の頃にデビューし、彼自身も当時はそれを好んでいたので、ポリス初期はパンク的ドラミングを聴くことが出来ます。しかし他のパンクバンドのドラマーとは技術で圧倒的に差があったので、ただただファストテンポでエイトビートを叩くだけのプレイではありません。その手のプレイが十分に堪能出来るのが上の「Next to You」。1stアルバム「Outlandos d’Amour」のオープニングナンバーです。

ポリスの音楽及びコープランドのドラミングを語る上で、欠かせないのはレゲエの影響です。#91でも述べた事ですが、普通に ”ワン・ツー・スリー・フォー” とカウントを取る様な所謂オンビートではなく、”スリフォ” と、裏拍を強調する所謂 ”オフビート” がフィーチャーされています。

上記「Bring On the Night」をはじめ、「So Lonely」「Walking on the Moon」「One World」等がレゲエのリズムを取り入れた楽曲として顕著な例です。

コープランドのプレイにおいて、皆が注目する点としてその巧みなハイハットワークがあります。#63のジェフ・ポーカロ回でもハイハットについて触れましたが、コープランドもポーカロ同様にハイハット使いの名手としてよく挙げられます。エイトビート(8分音符)で刻まれるハイハットビートの中に時折織り込まれる絶妙な16分音符、レゲエ・シャッフルといった3連系のビートにおいて使われる装飾音符の巧みさ。後者は口で言うと、 ”チッチ・チッチ・チッチ・チッチチ・チッチチ・チッチ・チッチチ・チッチ”の様な感じ。小さい ”チチ” が装飾音符で、本音符である ”チ” の前に引っ掛ける様なニュアンス、これが絶妙なグルーヴを生み出しています。またアクセントの付け方にも非常に特色があります。フュージョンの16ビートなどではよく行われる事ですが、ロックドラムではハイハットの叩き方は一定のオンビートか、オフビートであっても、ディスコビートの様な ”チッチー・チッチー・チッチー・チッチー”といった一定の、所謂裏打ち程度のものです。コープランドはハイハットによる強弱の付け方が場面場面でフリーであり、それがただデタラメに変化を付けている訳ではなく、類いまれなるセンスと計算されたフレージングによるものです。ロックドラマーでこの様なプレイを行っていたのはこの時代迄は彼だけだったと思います。ちなみに彼が使用しているハイハットのサイズは13インチと、標準的な14インチより一回り小さいものです(ヘヴィメタル・ハードロックでは15インチが用いられる事があります)。切れの良いそのサウンドは、その辺りに由来するのかも(でも基本的にはプレイする人の腕次第ですけどね)。

ロック・ポップスのドラミングは基本的に1・3拍にベースドラム、2・4拍にはスネアドラムで強いアクセントを付ける、所謂バックビート(アフタービート)が基本です。核となるビートはベースドラムとスネアドラムによって形作られ、ハイハットなどのシンバル類で色付けがなされる。勿論コープランドもこういうプレイはします、しかし、このようなポップスのビートの既成概念に縛られない自由なリズムが彼のプレイにおいてはよく聴かれます。タムタムもフィルイン(所謂 ”オカズ” )でのみ使用されるのではなく、ベードラ・スネアと同様に、ビートを構成するためのツールの一つとして扱っています。これはアフリカン・ラテンパーカッションの影響であり、つまりセットドラムをパーカッションの集合体として捉えているからでしょう。この自由な発想は、彼が幼少期から様々な国々で過ごした経験、特に西洋以外の国で身に付いた感覚なのでしょう。上はそれらが存分に味わえる「シンクロニシティー・コンサート」での「One World」。普通のロックビートとフリーなリズムが交互にプレイされます。ライヴならではの自由さによって素晴らしい演奏へと昇華されています。

トリビア的な話題ですが、コープランドのレギュラーグリップは他と少し変わっています。

 

 

 

