#218 Tiny Dancer_4

エルトン・ジョン「Tiny Dancer」に関するその4。今回で最後です。
緊張と痴漢 … もとい、緊張と弛緩が本曲における重要なファクターであることは前回述べました。
(失礼 (*•ω•*) … 予測変換で上に来たものでつい・・・・・・・ 前回最後のくだらねぇ話は
このネタの為の伏線か? つうかそれが一番上に来るってオマエ普段PCでナニやってんの ……  (´∀` ) )

甘美であることこの上ないAメロから、転調によって一転してテンション感が高まるBメロ。
そしてそれが解放され
クライマックスであるサビへと流れていきます。
特にBメロからサビへつながる ” When I say softly, slowly ” の部分は永いこと本曲を
聴いてはいますがいまだに鳥肌が立ちます。

前回ストリングスは本曲の肝ではない、の様な旨を書きましたが、やはりそれが素晴らしい効果を
あげていることに間違いはありません

2番のAメロ・Bメロでは、1番にはなかったストリングスによってまた異なる彩を添えています。
ちなみにエルトンの歌は1番と2番で
ほとんど変わりはなく、この繰り返しをアレンジの変化によって
活きたものへと昇華せしめることに成功しています。
繰り返しといえば、スローテンポであるこの曲は ” AABCABC ” という構成によって
6分12秒という長尺です。

オープニング曲に据えたことからして当然エルトン達も本曲の出来に自信があってそうしたのでしょうが、
シングルはラジオでかかりやすい
3分程度のものを、まだまだそういったご時世においてシングル曲としては
不向きだったのでしょう。発売時の不振はそういった事情もあったのかもしれません。

演奏もこれまた見事です。特にギターは3本で録音されており、エレキ・スティールギター・アコギが
それぞれ素晴らし効果をあげています。エレキは初期からエルトンに携わっていたカレブ・クエイ。
フェンダー ストラトキャスターによるものと思われるその音色は透明感を醸し出し、
B. J. コールの(おそらくは)ペダルスティールがレイドバックフィーリングを与えています。
ちなみにベースとドラムはディー・マレーとナイジェル・オルソンではなく、彼らは本曲においては
コーラスにて参加しています。

下の動画は70年における本曲のリハーサルの模様と銘打たれていますが、本曲の制作背景からすると
70年中にこの様なリハーサルが行われたとは考えられず、ましてや本曲のモデルとなったマキシン・
フェイベルマン(映っている女性がマキシン)が同席しているという事は、おそらくは少なくとも
71年以降に、本曲が出来上がった過程を語ったドキュメンタリー的なTVプログラムの一部分だと
思われます。映像・音質も良好ですからね、もし当時のホームビデオ(8mm)などでは
もっと質の悪いものでしょう。

「Tiny Dancer」という曲は、楽曲そのものが稀にみるほどの傑作であり、さらに完璧な歌と演奏、
そしてこの上ないアレンジがなされた、ポップミュージック全体においても奇跡的な完成度を
誇るものであり、であるからして発売時には不振に終わったものの、永い時をかけて人々を
魅了していったのです。良いものが必ずしも世間に認められるとは限りません。残念ながら、
素晴らしいものであるのにも関わらず、不遇に終わってしまった作者や作品もジャンルを問わず
いっぱいあります(その逆もあるんですけれどね、なんでこんなに売れるんだろう?ってのが … )。
18年に英ガーディアン紙がエルトン・ジョン名曲ランキングという企画でそれらを選出しました。
このような企画は多々ありますが、私はほとんど取るに足らないものと思っています。
しかし本ランキングは的を得ているな、と頷けるものでした。「ユアソング」や
「キャンドル・イン・ザ・ウインド」が一・二位になりそうな気がしますが(別にこの曲たちも
素晴らしい曲ですよ)、ランキングの1位は「Tiny Dancer」でした。ちなみに2位が
「ロケットマン」で「ユアソング」は4位、「キャンドル・イン・ザ・ウインド」は11位です。
一般投票で選出されたものではなく、同紙が独自に選んだものですから、あくまで(おそらく数人の)
主観と言ってしまえばそれまでですが、マスコミの中でもやはり的確な耳を持った識者はいるようです。

