#133 Live

ダニー・ハサウェイは45年シカゴ生まれ。その後セントルイスで少年期を過ごします。
ゴスペルシンガーであった祖母の影響から3歳でピアノを始める事に。やがて奨学金を得て
名門ハワード大学へ入学し、ロバータ・フラックとも同校で出会う事となるのですが、
#129で既述なのでその辺は割愛。67年、卒業を目前にして中退しプロの道へ進みます。

話は唐突に変わりますが、ライヴアルバムの決定盤は?と問われれば、リスナーによって
百人百様なので決められる訳がありません・・・・・・・・あ、これでは話が終わってしまう …
オールマン・ブラザーズ・バンドの「フィルモア・イースト」だ、いや!ディープ・パープルの
武道館ライヴだ、ナニ言ってんだ!アレサ・フランクリンのフィルモア・ウェスト以外は
認めねえ!! … 等々、洋楽ファンが泥酔して談義するとこんな感じでしょう・・・
どれか一枚など端から無理なのは決まってますが、少なくとも本作は決定盤の一つとして良いでしょう。
ダニー・ハサウェイ「Live」(72年)。A面がL.A. 、B面がN.Y. のライヴハウスで行われた
演奏を収録した本作は、絶頂期のダニーを見事なまでに切り取った名盤です。
全曲素晴らしい演奏である事は言うまでもないのですが、やはり本作を名盤たらしめているのは
この演奏に他なりません、それは「What’s Going On」。マーヴィン・ゲイによるこの不朽の名曲、
数えきれない程のカヴァーがありますが、オリジナルと肩を並べられる価値があるのは
本テイクのみです。原曲よりもジャズ的でフリーなフィーリングでもって演奏される本曲、
ダニーの歌、バンドの演奏、そして聴衆のリアクションまでも(これ、ライヴ盤では重要です)、
その全てが渾然一体となって歴史的な名演へと昇華せしめているのです。4:15辺りからの
ダニーによるエレピのプレイ、四分の四拍子に三拍子フレーズ(一拍半)を織り交ぜたこのプレイは
カビが生えている、と言って良い程に使い古されているフレーズですが、この時はダニーを含め、
この場にいた全員に ”何か” が降りていたのでしょうか?異常なテンションです。
フレーズの終わり頃で聴けるダニーの感極まった掛け声でそれがわかります。
本曲程ではないにしても、私も二度だけこれに近い感覚を味わった事があります。どちらもプロでは
ありますが、失礼を承知で言うと決して世間一般に知られているミュージシャン達ではありませんでしたし、大きなホールやライヴハウスでもありません。しかし音楽の神か悪魔かはわかりませんが、
異常なテンションに包まれているのを感じました。
名演というものは、今日もどこか場末のライヴハウスで生まれているのかもしれません。

1stに収録されていた「The Ghetto」。ライヴならではのインストゥルメンタルを強調した演奏。
ダニーのプレイにおいて、エレクトリックピアノが重要な位置を占めていますが、彼が使用していのは
ウーリッツァー。エレピと言えばフェンダー社のローズピアノが有名ですが、ウーリッツァーは
それに次ぐエレピの代表格。正直キーボードに疎い私はあまり違いが判らないので、
言われてみれば音色は違うな、くらいのもです。自分の理解としてはローズはリチャード・ティー、
ダニーの音色がウーリッツァー、と認識しています(キーボードに詳しい人、ツッコミはご勘弁 … )。

A-③の「Hey Girl」。デビュー時からダニーの作品に関わっているフィル・アップチャーチの
ギターが印象的です。やはりインストゥルメンタルに比重が置かれているのは他曲と同様で、
後半のダニーのプレイが活き活きとしています。彼は超絶技巧のキーボーディストという訳では
ありませんが、楽器の歌わせ方が見事です。エリック・クラプトン回#8にて、歌心があるプレイは
やはりシンガーである事に起因しているのではないか、と書いたことがありますが、ダニーも
同様ではないかと思っています。もっともジェフ・ベックのように歌がヘタでもギターを歌わせる
事が出来るプレイヤーもいますが・・・・・謝れ!ジェフに全力で謝れ!!━(# ゚Д゚)━・・・・・

