#198 Allentown

社会学の分野において、欲求5段階説というものがあるそうです。
飢える事無く雨風しのげる住まいや生活用品を確保するという根源的な欲求から始まり、
家族・会社・地域社会といった仲間とのつながり(所属)及び愛(勿論性欲も含む)を
求めるようになり、やがてはさらに他社から認められたい(承認・尊厳)という欲求へと
発展していきます。
承認の欲求が最終段階化と思いきや、この学説ではさらに上のステージがあり、
それは自己実現の欲求だそうです。つまりこの段階になると他人の評価などは関係なくなり、
自分自身が満足できるか否かという欲求になります。
富も名声も得た人間が突然出家するなど、精神的満足を得る行動に移る事があるのはこれでしょう。

ビリー・ジョエルはプロデビューの当初はホームレス生活を経験するほどの困窮ぶりでした。
やがて「ピアノマン」のヒットによりミュージシャンとして生活は出来るようになり、
そして「ストレンジャー」の大ヒット以降は誰からも認められるメインストリームの大スターと
なりました。そんなビリーがやげて自己実現の欲求を満たそうとしたのは。上の学説からすると
当然の帰結なのかもしれません。
上は82年のアルバム「The Nylon Curtain」におけるオープニング曲でありシングルカットされた
「Allentown」。鉄鋼の街であるアレンタウン。かつては栄えたもののやがて製鉄業の衰退と共に
活気を失い、そこで暮らす若者たちはなかなか職にありつけない様な状況にある。
街を出ていく若者、あるいは葛藤を抱えながら残る者と、淡々とした曲調の上でリアリティあふれる
社会的問題が歌われます。

「The Nylon Curtain」の発売前後、ビリーに様々な問題が降りかかります。
その辺りは次回以降にて。

#197 Songs in the Attic

『屋根裏部屋の曲たち』。アルバムジャケットでも表している通りに銘打たれたビリー・ジョエル
81年リリースのライヴアルバムは、30秒にも渡る印象的なエフェクト音にて幕を開けます。
「ニューヨーク物語」(76年)のエンディングナンバーである本曲は、その快活な曲調とは
裏腹に近未来ディストピアSF的な内容であるのは#181で既述の事。
突っ走り気味なリバティ・デヴィートのドラムが素晴らしい、彼はこれでイイのです。

そのタイトルが物語る通り、本作はストレンジャーで大ブレイクする以前の楽曲で構成されており、
全てが80年6~7月における「グラスハウス」ツアーによるもの。当然「素顔のままで」「マイライフ」と
いったヒット曲もセットリストに入っていたわけなのですが、あえてそれらを一切収録せず、
最初のヒット曲「ピアノマン」さえ入れないという徹底振り。陽の目を見なかった作品たちに
スポットライトを当ててあげたいという気持ちも勿論あったのでしょうが、それだけではない
意地の様なビリーの意図も汲み取れないではありません。
上は「ストリートライフ・セレナーデ」(74年)中の「Los Angelenos」。

実際に頑なまでヒット曲を収録しなかったのはビリーのコロムビアへ対する反抗心であった様です。
時代の寵児となったビリーに対し、「グラスハウス」ツアーの終了後すぐに新作へ取り掛かるよう
ビリーへ要望しますが、彼はなかなかその気になれない。人気絶頂の内に少しでも売りたい、
間隔を空けて世間の興味が薄れるのを嫌がったレコード会社が、ではライヴ盤を出そう、
とビリーに持ち掛けて、ビリーも渋々同意した、というのが実情だったそうです。
それでもコロムビアの言いなりになるのが癪だったビリーが持ち出した折衷案がヒット曲を
一切に入れないというものだったようです。
それでも天下のビリー・ジョエル。本作は全米8位という大ヒットを記録します。
まだベスト盤が出ていなかった当時においては、「ストレンジャー」より前の曲を
本作で初めて知り、改めてビリーのファンになったというリスナーも少なくなかったとか。
好循環で回っている時は何をやってもうまくいきます。
#174で既述のデビュー作「She’s Got a Way」と「Say Goodbye to Hollywood」が
本ライヴ盤からシングルカットされ、これまたヒットします。

