#176 Piano Man

鳴かず飛ばずだったビリー・ジョエルの1stアルバム「Cold Spring Harbor」ですが、
前々回・前回と取り上げた通りその内容は非常に秀逸なものでした。
運が悪かった、世間の見る目が無かった等、原因はいくつか考えられますけれども、
販促が弱かったというのは否めない事実です。
「Cold Spring Harbor」はファミリープロダクションというレーベルから
リリースされました。若きビリーの才能を見出したというのは特筆に値する慧眼ですが、
如何せん零細レーベル故にプロモーションは脆弱で、しかも回転数を誤りピッチが
上がってカッティングされてしまったというオマケ付きという有様でした(前々回ご参照)。
そんなレコード会社だったので、拾ってくれた恩義を感じながらもファミリー・プロダクションへ
見切りを付けようとしたビリーの心情も理解出来無くはありません。

「Piano Man」(73年)は同名アルバムからの1stシングルであり、ビリーにとって
最初のヒット曲であると同時にビリー自身を象徴する楽曲でもあります。
全米チャートで最高位25位と、無名の新人としては申し分ないヒットです。

アルバム一曲目の「Travelin’ Prayer」。前回でも触れましたが、ビリーとカントリーミュージックとは
あまり結び付かないイメージですが、初っ端から思いっきりブルーグラス調のナンバーです。
ビリーの音楽は良い意味で無節操であり、「素顔のままで」「オネスティ」しか知らないリスナーには
意外なものでしょう。ソロデビュー前のサイケバンドも、ビリーの一音楽であったのかもしれません。

ファミリープロダクションから逃げだすかの如く72年にビリーはN.Y. からL.A. へ移ります。
それは何故かと言えば、同年春にフィラデルフィアのFMで流れた「Captain Jack」のライヴを
耳にしたコロムビアレコードの重役が、ビリーの音楽に興味を持ち会社へ紹介したのです。
前述の通りファミリー・プロダクションの脆弱さに不満を抱いていたビリーは当然の如く
大手レコード会社であるコロムビアと契約をし、L.A. へ移住を決めたという訳です。
ビリーにまつわる有名な逸話として、音楽に没頭するあまり学業がおろそかであったビリーに対し
高校の教師がその姿勢を非難したところ、「俺はコロムビア大学ではなく、コロムビアレコードへ
行くのだから勉強は必要無い!」と言い放ったというのがあります。
本当にコロムビアレコード相手に契約と相成った訳です。

コロムビアと契約したとは言いましたが、当然ファミリープロとの契約も活きていました。
この辺りは ” 大人の ” 話し合いがなされたらしく、前作の権利をファミリーから買い取る、
また記述は見当たりませんでしたが、次々作の「ニューヨーク物語」までリリース元が
ファミリープロ/コロムビアとなっている事から、その辺りで手を打ったのでは?
(更に怖い話としてコロンビア側の重役がファミリーの社長を脅したとかナンとか・・・)

上はA-③の「Ain’t No Crime」。ビリーによるソウルフルなヴォーカルと
ゴスペル風女性コーラスからR&B・ソウルへの傾倒ぶりも伺えます。

A-④「You’re My Home」は当時の妻であるエリザベスの為に書いた曲。ウェストコーストに
いた頃は経済的余裕の無さから何も買ってあげられなかった故、バレンタインデーの贈り物として
彼女へ捧げたナンバーだそうです。「ストレンジャー」以降は家など何軒でも買える様になりました。
あっ! あと、ついでに言うと奥さんも何人でも …………… ヤメロ!ヽ( ・∀・)ノ┌┛Σ(ノ;`Д´)ノ
本曲もカントリーテイストが漂い、フィンガーピッキングによる生ギターやペダルスティールなどが
よりそれをイイ感じで演出しています。

