#108 Steve Ferrone

久しぶりに本ブログの本文を果たそうと前回の最後に書きましたが、そうなんです … 一応これ、
ドラム教室のブログなんですよ … ほ、本当です、本人が言ってるんですから間違いありません・・・・・


 

 

 

 チャカ・カーン、アヴェレージ・ホワイト・バンドと続いたのですから、当然今回取り上げるドラマーは
この人、スティーヴ・フェローンです。世界でもトップクラスの技術を持ちながら、決してこれ見よがしに
テクのひけらかしなどはせず、あくまで音楽本位。しかしその合間に超絶テクニックが何気なく垣間見え、
またそのフレーズのセンスが絶品なプレイヤー。セッションドラマーなので、当然あらゆるジャンル、
ジャズのスウィングだろうが、難解な変拍子だろうが、そして勿論エイトビートのR&Rでも素晴らしい
プレイを聴かせてくれるのですが、特に彼の真骨頂はファンク・ソウルにおける16ビートドラミングで
あると私は思っています。

50年、イギリス ブライトン生まれ。祖母がピアノを弾き、祖父はダンサーであったとの事。ドラムを
始めたのは12歳と、あるインタビューで語っていますが、別のコメントではなんと同じく12歳の時に、
ビートルズ・ストーンズと並んで英国を代表するバンド ザ・フーの前座を務めたと言っています。
これはいくら何でも辻褄が合いません。私の拙い英語力のせいもあるのですが・・・
最初に影響を受けたのはご多分に漏れずリンゴ・スター。その後、バーナード・パーディに興味を惹かれ、
やがてジャズの世界へ。エルビン・ジョーンズ、アート・ブレイキー、ジャック・ディジョネットなどに
傾倒する一方で、ジョン・ボーナムなどのロックドラマーにも興味を持ったとの事。

幾つかのセッションワークを経た後、彼の名を一躍世間に知らしめる事となったのは、前回取り上げた
アヴェレージ・ホワイト・バンドへの加入でした。前回ご紹介した、ソウルトレイン出演時の
「Cut the Cake」「School Boy Crush」などをお聴き頂ければわかるかと思いますが、
息づかいが感じられるようなグルーヴ、フォルティシモとピアニシモの対比が絶妙なボリュームにおける
強弱の付け方の妙(所謂 ”ダイナミクスレンジ” )、そして言うまでもないフレージングのカッコ良さ。
それら全てが凝縮されていると私が思うプレイが上の「If I Ever Lose This Heaven」。
エンディングにおけるフィルイン、特に4:20辺りの超高速32分音符の ”手手足足” などは圧巻ですが、
それ以外のさり気ない箇所、例えば2:05辺りのスネアショットとハイハットオープンは、
息を吐きだしている、つまりブレスをしているのが手に取るようにわかります。村上 “ポンタ” 秀一さんが『ドラムこそブレス(息つぎ)が大事なんだよ!』と、折に触れ仰っておられたのがよくわかります。
先に述べた32分音符のテクニカルなフレーズも、ただ難しいプレイも織り込んでやろう、という
浅ましい根性ではなく、音楽的に必要なものとして結果的にあのようなプレイなのです。このフィルは
本曲の終盤で演奏される短い四パターンのフィルの内の最後であり、つまり起承転結における ”結”
に相当するフレーズです。音楽的に必要として自然に出たフレーズで、その為に必要な技術を
駆使した迄なのでしょう。彼ほどの超越したプレイヤーになると、別にテクを見せびらかす事など
全く無用であり、全てが ”グッドミュージック・グッドドラミング” なのです。これは一流の
プレイヤー達全てにおいて言えることです。