普通は親指の付け根ではさみ、中指と薬指の間でホールドします。向かって右の写真はそうしています。しかしポリス時代から、左の様に人差指と中指の間でホールドする事がよくありました。上の写真は00年代以降のものですが、ポリスでデビューした70年代後半から80年代にかけての写真を見ても、同様に二つのホールドの仕方が見受けられます。まれにこういうグリップをするプレイヤーもいるとは言われていますが、彼はその数少ない内の一人でしょう。ただしこれが彼独特のフレーズ・音色に影響をもたらしているかと言うと、個人的にはあまり関係ないと思っています。
また、彼の特徴として所謂 ”ハシる” タイプのドラマーであるとよく言われます。ハシる、つまりテンポが徐々に速くなる、あるいはアンサンブルの中で他のパートより若干先に音を出す、俗に言う ”くい気味” に演奏するという事。これに関しては半分正しく、半分正しくない、という意見です。確かにライヴでは曲の最初と最後でテンポが若干違っている事はあります(もっともこれはコープランドに限った事ではありませんが)。ただ、ポリスの音楽性がエイトビートのR&Rやレゲエの様な軽快なリズムを元にしていた事によるものでもあり、これらの音楽が ”前ノリ” 気味で演奏した方がフィットするからだったことが原因でしょう。もしポリスにブルージーなナンバーがあったならば、 ”後ノリ” でタメの効いたビートになっていたかもしれません、想像出来ませんが…

一回ではとても書き切れないので、二回に分けます。次回は使用機材や、その独特なレコーディングテクニックなどについて触れていきたいと思います。

#93 Synchronicity

カリブ海に浮かぶ島 モントセラト(イギリス領)に、かつてジョージ・マーティンが設立したレコーディングスタジオ『AIR』がありました。89年に島を襲った大型ハリケーンにより、やむなく閉鎖に追い込まれましたが、70年代半ばの設立から、数多のミュージシャンがここでレコーディングを行いました。ポリスも「Ghost in the Machine」、そして「Synchronicity」を当スタジオにて録音しています。

ポリス最大のシングルヒットである「Every Breath You Take(見つめていたい)」。5thアルバム「Synchronicity」からの第一弾シングルである本曲は全米で8週連続の1位を記録。スティングがこの曲を書いてきた時、アンディ・サマーズはスティングにしては普通のポップソングだな、と思ったそうです。確かに、A-F#m-D-Eという教則本に出てくる様な循環コードから成る本曲は、一聴すると非常にシンプルです。サマーズはこの曲を、ミュートを効かしたアルペジオ(分散和音)でプレイしました。録り終わった直後に、全員が彼を称えるような顔付きをしたと語っており、殺伐としたレコーディングのさなかに起こった、珍しくも素晴らしい瞬間だったようです。このギタープレイが本曲の印象を決定付けていることは一聴瞭然であり、そしてそれは後世まで語られる名演となります。
余談ですが、このアルペジオは9度の音を加えている所がミソである、とよく紹介されます。ところが、サマーズの自伝においては『……… ルート・5番・2番・3番でもって・・・』と書かれています。「番」というのは「度」の事だと思いますが、原文では多分 ”route・5th・2nd・3rd” となっていたのでしょう。Aのコード、ラ・ド#・ミにシ(B)を加えているのですが、普通は9度(ナインス、ラを1番目と数えて9番目の音)と思います、勿論私もそう思ってました。しかし翻訳家の方は多分原文を忠実に訳されたのでしょうから、原文には ”2nd”とあったのだと思います。つまり、サマーズとしては、このBの音は9度ではなく2度という解釈だったようです。この頃彼はクラシックを練習曲としてよく演っており、本曲のアルペジオもそこから着想を得たと語っています。

