#18 Roundabout

テレビアニメ『ジョジョの奇妙な冒険』のエンディングテーマとして使用されたことから、耳にした事がある方も結構おられるのでは。イギリスのロックバンド イエスの71年発表「Fragile(こわれもの)」のオープニング曲にて、シングルヒットした「Roundabout」。

初めから演奏力が突出したバンドでしたが、3rdアルバムからギター スティーブ・ハウが、そして4thアルバムである本作「こわれもの」からキーボード リック・ウェイクマンが加入し、黄金期のラインアップが揃います。こぼれ話ですが、以前からイエスと交流はあったウェイクマンでしたが、バンドの練習を見に来ないか?と電話を受けたときは、寝不足で翌日も朝が早かったので、大変不機嫌な状態で行ったとのこと。しかし、その時殆ど完成していた本曲「Roundabout」を耳にして、すっかり魅了されてしまい、そのままなし崩し的にバンドに加わったというエピソードがあります。その演奏技術においてイエスは、当時のロックバンドの中で最高峰だったと思います。”鉄壁なアンサンブル”という言葉はこの人達の為にあるのでないかと思われる程で、更にコーラスワークまで見事です。イエス=”テクニックのバンド”というレッテルが張られるほど。これには功罪いずれの側面もあるとは思いますが、本作にてアメリカでもアルバムトップ10に入り、世界的にその名が知れ渡ります。
キング・クリムゾンが重厚かつ高度で深遠な世界観(悪く言えば、難解かつ、陰鬱で沈んでいく様な内向きな音楽性)であったのに対し、イエスは高度な音楽性でありながら、外向きに解放された(決して軽いという意味ではなく)音楽世界を構築しました。もっとも人事面においては、クリムゾンに”負けず劣らず”安定しないバンドで、頻繁なメンバーチェンジからそれは見て取れます。クリムゾンが基本的にロバート・フリップの強力なリーダーシップによって構築された音楽(決して皆、唯々諾々と従った訳ではないことは前回までの記事で触れた通り)であったのに対し、イエスはある意味、”民主的”な集まりだったそうです。些末な事柄でも、全員で話し合い、徹底的に”民主的”に決定するという姿勢が、メンバーによっては、「タルい、時間がかかってしょうがない」、といったバンド内の状況だったそうです。「こわれもの」というタイトルは当時のバンド内の人間関係を表したものとも言われています。

「ラジオ・スターの悲劇」のヒットで有名なバグルスのトレヴァー・ホーンが主導権を握っていた頃の、83年発表、全米1位の「Owner of a Lonely Heart(ロンリー・ハート)」(この時期のイエスは基本的に”別物”と捉えた方が良いと私は思っています)を除けば、「Roundabout」は全米トップ20に入った最大のシングルヒット。8分以上に渡るこのような楽曲がシングルヒットするのは、極めて異例だと言えます(時代がそれを許容していたというのもあるでしょう)。本曲は高度な音楽性とコマーシャリズムが同居した、ポップミュージックにおいては誠に稀有な楽曲だと言えます。イントロの生ギター(これはナイロン弦ではなくフォークギターだと思います、多分…)のハーモニクスが非常に印象的で、これだけで”イエス的音楽世界”へ引き込まれてしまいます。リズム隊が入ると颯爽とした、軽快感さえ感じる展開へ。ジョン・アンダーソンのハイトーンボイスも相まって、非常にキャッチーな楽曲として始まりますが、やはりそこはイエス。クリス・スクワイアの重厚なベース、リック・ウェイクマンのオルガン、ムーグシンセを見事に使い分けたオブリガード的フレーズと、キャッチーでありながら一筋縄ではない高度なプレイと音色のセレクションです。曲は更にディープな展開へ。変拍子の”キメ”の後、03:20秒辺りからのポリリズム(異なるリズムの混在)を駆使した、ヘヴィーなパートへ。そして05:00秒頃にて、イントロ同様の生ギターのフレーズに戻り、静的パートへと回帰。そしてウェイクマンとハウによる怒涛のソロの掛け合いを経た後、ヴォーカルのパートを挟み、ラストは見事なコーラスワークと生ギターによる冒頭のフレーズをなぞったエンディング。8:30秒という長さを全く感じさせない見事としか言いようのない楽曲構成です。
エンディング曲「Heart of the Sunrise(燃える朝焼け)」は、次作の大作志向が既に現れている10分以上に及ぶ楽曲。これだけ長い楽曲は自ずと、静と動、緩急を使い分ける構成になりますが(そうでなければ飽きます…)、やはり見事の一言です。高い技術の裏付けがあるからこそ出来る、激しい複雑かつ高速なプレイのパート、決して”ダレる”ことなく緊張感を保った静的パート。この様な楽曲は、イエス、キング・クリムゾン、ジェネシスといった高度な技術・豊富な音楽的素養を有するバンドであるからこそ作り上げ、またそれを実際に演奏して具現化出来たものでしょう。
レッド・ツェッペリンとともに、期待の英国新人バンドとして、米大手アトランティックレコードと契約したイエスでしたが、ツェッペリンが初めから爆発的なヒットを飛ばしたのに対して、イエスは芽が出るまでに若干時間を要しました。色々な要因がありますが、例えば、初代マネージャーがマネージメントの専門家では無かった、本国アトランティックと上手く意思疎通・情報伝達が出来なかった為、販売促進活動が的を得たものにならなかった(米国側は、当初彼らを”フォークグループ”だと思っていたらしい・・・)等々。しかし、ようやく本作のヒットにて、世界的なロックバンドへと認知されるようになりました。

