#22 Supper’s Ready

80年代、フィル・コリンズの来日公演を観ていた女子大生風の女の子達が、「フィルってドラムも叩けるのねw」の様な事をのたまわった、という笑い話がありました。つまりその位、フィルがソロミュージシャンとして名声を確立してしまい過ぎて、元々はジェネシスのドラマーとしてが、そのキャリアの出発点だということを忘れ去れているというたとえ話、都市伝説のようなものだと思っていました。しかし00年代になって、この話が本当であることが、その時その場にいた本人の口から語られました。
日本を代表するピアノ・キーボードプレイヤー 難波弘之さんです。某公共放送の洋楽紹介番組のジェネシス回でご本人が仰っていました。この話の出所はなんと難波さんだったのです。
「マジで!Σ(゚Д゚;」と、その時は驚愕しました(そこまで大げさな話ではないか・・・)。
やや強引な枕でしたが、今回から取り上げるのはジェネシスです。

このバンドについて述べられるとき、”貴族がつくったバンド”という形容詞で語られるときがあります。確かにそれは間違いではありません。創設メンバーは全員パブリックスクール(英国で貴族の子弟が通う学校)に在籍していた人達でした。しかしごく初期の内にメンバーチェンジが行われ、71年の3rdアルバム時にて、フィル・コリンズ(ds)、スティーヴ・ハケット(g)が加入し(二人は庶民階級)、オリジナルメンバーであったピーター・ガブリエル(vo)、トニー・バンクス(key)、マイク・ラザフォード(b)とともにバンドは”第一次黄金期”を迎えることとなります。

先述の3rdアルバム「Nursery Cryme(怪奇骨董音楽箱)」にて初期ジェネシスの音楽性は確立されました。神話や寓話(マザーグース等)をモチーフにし、そこに”ひねり”を加えたシュールな歌詞、ジャズやクラシックの要素を取り入れた高度な音楽性と演奏技術。そして何より話題となったのは、リーダーかつフロントマンである、ピーター・ガブリエルの奇抜なコスチュームと、その演劇的なパフォーマンスでした。
正直言ってピーターの創る歌詞や演劇的ステージは私もあまり理解出来ません。(歌詞は英語が分からないので当たり前、と言うか、たとえネイティヴであっても理解できるかどうかは疑問符が付くところです)その位シュール(悪く言えば荒唐無稽)なのです。しかし時代がそういうものを求めていたのかどうか、そのパフォーマンスはかなり好意的に受け入れられ、イギリスの音楽専門誌 メロディーメーカー誌のライヴアクト部門では数年に渡って一位に選出されました。
難解な歌詞の中でも比較的理解し易く、また初期ジェネシスの世界観を最も堪能出来るのが、「怪奇骨董音楽箱」のエンディング曲「The Fountain of Salmacis(サルマシスの泉)」。(神話に詳しくないので間違っていたらご勘弁…)泉の精サルマシス(両性具有の象徴)は、泉に近づき、そしてその水を飲んだ神の子ヘルマプロディートスと一つになろうとする。荘厳かつ抒情的なサウンドと歌詞で中盤まで進行するこの曲は、突然超展開します。サルマシス、ヘルマプロディートス、そしてナレーター役と一人三役を演じてきたピーターの真骨頂とも言えるパートです。そのパートの歌詞をあえて意訳(超訳)しますと、
ヘルマプロディートス:「こっちに来んな!お前と一緒になる気などない!!(`Д´)、」
サルマシス:「私たちは一つになるのよおおおおー!!ε=ε=ε=ε=(;゜д゜)ノ ノ」・・・
サウンドもそれまでの荘厳・神秘的なものから一転、リズミックでコミカル(ギャグパートと呼んでも良い様な)な曲調に変わります。この様な発想の源泉はピーターの幼少期にあるようです。貴族の家だけあって、彼は毎晩乳母に寝付くまで話をしてもらっていたそうです。しかし彼はその話の”ウラ”を常に考えていたとのこと。また彼は屋敷の中でたびたび幽霊の様なものを見たと語っています。それが本物なのか、幻覚、または彼の想像上の産物なのか分かりませんが、これらの事が彼の書く歌詞、パフォーマンスの源になっているようです。
「怪奇骨董音楽箱」は大変な力作にも関わらず、当初セールス的には奮いませんでした。ところが思わぬ所から人気に火が付きます。ベルギーのチャートで前作「Trespass(侵入)」が1位を記録。早速海外公演の準備に取り掛かっている所へ更に朗報が。イタリアで「怪奇骨董音楽箱」が最高位4位を記録。本国以外のヨーロッパの国で高評価を得て、それにつられるように本国イギリスでも注目を集めるようになります。

