#158 Sledgehammer

音楽性と商業性、商業性はエンターテインメント性と言い替えても良いですが、
この二つが両立し辛いというのは今までにも何度か書いてきました。
音楽性を重視すればわかりづらい、独りよがりの音楽だなどと言われ、コマーシャルな
方向に走ればやれ売れ線だ、金に目がくらんだ、などと好き勝手な批判をされます。

ピーター・ガブリエルが86年5月に発表したアルバム「So」は質の高さとエンターテインメント性が
両立している、ポップミュージック界において数少ない作品の一つです。
それまでジェネシスの元ヴォーカリスト、そしてイギリス本国 ” では ” 玄人受けしているミュージシャンと
いった程度の認知度でしかなかったピーターを一躍スターダムへと伸し上げた大ヒット作です。
上はオープニングナンバーである「Red Rain」。先ほどエンターテインメント性と言いましたが、
本ナンバーにおいてはその曲調及び歌詞は決して明るくありません。「Red Rain」とは血を意味しており、
アフリカで繰り返される争いの事などを歌っている様です。ピーター曰く ” 情念的なバラード ” であり、
確かに胸が切なくなるような歌唱です。
スチュワート・コープランド特集にて(
#95)、本曲のハイハットプレイがコープランド、
生ドラムがマヌ・カチェ、その他に打ち込みのドラムと書きましたが、よく調べたら生ドラムは
1stから参加しているジェリー・マロッタでした。ここにお詫びして訂正させて頂きます・・・・・
誰も見てねえから大丈夫だ (´∀` ) ……………………… ・゚・。・゚・。・゚・・゚・。・(ノД`)・゚・。・゚・。・゚・。・゚・。・゚・。
そのハイハットやリンドラムは振りしきる雨を表現したものです。三種のドラムの連なり合いも素晴らしいのは言わずもがなですが他のパートも見事過ぎ。ベース トニー・レヴィン、ギター デヴィッド・ローズと
いったリズム隊はお馴染みの面子でありケチの付け様がないプレイ。キーボードはピーターによるもので、
フェアライトCMIやプロフェット5といった80年前頃に発売されたデジタルシンセの黎明期における名器。
ピーターはこれらの楽器にかなりインスパイアされたそうです。自伝にもCMIを弾いているスナップが
掲載されています。リズムトラックだけ取れば快活でさえあるのに、曲調及びピーターの歌は厳粛さを
備えています。前作を踏襲しながら見事にポップミュージックせしめた楽曲であり、ともすれば本作の
ベストトラックではないかと個人的には思っています。

以前から折に触れ書いてきましたが、イギリス人のブラックミュージック好きはヘタすりゃ本国を
上回るかも?といった程です。ピーターもご多分に漏れず、アカデミックなクラシックの教育には
興味を示せず、10代の頃にはオーティス・レディング(#141~144ご参照)などの
ソウルミュージックへと傾倒します。
「Sledgehammer」はピーターなりのソウルミュージックと言えるでしょう。ファンキーな
ホーンセクションが印象的ですが、その中にはスタックスレーベルのメンフィスホーンズに
在籍していたプレイヤーもいます。つまりオーティスのサウンドを担っていたミュージシャンが
20年近くを経て、それを聴きまくり憧れていたピーターのソウルサウンドにまた色どりを添えたのです。

本曲について語られる時、必ずその独特なプロモーションビデオが話題に上がります。80年代から
MTVの普及により、ミュージシャンにとってPVは欠かせないものとなりました。
私は映像表現というものにあまり詳しくなく、あくまで主体は音楽であると思っているので、
時に音楽そっちのけでPVばかりについて語られる事に違和感を抱き続けていました。
しかしそんな私でも本曲のPVは秀逸であると認めざるを得ないのでそれについて書きます。
本PVにおける一番の特徴はコマ撮りというもの。アニメーションの様に一コマずつ撮影したものを
連続再生し映像とするのですが、アニメは出来るだけ細かくコマを撮って滑らかな動きを
追求するのに対して、あえて粗く撮りカクカクした動きにしています。
それでも実際の人間でそれを撮るのは大変だったらしく、かなりの時間が撮影に費やされたとの事。
機関車のシーンはたった十秒間なのに、機関車とそれから発せられる煙の動きを合わせる為に
ピーターは六時間じっとしていなければならなかったそうです。そして生魚も出てきますが、
これもそのままにしておかなければならず、スタジオの照明に当てられ酷い悪臭を放ったとの事。
もう一つの特徴は粘土細工をコマ撮りにしたクレイアニメというもの。70年代からこの手法は
あったらしいのですが、一般にこれを知らしめたのは本PVによってではないかと思われます。
これ以降テレビコマーシャルなどでもこの手法を用いたものを見るようになったと記憶しています。