76年のライヴアルバム「Person To Person」から「T.L.C.」。1stに収録されている本曲は、
初代ドラマーであるロビー・マッキントッシュのプレイと比較して聴くのも一興です。
ライヴなのでかなり長尺ですが、フェローンの16ビートドラミングを存分に堪能出来ます。
勿論バンドのアンサンブル自体そのものも素晴らしい名演です。

https://youtu.be/C-3oR3cGvfU
80年代に入るとフェローンはセッションドラマーとして引っ張りだこになりますが、上はその内の一曲。
前々回でも触れましたが、スティーヴ・ウィンウッドによる86年の大ヒットアルバム「Back in the High Life」に収録されている「Freedom Overspill」。音色はゲートリバーブ全盛だった80年代の音に
なっていますが、そのグルーヴはフェローンならではもの。ちなみにスライドギターはイーグルスの
ジョー・ウォルシュです。
おそらくフェローンの姿がメディアにおいて映っている機会が最も多いのは、エリック・クラプトンの
大ヒット作「アンプラグド」(92年)です。世にアコースティックブームをもたらす先駆けとなった
本作はクラプトン回(#11ご参照)にて既述ですが、至る所で観る事となる本作の映像にてフェローンの
姿を目にする事が出来ます。フェローンがクラプトンに関わるようになったのはアルバムで言うと
89年の「Journeyman」から。80年代後半から90年代前半におけるクラプトンの活動、つまり劇的な
再々ブレークの瞬間に携わった一人です。80年代半ばに引退まで考え、ようやくそれが吹っ切れた矢先に
起きた息子の悲劇的な事故死、しかしその時は麻薬や酒に溺れず、「アンプラグド」であまりにも見事な
再起を遂げ、結果的には自身にとって最大のヒットとなる。その過程にフェローンは居合わせました。

「アンプラグド」直前の作品「24 Nights」(91年)。91年2月5日から3月9日まで24公演(夜)を
行ったので「24ナイツ」という事。実際には前年の1~2月にも18公演を行っていますので都合42公演。
場所はあまりにも有名なロンドンのロイヤル・アルバート・ホール。余談ですがクリームの解散コンサートも
同ホール(68年)、そしてその再結成コンサートも同じく05年に。
「24ナイツ」から一曲、クリームの代表曲である「White Room」。
https://youtu.be/7ScVsf8JZSY
一回でまとめようかと最初は思いましたが、やはり無理の様です。ですので二回に分けます。
次回は奏法・使用機材などについても触れてみたいと思います。

#107 Average White Band

年初からブルーアイドソウルではない、黒人によるブラックミュージック(変な言い方だな … 馬から落ちて落馬、みたいな)を特集していますが、ここで一度ブルーアイドソウルに戻ります(撤回早ッ!Σq|゚Д゚|p)。
前回まで取り上げていた、チャカ・カーンのソロアルバムにて初期から参加していたイギリス勢、
ヘイミッシュ・スチュアートやスティーヴ・フェローン達によるアヴェレージ・ホワイト・バンド。
このタイミングで彼らを取り上げない訳にはいきません。

 

 

 


オリジナルメンバーは全員英国白人、しかもスコットランド人(別にスコットランド差別ではありません)。
スコットランドと言えば、イギリスでも特にケルト文化が色濃く残り、牧歌的な田園風景が残っていて、
時に神秘的な文化・風習が現在でも踏襲されている情景を思い描いてしまいますが、アヴェレージ・
ホワイト・バンドはアメリカのファンク・ソウル・R&Bといった黒人音楽を、ともすれば本場の人間よりも
グルーヴ感に溢れ、かつエネルギッシュに演奏したバンドです。でもこれは完全な偏見ですね、
エディンバラやグラスゴーにも黒人音楽を聴かせる・演奏する場所は当然あったはずですし。まるで、
日本人は今だにチョンマゲ結って、ハラキリしてる、というのと変わりません。

