俳優の高嶋政宏さんは大変なロックマニアで、ご自身もベーシスト(弟の政伸さんはドラマー)であり、ロック関連の番組に出演される時は”スターレス高嶋”と名乗られています。その”スターレス”とは高嶋さんの愛聴曲であり、キング・クリムゾン74年発表「Red」のエンディングを飾る「Starless」のことに他なりません。
同年3月発表の「Starless And Bible Black(暗黒の世界)」はスタジオ録音とライブ音源から成る作品。この頃からメンバー間には不和が(毎度の如く…)生じていたとのこと。「Starless」というタイトルから明らかな通り、本来は「暗黒の世界」に収録される予定だった曲。しかし収録は他メンバーの反対にあって、タイトルだけがアルバムと、B面一曲目のインストゥルメンタルナンバーに冠されることでその時は落ち着きました。
「暗黒の世界」ツアー終了後、デヴィッド・クロス(vio)が脱退。クロスは結局「Red」にゲストとして参加しますが、正式なメンバーはフリップ、ウェットン、ブラッフォードの3人となります。ですが彼らの人間関係もかなり険悪になっていて、アルバムジャケットの3人の写真はそれぞれ別々に撮ったものを合成したとのこと。つまり一緒に写真を撮ることさえ嫌だ、という絶望的な人間関係に陥っていたようです。ちなみに「Red」というタイトルは裏ジャケットにある通り、録音レベルを示す針が振り切れて”レッドゾーン”に達している、つまりバンド内の人間関係も”レッドゾーン”だ、という意味合いもその一つと言われています。
しかし、「暗黒の世界」「Red」共に、決してバンド内の不和が悪影響を及ぼしているということは決してなく、前回も記しましたが、それさえも良い緊張感として昇華してしまうほど音楽的には成功しています。これは、メンバーそれぞれの力量の高さ、プロフェッショナルとして、あくまで音楽そのものは完遂するというモチベーションの結晶だと思います。更に本作には、過去にメンバーであったイアン・マクドナルドとメル・コリンズも参加しています。フリップとの仲違いが脱退の一因でもある彼らが何故また参加したのか?
勿論様々な理由があったとは思いますが、やはりフリップが創る音楽に魅せられ、自分たちもそれに関わりたいというのがあったと思います。お世辞ににもフリップの人間性に魅かれてではなかったと思うのです(フリップ氏に大変失礼<(_ _)>)。逆に言えばそれだけクリムゾンの音楽には魔性とも言える魅力があったのでしょう。バンド内の不和は基本的に音楽にも悪影響を及ぼす方が多いとは思いますが、しかし仲が良いだけの、和気あいあいとしたお友達バンドであることが音楽に良い影響を与えるかというと、これまた違うでしょう。ある意味この時期の彼らは、ストイックなまでに音楽第一主義であり、互いの人間的相性などは全く無縁で音楽に没頭できた、逆説的ではありますが、ある意味、理想とも言える状況にあったのではないでしょうか。
タイトル曲「Red」。クリムゾンにとって、そしてその後のロックミュージック全体において非常に重要な意味を持つナンバーだと私は思っています。フリップがそのような意図を持って作ったとかコメントがある訳でもなく、全く根拠のない私見ですが、本曲は”ロックの本質とは”と投げかけているような気がするのです。テーマの繰り返し、あまり展開をしない、間奏にソロ演奏などはしない、当然即興など介在する曲ではなく、これまでのクリムゾン像とはかけ離れた楽曲で、時系列でクリムゾンの音楽を聴いてきた場合、あれ? と思うものです。1stにてそれまでのロックには無かった様々な要素を取り入れ、見事な作品にまで昇華せしめたクリムゾンは、前回でも書きましたが、やがて即興性と”偏執的”なまでのリフレイン・リズムの反復という、相反する要素を混在させ、そして本曲では即興や特殊な楽曲展開などは鳴りを潜め、一定のグルーヴからもたらされる、ある種の高揚感が重要なファクターとなっています。一聴した感じでは、一般的なロック・R&Rとはかけ離れた音楽ですが、図ったか、図らずか、”ロックとは何ぞや”と投げかけているような気がするのです。ロックとはシャウトするヴォーカルでしょうか?間奏にギターソロがあればロックなのでしょうか?否、インストゥルメンタルでもキーボードトリオでもロックは成立します。ロックとは、一定のフレーズ・リズムの反復からもたらされるグルーヴ・高揚感にその本質があるのではないでしょうか。リフレインを「リフ」と称するほど、それは定着化しているではありませんか。本曲を聴くたびにその様なことを考えさせられるのです。