世界はビリーを中心に回っているのではないかと思えるほどの成功振りですが、
はたしてこの後は・・・・・

#196 Glass Houses

上はビリー・ジョエルのアルバム「Glass Houses」(80年)においてB面のトップを飾る
「I Don’t Want to Be Alone」。当時流行しつつあったレゲエ・スカのリズムを取り入れた
本曲はイギリス勢の影響を受けたのではないか? と思っています。そしてこの歌い方、
どこかで聴いた事が? と首をひねりがちになるんですけれども・・・
そう! エルヴィス・コステロにどことなく似ているんです。コステロは前年に3rdアルバムが
全米TOP10入りするほどに躍進していましたので、コステロをはじめ英国勢の若手が好んで取り入れた
レゲエ・スカといった音楽やその歌い方に関して影響を受けたとしてもなんら不思議はありません。
70年代後半にイギリスでパブロックと呼ばれる米のオールドスタイルR&Rをリスペクトしながら
独自の音楽が生み出されました。デイヴ・エドモンズ、ニック・ロウ、そしてエルヴィス・コステロ達が
その代表格であり、まだ売れる前のヒューイ・ルイスが欧州で武者修行していた時にエドモンズや
ニックと知り合い交流を深めた、というのは以前に書きました(#85ご参照)。
またストレイ・キャッツが認められたのも初めは英国においてです。
全くの推測ですが、ビリーは彼らの動きに先を越された!くらいの感じを受けたのではないでしょうか。
本国では廃れつつあったオールドスタイルR&Rのスピリットを、海を隔てた英国のミュージシャンたちが
復興させた事に本国のミュージシャンとして歯痒い想いを抱いたのではないかと。
ちなみにコステロの米における発売元はビリーと同じコロムビアレコードです。

再びタイトなロックチューンである「Sleeping with the Television On」。中間部のチープな
オルガンの間奏がこれまたコステロっぽく聴こえます。
” テレビをつけっぱなしで寝る ” というのは、むなしい朝を迎える、退屈な日常を繰り返す事の
比喩の様です。アメリカでは昔からテレビ(この場合は地上波というやつ)は無趣味・無教養な
人間が視るもの、貧乏人の娯楽と蔑まされていました。日本でもようやくアンテナの敏感な
若い人達の間ではそうなっていますね。まともな感性であんなくだらないものは視れません。

これまた素晴らしいロックナンバーである「Close to the Borderline」。本作においては
ドラムのリバティ・デヴィートとベースのダグ・ステグマイヤーが重要な役割を果たしている、
というのは前々回にて既述ですが、本曲においてそれが十二分に発揮されています。
憧れのジョージ・マーティンとの仕事を袖に振ってまで守り抜いた自身のバンド。それが本作で
見事に結実されたのです(#186ご参照)。特にデヴィートのドラムが素晴らしく、彼のドラム抜きに
本作は完成出来なかったのではないかと思えるほどです。

アルバムラストの「Through the Long Night」。多くの人が本曲だけがこのアルバムの中で
浮いていると思うのではないでしょうか。勿論私もそうです。内省的な曲調・歌詞は
本作のコンセプトからはベクトルが外れています。どう考えても次作である「ナイロン・カーテン」に
収録されていた方が良かったのでは?・・・ そうです。ビリーはこの時からすでに
「ナイロン・カーテン」の構想があったのでは? と私には思えてなりません。本曲はビリーが
最後に提示した次作の方向性だったのはないでしょうか。

” Glass Houses ” が諺中の単語であることを知らなかった頃は、冒頭のガラスが割れる音は
前作迄のイメージをぶっ壊してやる!的なビリーの意気込みくらい
だと思っていました。
勿論そういった想いもあったかもしれませんが、諺の意味を知ってからはまた別の意味合い、
これは好き勝手言ってばかりいるリスナーやプレス、特に評論家をはじめとしたプレス連中への
強烈な皮肉だったのではないかと個人的には解釈しています。
現在でも俗にいうマスコミの状況は全く変わっていませんけれども・・・・・