A面ラストはブレイクのきっかけとなった「You’ve Got a Friend」。涙を飲んでこれは割愛。
B-①「Little Ghetto Boy」。「The Ghetto」同様に黒人の貧困を取り上げており、かなり悲惨な
内容ですが最後は ”希望を持って少しでも変わるんだぞ、ゲットーのおチビちゃん!” とポジティブに
締めています。「What’s Going On」と同じくウィリー・ウィークスのベースが非常に印象的。

B-②の「We’re Still Friends」はダニーのエモーショナルな歌が堪能できるスローナンバー。
B面(N.Y. 録音)はギタリストが違います。一人は言わずと知れたコーネル・デュプリー、
もう一人がマイク・ハワードというプレイヤー。右チャンネルがデュプリー、左がハワードで、
ソロはデュプリーによるもの。ダニーのエモーショナルなヴォーカルへの ”絡み” が素晴らしい。
余談ですが、裏ジャケットはN.Y. でのライヴにおけるスナップを使用していますが、
デュプリーのギターのボディ部分は暗くて見えず、ネックから先が何とか確認出来る程度ですが、
ヘッドの形状からしてフェンダー テレキャスターと思われます。彼はテレキャスの使い手として
有名であり、音色からしてもフェンダー系のシングルコイルの音なので間違いないでしょう。
前回も触れた通りデュプリーはキング・カーティスのバンドにいましたが、
その時はギブソン(フルアコ)を使っていたようです(65~66年頃)。N.Y. での録音は
71年10月ですが、70年前後がギブソンからテレキャスへの切り替え時期だったのかもしれません。
やはりそれにはジミ・ヘンドリックスの影響があったのかな?と推察も出来ますが・・・

何と次の曲はジョン・レノンの「Jealous Guy」です。ジョンのソロキャリアにおける代表作
「イマジン」に収録されているナンバー(でもイマジンが一番
か?というと私は決して
そうは思わないんですがね・・・・・・ 一言余計だ!! ( ゚Д゚)┌┛Σ( ゚∀゚)!!!)。
「イマジン」の発売は71年9月、つまりリリースほやほやのアルバムからシングルカットされた
訳でもない本曲を取り上げたのです。後世でこそジョンの重要な曲と位置付けられていますが、
やはりダニーの選曲眼には感服させられます。本演奏においてはマイク・ハワードが
オブリガード(歌の合いの手)を弾いています。

エンディングは1stアルバムのタイトルチューン「Voices Inside」。14分弱という長尺の
演奏は当然インストゥルメンタルのパートがフィーチャーされていて、というよりも原曲自体が
コーラスとダニーの掛け声の様なものだけであり、歌らしい歌は元々無いのですけれども。
ダニーのエレピ、ハワード、次いでデュプリーのギター、そしてウィークスのベースと
ソロプレイが回されていきます。百聞は一聴にしかず、とにかく素晴らしい。
本曲でのソロはありませんが、ドラムとパーカッションも秀逸です。さっきは触れ忘れましたが、
「The Ghetto」におけるリズムソロも見事。ドラムはフレッド・ホワイト、
アース・ウィンド・アンド・ファイアーの初期メンバーであり、本作のレコーディング時は若干16歳。
派手さはありませんが、竹を割ったようなスネアの音色とグルーヴが素晴らしい。

本アルバムは72年2月の発売、「Roberta Flack & Donny Hathaway」が5月、そして
シングルヒット「Where Is the Love」が6月と、ロバータとの共演によるブレイクの
直前にリリースされた訳です。率直に言うと、本作のヒットは(ダニー単独の名義では唯一の
ゴールドディスク)「Where Is the Love」が世間に認知された故の事かもしれず、つまり
これだけの傑作でも、以前であれば広く世に知られる事もなく埋もれてしまった可能性もあるのです。
しかしながら、私は運命論とか全く信じない人間ですが、ダニーとロバータ両人による、
この時期の異常とも言える作品のパワーが、所謂 ”ツキ” の様なものを呼び寄せ、
ヒットしたのではないかと思えてならないのです。

