#229 Candle in the Wind_2

62年8月4日、ノーマ・ジーン・ベイカーという一人のアメリカ人女性が亡くなりました。
その名を聞いても誰?という方がほとんどでしょう。ですがこの名を知らない人はいないはず、
その名はマリリン・モンロー。50年代においてハリウッドでセックスシンボルとして君臨し、
36歳で若すぎる死を迎えました。過酷な幼少期を経験し、成功した後もステレオタイプの
セックスシンボル像を求められる事に葛藤し、華やかな表舞台とは裏腹に3度の離婚、薬物依存、
そして精神疾患に苦しみ続け、睡眠薬の過剰摂取によって自然死とも自殺ともわからない最期でした。
そしてその死でさえも所謂マスコミは ” モンロー全裸で死亡 ” などとただただスキャンダラスな
興味本位の報じ方に終始しました。

エルトン・ジョンが73年に発表したアルバム「Goodbye Yellow Brick Road」に収録された
「Candle in the Wind」はマリリン・モンローを歌った曲です。前回取り上げた故ダイアナ妃に
捧げられた「Candle in the Wind 1997」は本曲をリメイクしたもの。
” Goodbye, Norma Jeane ” から始まる歌は、銀幕のヒロインとしてスーパースターとなりながら、
業界や世間の様々な思惑に翻弄され葛藤や孤独に苦しむ彼女を ” 風の中で灯るキャンドル ” と、
儚げな形容で表現しました。

前回、公で二度とは演奏しなかったと述べたのは勿論ダイアナ妃へ捧げたリメイク版の方であり、
オリジナルは重要なライヴナンバーとなっています。
時系列順に三つ上げてみましたが。73年のはテレビプログラム用?、86年はシアトルにて現地の
オーケストラと共演したもので、そして最後がチリのビニャデルマール国際歌謡祭2013での模様。
10年代に入ると声の衰えは致し方ありませんが、並べてみると時代と共にエルトンの中における
本曲に対する消化(昇華)の変遷がわかって興味深いです。

前回、ダイアナ妃の死後にセント・ジェームズ宮殿へ本曲の歌詞を引用したお悔やみが次々と寄せられた、
というエピソードを書きました。はっきりと証拠はないのですけれども、どうやらダイアナ事故死という
第一報を受けた後、ラジオで追悼の意味を込めて本曲をかけたDJがいて、それに賛同した他数の
ラジオ番組でも流され続け、この時英国は本曲とともにダイアナの死を悼み喪に服すような空気であった、
という話があります。宮殿へ前述の様なお悔やみが相次いだのにはそのような背景があったようです。
35年も前に他界しているアメリカのセックスシンボルとされた女優と、貴族の令嬢として生まれ
王室に嫁いだ女性には一見何一つとして共通項は無いように思えます。
しかしながら、性的興味の対象として常に捉えられ、またマスコミ・業界もそれを期待し、スキャンダラスな
報じ方に終始される。一方名門の家から王室へ入るという、世間からのやっかみやタブロイド紙における
格好の ” 的 ” として取り上げられ続け、やがて様々な問題やプレッシャーに耐え兼ね離婚を決意する。
生まれた国も違えば活躍した舞台も全く異なる、当然会ったこともないであろう二人の女性。
だが華やかな表舞台における彼女たちがその裏で抱える悩み、重圧、孤独といった負の側面、
そしてその早すぎる悲劇的な死、これらを ” 風の中で灯るキャンドル ” という儚く・危うく・脆い
イメージを重ね合わせた、おそらくロンドンのとあるDJもしくは番組関係者がこの曲こそ
今かけるのに相応しいと判断し、そして皆が ” そうだ、モンロー
を歌ったこの曲こそダイアナに
捧げるべきものだ ” と共感して数々の弔文が寄せられ、やがてエルトンとバーニー創作者本人たちや
ジョージ・マーティンといった大物たちを通常では考えられないほどの短期間で動かして
「Candle in the Wind 1997」は創られ、そして
二人の女性は結び付けられる事となったのです。

最後に全然余談なのですが、前回の枕でシングル盤売上記録を「Candle in the Wind 1997」が
塗り替えたと述べました。あの当時本曲の爆発的な売上は全米だけでも3千~3千5百万枚とされ、
ビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」を抜いたと言われていました。
ですが現在それについて検索すると、クロスビーの「ホワイト・クリスマス」は正確なデータは
無いこそすれ5千万枚以上のセールスがあるであろうとされ、ギネスでも(ビールじゃない方)
シングル盤のセールス記録は「ホワイト・クリスマス」が一位とされているようです。
もっともクロスビーの「ホワイト・クリスマス」に関しては、一度だけの録音ではなく
それらの合算であるようで、しかも40~50年代というあまりにも古いデータの為信頼性に
欠けており、これにはかなりの疑義があります。ギネスも結構イイ加減なので(あっ!(* •ω• * )
ビールは美味しいんですよ)、あてにならない所があるのですけれどね・・・・・
まあ、これだけ売れればどちらが一位とか二位とかもうどうでもイイ気がしますけど … (*´∀`;)