以上四回にわたって「Tiny Dancer」について書きました。この様な駄文ながら、ほんのわずかでも
本曲の魅力を伝えられたならば幸いです。
もしも無人島へ行かなければならない事となったなら。先ず第一には水と食料、暖を取ったりする為の
油や薪、衣類、そして外敵から身を守る防具などが絶対に必要なものです。しかしながら、
人はパンのみにて生くるものに非ずという言葉もあります。衣食住が満たされたら次は生活に潤いを
求めるのが人というものです。その際に、音楽が好きであったならばこの曲は、
無人島へ持って行く曲として間違いなく十二分に価値のあるものです。ぜひ聴いてください。
あっ、でもレコードやCDならプレイヤーが、MP3とかの配信データなら携帯プレイヤーも
必要になりますよね (*•ω•*) ・・・・・・・いい加減にせい!君とはやっとれんわ  (´∀` ) ……

#217 Tiny Dancer_3

緊張と弛緩。スポーツ・トレーニングの分野ではフィジカル面及びメンタル面のいずれにおいても
重要な概念であるそうですが、これらは創作物においても非常に大事な要素と言えます。
ただただ幸せなだけのラブストーリーなどは ( `д´) ケッ!とムカツクだけですし、
終始のべつまくなくお化けやチェーンソーを持った殺人鬼が襲い掛かってくるホラーサスペンスなどでは
恐怖も半減してしまいます。恋愛ものは困難を乗り越えた末に結ばれるからこそヨカッタヨカッタ ( ;∀;) となる訳ですし、背後に気配を感じて振り返るとそこに恐怖の対象はおらず、気のせいか?ε-(´∀`*) ホッ、と胸を撫で下ろして前を向くとそこに異形の者が立っていた … ギャ────∑(゚Д゚; )────ァァッ!!
という方が怖さも倍増するのです。

平たく言えば ” メリハリ ” ということになるのですが、音楽にもこれは当てはまります。
ソロプレイヤーのアドリブなどでは特に顕著であり、最初から最後までひたすら速く弾きまくるような
プレイは、スゴイな~とは思いますが、音楽的に優れているか、人の心に訴えかけるものがあるかと
いうと ” ??? ” です。やはり優れたアドリブプレイヤーは緩急の付け方が見事であり、
音数の多いプレイを続けた次の展開で、ギターで言えば ” キュイーン ” とチョーキング一発で
それまでのテンション感を開放する。ベタではありますがこれが人の心を揺さぶるのです。
これは勿論演奏面だけではなく、楽曲の構成においても同じことが言えます。

エルトン・ジョンの楽曲「Tiny Dancer」において、” 緊張・ハリ ” の部分が所謂Bメロ、
上の動画で言えば2:13からの ” But oh how it feels so real ” から始まるパートで
あることは衆目の一致するところであり、突然転調する本部分がテンション感を与えています。
いきなりBメロの話から始まってしまいましたが本曲の構成は、
①ピアノと歌のみのAメロ
②繰り返しのAメロ(リズムセクション入る、厳密には①の終わり頃から)(1:14~)
③先述したBメロ(2:13~)
④ ” Hold me closer tiny dancer ~ ” のサビ(2:33~)
が1番で、2番は基本的に②③④になります。
エルトンの歌とピアノは言うまでもないことですが、演奏陣・コーラスそしてストリングスと、
本曲は素晴らしい要素ばかりがこれでもかと詰め込まれ、それでいてそれぞれが干渉して互いを
スポイルするような事が全くないという、ポップミュージックにおいて稀有な出来上がりと
なっている楽曲です。このような曲、私は他に思いつくのはたった数曲です。
その中でも特に際立った効果をあげているのがストリングス。2:46辺りから入るそれは、
勿論ポール・バックマスターによるもの。
本ストリングスアレンジがこの名曲を更なる高みへと押し上げていることは言うまでもありません。
しかしながら、それでもあえて書きますが、ではこのオーケストラが無ければ本曲は本曲足り得ないのか?
というと必ずしもそうではありません。
先ずは次の動画をご覧(お聴き)ください。