しかし先に触れたように、人事的には大変混乱しており、決して順風満帆な状況ではありませんでした。その様な”危機”をどの様にして乗り切っていったのか、または乗り切れなかったのか。その辺りは次回にて。

#17 Starless

俳優の高嶋政宏さんは大変なロックマニアで、ご自身もベーシスト(弟の政伸さんはドラマー)であり、ロック関連の番組に出演される時は”スターレス高嶋”と名乗られています。その”スターレス”とは高嶋さんの愛聴曲であり、キング・クリムゾン74年発表「Red」のエンディングを飾る「Starless」のことに他なりません。

同年3月発表の「Starless And Bible Black(暗黒の世界)」はスタジオ録音とライブ音源から成る作品。この頃からメンバー間には不和が(毎度の如く…)生じていたとのこと。「Starless」というタイトルから明らかな通り、本来は「暗黒の世界」に収録される予定だった曲。しかし収録は他メンバーの反対にあって、タイトルだけがアルバムと、B面一曲目のインストゥルメンタルナンバーに冠されることでその時は落ち着きました。
「暗黒の世界」ツアー終了後、デヴィッド・クロス(vio)が脱退。クロスは結局
「Red」にゲストとして参加しますが、正式なメンバーはフリップ、ウェットン、ブラッフォードの3人となります。ですが彼らの人間関係もかなり険悪になっていて、アルバムジャケットの3人の写真はそれぞれ別々に撮ったものを合成したとのこと。つまり一緒に写真を撮ることさえ嫌だ、という絶望的な人間関係に陥っていたようです。ちなみに「Red」というタイトルは裏ジャケットにある通り、録音レベルを示す針が振り切れて”レッドゾーン”に達している、つまりバンド内の人間関係も”レッドゾーン”だ、という意味合いもその一つと言われています。
しかし、「暗黒の世界」「Red」共に、決してバンド内の不和が悪影響を及ぼしているということは決してなく、前回も記しましたが、それさえも良い緊張感として昇華してしまうほど音楽的には成功しています。これは、メンバーそれぞれの力量の高さ、プロフェッショナルとして、あくまで音楽そのものは完遂するというモチベーションの結晶だと思います。更に本作には、過去にメンバーであったイアン・マクドナルドとメル・コリンズも参加しています。フリップとの仲違いが脱退の一因でもある彼らが何故また参加したのか?
勿論様々な理由があったとは思いますが、やはりフリップが創る音楽に魅せられ、自分たちもそれに関わりたいというのがあったと思います。お世辞ににもフリップの人間性に魅かれてではなかったと思うのです(フリップ氏に大変失礼<(_ _)>)。逆に言えばそれだけクリムゾンの音楽には魔性とも言える魅力があったのでしょう。バンド内の不和は基本的に音楽にも悪影響を及ぼす方が多いとは思いますが、しかし仲が良いだけの、和気あいあいとしたお友達バンドであることが音楽に良い影響を与えるかというと、これまた違うでしょう。ある意味この時期の彼らは、ストイックなまでに音楽第一主義であり、互いの人間的相性などは全く無縁で音楽に没頭できた、逆説的ではありますが、ある意味、理想とも言える状況にあったのではないでしょうか。