全米で800万枚、世界中で1000万枚以上売り上げたとされるこの大ヒット作によって、ポリスの人気はその頂点を極めました。しかしアルバム全体がポップかつコマーシャルな創りになっているかと言うと決してそうではありません。「見つめていたい」、「King of Pain」、「Wrapped AroundYour Finger」、上の「Synchronicity II」の様なメロディアス、あるいはポップでリズミックな楽曲もある一方で、「Walking in Your Footsteps」、「Mother」、「Miss Gradenko」の様な、お世辞にも世間受けし易い楽曲とは言えないナンバーも収録されています。「Mother」はサマーズ作で、何故かスティングがこの曲を気に入り採用されたとの事。かなりエキセントリックな仕上がりです。前回も述べましたが、バンドの人間関係は最悪の状態になっていました。スタジオのリビング、調整室、そしてブースと、それぞれが別々に立てこもり録音するという、正常なレコーディングにはなっていませんでした。しかし、決してやけになって制作したという訳ではなく、人気がうなぎ上りの状況を考えて、次作はヒットする、いや世界的な成功を収めようと目論んで創った、とサマーズは述べています。極限状態の様な人間関係が、良くも悪くも本作に緊張感を与えたのであろう、と回想しています。

自伝にて述べらている裏話があります。三人の仲があまりにもひどくなり耐えられなくなったサマーズが、AIRスタジオのオーナーであるジョージ・マーティンに助けを乞いに、つまりプロデュースを依頼しに行ったという話です。マーティンは島内に屋敷を構えており、それを知っていたサマーズは場所もおぼろげながら、炎天下の中を歩いてマーティンのもとを訪ねたそうです。折良くマーティンは屋敷にいて、上がってお茶でも、と言ってくれたとの事。始めはスタジオの使い勝手は?などと当り障りのない会話であったが意を決して、『バンドの人間関係が良くないのです。貴方の力を貸してくれませんか?』と、切り出しました。マーティンはポリス内の不和を残念そうに述べた後、以下の様な旨を言ったそうです。『~私が加わっても変わらないだろう、まだ君たちで解決出来る余地があるのではないか。・・・」かつてビートルズをまとめ上げたマーティンに一縷の望みを求めて、思い切って相談した訳ですが、結果的には丁重に断られてしましました。しかし、これで吹っ切れたのか、サマーズはマーティンに礼を述べ、再びレコーディングに向かいました。悩みと言うものは人に話した時点である程度解決したと同じである(相談者のメンタル的には)、というものの見方もある様ですが、この場合がそうであったのかもしれません。ちなみにビートルズ後期の状況はマーティンもお手上げでしたが…(#4ご参照)。

「シンクロニシティー」ツアーを収めた映像作品があります。10ccのメンバーであったロル・クレームとケヴィン・ゴドレイは、ゴドレイ&クレームとして独立して活動を始めましたが、80年代には映像作家として数々のミュージシャンのプロモーションビデオなどを手掛けました。「Synchronicity Concert」(84年)は映像クリエイターとしての代表作です。スティングの喉の調子があまり良くなく、演奏も完ぺきとは言えないのですが、ライヴならではの熱気、勢いが素晴らしいです。当時VHSビデオで観てシビレたのを思い出します。

ある意味ポリスの音楽性を最も端的に表していると言って過言ではない「Walking on the Moon」。本ライヴにおける一番の聴き所ではないでしょうか。

前々回のテーマとした「Message in a Bottle(孤独のメッセージ)」。百聞は一見(一聴)に如かず、問答無用のカッコ良さです。スチュワート・コープランドによる3:16秒辺りのドラミングが素晴らしい。スモールタムをクレッシェンドで盛り上げながら叩き、最後はお得意のフラム(左右を少しずらして打つ)で締める、技術的には何て事ないシンプルなフレーズですが、これをこれ程カッコ良く叩けるのは彼だけでは。

83年の当ツアー中に、スティングはかねてより求めていたソロ活動を行うことを決定します。サマーズとコープランドもそれぞれソロ活動を始め、バンドは活動停止。86年に6作目を作ることを試みてスタジオ入りするものの、コープランドの怪我などもあって中止されます。その後20年に渡りメンバーは各々ソロで活動してきました。スティングの成功はここで改めて述べるまでもないですが、サマーズとコープランドの二人も様々な音楽活動を続けてきました。しかし07年に、結成30周年を機に再結成しワールドツアーを行いました。いつの間にか10年も経ってしまった事なのですが、こちらはまだ記憶に新しいです。