72年にロンドンで結成。それ以前に地元スコットランドで既に演奏していた仲であったらしいのですが、
ロンドンでトラフィック(スティーヴ・ウィンウッドが在籍していたバンド)のコンサートを
観に来た際に再会し、また一緒に演奏するようになったとの事。そして彼らの演奏を聴いた友人の一人が
その時期の彼らを評してこう述べました ”This is too much for the average white man” 、と。
『平均的白人としては過ぎる』。つまり白人とは思えない程、ブラックテイストに溢れたプレイだった、
という意味でしょうか。これがバンド名の由来となったのは言うまでもありません。
バンドの特色はアラン・ゴーリー(b、vo)とヘイミッシュ・スチュアート(g、vo)によるツイン
ヴォーカル、ファンキーかつソウルフルなホーンセクション、そして初代ドラマーであるロビー・
マッキントッシュのファンクフィールに溢れた16ビートドラミングです。ロビーはジャズフルート奏者
ハービー・マンや、あのチャック・ベリーのレコーディングに参加した程の名手でした。
デビューアルバムを73年にMCAレーベルから出した後、バンドに着目したアトランティックの
超大物プロデューサー アリフ・マーディンが、彼らをアメリカへ呼び寄せ、2ndアルバムを制作させます。
それが上の「Pick Up the Pieces」を含む代表作「AWB」(74年)です。
大変語弊のある言い方を敢えてしますが、スコットランドの田舎者達が組んだバンドを、わざわざ渡米させ、
超豪華ミュージシャン(ブレッカー兄弟、ラルフ・マクドナルド等)をあつらえ、大枚をかけてアルバムを
作らせたのには、マーディンのただならぬ期待があったのでしょう。それは見事に証明されます。
本アルバムとシングル「Pick Up the Pieces」は共に全米チャートで1位を記録。特に「Pick Up the Pieces」はインストゥルメンタル曲でありながらNo.1を獲得するという異例の出来事でした。
しかし本作リリース前にロビーが急逝してしまいます。若干24歳、突然の悲劇でした。
本作からもう一曲、アイズレー・ブラザーズのカヴァー曲「Work To Do」。

ロビーの突然の死という悲劇を、バンドは二代目ドラマー スティーヴ・フェローンの加入によって
乗り越えます。ドラムを演っている人間ならその名前くらいは聞いたことがあると思いますが、
その後世界的トップドラマーとなり、前回までのチャカ・カーンをはじめ、エリック・クラプトン、
ビージーズ、アル・ジャロウなど、数えきれないほどのセッションに参加する事となります。
上は三作目「Cut the Cake」(75年)からのシングルであるタイトル曲。アルバムは全米4位、
シングルは10位という、これまた大ヒットを記録します。
ロビーも素晴らしい16ビートドラミングをプレイするドラマーでしたが、何と言ってもフェローンは
技術・グルーヴ感・センスといった三拍子が完璧に揃ったドラマーでした。

「Cut the Cake」同様にソウルトレインに出演した際の「School Boy Crush」。ロビーが
この様なドラミングが出来なかったという訳では無いと思いますが、黒人ドラマーであるフェローンの
加入により、本作以降はより黒っぽいグルーヴ・フィーリングの楽曲を聴く事が出来ます。
4thアルバム「Soul Searching」(76年、全米9位)。

シングル曲「Queen of My Soul」。本作は再びブレッカー・ブラザーズが参加し、ホーンセクションが
フィーチャーされています。本曲はそれまでにはなかったラテンフィールを持った楽曲。当時一世を風靡した
クロスオーヴァー(フュージョン)の影響は当然にあります。2nd「AWB」こそ至高とするファンには、
洗練され過ぎてしまったという向きもあるかもしれませんが、そのクオリティーは3rd・4th共に
決して引けを取らないものです。後は各々の好みと言うしかありません。

https://youtu.be/PGI8YNa5f-M
その後、セールス的には当初の様な成功を上げる事はありませんでしたが、その音楽的内容も
低下していったのかと言うと、決してそうではありません。
時代の変化と共に当然バンドの音楽性にも変化が見られました。80年、アトランティックを
離れアリスタへ移籍し、デヴィッド・フォスターのプロデュースの下にアルバム「Shine」を発表。
実は当初、本作はアトランティックから出す予定だったのですが、途中で移籍の話が舞い込み、
出来上がっていた素材の一部はアトランティックへ渡し、残りで本作を構成したとの裏話があります
金澤寿和さんのブログに詳しくあるので興味がある人は)。
ディスコ・AORといった当時世間を席巻していた音楽を取り入れ、良くも悪くもソフィスティケート
された内容なので、昔ながらのファンは嫌がる人もいたでしょうし、AORファン、特にデヴィッド・
フォスターの音楽を好む人なら文句なしに気に入るでしょう。また同じ話になりますが、2ndこそ
彼らの真骨頂とするリスナーからすると物足りない内容なのかもしれませんけれども、それは
意固地になって時代の変化を受け入れないというのと紙一重です。AOR世代にとって、
本作は結構高い評価を得ている、というのもこれまた事実です。