スレッジハンマーとは大槌の意ですが、PVでもかなり露骨な描写があるのでお分かりかと
思いますが男性のチ ………… 男性の生殖器のメタファー(隠喩)となっています。
ピーターは本曲における歌詞の源流はブルースにあると述べています。ブルースなどは
労働の苦しみ、つまり ” やってらんねえぜ!こんな生活! ” みたいなものか、あとはセックスに
関するものが殆どです。勿論ロックもその流れを継いでいるのは言わずもがなです。

本PVの監督はスティーブン・ジョンソンという人物。まだ駆け出しのビデオ監督だったのですが、
ヴァージンレコードのスタッフからこの監督を紹介されます。ちなみにカリスマレーベルは
この時点でヴァージンレコードの傘下に入っていたので、本作のイギリス本国における発売元は
カリスマ/ヴァージンとなっています。
余談ですがジョンソン監督をミュージックビデオにおいて初めて起用したのはトーキング・ヘッズです。
85年の「Road to Nowhere」のPVにてその独特な映像が発揮されています。

「スレッジハンマー」は瞬く間にチャートを駆け上がり、英にて最高位4位を記録し、そして米においては
No.1を獲得します。ちなみにその前週までの米No.1はジェネシスの「インヴィジブル・タッチ」。
つまりジェネシスツリーがこの時期において世界のミュージックシーンを席巻したのです。
70年代におけるピーター在籍時にはその特異な音楽性やステージング(専らピーターによる)から
キワモノ的扱いをされてきた彼らがついに時代の頂点を極めたのです。嘘か誠か知りませんが、
往年のジェネシスファンは涙を流し、赤飯を炊いて祝ったとか祝わなかったとか・・・・・

本曲のPVについては流石にマイケル・ジャクソンほどではなかったにせよ、かなりの予算が
費やされたそうです。その額は12万ポンド。80年代半ばのポンド円レートが250円位だったので
日本円にしてざっと三千万円。3rdアルバムこそ本国を含む欧州でヒットしたとは言え、北米つまり
世界的にはヒットの無かったピーターにとっては破格の経費でした。しかし結果的にはこれが功を奏します。
87年のMTVアワードを受賞し、楽曲・PV共に世界中で聴かない・観ない日は無いのではないかと
思われる程でした。リアルタイムで経験した私が言うので間違いありません。

冒頭の二曲だけでこれだけのスペースを費やしてしまいました。本作については複数回に分けます。

#157 The Rhythm of the Heat

WOMADというワールドミュージックの祭典があります。現在ではギネスブックに載るほどの
メジャーなフェスティバルですが、これはピーター・ガブリエルが発起人となり始まったものです。
しかし最初から上手くいった訳ではなく、82年における第一回目は多額の赤字を被ったとの事。
その窮状を見かねてフィル・コリンズ達はカンパを提案しましたが、そういう事には意地っ張りな
ピーターはそれを受け取らないだろうという事で、赤字を補填すべくフェスの五週間後に
ジェネシス再結成コンサートが行われたのです。

再結成ライヴは決して出来の良いものではなかったそうですが、それでも再び彼らが一堂に会したのは
非常に意味がありました。一つのエピソードとして、カリスマレーベルの創業者であり兄貴的存在であった
トニー・ストラットン・スミスが亡くなった後、遺品であるノートにおいて ” あの再結成ライヴは
良かった ” という記述があり、ピーター達は胸を熱くしたそうです。
上は4thアルバム「Peter Gabriel」(82年)のオープニング曲である「The Rhythm of the Heat」。
” リズミック ” ”アフリカン ” というコンセプトはここに極まれり、という楽曲です。
静と動が同居、もっと具体的に言えば厳粛なパートがあったかと思えば、脳内麻薬が出ているかのような
打楽器の乱れ打ちも。前作の音楽性を更に押し進めた本曲は当アルバムを象徴しています。

「San Jacinto」もアフリカ音楽的な楽曲。古の大地を想起させる様なサウンドです。最もピーターと
してはアメリカのインディアンをイメージして作った曲だったとの事。

アフリカンファンクとでも呼ぶべき「I Have the Touch」は、身体的接触に馴れていない英国人が、
返って肌に触れる事で異常に性的興奮を覚えるといった内容。

