#141 Pain in My Heart

ブログの回数的には少し遡りますが、ロバータ・フラックやダニー・ハサウェイが在籍した
レコード会社としてアトランティック・レコードの名がたびたび挙がりました(ダニーは
子レーベルのアトコ)。50年代にはレイ・チャールズが在籍し、昨年他界したアレサ・フランクリンを
はじめとして、多くの黒人ソウルシンガーを輩出しました。ロバータやダニーは王道のソウルからは
別ベクトルのミュージシャンであったと思います。モータウンソウルやシカゴソウルなどと共に、
アトランティックソウルという言葉があるほどにソウルミュージックの一ジャンルとされている程の
レコード会社ですが、その代表格は女性なら先に挙げたアレサ、男性ならば・・・
そうです、それが今回からのテーマであるオーティス・レディングに他なりません。

以前どこかで書いた記憶があるのですが、あなたにとっての男性ソウルシンガーは?と問われれば、
私は躊躇なくオーティスを挙げます。さらにこれは私の勝手な思い込みですが、オーティスは
米国黒人層にとっての日本における演歌の様な音楽だとおもっています。実質的な活動期間は
7~8年という、決してキャリアが長かった人ではありませんが、どうしてこれほどまでに
古今東西を問わず支持されているのか、駆け足ですが私なりに書いてみます。

ロバータやダニー同様に、その生い立ちから音楽的キャリアの出発点等を時系列で触れていくと
初回がほぼそれだけで埋まってしまうので、それは折に触れ。
上の動画は最初のヒット曲「These Arms of Mine」(62年)。本国で80万枚以上を
売り上げたとされる本曲にてオーティスは世に認知されました。
本曲はオーティスがバンドメンバー兼運転手を務めていたジョニー・ジェンキンスバンドの
録音の ” たまたまついでに ” 録られたものだとされており、それがレコード会社の
お偉方の耳に留まり、レコードデビューと相成ったとされています。しかし実際はオーティスの
評判をあらかじめ聞いていて、ジェンキンスと共にオーティスのレコーディングも
予定されていたというのが実際の所だそうです。
とにかく驚愕するのは、これが20~21歳の青年による歌唱だという事です。シンガーでも
器楽演奏者でも、10代で既に完成されているミュージシャンがいない訳ではありませんが、
オーティスもその一人でしょう。

記念すべきオーティスのデビューアルバムが「Pain in My Heart」(64年)。上は
そのタイトルトラック。お世辞にも都会的・洗練されているとは言えない歌唱と演奏ですが、
米南部の雰囲気を赤裸々に表したのが、所謂 ” ディープソウル ” と言われる所以です。

サム・クックの大ヒット曲「You Send Me」。テイストが似ているとよく言われる
サムとオーティスですが、どちらも素晴らしい事に間違いありません。
ちなみに上の動画のサムネが「Pain in My Heart」のアルバムジャケットですが、
これはアポロ・シアターに初めて出演した時のスナップだそうです。シンガーというより
政治家の演説の様にも見えますね。

翌65年の2ndアルバム「The Great Otis Redding Sings Soul Ballads(ソウル・バラードを歌う)」はタイトル通り殆どをバラードで締められた作品なのですが、エンディング曲でシングルカット
された上の「Mr. Pitiful」は軽快なナンバー。カヴァーの方が多い本アルバムにおいて、
本曲はオーティスとギタリスト スティーヴ・クロッパーによるオリジナル。

もう一曲はバラードを。ジェリー・バトラーやカーティス・メイフィールドが在籍した事で知られる
インプレッションズのナンバー「For Your Precious Love」。これが20代前半の若者による歌唱とは …

「ソウル・バラードを歌う」はR&Bチャートで3位まで昇り詰め、オーティスの人気を決定的な
ものとします。ここから畳みかけるようにその快進撃が始まるのですが、その辺りは次回以降にて。

#140 Harvey Mason_3

ハーヴィー・メイソン特集、今回で最後です。
数あるハーヴィーのセッションワークにおいて、絶対に外せないものがあります。
我が国が世界に誇るミュージシャン 渡辺貞夫さんの作品です。