そんな事言いながら、私も基本的に、80年代の音楽で止まっていたりするんですけどね・・・
ただ私の場合、これ以上新しいのを追っかけるのは無理だとある時期に思ったので … 実際、ユーチューブで幾らでも聴けるようになった現在においても、50~80年代を再確認するので手一杯です・・・
ですから、オールディーズから最新音楽まで、常にフォローしている人はある意味凄いな、とは思ってます。

チャカ・カーン、アヴェレージ・ホワイト・バンドと取り上げて来ましたので、久しぶりに本ブログの
本文を果たそうかな、と思っています・・・ところでこれって、何のブログだったっけ?(´・ω・`)…
100回以上書いてるのにそれかよ!!!・・・・・ ヽ( ・∀・)ノ┌┛Σ(ノ;`Д´)ノ・・・・・

#106 I Feel for You

82年、チャカ・カーンは全編ジャズナンバーのアルバム「Echoes of an Era」をリリースします。
フレディ・ハバード、チック・コリアといったジャズ界の大物達に支えられた本作は、人によって
賛否両論ではあるようですが、チャカのあらゆるジャンルに挑戦していこうという姿勢の表れだった
のではないでしょうか。本作のみワーナーではなくエレクトラから発売されています。
同年暮れには5thアルバム「Chaka Khan」を発表。ますますダンサンブルなエレクトリックファンク
が際立つ様になりました。個人的にはこの手の音楽は決して好みではありませんが、80年代初頭は
猫も杓子もこういった音楽性・サウンドだったので、一概にこの時期のチャカを否定する気はありません。
ダンサンブルな楽曲以外はというと、これも当時の音楽シーンを席巻していた、ジャズフュージョン的な
コンテンポラリーR&B、所謂ブラックコンテンポラリー ”ブラコン” でした。

84年、アルバム「I Feel for You」をリリース。先行シングルであるタイトル曲がチャートを駆け上がり、
彼女のキャリアにおいて最大のヒットとなったのは前々回にて触れた通り(ポップス3位・R&B1位)。
プリンスによる本曲は、元は彼の2ndアルバムに収録されたもの(#49~51ご参照)。チャカの前にも
ポインター・シスターズが取り上げたりもしていたようですが、世間に知られる様になったのはチャカの
ヒットによるものでしょう。冒頭がラップで始まる本曲は、世間に ”ラップ” というものが浸透していった
最初期の楽曲だったのではないでしょうか。ハーモニカはスティービー・ワンダー、
一発でわかります。

本作からもう一つのシングルヒットである「Through the Fire」。日本でもTVなどで使用された
覚えがあるのでお馴染みなのでは。上は本曲の作曲者であるデイヴィッド・フォスターによる、
10年にラスベガスで行われたフォスター&フレンズにおけるコンサートより。本コンサートでは
他にもフィリップ・ベイリー、ケニー・ロギンス、ドナ・サマーなどの豪華ゲストが出演しています。
映像を見る限りドラムはジョン・ロビンソン(ルーファスに在籍していたのでチャカとは旧知)、
ベースは世界で一番忙しいベーシスト ネイザン・イースト、後は特定出来ませんでした…
アルバム「I Feel for You」は米でプラチナディスク、英でもゴールドディスクを獲得。
チャカのキャリアにおいて、商業的には頂点を極めた時期と言って良いでしょう。

ゲストヴォーカルとしても様々なレコーディングに引っ張りだこのチャカでしたが、その中でも
最大のヒットはこれでしょう。スティーヴ・ウィンウッド、86年の全米No.1ヒット「
Higher Love」。
ウィンウッドにとっても最大のヒットとなったアルバム「Back in the High Life」からのシングル曲。
ウィンウッドはアイランドレーベル、チャカはワーナーでしたが、レコード会社の垣根を越えた
デュエットの実現でした。