話しは「ピアノマン」に戻ります。ビリー最初のシングルヒットでありシグネイチャーソングとも
言うべきこのナンバーは、アメリカを代表するミュージシャンであるビリーらしく、自身のそして
アメリカの魂とも言えるジャズ風のピアノイントロに始まります・・・・・・・・・・・・・・が、
その後の展開はいきなり三拍子、つまりワルツのリズム。そしてマンドリンやアコーディオンといった
楽器を用い欧州風の音楽、ブリティッシュ・アイリッシュトラッドミュージックかの様な曲調です。
カントリーでもマンドリンを使用する事はあるそうですが、やはりこれはヨーロッパの感覚でしょう。
勿論白人であるビリーのルーツはヨーロッパにあります。父はドイツ系、母はイギリス系の共に
ユダヤ人。しかしビリーにはあまり自身のルーツであるとか、特にユダヤ系である事にさして
思い入れは無いと言われています。
つまりこの人、音楽的に良ければ何でも取り入れる、先述した通り良い意味で無節操なのでは?
歌詞の内容は良く語られる所なのでここでは最小限にとどめます。
自身をバーのピアノ弾きに見立て、そこに毎夜やってくる常連や百戦錬磨のウェイトレス
(最初の奥さんエリザベスがモデルとも)が繰り広げる群像劇といったストーリーになっています。
これはファミリープロからトンズラし、L.A. で日銭を稼ぐため実際にラウンジミュージシャンを
していた頃の実体験を基にしているとか。
チャートアクションこそ「ストレンジャー」以降のシングルヒットには及ぼないものの、
コンサートではエンディング曲の定番となっており、オーディエンスの大合唱と共に終えるのが
お約束となっています。その事からしてもビリーにとって特別な一曲であるのは確かです。

ここまででアルバム「ピアノマン」に関してのまだ半分です。なので次回も「ピアノマン」その2。

#175 Cold Spring Harbor

ビリー・ジョエルは49年、N.Y. 州生まれ。彼の生い立ちなどは折にふれて。

デビューアルバムである「Cold Spring Harbor」(71年)はとにかく売れなかった、というのは
前回も述べました。
ビリーはソロデビュー前に二つのロックバンドを経ていますが、時代が時代というだけあって、
サイケ色満開で混沌とした音楽であり、これは昔からくそみそにこき下ろされています。
私も一度だけ耳にしましたが確かに二回は聴こうと思いませんでした …
上はA-②の「You Can Make Me Free」。「She’s Got a Way」と甲乙つけがたい
本作におけるベストトラックではないかと思っています。
ちなみに上は83年版で(前回ご参照)初出より短く再編集されています。初出版はこれです。

ピアノのみであった「She’s Got a Way」にはストリングスなどが加えられたのに対し、
本曲のリメイクにおいてはかなり削られた部分があります。後半のギターソロが長すぎるという
判断だったのでしょうが、個人的にこの後半の ” ハジけっぷり ” は好きです。71年というのは
こういう時代だったのであり、再発版も勿論良いのですが、22歳当時におけるビリーの
パッションを余すところなく伝える快作です。
これにはソロデビュー前のサイケバンドにおける経験もあり、さらにはオープニングの
「She’s Got a Way」が内省的な仕上がりだったので、” 次曲は暴れてみよう ” 、という
目論見もあったのでしょう。なのでアルバムコンセプトから言えば初出こそビリーが意図する所のはず。

A-③「Everybody Loves You Now」。ブルーグラス(カントリー&ウェスタンでテンポが
速いもの、という私の認識ですが、違っていたらご勘弁)の香りも少し漂うジャンプナンバーです。
ビリーとC&Wとはあまりイメージ的に結び付きませんが、初期は意外にも … 次作でわかります。

B-①の「Turn Around」はいかにも70年代初頭らしい、ジェームス・テイラーの曲と言われても
疑わない作品、といった感じですが実は初出版を聴いてみると・・・・・

83年版よりも泥臭い、サザンロック・スワンプロックといった仕上がりになっています。
リミックスヴァージョンではスライドギター(本曲はペダルスティール)が抑えられてしまって
いますが、原曲はもっとフィーチャーされています。今回調べていて初めてわかったのですが、
このスライドはスニーキー・ピート・クレイノウというギタリストによる演奏。
バーズを脱退したメンバーとカントリーロックバンドを結成し、ペダルスティールの名手と
謳われたプレイヤーだったそうです。83年版は洗練さが売りで、初出は朴訥さと
この素晴らしいギターが堪能が出来、結局はどちらも良いです。

非常にポップな楽曲である「You Look So Good to Me」。印象的なハモンドオルガンは勿論ですが、
ハーモニカもビリーによるもの。

「Tomorrow Is Today」はキャロル・キングか?、という程に内省的シンガーソングライターの
作品と呼べるもの。「つづれおり」が同年2月のリリースで、全米チャートにて15週連続一位という
お化けの様な売れ方をしたのですから、当然ビリーもこれに影響を受けなかったはずはありません
(「Cold Spring Harbor」の録音は7月からとされています)。
しかしながら、これも初出版はかなり違います。動画は張りませんがご自身でググってください。