#195 It’s Still Rock and Roll to Me

ビリー・ジョエルが80年にリリースしたアルバム「Glass Houses」についてその2。
R&Rナンバーが二曲続いた後に少し箸休め的なナンバーである「Don’t Ask Me Why」。
本作からの第三弾シングルである本曲は全米19位というヒットを記録しましたが、
一つ前のシングル「It’s Still Rock and Roll to Me」がビリー初の全米No.1と
なったのでその陰に霞みがちです。
しかしライヴでは必ず披露される定番曲だったらしくファンの間では人気のナンバーです。
アコギの軽やかな印象によってロックンロール色が薄いように感じてしまいますが、
そこはどうして、ボ・ディドリーばりの所謂ジャングルビートでしっかりと ” ロック ” しています。

画質は最悪ですが84年のビリーが乗りに乗っていた頃の模様が上の動画。本曲はジャングルビートと
共にラテンビートも併せ持っています。ロックンローラーはラテンも好みます。初期のビートルズが
良い例です。会場との一体感が伝わる貴重な映像です。

先述の通りビリーにとって初の全米No.1シングルとなった「It’s Still Rock and Roll to Me」。
批判を顧みず率直言えば、ビリーによる数多の名曲の中において本曲は突出した楽曲ではありません。
ですけれども、ディスコの潮流がまだ蔓延り、さらにニューウェイヴが台頭しつつあった
80年初頭において、こんなド直球のロックンロールナンバーが天下を取ったのは奇跡です。
言い替えればビリーの人気・勢いが時代を凌駕したのです。誤解を恐れず言うとこの時点で
ビリーは何を演っても成功したと言う事が出来、それは良い意味における強者の特権でしょう。
ポール・マッカートニーですらこれほどの勢いはありませんでしたから。

A面ラストの「All for Leyna」。アルバム発売に先駆けてイギリスのみでシングルカットされました。
曲中の主人公が一夜限りの関係を持った女性にやがてのめり込んでいくという内容。
イントロにおけるピアノの連打が翌年のホール&オーツによる大ヒット「キッス・オン・マイ・リスト」
#57ご参照)と似ているな?影響を与えたのかな? と思っていましたが、よく考えたら
ホール&オーツのアルバム「モダン・ヴォイス」は80年7月のリリースで「Glass Houses」の
4カ月後。「キッス・オン・マイ・リスト」は随分時間が経ってからリリースされ、爆発的にヒットして
ホール&オーツ第二次黄金期の礎を築いた曲でした。
「モダン・ヴォイス」もプログレ、ハードロック、ニューウェイヴと色々チャレンジしてきた
ホール&オーツが、彼らのルーツであるソウル・R&B・R&R・ドゥーワップといった音楽へ
原点回帰した作品でした(ただし全部が全部という訳ではなく)。
時代を極めたビリーが商業性を(あまり)気にせず行う事が出来たのに対して、ホール&オーツは
「リッチガール」(77年)以来ヒットから遠ざかっていました。対照的な両者達が選んだ方向性が原点回帰、というのも興味深いものです。

#194 You May Be Right

People who live in glass houses should not throw stones
(ガラスの家に住む者は石を投げてはならない)
ということわざがあるそうです。
自分も完璧ではないのだから他者を批判するな、というくらいの意味です。
ガラスで出来た家に住んでいる人が誰かに石を投げると、その仕返しに石を投げ返されたら
大きな損害を被ります。よって自分から石を投げるようなことはしないでおきなさい、
という教訓を垂れているとする説。あるいはガラスで出来た家の中から外に向かって石を投げたら、
自分の家が壊れてしまうから止めておきなさい、という説もあるそうです。