70年代後半から80年代前半における貞夫さんのアルバムにおいてデイヴ・グルーシン達と共に
参加していますが、中でも有名なのは貞夫さんの代表作にてジャズ界では空前の大ヒットとなった
アルバム「California Shower」(78年)でしょう、上は本作に収録の「Duo-Creatics」。
以前BSで「カリフォルニア・シャワー」の制作にまつわるドキュメンタリーを観たことがあります。
貞夫さんご自身は勿論、デイヴ・グルーシンのインタビューも交えながらの番組構成でした。
グルーシンの弁によれば ” 貞夫は(英語の)語彙が決して多い訳ではなかったが、彼が演ろうと
している事は皆に伝わった ” との事です。トップクラスのミュージシャン達にとっては、
その音を聴いただけで意思が伝わる様で、貞夫さんからハーヴィー達へ、あるいはその逆の
「サダオ!こんなのはどうだい?!」という様なメッセージも勿論言葉を介さずに伝わった事でしょう。
ハーヴィー、グルーシン、リー・リトナー、チャック・レイニーとのレコーディングは
「カリフォルニア・シャワー」の前年、77年発表のアルバム「My Dear Life」に始まります。
本作からも一曲、サンバ調の「Music Break」。

ハーヴィーのプレイスタイルについて。現在ではレギュラーグリップを用いる事が多い様ですが、
70年代から80年代において、画像や数少ない映像によれば基本的にマッチドグリップだったようです。
リズム教育研究所の江尻憲和さんがその昔にご自身の著書で書かれていたのですが、江尻先生は
ハーヴィーのレコーディングに立ち会う機会があり、その時驚いたのはシンバルの音が鳴ったと
思うとハーヴィーは既に元の態勢に戻っており、ただ右側のシンバルだけが揺れているというものでした。
前々回のカシオペアとのTV共演で観る事が出来ますが、右側のクラッシュシンバルを全く見ずに
ヒットして、そのままリズムパターンを刻み続けている動作が確認出来ます。
またショットする毎に打面が1~2センチ凹むようなパワフルなストロークに圧倒されたとも
語っています。

ハーヴィーのジャズドラマーとしての側面もご紹介。上はロン・カーター76年のアルバム「Pastels」に
収録されている「One Bass Rag」。ミディアムテンポの気持ちの良いスウィングですが、
4:20過ぎで超絶アップテンポに、そしてまた元のテンポへ戻る、圧巻のプレイです。

ハーヴィーがどうしてあれほど多くのレコーディングにおいて求められたのか。例えば速く複雑に
プレイするといった意味では、同世代ではマハヴィシュヌ・オーケストラのビリー・コブハム、
後にはテリー・ボジオやヴィニー・カリウタが現れ、その超絶テクニックで世間を圧倒しました。
しかしながら、これはスティーヴ・ガッドや若干下の世代であるジェフ・ポーカロにも言える事ですが、
ハーヴィーをはじめとする所謂 ” ファーストコール ” のセッションミュージシャン達は、
先のデイヴ・グルーシンによる言葉の様に、ミュージシャン及びアレンジャーの意図を瞬時に汲み取り、
体現してみせる事が出来る人達でした。テクニカルなプレイが出来るのは勿論、シンプルな方が良いと
判断すれば一曲ほぼ丸ごと頭打ちに徹する事も何とも思わない(技術がある故に叩きすぎる・弾きすぎる
プレイヤーが結構います)グッドミュージック本位のミュージシャンなのです。でありながらして、
そのシンプルなプレイの中にもハーヴィーは彼にしか出せないウネるようなグルーヴを、
ガッドであれば ” ガッド節 ” と称される彼独自のフレーズを垣間見せる事で、まるで刀工が自身の
作品に銘を入れるが如く、ハーヴィー印・ガッド印の作品(ドラミング)を皆がこぞって
必要としたからに他ならないのではないかと私は思うのです。

最後はハーヴィーによる現代版「Chameleon」のプレイを。オンラインドラムレッスンDRUMEOに
よって昨18年にアップされたものの一部分。73年のオリジナルとはだいぶアレンジが変わっています。
ハーヴィーのドラミングもそれに伴ったものなのかどうか、非常に肩の力が抜けリラックスして
叩いています。それでいながら、静かな中にもテンション感を持った16ビートはやはり見事です。
御年72歳、まだまだそのファンクグルーヴは健在です。

以上で三回に渡ったハーヴィー・メイソン特集は終わりです。
多分誰も覚えていないと思いますが、一応年初からのブラックミュージック特集はまだ続いています …
次回以降は誰を・何を取り上げようか?実は現時点でまだ白紙です … どうしよう・・・・・

#139 Harvey Mason_2

数えきれない程のセッションワークで知られるハーヴィー・メイソンですが、前回触れたハービー・
ハンコック「Head Hunters」及びジョージ・ベンソン「Breezin’」の他にも、必ず挙がる
スタジオワークがまだまだあります。