エンディング曲である「Got to Begin Again」も「Tomorrow Is Today」と同系統の
ピアノ弾き語りによるナンバー。

ユーチューブを漁っていたら面白いものが。同71年におけるスタジオライヴらしいです。
音はお世辞にも良いとは言えませんが(タダで聴いてるんだから文句言うな!)、
若き日のビリーを生々しくうかがい知る事が出来る貴重な録音です。

当然の如く、前述した通りキャロル・キング、ジョニー・ミッチェル、ローラ・ニーロ、
そして同性であればジェームス・テイラーといった、当時台頭しつつあったシンガーソングライター達の
音楽に影響を受けたのは間違いないでしょう。結果的には箸にも棒にも掛からぬ程に売れませんでしたが、
永年に渡り幻の名作と言われ(日本では83年の再発迄は輸入盤・中古盤でしか聴くことが出来なかったので
尚更の事)、実際本作の内容はそれらの評価が紛うことなきものである事が明白です。
しかし少し天の邪鬼的な視点で言わせてもらうと、キャロル・キングやジェームス・テイラーといった
内省的シンガーソングライター風な音楽だけかと言えば、ややが付きます。
83年の再発時には邦題で ” ピアノの詩人 ” というサブタイトルが付きました。「ピアノマン」での
ブレイク前における、若き日のビリーによる心に染み入る珠玉の作品集、と言った売り出し方です。
勿論これが的外れだなどと言うつもりはありません。70~80%はその通りです・・・ですが …………
初出版の「You Can Make Me Free」や「Turn Around」を聴いてわかる通り、
実は結構ハジけています。
「ストレンジャー」「ニューヨーク52番街」にてビリーをバラード、ジャズ的なAOR、ソフトロックと
いった甘い印象で捉えた聴衆が「グラスハウス」で面食らった事はいずれ触れる所ですが(だいぶ後 …)、
キャロル・キングやジェームス・テイラー達と異なっていたのは、実はビリーは筋金入りのロックンローラーであるという点です。かなり語弊がある言い方になってしまいましたが、キャロルやジェームスに
R&Rスピリットが無いという事では決してありません。R&Rに対するベクトルの様なもの、
もう少し冗長を覚悟で述べるとすれば、それぞれが持っている音楽的 ” 引きだし ” の数々において、
ビリーは他のシンガーソングライター達よりもR&Rが占めるウェイトが大きかったのではないかと。
つまり「ピアノマン」、「素顔のままで」、「52番街」に収録された「ザンジバル」といった楽曲と
同じ比重で、R&Rナンバーも演っていたのだと考えています。R&Rもこなすシンガーソングライター
(世間一般的イメージの)ではなく、シンガーソングライターでありロックンローラーでもある、
そういうミュージシャンなのだと私は思っています。
何度も述べますが、他の人達にR&R魂が無いという事を言ってる訳ではないですよ。
キャロル・キングはある意味R&Rを創った偉人の一人です、「ロコモーション」を聴けばわかります。
上の部分は言いたいことが上手く伝わったどうか、かなり自信がありません。
なので忙しい人はちゃっちゃと読み飛ばしてください・・・・・あっ、でも曲だけは聴いてくださいね …

#174 She’s Got a Way

今回からビリー・ジョエルを取り上げます・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
前回まで10ccという、英国人らしい少し斜に構え、でありながらして非常に練り込まれた
ポップミュージックを創ったバンドを取り上げていたのに、ジャズ・R&R・R&B・ドゥーワップといった
アメリカ音楽の体現者とも言える存在であるビリー・ジョエルへなぜ話が流れるのか?
洋楽に精通している方であれば ” はは~ん、そのつながりで来たか ” とすぐにピンとくるかも
しれません。ましてやブログタイトルはビリーのデビューアルバム「Cold Spring Harbor」における
オープニングナンバー「She’s Got a Way」であるのに、初っ端の動画がそれより6年後の
「素顔のままで」なのはそれが理由。そうです、ビリーの代表曲である「素顔のままで」は
10cc「
I’m Not in Love」にインスパイアされて創った曲なのです。

1stアルバム「Cold Spring Harbor」は71年の作品。とにかく鳴かず飛ばずだったのは有名ですが、
さらにオマケとしてマスタリングのミスで再生速度を速くしてしまい、ピッチ(音程)が高くなって
しまったという曰く付きです。
83年にピッチを本来のものに直して再発され面目躍如と相成ります。日本では永らく廃盤だった
本作が再発されたのもこのタイミングでした。私が洋楽を聴き始めたのがちょうどこの頃なので
よく覚えています。
「She’s Got a Way」は多くのリスナーが81年のライヴ盤「Songs in the Attic」、
あるいはそれを収めたベストアルバム「Greatest Hits –Volume I & Volume II」(85年)で
本曲を知った事と思います(勿論私も)。10余年を経て世間に認知される事となった本ナンバーは、
最初の妻であるエリザベスを歌ったもの。