実はジェネシスを脱退した頃のピーターに対して映画の話があったそうです。本作や86年の「So」に
おける楽曲のいくつかはそれ用に書かれたものだったとの事。
彼は早い時期からプロモーションビデオに力を入れていましたが、その独特なステージアクトと同様に
視覚へ訴えかける手段を重んじていました。勿論それが86年のNo.1ヒット「スレッジハンマー」の
PVにて華開いた事は言うまでもありません。

本作からのシングル「Shock the Monkey」。最も親しみやすい楽曲であり、実際米では彼にとって
初のTOP40入りを果たします。評論家筋にはえらく不評だったらしいですが、いつの時代にも
けなすだけの簡単なお仕事はあるものです。ただし本曲は重要な意味を持っており、彼はモータウンの様な
ソウルミュージックを意識してこの曲を書いたらしく、最終的にはソウルっぽい雰囲気は失われて
しまいましたが、これは「スレッジハンマー」や「ビッグタイム」へと繋がる流れです。

「Lay Your Hands on Me」は触る事をタブーとされてきながら、身体的接触を求めるという歌詞。
「I Have the Touch」と対を成すような内容ですが、どちらもピーターの中にある感情の表れです。

エンディングナンバーである「Kiss of Life」は躍動感溢れるリズミックな楽曲。(多分)フランジャーを
かけたパーカッションが素晴らしい効果を上げています。

本作は結果的に前作程の成功を収める事が出来ませんでした。米ではゴールドディスクに認定されて
いますが、それは5thアルバム「So」の大ヒットを受けてから改めて売れた為(これは3rdも同様)。
当時は酷評する者が多数を占めたそうでしたが、一部ではその先進性を認めた評論家筋もいた様です。
この路線が決して間違っていなかった事は次作「So」で証明される訳ですが、その時本作を酷評した
連中はどう釈明したのでしょう。テレビの自称コメンテーターとかいうのと同じで、どうせ都合の悪い事には
ダンマリを決め込んだのでしょうけど … 世の中カンタンなお仕事が多すぎですね・・・・・

4thアルバムのプロモーションツアーを収録したライヴ盤「Plays Live」が83年にリリースされます。
ソロとしては初のライヴアルバムである本作はセールス的にこそ決して奮いませんでしたが、
ピーターのライヴアクトの模様を切り取った秀作です。出来れば映像で観たい所ですが、この時のものは
出回っていません。ライヴバンドとして鳴らしたジェネシスは全員の演奏力も勿論でしたが、
ピーターのステージングに因る所が大きかったのは言うまでもありません。「So」「Us」の大成功を受け、94年にリリースされてこれまたヒットを収めた「Secret World Live」(こちらは映像有り)の
原点は間違いなく「Plays Live」にあります(厳密にいえばジェネシス時代からですが)。
上は3rdに収録される予定が未収録となり、コンサートのみで披露されていた「I Go Swimming」。
上のサムネはアルバムジャケットですが、ジェネシス時代同様の特異なメイク・コスチュームです。

ピーターが映画に並々ならぬ興味を持っていた事は既述ですが、この時期にはサウンドトラックへ
楽曲の提供もしています。上は『カリブの熱い夜』に収録された「Walk through the fire」(84年)。
私と同世代(昭和45年生まれ)の洋楽ファンの方ならご存知でしょうが、本映画からは
フィル・コリンズによるタイトルソング「Against All Odds (Take a Look at Me Now)
(見つめて欲しい)」が全米No.1の特大ヒットを記録し(ちなみに年間シングルチャートでも
5位)、ピーターの方は完全に霞んでしまいました。もっともサントラの仕事はやれば小銭が
稼げるから、といった程度でこなしていたそうです。

この時期、妻であるジルと危機的な状況にあったそうです。殆ど家に帰らないピーター、
引っ越しをしたのですがその環境にジルが馴染めなかったという事、そしてピーターには
浮気相手がおり、精神的に不安定になったジルもこれまた不倫をしてしまいました。
ちなみにジルも貴族の家柄でイイとこのお嬢様。そしてメンタルの脆さはピーターと同様でした。
3rdにて躍進の兆しが見えかけたかと思われたピーターでしたがそれもつかの間、またまた
暗いトンネルへと突き進んでいくかの様でした。その後に関しては次回にて。