#132 Donny Hathaway

ピーター・バラカンさんが以前ラジオで、ダニー・ハサウェイとスティーヴィー・ワンダーは
歌唱スタイルが似ていると常々思っていたが、ある日スティーヴィーのコメントの中で
ダニーの歌い方を真似た、の様な内容を読んで納得がいったと語っていました。
確かに二人の歌い方には似たところがあります。若き日のスティーヴィー(二十歳前後)が
自身のスタイルを確立する上でお手本にしたのがダニー・ハサウェイだったのです。

2ndアルバム「Donny Hathaway」(71年)。自身の名を冠した本作はプロデューサーに
ジェリー・ウェクスラーとアリフ・マーディンの二人、アトランティックレコードの要人達が
名を連ねています。1stは決してセールス的に成功したアルバムではありませんでしたが、
それでもこの会社の力の入れ様からして、いかにダニーを買っていたかがわかります。
オープニングナンバー「Giving Up」はヴァン・マッコイの作。「ハッスル」が余りにも
有名すぎてディスコの立役者、という印象ばかりが先走ってしまいますが、「ハッスル」以前は
ブラックミュージック界を作曲・プロデュースによって裏方で支えていた人です。
今回調べていて初めて知ったのですが、実はダニーと共通点が多いのです。幼いころ聖歌隊で
歌っていた(もっともこれは黒人シンガーでは珍しくないのですが)、ハワード大学に入学して
どちらも中退、そして亡くなったのも同じ79年です(ただの偶然ですけどね・・・)。
胸が締め付けられる程切ないのダニーの歌、サックスソロは師匠的存在であったキング・カーティス。

本作において最も知名度のある曲がA-②「A Song for You」でしょう。奇才(鬼才)レオン・ラッセル
による余りにも有名なナンバー。有名すぎるので詳しくは割愛しますが、全てのヴァージョンを聴いた
訳ではないのですが(200人以上にカヴァーされているので聴けるはずありません・・・)、
本曲の解釈として最も秀逸なテイクの一つと言って間違いないでしょう。

A-③「Little Girl」は ” 5人目のビートルズ ” として知られるビリー・プレストンの楽曲
(もっともこの言い方はビートルズとの活動以外を認めていない様でプレストンにとって非礼なのですが)。
オルガンはプレストンかと思いきやダニー本人、チャック・レイニーのベースも印象的です。

「He Ain’t Heavy, He’s My Brother(兄弟の誓い)」は英国バンド ホリーズで有名な曲ですが、
ダニーの手に掛かるとダニーの曲となってしまいます。「ふられた気持」「ミスティ」なども
そのオリジナリティー溢れた解釈は、どうしてこういう発想が生まれるんだろうと感服する限りです。
ダニーもロバータ・フラックも他人の曲を絶妙かつ、目からウロコ的にアレンジする天才ですが、
これはジャズメンの発想でしょう。オリジナルを書いて自身のそれが売れるのは勿論、他人にもカヴァーされ
印税がガバガバ入った方が儲かるのは明らかなのですが、それにはあまり興味がなかったのでしょうか?

「I Believe in Music」はカントリーシンガー マック・デイヴィスの曲。カントリーもダニーに
かかればソウルになる、と思いきや、原曲からしてかなり黒っぽいものでした。不勉強で
マック・デイヴィスに関しては全く知識が無いので他の曲も同様なのかはわかりませんが、
かなりソウルフルな歌い方をする人であり、コーラスもゴスペル風のもの。
ダニー版もそれを踏襲していて、つまり本曲はオリジナルのテイストを尊重しているのです。
ダニーはいたずらに奇抜なアレンジをしている訳ではなかったという事です。

エンディングナンバー「Put Your Hand in the Hand」。カナダ人ソングライター ジーン・マクレランに
よる本曲は、同じくカナダのバンド オーシャンにより全米2位まで昇った曲(ちなみにトップを阻んだのは
スリー・ドッグ・ナイトの「ジョイ・トゥ・ザ・ワールド」)。ゴスペルテイストのカントリー、とでも
形容出来る本曲は、ダニーの手によって見事なゴスペルソングに仕立て上げられています。