上の動画が71年初出のテイク。83年の再発時にはシンバルやストリングスが加えられました。
私はブラスやストリングスなどを加えるとすぐオーバープロデュースだ、とか騒ぐ自称ロック評論家は
全く信用しません。技巧や演出を否定してシンプルがイチバン、とか言えば聞こえが良いですが、
要はオレたちがわからないものは作るな?と言っているのと同義なだけです。
これだけ逆を張ってから敢えて言いますが、本曲に関してはピアノのみである初出版の方が良いです
(ピッチの問題は別として)。

上が81年のライヴヴァージョンですが、ピアノの弾き語りである本テイクはこの曲の完全版では
ないかと思っています。10年の月日を経てビリーが本当に演りたかった「She’s Got a Way」が
出来たのではないでしょうか。83年の再発盤で面目躍如と先ほど述べましたが、本曲だけに限っては
ピアノオンリーの方がベターです。

全然余談ですが、私はしばらくの間本曲を「She’s Got away」だと思っていました。
” 彼女はいってしまった ” 的な、別れた彼女を想う内容と信じて疑わなかったのです
(ホール&オーツの「She’s Gone」(#56ご参照)みたいな)。
この内省的雰囲気漂う佳曲に相応しい歌詞だな~、なんて・・・・・・・・・・・・・・
「She’s Got a Way」とは ” 彼女は独特だ、あるいは我が道を行く女性だ ” の様な意味に
なるそうです。エリザベスという女性が個性的な女性であったのか?その辺りはわかりません。
さらにこれも不確かな情報ですが、エリザベスはビリーがソロデビューする前に組んでいた
バンドメンバーの妻(当時)であり、仲間の女房に横恋慕してしまった自責の念から
自殺さえ試みたとか・・・
それが事実であれば、既述の本曲における内省的な香りも納得がいきますけれども ……………

#173 The Things We Do for Love

#169にて「Donna」(72年)が” 三番目くらい ” に知られる曲であろうという事は述べましたが、
では二番目は?と言うとこの曲でしょう。「I’m Not in Love」に次ぐ10ccのシングルヒットである
「The Things We Do for Love」(76年、全米5位・全英6位)です。

「I’m Not in Love」が収録されたアルバム「The Original Soundtrack」(75年)について。
とにかく「I’m Not in Love」ばかりが取りざたされるという事は既述ですが、本作も前二作と
毛色こそ違えど実験精神にあふれた作品です。
上はオープニング曲である「Une Nuit a Paris」。オペラ仕立ての様な楽曲構成である本曲ですが、
ある有名な曲と比べてしまいます、そうクイーンの「ボヘミアンラプソディー」です。
クイーンがこれにインスパイアされた、口の悪いヤツはパクったなどと色々言われています。
またクイーン擁護派はレコーディング時期がさほど変わらず制作前には聴けなかったはずだ、等々。
真相は藪の中ですが、客観的事実だけを述べると「ボヘミアンラプソディー」の録音は75年の
8月から9月、「The Original Soundtrack」のリリースは3月ですから制作前に聴く事は
出来ました。ただしフレディ・マーキュリー達が本作にヒントを得たというコメントなどは無い様です。
しかし「ボヘミアンラプソディー」には更にもう一点、声のウォール・オブ・サウンドという
「I’m Not in Love」との共通点もあります。あの有名なオペラパートにおけるコーラスの多重録音ですが、
千回以上のオーバーダビングを行ったという事ですから頭が下がります m(_ _)m
全くの私見ですが、やはりクイーンの面々あるいはプロデューサー トーマス・ベイカーは
「The Original Soundtrack」を耳にし、インスパイアされたのではないかな?と思っています。

「Blackmail」は骨のあるロックチューンでありながらファルセットヴォーカルという異色の
組み合わせで、更に(おそらくエリックの)スライドギターが映える良い意味での珍曲(?)です。
やはり普通では終わらせないこのバンドの精神がよく表れているナンバーです。