タイトル曲「Red」。クリムゾンにとって、そしてその後のロックミュージック全体において非常に重要な意味を持つナンバーだと私は思っています。フリップがそのような意図を持って作ったとかコメントがある訳でもなく、全く根拠のない私見ですが、本曲は”ロックの本質とは”と投げかけているような気がするのです。テーマの繰り返し、あまり展開をしない、間奏にソロ演奏などはしない、当然即興など介在する曲ではなく、これまでのクリムゾン像とはかけ離れた楽曲で、時系列でクリムゾンの音楽を聴いてきた場合、あれ? と思うものです。1stにてそれまでのロックには無かった様々な要素を取り入れ、見事な作品にまで昇華せしめたクリムゾンは、前回でも書きましたが、やがて即興性と”偏執的”なまでのリフレイン・リズムの反復という、相反する要素を混在させ、そして本曲では即興や特殊な楽曲展開などは鳴りを潜め、一定のグルーヴからもたらされる、ある種の高揚感が重要なファクターとなっています。一聴した感じでは、一般的なロック・R&Rとはかけ離れた音楽ですが、図ったか、図らずか、”ロックとは何ぞや”と投げかけているような気がするのです。ロックとはシャウトするヴォーカルでしょうか?間奏にギターソロがあればロックなのでしょうか?否、インストゥルメンタルでもキーボードトリオでもロックは成立します。ロックとは、一定のフレーズ・リズムの反復からもたらされるグルーヴ・高揚感にその本質があるのではないでしょうか。リフレインを「リフ」と称するほど、それは定着化しているではありませんか。本曲を聴くたびにその様なことを考えさせられるのです。
今回のテーマである「Starless」。1stの「Epitaph」やタイトル曲を彷彿させるナンバー。12分余の大作ですが、その構成の見事さには何度も聴いても圧倒させられます。冒頭、メロトロンとフリップのトーンを絞ったむせび泣く様な音色による抒情的テーマ。ウェットンのヴォーカルに優しく、しかし距離を置いて寄り添う様な(多分イアンの)サックス、全く明るさはありません。暗く、陰鬱な楽曲として始まります。これだけで終わっていれば特筆すべき楽曲ではありませんでした。圧巻なのはこの後、04:30秒辺りからのインストゥルメンタルパートに入ると、フリップが執拗に一定のリフをキープする後ろでウェットンとブラッフォードのインプロヴィゼイジョン、特にブラッフォードのドラム&パーカッションは見事の一言、間違いなく「太陽と戦慄」にて参加したジェイミー・ミューアの影響を受けたであろう、そのプレイは、打楽器とはここまで表現が出来るものなのだ、と聴くたびに目から鱗の思いです。極限までテンションを高めたこのパートを終えると、変拍子によるメルのサックスをフューチャーしたパートへ。一旦それが中断され、ヴォーカルのフレーズをサックス2本で奏でるパートを挟み、また変拍子のパートを今度はフリップのソロ(といっても既出のリフの延長)にて。後ろで鳴っているのは、多分歪ませたクロスのヴァイオリンだと思うのですが、ギターのピックスクラッチかもしれません。未だに不明です。
(分かる人は教えて(´・ω・`))
そして11:30秒頃からの圧巻のラスト。またサックス2本で冒頭のギターのフレーズを奏で、イントロのテーマを見事なまでに別次元へと昇華します、見事の一言。何度聞いてもこの怒涛のエンディングには涙腺が崩壊させられます。先述しましたがお世辞にも明るい曲ではありません。しかしただただ陰陰滅滅となるのかというとそれとも違います。聴き終わった後で不思議なカタルシス、浄化作用の様なものがあり、むしろ一種の清々しさが残るような楽曲です。
「Red」の様な7年後の「Discipline」へと繋がる、その後におけるクリムゾンの萌芽的楽曲から、「Starless」という劇的な従来のクリムゾン世界観まで。本作は、この時におけるクリムゾンの集大成だったのでしょう。当然フリップはこれにてバンドは終了、という気持ちで本作を制作したはずです。”真紅(=Crimson)の宮廷”に始まり、”星一つない暗黒”をもって、その幕を一旦閉じたクリムゾンの歴史は、ある意味当時におけるロックミュージック界の終焉を象徴しているような気がしてなりません。