80年、セントラルパークにおけるコンサートでの演奏。ギター2本にベース・ドラムという編成ですが、
まぎれもなく「Tiny Dancer」です
(当たり前だ … )。原曲を知っている故に、ストリングスなどを
脳内で補完してしまう、というのもあるかとは思いますが、
スタジオ盤とアレンジが違えども、
全くもって紛う方なき、異論の無いほどに「Tiny Dancer」なのです。前回あげた ” Old Grey
Whistle Test ”
におけるエルトンのソロ演奏についても同じ事が言えます。
これはつまり、本曲はそれだけで完成しているという事。演奏はオーケストラ共々素晴らしいことに
間違いないのですが、やはりそれらは副次的なものであり、曲そのものが究極的に
完成され尽くしているのです。例えれば、何の化粧をしなくともすっぴんで十分に美しい女の子の様に。
勿論メイクをしても
さらに美しさに磨きがかかります。でも、たまにいますよね、すごい美人だな~と
思っていたら、メイクを落とすと ” アレッ? ” っていう女性 … 
そうではなく素材が完璧なのです
(謝れ!全国の女性に謝れ!! (゚Д゚#) !!・・・全国の女性がそうなのか??? (´∀` ) … )。

それにしてもこのセントラルパークのライヴにおけるエルトンの歌は素晴らしい。序盤でわかる通り、
決して喉の調子が良い様子では
ないのですが、曲が始まればそれがどうした!!
男性的な(性的嗜好は別ですよ・・・余計な事を ……… )ヴォーカルと、サビでのファルセットも
見事に出ています。シンガーとしてのエルトンの醍醐味が味わえるものです。

三回で収めようと思っていましたがムリみたいです・・・ですので次回、パート4へ。

余談ですが私 … 弛緩を永らく ” ちかん ” と読んでいました。本来は ” しかん ” なのだそうですが、
誤読が一般化して現在は ” ちかん ” でも可、
と辞書にはあります・・・
ちなみに ” おまわりさん!このヒトです!! ” というのは痴 ……… いい加減にしろ!ヘ(。。ヘ)☆ヽ(゚Д゚#) …

#216 Tiny Dancer_2

エルトン・ジョンが71年に発表したアルバムが「Madman Across the Water」。
「Tiny Dancer」は本作のオープニングナンバーとして収録されています。
前回でも少し触れましたが、本作からの第二弾シングルとしてリリースされます。
しかし当時のチャートアクションは全米41位と、お世辞にもヒットと呼べるものでは
ありませんでした。
しかし現在ウィキペディアを見ると、RIAA(全米レコード協会)で3×プラチナに認定、
つまり300万枚以上売れていることになります。これ如何に?
上は本曲のオフィシャルPV。スマートフォンを持っている人物が登場しているあたりから
わかる通り、だいぶ後年、というか最近になって作られたものでしょう。
個人的にはお世辞にも出来の良い映像とは思いません……… あっ、余計な事を!Σ(•̀ω•́ノ)ノ

結論から言ってしまうと、発売当初はさほど話題にならなかったにも関わらず、時間を経るにつれて
評価され売れ続けてきたという事です。
RIAAのサイトにて本曲の認定履歴を検索すると(みなさんはこんなことをしてるヒマが
ありますか?!(*´∀` ) … )、ゴールド(50万枚)が05年5月、プラチナ(100万枚)が11年8月、
そしてトリプルプラチナが18年4月となっています。
ちなみに本国イギリスでは60万枚のプラチナ、オーストラリアでも50万弱のセールスを
記録しています。