5thアルバム「Deceptive Bends」(77年)の制作過程でロル・クレームとケヴィン・ゴドレイは
脱退します。二人が抜けた事で当然の事ながらその音楽性にも変化が表れ、つまりヘンな事をする
メンバーの1/2がいなくなった事によって10ccは良くも悪くもストレートなロック・ポップスを
演る様になっていきます。上はオープニングナンバーの「Good Morning Judge」。
「The Things We Do for Love」も本作に収録された楽曲ですが、このアルバムでは四人時代の
名残を残しつつ新しい方向性を定めた礎石の様なナンバー、といった感じです。
と言っても完全に方向転換などは出来る訳もなく、やはり端々には10ccスピリットを垣間見る事が
出来ます。

本作のエンディングを飾る「Feel the Benefit」。三部構成からなるこの大作は、本アルバムにおける
ある意味一番の聴きどころです。ビートルズの「ディア・プルーデンス」か?と思わせる導入部に始まり、
ドラマティックなバラードパート、リズミックな16ビートパート、再びバラードへと戻りこのまま
大円団かと思いきや、そうは問屋は卸さずに、アグレッシヴかつブルージーなギターでフィニッシュ。
イメージは「アビー・ロード」のB面なのかな?といった感じの組曲に仕上がっています。
「オー!ダーリン」のパク …… オマージュである「ドナ」に始まり、やはりビートルズをイメージした
組曲で二人体制の門出を締める、10ccがポストビートルズ的音楽を演っていたかと言えば必ずしも
そうとは思えませんが(もっと他にいます)、その実験精神を最も継承したのはひょっとしたら
彼らだったのではないでしょうか。

唐突ですが10ccとはポップミュージックにおいて鵺(ぬえ)の様な存在ではないかと私は思っています。
この空想上の妖怪は ” つかみどころがなくて、正体のはっきりしない人物や物ごと ” を表す時に
用いられます。#169で既述ですが、R&R、ポップス、フォークロア、ハードロック、クロスオーヴァー、ラテン、アヴァンギャルド etc ….. といった節操のない音楽性を持って、悪く言えばロック・ポップスを
おちょくっているのか?と感じられなくもないその姿勢の裏側には、恐ろしいほどに真摯かつ懸命な
音楽創りへの情熱があります(良い意味で偏執的と言える程に ” フツウで終わらせない ” 姿勢が)。
普通のミュージシャンやエンジニアであれば ” そこまでやらなくても… ” といった突飛なアイデアも
何の迷いもなくトライしてみる、そういった姿勢が「I’m Not in Love」をはじめとした、それまでの
誰もが思いつかなかった様な作品を産み出していったのでしょう。

今回調べていてわかった事ですが、米でのゴールドディスクは「The Things We Do for Love」のみで、
アルバムは一枚もゴールドを獲得しておらず、「I’m Not in Love」ですら同様だったのです。
彼らの作風がアメリカでは受けなかったというのは合点がいきます。ですからレコードセールスだけを
取れば決して大成功を収めたバンドではありません。
しかし逆を言えば、その様なバンドが現在でも聴き継がれているという事実は、
決して「I’m Not in Love」の知名度のみによるものではなく(所謂 ” 一発屋 ” )、耳の肥えたリスナー達がその特異とも言える創造性を理解しているという事に他ならないのです。

#172 I’m Not in Love_3

「I’m Not in Love」その3。今回で最後です
中間部におけるベースソロパートと言えば忘れてならないのが … という所で前回は終わりました。
本曲を知っている人なら当然 ” ああ!あれね!! ” とお分かりの事。あの女性による囁き声、
所謂ウィスパーボイスについてです。

ベースソロを入れ終えてから聴き返していた面々でしたが、ケヴィン・ゴドレイはまだ何か欠けていると
感じていました。” 次にやるアイデアは?!” と皆に問いかけたそうです。
そのフレーズである ” Be quiet, bigboys don’t cry ” とはロル・クレームが何気なく発した言葉で
あったらしく、これを取り上げる事に皆の異論はありませんでした。問題は誰に歌わせるかという事
でしたが、まさにその時幸福な偶然が起こりました。ストロベリースタジオの秘書であった
キャシーという女性がエリックへ電話が入っているとスタジオ内へ入ってきて告げたのです。
” この声だ!俺が求めていたのは!!” とロルが歓喜し、早速彼女をブース内へ招き入れ録音を
始めました。キャシーは困惑し拒否さえしたそうですが、皆で説得、というか口八丁手八丁で
丸め込み ” 電話口で話す様にしてくれればイイんだ!” 、などと何とかその声を録り終えます。
あの中間部のパートにはこんないきさつがあったそうです。
ちなみに上の動画は93年に一時的に戻ってきたエリックを加えての日本公演における模様。
お世辞にも出来が良いとは言えませんが、エリックが歌っているというだけで貴重でしょう。