#156 Games Without Frontiers

ピーター・ガブリエルによるアルバム「Peter Gabriel」(80年)についてのブログその2ですが、
少し時系列を遡ってジェネシス時代の話を。
ジェネシス回 #22~24でも書きましたが、ピーターとその他のメンバーの間に確執が生まれ、
やがて脱退に繋がります。特にキーボード トニー・バンクスとの仲は険悪でピーターのやる事に
トニーはいつもピリピリしていたとの事(しかし仕事を離れれば学生時代からの通り親友でいられたらしく、この辺りは不思議なものです)。ベースのマイク・ラザフォードはトニー側に着き、フィル・コリンズと
ギターのスティーヴ・ハケットは傍観するといった感じだったそうです。フィルは特にバンドの
潤滑剤的存在らしかったので(リンゴ・スターの様な立ち位置か?)、脱退後もピーターとは
親しくしていたとの事。丁度その頃フィルは最初の結婚が破綻し、元来のワーカホリックに益々拍車が
掛かりました。ピーターは財政的に苦しい時期でありセッションミュージシャンへのコンスタントな
ギャラの工面も難しい状況にあったそうで、そんな折フィルにその話が伝わり自分を使えば良い、
と言った所ピーターは ” ありがたい ” となり3rdアルバムへの参加と相成った訳です。

「Games Without Frontiers」は戦争を子供の遊びに例えた曲。#152で取り上げたケイト・ブッシュが
バッキングヴォーカルで参加しています。「No Self Control」においてもそうですが、彼女の声が
入ると得も言われぬ幻想の世界に引き込まれてしまいます。本曲はピーターにって初の
全英TOP10ヒットとなりました。もっともピーターとプロデューサー スティーヴ・リリーホワイトは
シングル化に反対していたそうですけれども・・・

「Not One of Us」はここではよそ者や異邦人の様な意。一聴すると本作の中では最もポップな創りに
聴こえますが、イントロからして既にフツウではありません。後半のドラミングが圧巻ですが、本曲は
以前から参加しているジェリー・マロッタです。やはりジェリーに対してもピーターはシンバル類を
セッティングしない事を要求し、そうしてこのプレイが生まれました。普通であればシンバルの
クラッシュ音( ” シャーン ” という音)が鳴る展開の変わり目などでそれが聴こえないと違和感があるかと
思いますが、それが全くありません。フィルのプレイにおいても同様ですが、この力強い ” タイコ ” の音で
十分に成立しています。勿論全てでシンバルが必要無いなどと言うつもりはありませんよ。
良いシンバルはその音色を聴いているだけでウットリします。

ジェネシス及びピーター・ガブリエルの作品を英本国でリリースしていたのはカリスマレーベルです。
創業者であるトニー・ストラットン・スミスは先見の明を持った人物で、69年の創設時から先進的な
ミュージシャンを見出してきました(今回調べていて初めて知ったのですが、84年に衝撃のデビューを
飾ったジュリアン・レノン〔ジョン・レノンの長男〕も同レーベルでした)。80年代前半に
ヴァージンレコード傘下に入りますが、後に世界的なレコード会社となるヴァージンも、創世記は
独創的な音楽を目指すミュージシャンを発掘しており、第一号作品はマイク・オールドフィールドによる
「Tubular Bells(チューブラー・ベルズ)」という、アルバムを通して交響曲の様にただ一曲のみ、
しかも全編インストゥルメンタルという無謀 … もとい、画期的なアルバムをリリースしました。
映画『エクソシスト』で無断使用され、結果的にはそれが災い転じて福と成すとなって大ヒットしました。
カリスマもヴァージンも共にアンテナの鋭い企業風土だったからこその合併だったのでしょう。

「Lead a Normal Life」は親が我が子大して普通の生活を送って欲しいと願う思いを、
体制に従う陳腐なものと皮肉る様な内容(だったと思う・・・)。

本作は当然の如く賛否両論を巻き起こしました。賛の方はローリングストーンズ誌において、” 得体の
知れない恐怖感からくる刺激的なLP ” と評価。またニューミュージカルエクスプレス誌(NME誌)では
” これで80年代の音楽の種はまかれた・・・ロックに少しでも関心のある人は是非心にとどめておくべき
作品である ” とその革新的な作風を賞賛しています。一方で同じNME誌でも別の記者によっては
” アートとしては底が浅い ” などと否定されており、感じ方は人それぞれであった様です。
ピーターはこれに対して傷つきそして憤慨し、NME誌へはチケット、プレス情報、そしてレコードも
一切送らないという仕返しをしたそうです。87年に経営陣が入れ替わる迄それは続いたとか・・・