その後のR&Bシーン(90年代以降のR&Bは、従前のそれとはだいぶ音楽性が変わりましたが)において、
特に黒人女性シンガーの歌唱スタイルと言えば、チャカの様なものがスタンダードになったのでは
ないかと思います。ただし裏を返せば、皆金太郎飴の様になってしまう、と言った側面も
ありますが … しかし、だれでも最初は人の真似から始まるので、一概に否定は出来ません。
チャカだって、アレサ・フランクリンなどの先達をコピーする所から始まったのでしょうから。

最後にこぼれ話を一つ。ティナ・ターナー回(#103)でも触れた曲ですが、86年のロバート・パーマー
によるNo.1ヒット「Addicted To Love」、実はこれにチャカが参加するはずだったという事。
先述の通り、チャカはワーナー、パーマーはウィンウッドと同じくアイランドでしたが、この時は
ワーナー側が許可しなかったらしいのです(「Addicted To Love」のレコーディングは85年中)。
これまたトリビア的な話ですが、何故か本曲が収録されたアルバム「Riptide」のライナーノーツには
チャカの名がクレジットされています(大人の事情でしょうか?)。「Addicted To Love」は
確かにパーマーと、
おそらくは黒人女性であろうシンガーの掛け合いを聴く事が出来ます。
ボンヤリして聴くとチャカに聴こえなくもない感じですが … まあ違います。
(あっ!あれですね (*゚▽゚)!!例えれば『某アイドル(似の娘)がついに!×××で△△△しちゃって!!』みたいな〇Vを、薄目で見れば本人に見えてくる、的なやつ … ちがうがな!!!( °∀ °c彡))Д´)… )
・・・・・が、その後ワーナーもようやく許したらしく、翌年にはウィンウッドとの共演が実現し、
先の通りの大ヒットとなった訳です。ちなみにパーマーは98年のチャカのアルバムに参加しています。

この三人が出演しているコンサートがあります(三人で同時にステージに上がっている訳ではないですが)。
97年8月、ロンドンの有名なウェンブリーアリーナにて行われた『カールスバーグ・コンサート』。
念のためカールスバーグとはあの有名なデンマークのビールメーカー。そう言えばしばらく飲んでないな … どんな味だったっけ?・・・・・失礼 … もとい、ロッド・スチュワートなども出演したかなり大掛かりな
コンサートだったようです。まず、チャカとパーマーによる「サティスファクション」。言うまでもなく
ローリング・ストーンズの代表曲。そしてマーサ&ザ・ヴァンデラスの「Dancing in the Street」の
イントロが流れる中を一度二人は袖にはけ、お次にウィンウッドが登場。前半は一人で歌いますが、
途中からチャカが再登場し、ウィンウッドともデュエット。一つ目の動画などはかなり画質が悪いですが
(アップしてくれた人ゴメンなさい)、「Addicted To Love」で実現されなかったソウルフルな
掛け合いを目の当たりにする事が出来ます。チャカとウィンウッドの共演も言うまでもなく素晴らしい。
余談ですけども演奏屋の性で(あっ!念のため言っときますが、この ”性”  は「セイ」じゃなくって
「サガ」って読むんですよ (*゚▽゚)!。
やだなあ~!すぐエッチな方に・・・( °∀ °c彡))Д´)…)
ついバックのメンツを探ってしまいますが、ドラムは超絶テクニックを誇るヴィニー・カリウタ、
シンプルなエイトビートを演ってもやはり超一流です。ベースはこれまたネイザン・イースト、
この人いつ寝てるんでしょう?・・・

https://youtu.be/Qyq4GaPt8gk
https://youtu.be/viI3UeYT8yg
英国を代表するアリーナで、アメリカ人とイギリス人が双方の国の楽曲を共に歌う。
政治・経済などの他の分野では、この二国が無条件で良好な関係か否かはわかりませんが、
少なくともポップ・ミュージックの分野では良い関係の様です。それはお互いが、相手の音楽に
尊敬と敬意を持っているからに他なりません。
なにかと言えばイチャモンばかりつけてくる国々とは大違いで・・・(あっ!余計な事を!!(#゚Д゚))
・・・・・架空の国ですよ、私の頭の中にあるだけの夢物語です。・・・・・

#105 Chaka

ルーファス後期において、チャカ・カーンがソロ活動を並行して行っていたのは前回述べた通り
ですけれども、今回はチャカのソロワークに焦点を当てて書いていきます。

 