90年代以降も、メンバーチェンジ(お約束の人事的トラブルは相変わらず…)や、活動休止を挟みながらも、クリムゾンは現在も活動を続けています。例えばバンドでもリーダーが殆ど作曲・編曲を手掛け、特に当人がヴォーカリストである場合などは、所謂”ワンマンバンド”で、バックメンバーが変わってもその音楽性には
あまり影響を及ぼさないバンドが結構あります(具体名は挙げませんが…)。しかしクリムゾンは異なります。あくまでその時々のサウンドコンセプトはフリップによるものですが、メンバーによってがらりと変わります。インストゥルメンタルの比重・重要性が高いからというのがありますが、プレイヤー達(初期は作詞者ピート・シンフィールドも含めて)によって、”あらゆる意味で”火花を散らしながら、各々の個性が有機的に融合することによって、その音楽性は創られていった、ロック界においては稀有な存在だったと言えます。1stアルバムこそロックの古典としてある程度のセールスを上げてはいますが、決してビッグセールスを数々放ったバンドではありません。しかしその音楽性に魅せられ、世界中で、約50年に渡っての”クリムゾンフリーク”といった人達が決して少なくないのです。これは逆に凄い事ではないでしょうか。

今回の記事はかなり長くなってしまいました。もう一回増やそうかとも思いましたが、三行で…ならぬ三回でまとめます。これにてキング・クリムゾン編は終了です。
しかしドラム教室のブログのくせに、いつになったらドラムの事書くの…
(´・ω・`)

#16 Larks’ Tongues in Aspic

発売時、日本のある大手新聞のレコード評にて、「ロック史に残る傑作となるであろう」と評されたアルバム。それが73年発表「Larks’ Tongues in Aspic(太陽と戦慄)」です。イエスからビル・ブラッフォード(ds)を引き抜き、同様にファミリーから大学の友人であったジョン・ウェットン(b)、更にヴァイオリニスト デヴィッド・クロス、そして本作において大変重要な役割を果たすこととなる前衛パーカッショニスト ジェイミー・ミューアを従え、新生キング・クリムゾンが誕生します。
演奏力が格段に上がったことによって、その時フリップが描いていた音楽が具現化できるようになりました。”基本的に”即興演奏を前面に押し出し(あくまで”基本的に”です。何故それを強調するかは後述します)、しかしながら鉄壁なアンサンブル・グルーヴはあくまで保ちつつ、フリージャズ、前衛音楽とは似て非なる、あくまで”ロックミュージック”であるという全くの新境地を開きました。以前BSで、ある有名ミュージシャンが昔の洋楽を紹介する番組があったのですが、そこで「Larks’ Tongues in Aspic, Part One(太陽と戦慄 パートI)」のライブ演奏を流しました。観終わってからアシスタントの女性が、「すいません、私全然理解できません!」の様な旨を言いました。正直な感想だと思います。お世辞にもコマーシャリズムに溢れた音楽ではなく、むしろ真逆の方向性ですので無理もありません。
オープニング曲「太陽と戦慄 パートI」のメンバー全員による強力なインタープレイの応酬から、その後のクールダウンしたパートへの、静と動のコントラストが非常に印象に焼きついてしまうアルバムであり、それが一般的に本作を即興演奏を前面に押し出したロックミュージックの傑作と評されることが多いのですが、全くの私見ですけれども、その評価は本作の2~3割位の部分しか的を得ていないと思っています。実際メンバー全員のインタープレイが堪能できるのはオープニング曲くらいであって、その他はフロント(フリップとクロス)のみの即興でリズム隊はストイックなまでに殆どバッキングに徹する、かと思えばその真逆もあり、先述の通り、フリージャズ・前衛音楽とはあくまで一線を画する”ロック”として昇華されている所が本作の醍醐味であり、そうでなかったら同様のジャズや現代音楽と変わらない音楽でした。
エンディング曲「太陽と戦慄 パートII」が最も顕著な例でしょう。基本的にミューアのパーカッション以外は律儀なまでに(複雑なバッキングですが)、構築されたアンサンブルを貫き通し、一定のリフ・リズムの繰り返し(繰り返すから”リフ”って言うんですけどね(´・ω・`))から生まれる高揚感と、その上で”暴れまくる”ミューアのプレイのコントラストが見事としか言いようのない効果をもたらしています。もしも、本作にミューアが参加していなかったとしたら、かなり印象の違う作品になっていたでしょう。そのエキセントリックでありながら、確かなテクニックに裏打ちされた劇的な演奏が、本作をロック史に残る傑作へと高めた要因の一つとなったのは間違いありません。具体例を一つだけ挙げるなら、「太陽と戦慄 パートII」01:40秒辺りのホイッスル、この笛の音一発で、どんな複雑かつ高速なフレーズよりもインパクトがあります。ちなみにミューアは本作のみでバンドを脱退。理由の一つは、クリムゾンの音楽は自分には”ポップ”すぎる、というものでした・・・
これでもまだ”ポップ”って……(´゚д゚`)
3rdアルバム「Lizard」にてフリージャズピアニストをゲストとして起用し、かなりその影響が強く表れた作品となりましたが、その辺りを境に、フリップの中で即興音楽に対してのスタンスが変化していったのではないか、と私は勝手に思っています。即興を取り入れながらも、片一方では”偏執的”とも言えるほど一定のフレーズの反復を強調したりと、相反する要素を混在させ、独特の音楽的世界観を構築しました。