エンディングナンバー「Biko」は反アパルトヘイト活動家であったスティーヴ・ビコの死を悼んだ曲。
私は詳しくないのでアパルトヘイトやビコについて知りたい人は各自でググってください。

本作から方向性が変わり、その後におけるピーターの音楽の一里塚となったのは衆目の一致する所。
しかし私は根っこの部分では少しも変わっていないのだと信じています。ジェネシス時代から
幻想・怪奇・狂気といったものをエンターテインメント音楽としてどう表現するかが彼の目指す所だったと
思います。本作では表面上の表現手段こそ変化したものの、その根幹は揺らいでいません。
およそポップミュージックとして扱うテーマとしては商業的に成り立たないと思われるものを、
本作やトーキング・ヘッズの「リメイン・イン・ライト」(#88ご参照)などは見事に昇華せしめました。
70年代の複雑化したロックやスタジアムロックなどと言われる商業主義に走ったとされる音楽(これに関しては何度も書いてますが決して悪い事ではないと思っています。なにせ商業音楽なんですからね)、
それらに対する反動がアフリカン、リズム革命、そして当時最先端であった機材及び録音技術等を用い
ここに華開いたのです。
前回も書きましたが、あと三年早かったならピーターにしろヘッズにしろ成功していなかったでしょう。
勿論この下地にはパンク~ニューウェイヴといったアンテナの鋭い人達による音楽が先ずあって、
70年代のロック・ポップスに飽き足らないと感じたリスナー達へ見事に響いた事は言うまでもありません。

#155 I Don’t Remember

私は筋金入りのピーター・ガブリエルフリークであるからして言う資格があると思いますが
(何の資格だ?)、この人は精神を病んでいます。しかも幼少の頃から・・・・・

彼は子供の頃、夜トイレに起きると廊下で奇妙な人物が頭のぱっくり割れた赤ん坊を差し出してきたと
語っています。不思議と怖くはなかったそうですが、これが大人の気を引くための嘘であるなら
前回述べたサービス精神(?)であり、本当に見えていたのなら何らかの精神疾患でしょう。
80年発表の3rdアルバム「Peter Gabriel」のジャケットをご覧になればおわかりの通り、
やはりこの人はどうかしています。ちなみに娘はこのジャケットを怖がったのであまり
見せないようにしたとか(当たり前だ … )。
上は本作のオープニング曲「Intruder(侵入者)」。売ることを目的に創ったとは思えません。
不安を煽るようなフレーズ、ワイアーか何かを引っ掻いているような人を不快にさせる音、
そしてとどめのピーターによるヴォーカル。一曲目からいきなりこれです・・・・・

79年の初頭からピーターは本作の準備に取り掛かりました。トーキング・ヘッズ回 #89
本曲を取り上げましたが、80年代に入ってから ” リズム ” が大いに見直されました。
おそらくは70年代に複雑化し過ぎた事への反動なのだと思いますが、流行り廃りというものは
極端から極端へとブレる様です。ピーターはそれまでのキーボードでコードパターンを基に
曲を作るという手法から、当時最新鋭であったリズムマシンを用いるようになりました。
先ずリズムありき、という制作手法に変わっていったのです。
ドラムはフィル・コリンズ。#89でも少し触れた事ですが、ピーターはシンバル類を
取っ払うことを要求し、面食らったフィルでしたがその指示通りにプレイします。
スタジオではプロデューサーとエンジニアが従来にはない試みを行っていました。
ゲートコンプレッサーという最先端の装置をドラムの音にかけて色々いじくっていたのですが、
そうしているうちにキック(ベースドラム)の音がシューと伸びて、次のキックの直前まで
残るというそれ迄に聴いた事がない様な効果を挙げました。これを聴いたピーターは興奮し、
フィルにそのまま五分間プレイしてくれと言いました。それが「侵入者」のドラムパターンです。
後にこの手法はゲートリバーブとして80年代のドラムサウンドを変えるテクニックとなります。
そのエンジニアはヒュー・パジャム。ゲートリバーブをフィルと共に創った功労者として
世間にその名を知られます。実はこのサウンドの開発について、ピーターとフィルの間では
少しもやもやした感情があるようです。どちらもこれを生み出したのは自分だとの自負があるのです。
先に本作で世に出したのはピーターでしたが、爆発的ヒットによって世界的に認知されたのは
勿論フィルの初ソロアルバム「夜の囁き」(81年)です。ピーターは3rdでのドラムサウンドについて、
人からフィルの(ソロアルバムの)音に似ているね、などと言われる事に気を悪くしたそうであり、
またフィルの方もピーターのサウンドをパクったなどといわれのない中傷を受けたとの事。
双方ともあのサウンドを生み出したのは自分だと(フィルはパジャムと共に)プライドがある様です。
それにしてもフィルのタムタムの音は素晴らし過ぎます。同時期におけるジェネシスの「Duke」も
同様ですが(#24ご参照)、裏面のドラムヘッドを外した所謂シングルヘッドタムによる力強い音色には
圧倒されます。この音は前述した「夜の囁き」の大ヒットにより、フィル・コリンズの音として
世の中に認知されます。