先述した事ですが、如何にアトランティックによるダニーへの期待が大きかったかが伺い知れます。
既に挙げたキング・カーティスやチャック・レイニーの他にも、ギターにコーネル・デュプリー
(昔キング・カーティスバンドにいた関係かも?ちなみにその当時にはジミヘンも在籍。#43ご参照)、
ドラムはブッカー・T &The MG’sでの活躍が有名なアル・ジャクソン。ブラックミュージック特集
第1回目のアル・グリーン「Let’s Stay Together」も彼によるプレイですが(#101ご参照)、
無駄な音を排した究極のシンプル、とも言えるドラミングは現在でも賞賛され続けています。
本作はポップスチャートでは89位と前作同様に奮わなかったのですが、R&Bでは6位に
チャートインし、黒人層への支持を着実に得つつありました。
そしてロバータ回へと繋がるのですが、その辺りはまた次回にて。

#131 Everything Is Everything

前回まで続けてきたロバータ・フラック回は決してまだ終わっていないのですが、
一度中断して、というよりも、この人についてはロバータと同時進行で語らなければならぬ事を
思い知りました。言うまでもなくダニー・ハサウェイです。
出自・生い立ち・音楽的バックグラウンドなどはロバータ同様においおい触れていきます
(それだけでブログ一回分でも足りない位なので・・・)。

ダニーのデビューアルバムである「Everything Is Everything」(70年7月)。
名盤であることは言わずもがなですが、いち早くニューソウルの幕開けを告げたエポックメーキングな
作品です。マーヴィン・ゲイ「ホワッツ・ゴーイン・オン」(71年5月)やカーティス・メイフィールド
「スーパーフライ」(72年7月)といった、同じくニューソウルの金字塔である作品の中でも
先陣を切ったアルバムであり、更に言えば本作から既にダニーのエッセンスが凝縮・完成されています。
オープニングナンバー「Voices Inside (Everything Is Everything)」。副題がアルバムタイトルで
ある本曲は、のっけから尋常ではないテンション感が漂っています。端的に言えば、ポップソングに
別れを告げたという事で尽ると思います。スティーヴィー・ワンダー回でもたびたびその名が挙がった
モータウンの創始者 ベリー・ゴーディが目指した分かり易いソウルミュージックとは違う方向に
向かっていったという理解で概ね良いと私は思っています(違う!という意見もあるのはごもっとも…)。
そのテンションを醸し出している一因はイントロのギターにありますが、これはダニーの作品と
深く関わる事となるフィル・アップチャーチによるプレイ。ちなみに本曲の作曲者(共作)でもあります。

A-②「Je Vous Aime (I Love You)」。曲名は副題をおフランス語にしたものです。彼の奥さんに
捧げた曲で、そして二人の間に生まれた女の子が母親と同じ名前を与えられ、やがてシンガーとなる
レイラ・ハサウェイです。

A-③の「I Believe to My Soul」はレイ・チャールズの楽曲。レイの洗礼を受けていない
黒人ミュージシャンはいないのではないかと思いますが、聖歌隊で歌ってきたダニーにとって、
レイの歌は自身の血となり肉となったものでしょう。

傑作ぞろいの本作にあって、ベストトラックは?と問われれば本曲かな(もう一つありますが)、
と私が思うA-④「Misty」。言わずと知れたジャズピアニスト エロール・ガーナーによる
スタンダードの大定番。図らずもロバータ回にて(#128ご参照)「ミスティ」には触れました。
彼女がブレイクするきっかけとなった映画「恐怖のメロディ」にて、ストーカーが執拗にリクエストを
繰り返す曲として使われています。ですが別に「ミスティ」は怖い曲ではありません。
” 貴方が傍にいると、私は霧に包まれてしまうのよ ” という、小っ恥ずかしくなる程のラブソングです。
原曲はスローのバラード、たまにアップテンポで演るジャズメンもいますが、本曲の様なソウル・ゴスペル
スタイルで演っているのは他に思い当たりません。「Roberta Flack &Donny Hathaway」における
「ふられた気持」の大胆なアレンジも見事でしたが、本曲も勝るとも劣らぬ秀逸なもの。
一聴しただけでは「ミスティ」と気づかないのも同様です。