時代は飛びますが、第3期新生クリムゾンによる、81年発表の「Discipline」(=”戒律・規律”といった意味)においては、リフ・一定のビートから生まれるグルーヴを前面に押し出した音楽になっています。トーキング・ヘッズに参加していたエイドリアン・ブリューが加わったことによって、”クリムゾンがヘッズの様になってしまった”と否定的な意見が当時は多かったとのこと。実際、私が中学生時に買った”ロック名盤ガイド”の様な本(80年代前半発刊)では、低い評価を受けています。
勿論ブリューの影響が無いはずはないのですが、それは表層的な見方にしか過ぎず、「Discipline」におけるサウンドアプローチは「太陽と戦慄 」から既に芽生えていたと私は思っています。90年代以降に「Discipline」再評価のような気運が興り、「このアルバムって実は良くね!」といった聴き手が増え、現在では1stや「太陽と戦慄 」と並んで代表作の一つと挙げられます(フリップ自身もお気に入りの作品)。斯くの如し、人の評価などは古今東西で変わるもので、当てにならないのです。先述の本などは一応ロックに関しては”プロ”のライターと称する方々が書いたものです。10年余経つとがらりと評価など変わってしまうものです。そのくらいあやふやなものです。皆さん、人が何と言おうと、自分が良いと思ったものを聴けば良いのです。


( ・`ω・´)
また歌詞の面でも、当初は作詞専門のメンバーを抱え、文学的歌詞を築いていたのが、「Discipline」オープニング曲「Elephant Talk」(”無駄話”の様な意味)では、アルファベット順に単語の羅列をするだけといった、従来のクリムゾンの世界観を覆す様な作風を披露します(それが余計従来のファン、評論家筋から不評を買った)。しかしこれはフリップの飽くなき創造性が先ず第一義に、そして幾分かは従来のポップミュージックの歌詞に対するアンチテーゼもあったのではないかと個人的には思います。フリップという人は、前回述べましたが、ストイックなまでに音楽第一主義を貫く人物であると同時に、ポップミュージックに対して非常にシニカルで鳥瞰的な見方をしている人だと思えます。決してメインストリームに存在する人ではありませんが、それ故ある意味”仙人”の様なスタンスで居続けられているミュージシャンと言えるのではないでしょうか。