さて「I’m Not in Love」というタイトルについてですが、これについては触れられることも多く
今更私が書きタレる事もないかと思いますが、一応念のため。
当時結婚して八年になるエリックは妻 グロリアから ” あなたは何故もっと愛してるって
言ってくれないの? ” と問われました。エリックは言葉にすればするほどその意味は劣化する、
という思いから口に出さないという考えでした。具体的に言えば、
ねえ?愛してる?? J(・ω・)し … あ~愛してる、すっげえ、チョ~アイシテルヨ~!(´∀`) ………
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ケンカ売ってるレベルですね・・・・・
ここまではないにしろ(当たり前だ … )、口に出した途端ウソっぽくなるというのはわかります。
昨今、何でも口にしなければ伝わらない、の様な風潮があるように感じられますが、それらを全て
否定するつもりはありませんけれども、やはりむしろ口にしない方が重みを増す想いもあるのです。
唐突ですがこの歌は、史上初の ” ツンデレ ” ソングなのではないかと思っています。つまり、
(;´・ω・`;) べ、別にお前の事なんか愛してる訳じゃないからな! … か、勘違いするなよな!!
って感じでしょうか?(それも違うと思うぞ (´∀` )・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

上の動画は95年にリリースされた「Mirror Mirror」をプロモートする為に出演したテレビ番組らしいです。
本作はエリックが戻ってきて、更にポール・マッカートニーが
参加している事も話題となりましたが、
内容はエリックとグレアムが各々別々に作った作品の寄せ集め、などと評価は芳しくありません。
93年のと比べると、演奏の出来に関しては編成が異なるので一概には比較できませんが(95年の方は
エリックのエレピ、グレアムのギターそしてシンセのみ)、こじんまりした「I’m Not in Love」という
感じと、エリックの歌が二年経って少し昔を取り戻した(?)という点で個人的には95年の方がベター。

「I’m Not in Love」という曲は、元来はラテンタッチの小作品といったものであったのが、
一度はボツにされたものの奇妙なプロセスを辿って、最も酷評していたケヴィン・ゴドレイの
アイデアをはじめメンバー全員の力によって驚くほど別の姿として再生(playじゃなくてrebirthの方)を
果たします。それは全員が優れたプレイヤー(シンガー)、作曲・編曲者、そしてさらには
レコーディングエンジニアであるという特異性から生まれた、奇跡的でもありそれでいてなおかつ
必然的でもあった曲なのではないかと思っています。「I’m Not in Love」は10ccにおいては
異端の曲などと最初に述べましたが、それはそれ以前の作品と一聴して比べた時に感じるものであり、
やはり中身は10ccエッセンス・10ccスピリッツにみなぎっている曲なのです。
また ” オトナの事情 ” によりシングル化にあたって短縮させられ、ふたたび陽の目を
見ずに終わりかけたところを(短縮はBBCが要求したそうです)、本曲の魅力を理解していた
周囲がフルヴァージョンを推し進めたことで英本国、更には米及び世界へと広がったという
逆転サヨナラ本塁打のような曲です(たとえが適切じゃないかな・・・)。
本曲の良さがその様な道筋を辿らせたのだ、などと言えば文章的にはキレイにまとまるのでしょうが、
やはりそれだけではなく運もあったと思います。良いものは必ず認められるなどというのは
成功した側からの結果論に過ぎません。素晴らしい出来であったのにその時はさっぱり売れず、
後世に認められた。ヘタすりゃいまだに世に認知されていない名曲も当然たくさんあるでしょう。
と、……… これだけ伏線を張ってからあえて言いますが、やはりこの曲を埋もれさせまいとする
不思議な力、オカルトではなく人の思いの集合の様な力が「I’m Not in Love」という曲を成功に
導いたのではないかと私は思っています。

最後に余談的なエピソードですが、本曲の作者はエリックとグレアム。これだけ歴史に残って
流され続け、また取り上げられる楽曲ですので印税収入もすごい事でしょう。ロルとケヴィンは
その恩恵に与れなかったので可哀想、と思ってしまいますが実は違っており。当時バンド内では
誰が創った曲であろうと印税は四分の一ずつと取り決めをしており、二人もきちんとその分け前を
得ているようです。一人親方の集まりである様な彼ららしいエピソードです。