B-①「Thank You Master (For My Soul)」。B面はA面に比べると長尺の曲となっていますが
(6~7分)、エモーショナルなダニーの歌、文句の付けようもないアレンジ、そして一部の隙も
見当たらない演奏と、私の陳腐な文章では語れません(なので、唯唯聴いてください)。

ダニーにとってその後重要なナンバーとなるB-②「The Ghetto」。タイトル通り、黒人への差別・
貧困などを取り上げた曲です。歌詞に関して興味がある人は各自で調べてください。
意味は判らなくとも、この黒っぽいフィーリングだけでノックアウトされます。

私は神も仏も信じない不信心者ですが、神性を纏った音楽、救いの曲とはこの様なナンバーのことを
言うのではないかと思っています、エンディングナンバー「To Be Young, Gifted and Black」。
「ミスティ」と並ぶ本作の、というよりもダニーのキャリアにおけるベストトラックでは・・・

チャートアクションだけを取ればポップス73位・R&B33位とお世辞にもヒットとは言えませんが、
先に述べた通り、新しいソウルミュージックの到来を告げた大傑作であります。
ロバータ・フラックは勿論の事、マーヴィン・ゲイ、カーティス・メイフィールド、
スティーヴィー・ワンダーなどの新時代におけるソウルの担い手達に多大なインスピレーションを与え
(勿論ダニーも、先輩であるロバータ・マーヴィン・
カーティス達から沢山吸収した結果ですが)、
70年代ニューソウルにおける傑作群の先駆けとなった名盤が本作であるのです。

#130 Killing Me Softly

前回のつづき。ロバータ・フラック「Killing Me Softly with His Song(やさしく歌って)」は
彼女のオリジナルではなく、飛行機で偶然耳にしたことが発端となりカヴァーしたというのは
前回述べました。実は彼女、「Killing Me・・・」というタイトルには眉をしかめたと語っています。
この場合におけるkillは当然 ”人を殺める” ではなく、”悩殺する・魅了する” の様な意だそうです。
つまり ”彼の歌は私を優しくメロメロにしてくれちゃうのよ・・・” くらいの意味なのでしょうが、
やはりそれでもkillという単語にはネイティヴであっても抵抗を感じるようです。
メロディ(歌)は殆ど同じなのに、これだけ印象が変わるというのはやはり楽曲はアレンジに因るところが
大きいのだと改めて認識させられます。先ず以て楽器の編成が違うというのは当たり前ですが、
一か所決定的に異なる部分があります。歌の最後 ” with his song ~ ” のパートが原曲では
マイナーコードである所をロバータはメジャーに変えました。聴き比べてみると確かに印象が
ガラッと異なります。具体的には主メロであるC(五度)の歌にメジャー三度であるAをコーラスで
重ねています(この部分はFコード)。不思議な事にメジャーであるのに不気味さの様なものを感じます。
ロリ・リーバーマンのオリジナル版は思いの丈をストレートに歌ったのに対して、ロバータ版は
女性の情念、愛憎入り乱れた様な感情を感じてしまうのは私だけでしょうか。
ちなみにベースはここでもロン・カーター。ロンのプレイがあるからこその曲とも言えます。

シングル「やさしく歌って」は通算で5週全米1位となり、本曲を含むアルバム「Killing Me Softly
(やさしく歌って)」は米だけで200万枚以上を売り上げこれも大ヒットとなります。
細かい所ですが、楽曲のタイトルには「… with His Song」が付き、アルバムにはそれがありません。
邦題ではどちらも「やさしく歌って」です。上はA-②の「Jesse」、ジャニス・イアンの曲。
ジャニス・イアンはロバータによる本曲のカヴァーにて、この時再度脚光を浴びたと言われています。