決して万人受けするものではない、率直に言って難解な音楽です。「難しくてわかんね!ロックなんてノリノリの曲か、メロディが綺麗なバラードだけでイイじゃん!」
( ゚д゚)ペッ、
という人もいるでしょう。別に人それぞれなので構いませんが、一応一言だけ。そういう方達へ、食べ物についてはしょっぱいものと甘いものだけで良いですか?アジアのエスニック料理にあるような複雑にスパイスが入り混じった、辛味・酸味・苦味・渋味が混然一体となった料理を”奥深い”とか言ったりしませんか?また小説・マンガ・アニメ・映画などの物語で、ご隠居さんが諸国漫遊して悪を懲らしめる勧善懲悪もの、主人公とヒロインが最後には結ばれハッピーエンドで終わる創作物が全てで物足りますか?何が正義で何が悪なのか考えさせられる深遠な世界観、結ばれないラブロマンス、ハッピーエンドでもバッドエンドでもない予想の斜め上を行く結末、こういったものに人は魅かれ、またそういう作品が現れなければ、その文化・芸術はあっと言う間に陳腐なものへと成り下がっていくのではないでしょうか。

ミューアが脱退し、もはや恒例行事の如く(…(´Д`))、フリップと他のメンバーの間に軋轢が生じ始め、しかしながらバンドは活動を続けます。第1期とは違ってその人間関係の不和をも音楽的には良い緊張感として昇華させてしまう程、この時期のクリムゾンにはパワーがみなぎっていたのではと思ってしまいます。その辺りは次回にて。

#15 The Court of the Crimson King

生物学において、突然変異・ミッシングリングという言葉がありますが(決して詳しくないので、詳しい人がいたとしても突っ込まないで下さい ((゚Å゚;)))、例えば前回までの記事にて、取り上げていたレッド・ツェッペリンに関しては、クリームやジミヘンの存在があって、やがてツェッペリンの登場に繋がって言ったのでは、と書きました。しかし、このバンドはロック史の流れにおいて、突然変異としか思えない、その誕生の前段階になるようなミュージシャン達の存在も確認出来ない、としか言いようがないのです。
そのバンドの名はキング・クリムゾン。69年「In The Court Of The Crimson King(クリムゾン・キングの宮殿)」で鮮烈なデビューを飾った、当時ツェッペリンと共に”ニューロック”などと称され、新しい時代のロックを象徴するバンドの急先鋒でした。その音楽性を文章で表わすと、アナーキーかつノイジーな破壊的サウンド、ヨーロッパ古来のフォークミュージック(本当の意味での”フォークロア”、古謡・民謡とでも呼ぶべき音楽)のフレーバーを漂わせ、フリージャズもしくは現代音楽のようなインプロヴィゼイジョン(即興演奏、所謂”アドリブ”)を取り入れ、そしてクラシックにあるような、様式美・構築美を併せ持ったようなサウンド、とでも表現したら良いでしょうか。こんなバンドはそれまでポピュラーミュージック界には間違いなくいませんでした。一つ一つの要素を見れば、クラシックらしさを取り入れていたのは、プロコル・ハルムやムーディー・ブルースが、ジャズ的な即興演奏はソフト・マシーンが既に行っていました。しかしそれらはあくまで断片的であり、クリムゾンはそれらも取り入れながら、さらにプラスαし、全く別次元のロックへと昇華させてしまったのです。
「21st Century Schizoid Man(21世紀の精神異常者)」は90年代位にテレビCMで使われたと記憶していますが、あの強烈なイントロがTVから流れるようになるとは、時代も変わったものだと当時は思いました。「Epitaph」やタイトル曲の重厚かつ荘厳さは、それまでのポップミュージックには無かったものです。メロトロンという当時の最先端のキーボードが実に効果的に使われています。こぼれ話ですが、ここで使用されたメロトロンはその後ジェネシスに譲渡され、これまたジェネシス黄金期のサウンドを支える事となります。
”ビートルズの「Abbey Road」をチャート1位の座から引きずり落としたアルバム”のような文言がレコード帯に書いてあった記憶がありますが、そのような事実はなかったというのが実際のところです。ただしそのくらいインパクトがあった、新しいロックが登場した、というようなニュアンスだったのでしょう。

