#194 You May Be Right

People who live in glass houses should not throw stones
(ガラスの家に住む者は石を投げてはならない)
ということわざがあるそうです。
自分も完璧ではないのだから他者を批判するな、というくらいの意味です。ガラスで出来た家に住んでいる人が誰かに石を投げると、その仕返しに石を投げ返されたら大きな損害を被ります。よって自分から石を投げるようなことはしないでおきなさい、という教訓を垂れているとする説。あるいはガラスで出来た家の中から外に向かって石を投げたら、自分の家が壊れてしまうから止めておきなさい、という説もあるそうです。

ビリー・ジョエルが80年に発表したアルバム「Glass Houses」。実の所ビリーは「ストレンジャー」の次作を本作の様にするつもりであったのではないかと推察しています。「素顔のままで」にて世間に染みついてしまった ” ビリー=バラードシンガー ” というイメージを粉々に砕いてやろうと思っていたのではないか? しかしさすがにプロデューサーであるフィル・ラモーンをはじめとした周囲から説き伏せられ「ニューヨーク52番街」に落ち着いたのではないであろうかと勝手に思ってします。オープニング曲「ビッグ・ショット」のハードさは、ビリーによるせめてもの抵抗では? とか想像したりしています。

二作続けてビッグヒットを飛ばしたので、さすがに周りもビリーの意見を尊重せざるを得なくなったのか?「Glass Houses」は見事に世間を裏切り、予想の斜め上を行くものとなりました。本作にはロックンローラーとしてのビリーの本性が炸裂しているのです。#186にて既述ですが、ビリーも『エドサリヴァンショー』におけるビートルズを観てR&Rの洗礼を受けた一人です。「ストレンジャー」や「ニューヨーク52番街」が偽りのビリーなどという事は勿論ありません、あれらもビリーの音楽です。しかしあまりにもバラード、ジャズテイストの都会的ポップスなどのイメージが定着してしまい、ビリーはこれに嫌気が差したのではないでしょうか。

ガラスが割れる音から始まるA-①「You May Be Right」は本作を象徴するナンバー。本作では特にリズム隊であるダグ・ステグマイヤー(b)とリバティ・デヴィート(ds)が重要な役割を担っています。R&Rはベースとドラム、そしてリズムギターが肝です。速弾きギタリストの登場によって、70年代後半くらいから間奏のギターソロがやたらと取り上げられる風潮になりましたが、元々はグルーヴが命の音楽です。
話しは少し飛びますが、布袋寅泰さんはギターソロは必ずしも無くて良いという考えだと聞いた事があります。私は決して布袋さんについて詳しい訳ではありませんが、この考えがギタリストである布袋さんによるものとは非常に興味深いです。R&Rの本質を見失っていない、やはり真のロックンローラーなのでしょう。

ガラスの割れる音の次は、電話をダイヤル(といってもプッシュボタンによるもの)する音です。A-②の「Sometimes a Fantasy」も極上のタイトなR&Rチューンです。遠距離恋愛で会えない彼女に電話をかける、それだけ聞くと80年代のラブコメか?と思ってしまいますが当然そんな訳はなく、 ” モヤモヤ ” した男が彼女に電話をしてエロチックな気分に浸ろうという、要はテレフォン〇ックスの事です。アルバムヴァージョンはでPVのオチは無くフェイドアウトですが、曲中のテレフォン〇ックスは電話をかける前のビリーによる妄想であり、現実には彼女は留守か寝てるかで電話には出なかった、チャンチャン、というやつです。

R&Rへの原点回帰とは言っても、ただの50’S~60’sに対する懐古趣味には終わっていません。本曲において聴くことが出来るシンセなど、時代の潮流はしっかり掴んでいます。ビリーと言えば生ピアノやローズなどのエレピというイメージがありますが、勿論キーボード全般に明るく、シンセサイザーも早くから取り入れています。
先の話で速弾きギターソロはロックの本質ではない、と言いましたが、アウトロで速弾きが出てくるので ” なんだ、ちゃっかり時代に迎合してるじゃん… ” とか言う向きもあるかもしれませんが、それはあくまで表面上、本質を理解していない人が言う事です。ちなみにこのアウトロがフェイドアウトされずに最後まで収録されているのが上のシングルヴァージョンです。この ” 突っ走り感 ” が本当に素晴らしい。ちなみにエンディングがビートルズの「ヘルタースケルター」におけるポールの叫び声 ” 指にマメが出来ちまった! ” にちなんでいるのは言うまでもない。

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