 

 


シングル「I’m Every Woman」と共に、1stソロアルバムが大ヒットした事も前の回で既述の所ですが、
本作「Chaka」は、ソウル・R&Bシーンに輝く名盤です。

その音楽性を言い表すならば、コンテンポラリーR&Bとでも呼ぶべきものでしょうか。二作目以降は
ダンサンブルなファンクミュージック色、手っ取り早く言えばクインシー・ジョーンズ&マイケル・
ジャクソンの様なカラーが強まっていきましたが、本作は正統派ソウル・R&Bのテイストを残しながら、
フュージョン、AOR、勿論当時一世を風靡していたディスコをうまい具合にブレンドした、78年時点に
おけるコンテンポラリーソウル・R&Bというものを
見事に体現した一枚です。
上の「Love Has Fallen on Me」は、リチャード・ティーのゴスペルフィーリングに溢れたピアノが
あまりにも素晴らしいナンバー(こういったピアノを弾かせたら彼の右に出るプレイヤーはいなかった
のではないでしょうか)。個人的には本作のベストトラックです。

お次の「Roll Me Through the Rushes」。プロデューサーはアトランティックソウルの立役者
アリフ・マーディンであるのですが、まるでフィラデルフィアソウルの様なスタイルを持った楽曲。
前曲においても同様であるコーラスとの見事な掛け合い、また中盤のチャカによるテンションの上がり方は
本当に素晴らしい。中身が良ければジャンル分けなどどうでも良いのです。

ジョージ・ベンソンとのデュエット曲「We Got the Love」。楽曲もベンソン作で、「ブリージン」に
収録されていても違和感の無い様なナンバー。根っからのジャズファンの中にはこの当時のベンソンを
嫌う人もいますが、本曲のような軽快感・爽快感は、70年代のクロスオーヴァー(フュージョン)ブームを
体験した人にはたまらないものでしょう。ちなみに本曲のみベースはギタリストのフィル・アップチャーチ。彼は「ブリージン」にてリズムギターとベースも担当しているので、それが本曲における起用の所以かと。

スティービー・ワンダーのこの曲もカヴァーしています。67年全米2位の大ヒット曲「I Was Made to Love Her(愛するあの娘に)」。チャカは ”Her” を ”Him” に変えて歌っています。スティーヴ・
フェローンのタイトなドラミングがあまりにも素晴らしい。

80年、2ndアルバム「Naughty」をリリース。基本的に前作の音楽性を踏襲した作品ですが、前述の通り、
よりダンサンブルかつポップな仕上がりとなっています。ですがクオリティーの高さは秀逸で、昔ながらの
ソウル・R&Bというものに拘らなければ前作同様の傑作と言って過言ではないと思います。
本作より「So Naughty」と「Move Me No Mountain」。「Move Me ~」はディオンヌ・ワーウィックがワーナーに在籍していた75年のアルバムに収められていた一曲のカヴァー。ディオンヌの中では決して
売れたアルバムではありませんでしたが、チャカ本人か、それともアリフ・マーディンによる選曲であるのか
は判りませんが、素晴らしいセレクションであり、先輩に敬意を表している所も立派。ちなみに本作では
ソロデビュー前のホイットニー・ヒューストンがコーラスで参加しています。前回も触れた所の
「I’m Every Woman」のホイットニーによるカヴァーはこの辺りから繋がっているのかと。
81年、3枚目のアルバム「What Cha’ Gonna Do for Me」を発表。よりファンキーでエレクトリックな
方向性となっています。リチャード・ティーやブレッカー兄弟といったニューヨーク勢、アヴェレージ・
ホワイト・バンドのヘイミッシュ・スチュアート、スティーヴ・フェローン達イギリス勢は引き続き参加。
更にジャズ界からハービー・ハンコック、ルー・ソロフ、そしてなんと超大御所ディジー・ガレスピーも。
自身によるスタンダードナンバー「A Night in Tunisia(チュニジアの夜)」にて演奏しています。

本作は1st同様にゴールドディスクを獲得。タイトル曲はシングルカットされR&BチャートでNo.1ヒットと
なります。
まだまだチャカの活躍は続くのですが、その辺りはまた次回にて。