本作におけるサウンド面においては、リーダーのロバート・フリップよりも、イアン・マクドナルドがイニシアティブを握っていたと言われています。それを快く思わなかったかどうかわかりませんが、2ndアルバム「In The Wake Of Poseidon(ポセイドンのめざめ)」の制作途中でイアンは辞めさせら…脱退します。イアンは才能の塊みたいな人で、豊富な音楽的素養を持ち、尚且つマルチプレーヤー(サキソフォンまでこなします)でもあるミュージシャンです。余談ですがその後、英米混合バンド フォリナーの立ち上げに関わりますが、程なくして脱退。初めから成功したバンドではありましたが、今でいうところの”メガヒット”を飛ばすようになったのは彼の脱退した80年より後、「Girl Like You」や「I Want to Know What Love Is」といった大ヒットを生んだ頃には、バンドを辞めていました。偶然かもしれませんが、その後成功するバンドを軌道に乗せてあげて、自身はその一番美味しい恩恵には預かれない、損な役回りの人だったのかも、と思ってしまいます。
また、グレッグ・レイク(b)はEL&Pへ加入するため、更に作詞担当のピート・シンフィールドとマイケル・ジャイルズ(ds)も、つまりフリップ以外は全員いなくなったのです。ロバート・フリップという人はとにかく変わり…超個性的な性格の人物であると言われ、その後のバンドにおけるメンバーの頻繁な変遷には少なからずそれが関わっていたのは間違いない事でしょう。しかし逆に言えば、自らの音楽性に微塵の妥協も許さず、厳格に音楽第一主義を貫く人とも言えるのではないでしょうか。2ndアルバムは基本的に1stの延長上にある作品です。余談ですが、本作にてまだ無名時代のエルトン・ジョンが参加していたかもしれなかった、というこぼれ話もあります。
3rdアルバム「Lizard」はフリージャズピアニスト キース・ティペットが参加し、より即興性の強い音楽となっており、(少なくともその当時の)フリップの嗜好が出ています。

00年代半ばに、永らく行方不明となっていた本作のマスターテープが発見されたそうです。なんと当時のスタジオ、発見時は貸オフィスとなっていた給湯室の棚から見つかったそうです。当時テープは貴重で、使い回す(重ね録り)のが当たり前だったそうですから、例えそんな所であっても、残っていたというだけで運が良かったと思わなければならないでしょうが、それにしても台所の棚の中とは…(´Д`)

その後もメンバーチェンジを繰り返しながら70年代初頭も活動を続けます(レコード会社との契約消化の為もあったそうですが)。4thアルバム「Islands」、ライブアルバム「Earthbound」(カセットレコーダーで録った音源なので音質が悪い)を発表し、ツアーを行いながら、フリップはその活動と並行して、頭に描いていた次なるバンドの青写真を具体化するために動き出します。その辺りは次回にて。

#14 Achilles Last Stand

ツェッペリンが登場するまで、ポップミュージックの販売戦略としては、先ずシングルのリリースがあり、それがラジオ等の媒体でかかることで、広く大衆に認知されるのが一般的だったとされています。しかし彼らはそれを前提としない、例外もありますが、シングルサイズを念頭に楽曲を作っていない、アルバム重視の楽曲制作でした。つまり一曲の演奏時間が長い。とてもラジオで気軽にかけられるものではない楽曲が多かった。
また1stアルバムから既にその傾向はありましたが、彼らの音楽性は基本的にブルースをベースにしつつ、そこにペイジの音楽的嗜好であったトラッドフォークのフレーバーを混ぜつつ作り上げたロックサウンドとでも呼ぶべきものでしたが、それ以外の多種多様な音楽性も垣間見えました。
5thアルバム「Houses of the Holy」ではそれが前面に出ており、ファンク、レゲエなどの新しいジャンルも取り入れ、賛否両論を巻き起こしました。6thアルバム「Physical Graffiti」はその集大成とでも呼ぶべき2枚組の超大作で、ブルージーなナンバーからワールドミュージックまで彼らの力量が思う存分発揮されています。「Kashmir」はその後の彼らの重要なライブナンバー。派手なギターソロなどがある訳ではありませんが、中近東風の独特のサウンドに、これまでのロックにはなかった様な楽曲構成でもって、素晴らしい大作に仕上がっています。
ボンゾ存命中最後のアルバム「In Through the Out Door」では、カントリー&ウェスタンからサンバまで、さらにシンセサイザーを大胆に取り入れ、異色の出来となっています。これは決してアメリカ市場に迎合したなどということでは決してなく、彼らの音楽的トライアル精神の賜物だと私は思っています(現実面ではジョーンズがイニシアティブを握った、握らせてあげた結果とも)。