今回のテーマである「Starless」。1stの「Epitaph」やタイトル曲を彷彿させるナンバー。12分余の大作ですが、その構成の見事さには何度も聴いても圧倒させられます。冒頭、メロトロンとフリップのトーンを絞ったむせび泣く様な音色による抒情的テーマ。ウェットンのヴォーカルに優しく、しかし距離を置いて寄り添う様な(多分イアンの)サックス、全く明るさはありません。暗く、陰鬱な楽曲として始まります。これだけで終わっていれば特筆すべき楽曲ではありませんでした。圧巻なのはこの後、04:30秒辺りからのインストゥルメンタルパートに入ると、フリップが執拗に一定のリフをキープする後ろでウェットンとブラッフォードのインプロヴィゼイジョン、特にブラッフォードのドラム&パーカッションは見事の一言、間違いなく「太陽と戦慄」にて参加したジェイミー・ミューアの影響を受けたであろう、そのプレイは、打楽器とはここまで表現が出来るものなのだ、と聴くたびに目から鱗の思いです。極限までテンションを高めたこのパートを終えると、変拍子によるメルのサックスをフューチャーしたパートへ。一旦それが中断され、ヴォーカルのフレーズをサックス2本で奏でるパートを挟み、また変拍子のパートを今度はフリップのソロ(といっても既出のリフの延長)にて。後ろで鳴っているのは、多分歪ませたクロスのヴァイオリンだと思うのですが、ギターのピックスクラッチかもしれません。未だに不明です。
(分かる人は教えて(´・ω・`))
そして11:30秒頃からの圧巻のラスト。またサックス2本で冒頭のギターのフレーズを奏で、イントロのテーマを見事なまでに別次元へと昇華します、見事の一言。何度聞いてもこの怒涛のエンディングには涙腺が崩壊させられます。先述しましたがお世辞にも明るい曲ではありません。しかしただただ陰陰滅滅となるのかというとそれとも違います。聴き終わった後で不思議なカタルシス、浄化作用の様なものがあり、むしろ一種の清々しさが残るような楽曲です。
「Red」の様な7年後の「Discipline」へと繋がる、その後におけるクリムゾンの萌芽的楽曲から、「Starless」という劇的な従来のクリムゾン世界観まで。本作は、この時におけるクリムゾンの集大成だったのでしょう。当然フリップはこれにてバンドは終了、という気持ちで本作を制作したはずです。”真紅(=Crimson)の宮廷”に始まり、”星一つない暗黒”をもって、その幕を一旦閉じたクリムゾンの歴史は、ある意味当時におけるロックミュージック界の終焉を象徴しているような気がしてなりません。
90年代以降も、メンバーチェンジ(お約束の人事的トラブルは相変わらず…)や、活動休止を挟みながらも、クリムゾンは現在も活動を続けています。例えばバンドでもリーダーが殆ど作曲・編曲を手掛け、特に当人がヴォーカリストである場合などは、所謂”ワンマンバンド”で、バックメンバーが変わってもその音楽性には
あまり影響を及ぼさないバンドが結構あります(具体名は挙げませんが…)。しかしクリムゾンは異なります。あくまでその時々のサウンドコンセプトはフリップによるものですが、メンバーによってがらりと変わります。インストゥルメンタルの比重・重要性が高いからというのがありますが、プレイヤー達(初期は作詞者ピート・シンフィールドも含めて)によって、”あらゆる意味で”火花を散らしながら、各々の個性が有機的に融合することによって、その音楽性は創られていった、ロック界においては稀有な存在だったと言えます。1stアルバムこそロックの古典としてある程度のセールスを上げてはいますが、決してビッグセールスを数々放ったバンドではありません。しかしその音楽性に魅せられ、世界中で、約50年に渡っての”クリムゾンフリーク”といった人達が決して少なくないのです。これは逆に凄い事ではないでしょうか。
今回の記事はかなり長くなってしまいました。もう一回増やそうかとも思いましたが、三行で…ならぬ三回でまとめます。これにてキング・クリムゾン編は終了です。
しかしドラム教室のブログのくせに、いつになったらドラムの事書くの…
(´・ω・`)