そしてプロデューサーはスティーヴ・リリーホワイト。この後U2のプロデュースにて
一躍その名を世界に轟かす事となる人物ですが、当時はまだ新進気鋭の駆け出しプロデューサーでした。
スージー・アンド・ザ・バンシーズを聴き、ピーターはスティーヴに興味を持ったそうです。
スティーヴからすれば ” あのジェネシスのピーター・ガブリエルが何故自分に? ” と思ったそうですが。
トーキング・ヘッズ回の辺りでニューウェイヴについては何回かに渡り触れましたけれども、
この時期ロンドンやN.Y. のミュージックシーン、とりわけアンテナの鋭い層では新しい試みが
行われていた様です。ピーターはそれらの動きに敏感でした。この若きプロデューサーに光るものを
見出したのです。
上は次曲の序章に当たる「Start」。英サックス奏者ディック・モリシーのプレイが素晴らしい。

今回のテーマである「I Don’t Remember(記憶喪失)」。本作ではこの一曲のみの参加である
トニー・レヴィンのスティック(ベース)が耳を引きます。「Start」のエンディングで聴こえる
音色は当時最新鋭であったデジタルシンセサイザー フェアライトCMIですが、これをピーターは
積極的に使用しました。余談ですけれども、80年頃このシンセは日本では三台しかなかったとの事。
一台は坂本龍一さん、もう一台は?、そして三台目は東京のとあるスタジオにあったのですが、
たまたまそこでアニメ『うる星やつら』の音楽をレコーディングする為に使用した星勝さんが
本機を見て、これを使おうと判断したとか。うる星やつらはSFなので、近未来的な音色が
マッチしたのでしょう。オッサン世代にはドンピシャリですが今の人にははたして …

「Family Snapshot」はアラバマ州知事を暗殺しようとした男の自伝を読みインスパイアされて
作った曲。暗殺者の視点から書いた歌詞でありますが、楽曲自体は起伏に富んだもので
本作では聴きやすい方です。銃を放った後、
最後に子供時代に戻るパートが何とも言えず侘しい。

A面ラストの「And Through the Wire」は電話線を通じて世界と繋がる、の様な事を
歌っていたと思います。これも本作としてはポップな曲調。ちなみにポール・ウェラーが
ギターで参加していますが、たまたま同じスタジオでレコーディングしていた所を、
ピーターが弾いてくれないかと頼み、そうしてみたらピーターのイメージにピッタリだったので
一発採用だったとか。パンクやニューウェイヴといった若いミュージシャンによる音楽に
理解があったピーターならではの事です。

本作はピーターにとって、と言うよりもポップミュージック全体において重要な作品であるからして、
二回に分けます。ただ先に事実だけを述べておきますと、米アトランティックは本作のデモを聴いて
こう言いました、” ピーターがまともになったら次のアルバムを出そう … ” 、と。
アトランティックの言い分も無下に否定は出来ません。ポップス界において売るという事は
至上命題であります。ミュージシャンだけではなく、それに関わる現場のスタッフや間接部門の
人間たちを食べさせていかなければならないのですから。ミュージシャンの良く言えば実験的精神、
悪く言えばオ〇ニーに付き合ってはいられないという考えも道理です。
結果的にアトランティックとは決別し、米ではマーキュリーからリリースすることとなります。
そしてそれは周囲の(悪い意味での)期待を裏切り米で25万枚(最終的にはゴールドディスクを獲得)を
売り上げ、英及び仏では初のNo.1を記録します。
あと三年リリースが早かったら本作は埋もれていたでしょう。ポップミュージックの時代が
変革期を迎えており、このお世辞にもコマーシャルとはとても言えない作品が世に認められたのです。