前回の記事で、なぜツェッペリンの追随者は現れにくかったのか、と書きました。私見ですが、こんなリスキーな営業戦略を取るバンドはなかなかいない(させてくれない)、ということではなかったかと思います。メディアと距離を取り、シングル盤のリリースを殆どしないなど、普通では販売促進の面からはとても考えられないスタンスを貫いた。そしてサウンド面では、ハードロックのみならず、様々な音楽性に(決して流行りに乗った、とか思いつきでもなく)トライしていった。こんなバンドはそれまでいなかった。普通は例えやりたいと言っても市場に流通させてもらえないでしょう。これは成功した者、言わば”王者の余裕”の様なものがあったから出来た側面もあったと思いますが、基本的にはペイジ達の音楽性の多様さがそうさせたのでしょう。
例えばハードロックなら、それを中心にやっていれば、(昔ながらの味を頑固に守っている店の様に)常連客はついてきてくれるでしょう。決してそれは悪い事ではなく、商業音楽であれば止むを得ない面もあります。またとどのつまりは人の好み、という一言に尽きます。
簡単に言うと、彼らはメディア・大衆に媚びたりしない「カッコいいロックヒーロー」の元祖だったのだと思います。だからこそワンアンドオンリーであって、未だに彼らの追随者・エピゴーネンでここまで成功する人達はなかなか現れない(現れづらい)のではないでしょうか。

アルバム「Presence」のオープニング曲「Achilles Last Stand(アキレス最後の戦い)」。個人的にはツェッペリンの中で一二を争うベストトラックと思っています(もう一つは「The Rain Song」 ライヴの方)。ポップミュージックにおいて、これほど雄々しく、気高く、そしてヒロイックな楽曲を他に知りません。「Presence」は初期のハードドライヴィング感覚に満ち溢れた、言わば彼らによる原点回帰の作品とも呼べます。従来のファン、評論家筋などには評価の高い、最高傑作ともされる作品ですが、セールス的にはオリジナルアルバム中では最も芳しくなかったらしいです。
(とはいっても米だけで350万枚。桁が違います…(´Д`))

80年9月25日、”ボンゾ” ことジョン・ボーナムが急逝。ボンゾ以外のドラマーでこのバンドを続けることは考えられない、と解散を表明。人によって意見の違いはあるでしょうが私は全くの英断だと思っております。更に言えば、これはボンゾとそのご家族に大変不敬な言い方になってしまうかもしれませんが、レッド・ツェッペリンというバンドは、ここで終わったからこそ、ここまで伝説的になったと。そして80年代以降の音楽シーンにそぐわない存在でもあったのではないかと。コンプレッサーをかけ、煌びやかな音色になり、ディレイやコーラス等のエフェクターを多用した”オシャレ”な音色のペイジのギター、ゲートリバーブを効かせたボンゾのドラム、「そういうツェッペリンも聴いてみたかった」という人達も当然いるでしょう。勿論、趣味嗜好は人それぞれですから、それを決して否定はしません。しかし私はその様なツェッペリンが想像出来ません。その様なサウンドのツェッペリンがもしも聴けてしまったとしたら、その瞬間、それまでの彼らが雲散霧消してしまう様な気がするのです。

その後の彼らについて少しだけ。85年の『ライブエイド』にて、フィル・コリンズを加え、計画的だったとも、全くの即席だったとも、説が分かれますが、かりそめにも、再結成してその音を聴かせ、世界中のファンが狂喜乱舞。88年のアトランティック・レコード40周年コンサートでは、ボンゾの息子 ジェイソンが参加してトリを務めました(記憶違いでなければ確か夜中に衛星生中継で演っていた様な… 眠い目をこすりながら観た記憶が・・・)。

最後に、ひょっとしたら、おそらく一人か二人しかいない読者の中には
(一人もいないって
言うなー!!━━━(# ゚Д゚)━━━ )、「ドラム教室のブログのくせに、ボンゾのドラミングに殆ど触れてないじゃん」と思われた方もおられるかもしれません。
当たり前です( ̄m ̄*)… ボンゾのプレイについて語り出したら、記事が何回に渡るか分かったもんじゃありません・・・
ですのでそれについては、是非別の機会を設けて。これにてレッド・ツェッペリン編は終了です。