A-③「No Tears (In the End)」。「Where Is the Love」と同様ラルフ・マクドナルドによる楽曲。
ロバータとしては珍しい部類の正統派(?)ソウルナンバー。ワウをかけたエリック・ゲイルの
ギターがたまらない。ロバータはシャウトなどしない歌唱スタイルですが、後半の盛り上げ方は
実に見事です。叫ぶだけが盛り上げる術ではないという事です(シャウトが悪い訳ではないですよ … )。

A-④「I’m the Girl」。淡々かつ朗々と歌い上げるロバータとチェロの組み合わせが美しい。

ジーン(ユージン)・マクダニエルズ作のB-①「River」。ロバータはデビュー作からマクダニエルズの
楽曲を好んで取り上げています。黒っぽいフィーリングは同じアフリカンアメリカン同士だからこそ
醸し出せるのでしょうか。

B-②の「Conversation Love」。デビューから70年代のロバータ黄金期をベーシストとして、
またアレンジ・ソングライティング面で支えたテリー・プラメリのペンによる曲。
この時代における、如何にもニューソウル然とした楽曲。やはり弦と管のアレンジが見事です。

B-③「When You Smile」はこれまたラルフ・マクドナルドのペンによる曲。ラグタイムの様な
オールドアメリカンミュージック風の楽曲と演奏は、ロバータとしては珍しく陽気なもの。

エンディングナンバー「Suzanne」。数々のミュージシャンによって歌われているレナード・コーエン作の
曲ですが、ロバータが取り上げるとやはりロバータワールドになります。10分近くに渡る長尺の曲で、
特に山場があるという訳でもなく淡々と進んでいくのですが、テンション感を保ちながら全く飽きる事なく
聴かせてくれます。後半のストリングスとロバータによるスキャットは、静かな嵐とでも形容すれば
よいのでしょうか、抑制を効かせながらもストーリー性を持った素晴らしいアレンジです。

本作はダブルプラチナ(200万枚以上)を獲得し、彼女にとってセールス的に最も奮ったアルバムです。
ロバータ・フラックと言えば「やさしく歌って」、とされる程に彼女の代名詞的作品となりました
(日本ではコーヒーのテレビCMによって特に)。勿論名盤である事に私も異論はありませんが、
あまりにも本曲・本作が有名になり過ぎて、それ以前及び以降の素晴らしい傑作群が世間の耳に
触れづらくなってしまっているのも事実だと思います。「やさしく歌って」を聴けばロバータ・フラックを
理解したつもりになってしまうという弊害をもたらしてしまうのです(何しろ私も昔はそうでした・・・)。
もっともこれはロバータに限った事ではないのですけれども・・・・・・
でもこれは、ちょっと捻くれた私だけの見方だと、どうか読み流してください ………………

ディスコグラフィーだけを参照すれば、ここまでの作品全てがプラチナ・ゴールドディスクを獲得し、
順風満帆なミュージシャンとしてのキャリアを重ねたように錯覚してしまいますが、37年生まれの
ロバータがデビュー作を出したのは69年なので、この時点で32歳。既述ですがブレイクするのは
72年の事なのでこの時既に35歳。名門ハワード大学の大学院まで進みながら、父親の急死によって
大学を辞めざるを得なくなった事も既に触れましたが、やはりミュージシャンの道を諦めきれず、
週末にはナイトクラブなどで演奏していたそうです。ヘンリーのレストランという店で演奏していた
頃にはラムゼイ・ルイスや映画監督のウディ・アレンなどが常連だったとのこと。
そしてやがて評判が広まり、以前書いたようにある人物が推薦しアトランティックのオーディションへと
こぎ着ける事が出来たのです。アレサ・フランクリンやディオンヌ・ワーウィック、そしてダイアナ・ロスの
ように、60年代から若くして成功した黒人女性シンガーとは一線を画すものがあると言えます
(音楽的な優劣ではなく・・・)。要するにロバータ・フラックとは確固たる才能を持ちながら、
なかなかその芽は出なかったのだが、決して諦めることなく地道に活動を続け、やがて自身の道を
切り開いた努力の人だということです。努力をした人が全て報われるとは限りませんが、
努力無しの成功もまたあり得ないのではないかと思うのです。