基本的には本曲が持つ魅力・素晴らしさが世に浸透していった結果だと私は思っていますが、
世間的には本曲が巷に知られるきっかけとなったのがある一本の映画によってとされています。
00年に公開された「あの頃ペニー・レインと」。生粋の映画オンチである私もその名前くらいは
聞いたことがあります。その邦題からロックミュージックに何かしらの関係がある
ストーリーなのだろうという想像もできます(もっとも原題は違いますが … )。
上は本曲が効果的に使われる部分。険悪な雰囲気に陥ったツアー中のバンドが、
本曲によってまた一体となる、という場面だそうです。

本曲は所謂 ” 詞先 ” と呼ばれる歌詞が先に出来上がり、曲は後から書かれたもの。
もっともエルトン&バーニーに関してはほとんどが詞先だったらしいです。
70年夏に渡米し、西海岸のツアーでブレイクする直前の頃を思いバーニーが書いたと
言われています。
有名な話ですが、歌詞に出てくる ” L.A. レディー ” とは後にバーニーの妻となる女性である
マキシン・フェイベルマンの事。L.A. に着き、新天地で見たもの・感じた事が歌詞中に
ちりばめられています。” seamstress for the band(バンドの衣装係)” という歌詞が
出てきますが、これももろに彼女を指しています。エルトンの衣装をコーディネートしたり、
お針子さんとして衣装に細工をしたりしていた現地の女性だったのです。
ちいさなダンサーとは歌詞中に出てくる砂の上で踊るバレリーナの事であり、
それもマキシンを表しているのは言わずもがなです。
要はこの歌詞、バーニーの ” のろけ ” であり、出会った頃を回想して創ったものです。
ですから本歌詞には社会へのメッセージ性であるとか、非常に高度で難解な宗教観であるとか、
そういうものは一切含まれていません。非常に単純なラブソングなのです。
私はポップミュージックにおいて、歌詞に重きは置かないのですが(作詞家には失礼ですが … )
本曲はこの歌詞で全く良いと思っています。名曲の歌詞に必ずしも深い意味が潜在していなければ
ならないなどということは決してありません。
以前にも書きましたがバーニーは感覚で書く人であり、意味はあまり無いことが多いらしいです。
「Take Me to the Pilot」などがその最たるものであることは既述です(#210ご参照)。

Blue jean babyブルー・ジーン・ベイビー)
L.A. lady(LAのお嬢さん)
seamstress for the band(バンドの衣装係)
Pretty eyed(可愛い目をした)
pirate smile(いたずらっぽい笑顔)

ただ単に言葉の羅列ですが、美しくかつ心地よい響きです。音韻学などの見地から研究すれば
ひょっとして何か人間の耳にとって、良い響きとして聴こえる秘密があるのかもしれません。
エルトンはバーニーから歌詞を受け取ってすぐに曲を付けたと言われています。
出来上がった
曲を聴いたバーニーは、これほどまでに自分のイメージ通りの曲を
付けられるものなのかと
驚嘆し、あらためてエルトンの才能に感服したそうです。
もちろんそれは一緒に過ごした 
L.A. 時代、そしてバーニーとマキシンをよく知る
エルトンだからこそだったのでしょうが。
上の動画はBBCのTV番組である ” Old Grey Whistle Test ” でのもの。
前にも書いた記憶があるのですが、それが第何回だったか忘れちゃったのでもう一回書きます
(200回以上書いているから仕方ないですよね (*•ω•*)・・・・・・・・・・・
・・・・・ホント、誰も読んでないのに200回以上も・・・・・。 ゚(゚´Д`゚)゚。)
英音楽出版界のオフィスがひしめく界隈にあるホテルで働くベルボーイやドアマンといった、
言い方は悪いがお世辞にも音楽的素養があるとは言えない彼らに、ソングライターは
出来上がった曲を聴かせ、彼らが一度聴いただけでそれを口ずさめる事が出来たらその曲は
売れる、とされていたそうです。つまりそういう人たちでも覚えやすいフレーズ、
キャッチーなメロディであるかどうかが判定できるテストだという訳です。
ちなみに今日のホテルマンは若い人もいっぱいいると思うのですが、この頃のイギリスでは
みな白髪まじりの年寄ばっかりだったのでしょうか?・・・・・