ビリー・ジョエルが80年に発表したアルバム「Glass Houses」。実の所ビリーは「ストレンジャー」の
次作を本作の様にするつもりであったのではないかと推察しています。
「素顔のままで」にて世間に染みついてしまった ” ビリー=バラードシンガー ” というイメージを
粉々に砕いてやろうと思っていたのではないか? しかしさすがにプロデューサーである
フィル・ラモーンをはじめとした周囲から説き伏せられ「ニューヨーク52番街」に落ち着いたのでは
ないであろうかと勝手に思ってします。オープニング曲「ビッグ・ショット」のハードさは、
ビリーによるせめてもの抵抗では? とか想像したりしています。

二作続けてビッグヒットを飛ばしたので、さすがに周りもビリーの意見を尊重せざるを得なくなったのか?
「Glass Houses」は見事に世間を裏切り、予想の斜め上を行くものとなりました。
本作にはロックンローラーとしてのビリーの本性が炸裂しているのです。#186にて既述ですが、
ビリーも『エドサリヴァンショー』におけるビートルズを観てR&Rの洗礼を受けた一人です。
「ストレンジャー」や「ニューヨーク52番街」が偽りのビリーなどという事は勿論ありません、
あれらもビリーの音楽です。しかしあまりにもバラード、ジャズテイストの都会的ポップスなどの
イメージが定着してしまい、ビリーはこれに嫌気が差したのではないでしょうか。

ガラスが割れる音から始まるA-①「You May Be Right」は本作を象徴するナンバー。
本作では特にリズム隊であるダグ・ステグマイヤー(b)とリバティ・デヴィート(ds)が
重要な役割を担っています。R&Rはベースとドラム、そしてリズムギターが肝です。
速弾きギタリストの登場によって、70年代後半くらいから間奏のギターソロがやたらと
取り上げられる風潮になりましたが、元々はグルーヴが命の音楽です。
話しは少し飛びますが、布袋寅泰さんはギターソロは必ずしも無くて良いという考えだと
聞いた事があります。私は決して布袋さんについて詳しい訳ではありませんが、
この考えがギタリストである布袋さんによるものとは非常に興味深いです。
R&Rの本質を見失っていない、やはり真のロックンローラーなのでしょう。

ガラスの割れる音の次は、電話をダイヤル(といってもプッシュボタンによるもの)する音です。
A-②の「Sometimes a Fantasy」も極上のタイトなR&Rチューンです。
遠距離恋愛で会えない彼女に電話をかける、それだけ聞くと80年代のラブコメか?
と思ってしまいますが当然そんな訳はなく、 ” モヤモヤ ” した男が彼女に電話をして
エロチックな気分に浸ろうという、要はテレフォン〇ックスの事です。
アルバムヴァージョンはでPVのオチは無くフェイドアウトですが、曲中のテレフォン〇ックスは
電話をかける前のビリーによる妄想であり、現実には彼女は留守か寝てるかで電話には出なかった、
チャンチャン、というやつです。

R&Rへの原点回帰とは言っても、ただの50’S~60’sに対する懐古趣味には終わっていません。
本曲において聴くことが出来るシンセなど、時代の潮流はしっかり掴んでいます。ビリーと言えば
生ピアノやローズなどのエレピというイメージがありますが、勿論キーボード全般に明るく、
シンセサイザーも早くから取り入れています。
先の話で速弾きギターソロはロックの本質ではない、と言いましたが、アウトロで速弾きが
出てくるので ” なんだ、ちゃっかり時代に迎合してるじゃん… ” とか言う向きもあるかもしれませんが、
それはあくまで表面上、本質を理解していない人が言う事です。ちなみにこのアウトロがフェイドアウト
されずに最後まで収録されているのが上のシングルヴァージョンです。この ” 突っ走り感 ” が
本当に素晴らしい。ちなみにエンディングがビートルズの「ヘルタースケルター」における
ポールの叫び声 ” 指にマメが出来ちまった! ” にちなんでいるのは言うまでもない。