ロック・ポップスにおいて、テクニックや音楽性を追い求めると、ヘヴィメタル・ハードロックの様な速さ・激しさを、もしくはフュージョン的な複雑さ、といった高度な技量や音楽的クオリティーに向かいがちです。しかし、それらも出来る程の技術・音楽性を持った彼らが目指した音楽は、それまでの誰とも全く違うベクトルでした。ロックの ”ビートイズム” の様なものは尊重しながら、レゲエ・アフリカンなどに代表されるエスニックリズムを取り入れた、それまでとは異なるリズムへのアプローチ。そして、プレイヤーの感覚(指グセ・手クセ・足クセ)に頼った即興演奏をほぼ排除し、計算されたハーモニー、和音、サウンドエフェクトなどでもって彩られたインストゥルメンタルパートをフィーチャーしたプレイとサウンド。彼らがそれまでにおけるどのバンドとも異なる点は、ひとえにこの二点が大きいでしょう。これはやはり当時のニューウェイヴシーンの機運があったからこそです。スターダストレビューの根本要さんが以前、『俺が思うに、ロックの究極はポリスの様な音楽だと思う』の様な旨を仰っていた記憶があります。私も同感です。速弾きや、複雑な16ビートが悪いとは決して思いませんが、ロックの本質とは何か、というテーマを彼らは計らずも体現したのではないでしょうか。

あくまで私見ですが、彼らの後を追うミュージシャンというのはその後現れていないような気がします(私が勉強不足で知らないだけかも…)。ポリス風のサウンドを奏でるバンドなどはいるかとは思いますが、彼らの本質を受け継いだ人たちは残念ながら存在していないのではないでしょうか。9年ほどの活動期間であったにも関わらず、ポリスというバンドがいまだに語り草となっている、ワンアンドオンリーな存在であるのは、その様な理由からなのではないでしょうか。

#92 Ghost in the Machine

スティングはポリス初期の段階からソロ活動を見据えていたらしいです。実際アンディ・サマーズにもその様な事をほのめかすことがあったそうです。何しろ ”あのルックス” で ”あの声” ですから、世間やマスコミの注目がスティングに集まるのは仕方がありませんでした。ポリス以前はジャズロックのバンドに在籍していた事もあってか、その音楽性はロックにこだわらない様でした。対してスチュワート・コープランドはあくまでロック志向だったので、意見が対立する事も少なくなく、また性格的にも合わない所があったようです。

80年10月、3rdアルバム「Zenyatta Mondatta」を発表。本作からのシングル「Don’t Stand So Close to Me(高校教師)」が全英1位、上の「De Do Do Do, De Da Da Da」は全英5位と本国では勿論の事、アメリカでもTOP10入りし、アルバムも全英で1位、全米でも5位を記録し、世界的成功の始まりとなった作品です。前2作にあったストレートなロック・パンク色は薄れ、楽曲的バリエーションに富むようになってきました。これを良しとするか否かは人によって分かれる所でしょうが、バンドの転換点となったのは間違いありません。

本作に収録の「Shadows in the Rain」。スタジオ盤ではエコープレックス(テープエコー)を用いてギターの音を加工し、サウンドエフェクト的にそれを加えています。上はライヴヴァージョン。ライヴでスタジオと同じ音を再現するのは困難という事で、代わりにボリューム奏法(ピッキング時は音量ゼロで、徐々に上げていく。バイオリンの様なピッキング時のアタック感がなくなったサウンドが得られます)などを用い、これにより何とも言い難い不思議な効果を得ることに成功しています。