マキシンは出来上がったばかりの本曲をトライデントスタジオにて、傍らにエルトンそして
バーニーというシチュエーションで聴き、鳥肌が立ったと回顧しています。
名曲が誕生した瞬間に立ち会うことが出来た、非常に幸福な女性です。
70年の夏にL.A. にて出会い、翌年、つまり本曲が誕生した71年にバーニーとマキシンは
結婚する訳ですが、二人の邂逅から結ばれるまでを見事に切り取った歌詞が、
この様な稀代の名曲に乗せられるというのは、ある意味世界中で最も恵まれた女性の一人で
あったのかもしれません。
もっともその五年後の76年に二人は離婚するんですけどね …………( ̄▽ ̄;)・・・

#215 Tiny Dancer

” もし​無人島に本を一冊持っていくなら? ” という問いかけがあります。
” ​いや、ふつうそこは水と食料だろ! ” とは言わずに。あくまで読書好きに
今まで最も感銘を受けた一冊は?というたとえであることは言わずもがなです。
これを音楽に置き換えて、” ​無人島にシングル盤を一枚持っていくなら? ”と
問われた場合、私には悩む二枚があります。
一枚はビーチボーイズ「God Only Knows」。言わずと知れた稀代の名曲です。
これと甲乙付け難い程に、私のなかでポップミュージックにおいて燦然と輝く楽曲があります。
その一曲こそが今回のテーマです。
もっとも私なら水と食料を持って行きますがね、当然ですよね? (´・ω・`)
・・・・・・・・・・・・・だからそういう意味じゃねえって … (´∀` ) 

エルトン・ジョンを語るうえで欠かせない人物としてプロデューサー ガス・ダッジョンの名は
既述ですが、正確にはダッジョンと共にもう一人の名を挙げなければ言葉足らずになります。
ポール・バックマスター。チェロ奏者であり、アレンジャー・指揮者としても超一流の彼は、
ダッジョンと共に2ndアルバムから参加。それ以前にデヴィッド・ボウイの
「スペイス・オディティ」に参加し、その名を知られる所となったのもダッジョンと同様です。
エルトンの初期作品における一連の素晴らしいストリングスアレンジは彼の功績です。
前回取り上げた「フレンズ」のインストゥルメンタルパートは彼による部分が大きく、
実質エルトンとバックマスターの共作、と言っても過言ではない程です。
エルトンの作品でますます世に知られることとなり、エルトン曰く他のミュージシャンに
” つまみ取られるようになった ” と語っています。そのインタビューとはローリングストーンズ誌に
おけるもので、” 彼はその功績ほど評価されていない、彼によってポップミュージックでも
ストリングスが感傷的になることもなく、恐ろしくなることもなく使えるという事が証明された ”
という旨を述べています。” 恐ろしくなる ” というのがどういう意味・ニュアンスを指すのか、
原文に当たってみないといまいちわかりかねますが。
(もっとも原文読んでもわかんねえか! (´∀` ) …)
ちなみにジョン・レノンのアルバム「イマジン」における「How Do You Sleep」のアレンジも
バックマスターによるものとの事。

エルトン・ジョン4作目のオリジナルアルバムとなる「Madman Across the Water」は
71年11月にリリースされました。本作の録音時期は同年2月と8月に分かれており、
本作からの第一弾シングルである「Levon」は2月の録音、そして第二弾となる
「Tiny Dancer」が8月のものです。

前置きが長くなりました。私が無人島に持っていきたいシングル、つまり人生で最も感銘を受けた
楽曲、それがビーチボーイズ「God Only Knows」と、今回から取り上げるテーマである
エルトン・ジョン「Tiny Dancer」に他ならないのです。
前置きだけで随分書いてしまいましたので本曲については次回以降から、という事で。

あっ、(´・ω・`) でも私ならやっぱり水としょ… >>>>>シツコイ!ヽ( ・∀・)ノ┌┛Σ(ノ;`Д´)ノ