#228 Candle in the Wind

クリスマスが近づいてきました。恋人たちの性 … もとい聖なる夜などともてはやされ、
彼氏彼女のいない若者たちにとって忌まわしいばかりの日ですが、この時期になると
やたら巷で流れるのがクリスマスソングと呼ばれるもの。
人によって様々でしょうが、世界的にクリスマスソングと認識されているのは「ホワイト・クリスマス」
これに尽きるでしょう。特にビング・クロスビーによる録音がよく知られています。
クロスビーによるこの曲は、シングルレコード・CDとして最も売れたものと永らくされてきました。
ある曲が登場するまでは・・・・・

97年8月31日、ダイアナ・フランセス・スペンサーという女性が不慮の死を遂げました。
言わずと知れたダイアナ妃です。世界中がその早すぎる死を悼み、悲しみに包まれました。
エルトン・ジョンもその一人です。

あまりにも有名な映像で説明不要かもしれませんが、上はダイアナの葬儀にてエルトンが
歌った ” Candle in the Wind/Goodbye England’s Rose ” の模様。
その後すぐに「Candle in the Wind 1997」としてリリースされ瞬く間に世界中でチャートの1位に
昇りつめ驚異的なセールスを記録しました。列挙しようとしましたが25ヶ国に及びますのでやめます …

エルトンファンはもとより、ある程度洋楽に精通している人なら周知の事ですが、本曲は73年の
アルバム「Goodbye Yellow Brick Road」に収録された「Candle in the Wind」のリメイクです。
ダイアナへの追悼版が創られた経緯は諸説あるのですが、日本版ウィキではエルトンはそのつもりではなく
作詞家 バーニー・トーピンに電話を掛けただけのところがバーニーは歌詞を書き直して欲しいという
依頼と勘違いして結果的に本曲が出来上がったとあります。
なにが正しいのかは藪の中ですが一応英語版のウィキを信じるとすれば、元々チャリティー活動などを通じて
良き友人であったエルトンとダイアナ。そのダイアナの死に対して何か敬意を表したいと考えたエルトンの
所にヴァージンレコード創業者であるリチャード・ブランソンから、セント・ジェームズ宮殿には
「Candle in the Wind」の歌詞を引用したお悔やみがたくさん寄せられているようだ、歌詞を書き直して
ダイアナの葬儀で歌ってはどうだ?という打診がなされたそうです(エルトンの自伝に記述されている
そうなのでこれが真実なのでしょう)。エルトンはスペンサー家(ダイアナの元嫁ぎ先、つまり
チャールズ皇太子側)へのそれに関するお膳立てはブランソンがしてくれるならと、バーニーへ
連絡を取りました。バーニーは ” Goodbye England’s Rose ” の節が浮かぶとその後はすんなり
歌詞が出来上がっていた、と語っています。
エルトンはジョージ・マーティンへストリングスとフルート・オーボエのアレンジに関する助力を願い、
プロデュースをマーティンがする事となりました。
ここで一旦時系列を整理してみます。ダイアナが亡くなったのが8月31日、その葬儀が9月6日、
英でリリースされたのが9月13日。その間隔はそれぞれ一週間程度です。8/31~9/5に
歌詞が書かれ、同時にエルトンの中でどのように演るかが練られて葬儀での演奏となり、
またほぼ同時進行でレコーディングもなされたのでしょう。もっとも本シングルはリリースされた直後で
あった「Something About the Way You Look Tonight」(9月8日発売)に急遽カップリングして
両A面シングルとして13日に発売され直したものです。いずれにしても短期間の間に様々な事が
なされたのです。よくこれだけの大物全員の都合があったものだな?と思いますが、というよりは
全てを後回しにしてでも皆が本曲を最優先した、といった所だったのかもしれません。

葬儀での演奏はエルトンの歌・ピアノ、そしてシンセが途中から被ってきます。これは所謂口パクでは
なくちゃんとこの場で演奏したものでしょう(シンセは後ろで誰かが弾いて)。
私は歌や演奏に過度な思い入れが込められる事を良いと思いません。音楽を含むすべての表現は
基本的に理性が優先されるものであり、あまりに感情過多なものは聴いていて苦しいものです。
それでもあえて言いますが本演奏におけるエルトンの歌は素晴らしすぎます。レコーディングされた
ものよりこの葬儀における歌の方が秀逸です。これはもちろんエルトンのシンガーとして実力の
高さによるものですが、琴線に触れるその歌声はダイアナへの想いが宿っているからでもあります。

ちなみにダイアナへの追悼版である「Candle in the Wind」をエルトンが公式に演奏したのは、
本葬儀によるものただ一度だけ。07年に催されたダイアナメモリアルコンサートにて、ダイアナの
息子たちから頼まれてもそれを拒んだそうです。
エルトンにとってこの歌がどれだけ特別であるかを物語るエピソードの一つです。

随分長くなってしまいました。歌詞を書き直した、とある通り73年のオリジナルは歌詞が異なり、
もちろんダイアナの事を歌ったものではありません。
次回は初出の「Candle in the Wind」についてです。
それにしても今回この当時の経緯について調べてみると、思ったより感動的な話でした。
冒頭のふざけた枕は要らなかったかな?と思うほど ……… じゃあ消せよ (*´∀`;)・・・・・