サマーズのギタープレイの特色として挙げられるのは、エフェクター類の効果的な使い方です。ギター用語で言う所の ”空間系”  ”ゆらぎ系” と呼ばれる、ディレイやコーラスなどが代表的です。ポリス結成当初からしばらくは、先述のエコープレックス(テープエコー)を使用していたとの事。遅延素子を用いたアナログディレイ、デジタル回路によるデジタルディレイよりもっと以前の、弾くと同時に磁気テープに録音され、それを時間差で再生するという、今から考えるとえらくアナクロなエフェクターです(ですがこの音が良い、と今でも愛用者が絶えないそうです)。サマーズの影響を受けて、80年代以降はこの様なサウンドが一般的になりました。U2のエッジなどはその筆頭でしょう。余談ですが前回触れたサマーズの自伝において、エッジはその序文を書いています。
これも前回述べたことですが、サマーズは60年代からエリック・クラプトンらと交流がありました。素晴らしいブルースギター、アドリブプレイヤーである事は認める一方で、自分は彼の様なスタイルは取らない、と決めていたそうです。ポリス時代には、特にライヴにおいて、クラプトンの様な長尺の即興演奏は ”前近代的” と考え、間奏部分については全く別のアプローチを行いました。その顕著な例が上のライヴにおけるShadows in the Rain」なのです。ロックにおける即興演奏を決して否定する訳ではありません(言っときますが、私、クラプトンは鼻血が出る程好きです。#8~#12ご参照)。しかし所謂 ”指クセ” に頼ったアドリブプレイに限界を感じたプレイヤー達がこの当時現れてきたのは事実です。その筆頭がサマーズやエッジだったのでしょう。布袋寅泰さんも同様の考えをお持ちの様で、ギターソロは必ずしも入れなくて良い、と、何処かで仰っていたそうです。ニューウェイヴ以降、この様なポップミュージックに対する新しい考え方を持ったプレイヤーが増えていったのは興味深い事です。

81年10月、4thアルバム「Ghost in the Machine」をリリース。バンド内の不協和音は益々大きくなっていた様なのですが、蓋を開けてみれば前作を凌ぐ大ヒット。全英1位・全米2位(6週連続)を記録します。上の「Every Little Thing She Does Is Magic(マジック)」はシングルカットされ全英1位・全米3位にチャートイン。スティングが用意したデモは、収録版よりもシンセを多用したプログレのようなサウンドだったらしいのですが、二人が賛成せず、この様な形に落ち着いたとの事。それでもその時点において最もシンセを多用した楽曲の一つであり、ファンにとっては意見が分かれる所です。個人的にはポップさと、ポリスらしさがぎりぎりの所で折り合っている曲であり、好きな曲の一つです。

昔から思っていた事なのですが、ポリスのプロモーションビデオは、「見つめていたい」を除いて、どうしてあんなにくだらないのかと感じていましたが、今回サマーズの自伝を読んで、本人達もくだらないと思っていたそうです。MTV黎明期であったので、PVをつくる事はマストだったようですが、サマーズいわく、『・・・スタンリー・キューブリックなど、素晴らしい映像クリエイターがいる中で、何故こんなくだらないフィルムを録らなきゃならないんだ・・・」と思っていたらしいです。結局はレコード会社であるA&Mの指示であったとの事。ただし先述の通り、「見つめていたい」のPVで汚名挽回を果たします。

本作ではシンセやホーンがフィーチャーされ、前作よりさらにバンドの方向性に変化が認められます。上記「 One World (Not Three)」は比較的、従来のポリスらしさが残っている楽曲と言えますが、ホーンセクションの大胆な導入に新しさが垣間見えます。

「Omega Man」は本作中、唯一のサマーズによる楽曲。新作の為に楽曲を書き溜めてきたのですが、殆どが無駄になってしまったとの事。この頃は完全にスティングが主導権を握っていて、勝手にサポートミュージシャンを連れてきたり(ただし三日でお役御免に)、アレンジに関しても自分の意見を通そうとしました。二人は当然反目したものの、一方でバンドがスティングの才能・人気によって成り立っている事も理解していました。本作のレコーディングはサマーズによれば ”戦場” であったとの事。この頃にはスティングはコープランドだけでなく、サマーズともいがみ合うようになり、収録最後の頃、スティングの不満が爆発して、皆の前でサマーズを滅茶苦茶になじったそうです。冷静になってからはさすがに謝ったらしいですが、徐々に修復不可能な、ビートルズ後期の様な状況に追いやられていったそうです。

バンド内の不協和音に反して、その人気は着々と世界的なものへとなっていきました。そして彼らは次作の制作へ取り掛かります。その辺りはまた次回にて。