前々回のテーマ「Feel Like Makin’ Love」でも取り上げたリー・リトナー「Gentle Thoughts」。
本作からタイトルナンバーである「Gentle Thoughts」はバウンスする16ビート、
所謂 ”ハネる” リズムが絶品。出だしにおける気持ちの良いビートから、アドリブが白熱するにつれ
ハーヴィーのドラミングも変幻自在となっていきます。かと思えば、また ”ピタッ” とシンプルな
ビートに戻る、リーのギターを中心としたフロントのプレイとのコール&レスポンスが見事です。

デイヴ・グルーシンの「Mountain Dance」(79年)もハーヴィーのキャリアを語る上での鉄板作。
上はタイトルトラックですが、ドラミング自体が非常にテクニカルであるとか、前代未聞の画期的な
フレーズを行っているという訳ではありません。基本的にはシンプルなバッキングに徹しながら、
しかし要所要所で聴かせるフィルイン、印象的な乾いたタムの音色などが ”ハーヴィー節” です。

同作からもう一曲「Rag Bag」。こちらの方がテクニカルであり圧倒されますが、知らずに聴くと
スティーヴ・ガッドかな?と思う程にガッドに似てます。勿論文句の付けようが無いドラミングであり、
しかも本曲はかなり ”ソリ” が仕掛けられている楽曲なので仕方ありませんけれども、
どちらかと言えばハーヴィーの魅力はもう少し自由なプレイにてグルーヴや即興が ”ハジケる”
所だと私は思っています。しかしながらこの様なガチガチにキメキメの曲もやはり見事。
でも少しはガッドを意識したのかな~?とも私は思うのであります・・・

目線を変えてハーヴィーの使用機材について。現在は日本のカノウプスを使用しているようですが、
「Head Hunters」以降の70年代におけるドラムセットはグレッチの様です。米モダン・ドラマー誌の
81年7月号がネットで出てきますが、そのインタビューでイギリスの
プレミアに変えたと語っています。
おそらく80年前後がグレッチとプレミアの境目だと思われますが、「Head Hunters」、「Breezin’」から
「Gentle Thoughts」まではグレッチで、「Mountain Dance」はどちらか微妙なところ、
といった感じでしょうか。80年代半ばからまたグレッチに戻っていますが、セッションによって流動的です。
グレッチの頃は乾いた音色が特徴(特にハイタム)であり、小口径のタム(6~8インチ)は裏ヘッドを
取り外しているモノクロの画像も出てきます。前回あげたカシオペアとのTV共演にてプレミアを使用していますが、そこで聴ける音色は非常に重いもの。ドラムヘッドがCSヘッド(中心部に黒い丸があるもの。
重くてインパクトがあるサウンドが特徴)なので余計にその様な音色になっているのかもしれません。
70年代から80年頃の使用スネアに関してググってみましたが出てきません。この頃だと当然セットと同様にグレッチか、あるいはスリンガーランドのラジオキングやラディックLM400・402あたりでは
ないかと推測されます(でも確かな事はわかりません・・・)。
シンバルは70年代がジルジャン、80年代に入ってからはセイビアンも使い始めた様です。先の81年に
おけるモダン・ドラマー誌においてはジルジャンとセイビアンの混合だと語っています。しかしながら、
これは一流のプレイヤー全てに言える事ですが、どんな機材を使っても自分の音にしてしまうのです。

スタジオワークが素晴らしい事は言うまでもないのですが、ライヴもこれまた凄いのは当たり前。
ジョージ・ベンソンによる77年のライヴ盤にてミリオンセラーとなった「Weekend in L.A.
(メローなロスの週末)」より「Windsong(風の詩)」。最も印象的なのが2:10辺りからの
フィルインです。1拍6連符を用いた(部分的にはその倍の細かい音符も)このフレーズは、
テクニカルである事は勿論ですが、ニュアンスの付け方が超一流。前半はハイハットオープンと
スネアショットにて、口で言えば ” チータタタチ・チータタタチ・チータタタチ・チータタタチ ” と
いった感じ。6連符の一番最後がハイハットなのがニクいです。後半を口で言うと … 言えない・・・
6連を基調にしているのは変わりませんが、出だしのハイハット~スネアからその後のタムへの連打は、
何タムをどの様に叩いているのか???です。ただ一つ言える事は、前半における規則的な
フレーズによる緊張感を、後半の全てを巻き込んでなだれ込む様な連打で解消しているという事。
緊張と緩和、もっと平たく言えばメリハリを付けたフレーズが人の心を打つのです。更に補足すると、
本曲はドラムに関しては超絶フレーズのオンパレードという訳ではなく、比較的地味なバッキングに
徹している為に、先のフィンルインが山場として、余計にドラマティックさを演出されているのです。

ハーヴィー・メイソン回はまだ続きます。