勢いが出てきたところでバンドは次作に取り掛かります。今回のテーマ「Supper’s Ready」を含む4thアルバム「Foxtrot」は最高傑作と評される作品です。全英12位を記録し、本国でもその人気を確実なものとします。「Supper’s Ready」はB面の殆どを費やした23分の大作。
その創作の元になったのはドラッグです。ピーター、妻のジル、そして友人の三人にてLSD(幻覚剤)を嗜んでいた時の事、突然ジルが普段とは違う声で(さながらエクソシストの様に)喋り出し、大変な状況になったそうです。所謂”バッドトリップ”だったのでしょうが。
(良い子のみんなはマネしちゃダメだぞ!☆(ゝω・)v)
ピーターはこの経験から人間の中に潜む善と悪、二面性について思いを巡らします。そして書き上げたのが本曲の歌詞です。舞台はリビングでの男女のひとときに始まり、いつの間にか戦闘シーン、その後の惨憺たる人肉の山、奇怪な植物が登場する農場、と目まぐるしくシーンを変えながら最後は黙示録にあるような天使と悪魔による一大決戦の場を迎えて、その物語は幕を閉じます。正直言って、あまりにシュール過ぎて和訳を読んでも意味は分かりません(先述の通りはたして英国人でも理解出来ているのか…?)。この様な歌詞は意味を追うより、単語・フレーズが持つイメージや、言葉の響き、韻の踏み方などを味わうのが正解だと私は思っています。しかし、楽曲構成、サウンド、そして演奏は完璧と呼べるものです。この様な組曲ではコンセプト性を持たせる為、序盤でのテーマ・リフなどが、その後の曲中にて形を変えて演奏されるというクラシックでの手法が使われることがありますが、本曲でも序盤のテーマが、エンディングのパートにて見事なリプライズとしてプレイされます。
ただ、御多分にもれずバンド内には不和が生じ始めていました。ピーターのステージアクトは時に、その楽曲とは全く無縁のものがなされることがあり、特にサウンド面でイニシアティヴを担っていたトニー・バンクスはそれを快く思っていなかったそうです。

多少の問題を内部に抱えていたバンドでしたが、基本的には、その後も上り調子にて活動を続けていくこととなります。その辺りはまた次回にて。

#21 Bill Bruford_2

ドラムの基礎テクニックに「ルーディメント」と呼ばれるものがあります。意味は”基本”の様なものらしいです(そのまんまや…)。右左を交互に打つ、オルタネイトスティッキングも”シングルストローク”として立派なルーディメントの一つなのですが、普通ルーディメントというと、もうちょっと小難しいスティッキング・手順のことを指します。代表的なのはパラディドル(変形の手順)やフラム(装飾音符)などです。
ジャズにおいては、その初期からドラミングに取り入れられていましたが、ロック・ポップスのドラムにおいては、あまり馴染みのないものでした。それをこれほどまでに積極的、かつ音楽的に(決していたずらに無理やり取り入れたりせず、必要かつ自然に、と言う意味合いで)ロックドラミングに取り入れ、そして見事なまでに昇華せしめたドラマーは、間違いなくビル・ブラッフォードが最初です。
ジャズドラミングをルーツとするブラッフォードにしてみれば、当然の事だったのでしょうが、イエスのデビューアルバムから既にそのプレイは聴くことが出来ます。特にそれが印象的なフレーズとして最初に聴くことが出来るのは、「Fragile(こわれもの)」のエンディング曲「Heart of the Sunrise(燃える朝焼け)」です。テーマのフレーズのバッキングそのものが高速のパラディドルフレーズで組み立てられており、非常にスリリングなプレイです。そしてその延長・発展形とも言えるのが、#19の記事にて取り上げた「Close to the Edge(危機 )」です。18分超の長い曲ですがとにかく聴いてみてください。


「燃える朝焼け」同様、高速のパラディドルプレイがこれでもかと繰り広げられます。手順は
RLRRLL(多分・・・)。00:57秒頃~と、14:15秒頃~にて聴けます。更にこのパートでは、所謂”ポリリズム”(異なるリズムの同居・混在)が駆使されています。
チタチチタタタチチタタチタチチタタタチチタタ(12/8拍子の16ビート)
タ ッ タ  ッ タ タ ッ タ  ッ タ (4/4拍子での所謂”シャッフル”)
赤で塗りつぶした箇所が2・4拍のアクセントです。上記の二つの異なるリズム、グルーヴが、アンサンブルの中でメンバー全員によって見事にプレイされています。この様なリズムトリックやポリリズムはロックにおいては、私が知る限りでは、本曲にて初めて行われたと記憶しています。ジャズ・フュージョンの分野では、60年代末以降のマイルス・デイヴィス、ウェザーリポート、マハヴィシュヌ・オーケストラなどによって導入されていたかも、というより、あった様な記憶があるのですが、それが思い出せません。
(歳を取るっていやですね・・・(´・ω・`))

もう一つ、彼のプレイにて重要な要素はファンク的な16ビートです。ブラッフォード流ファンクとでも呼べるプレイが存分に堪能できる私のイチ押しはこれです。キング・クリムゾン アルバム「Red」収録の「One More Red Nightmare」。


チャイナシンバルの音色が印象的なリズムパターン、アイデアの”てんこ盛り”の様なフィルイン。実はこの動画は途中でフェイドアウトされていて、これより後に、もう一度テーマのプレイが繰り返され、そこではまた前半とは違うフレーズがプレイされます。

またクラシックや現代音楽における打楽器や、短い期間でしたがキング・クリムゾンのアルバム「太陽と戦慄」で一緒にプレイしたジェイミー・ミューアの前衛的なパーカッションプレイも、彼のプレイにエッセンスとして加えられているのは間違いありません。そして、勿論ブラッフォードといえば言わずと知れた変拍子の使い手であり、これに関しては枚挙にいとまがありません。変拍子プレイは彼の演奏ではいたるところにて聴くことが出来ますが、お勧めするといえばベタな所ですが「太陽と戦慄 パートI」等、また前衛的なパーカッシヴプレイと言えば、#17の記事で取り上げた「Starless」での中間部のソロ、特にライヴアルバム「USA」のヴァージョンが白眉です。
彼の演奏技術に関して、こんな短い文章で語りつくすことは当然不可能です。しかしこのブログがそのほんの一端、さわりだけでも紹介することが出来、彼の素晴らしい数々の演奏に触れるきっかけになることが出来れば幸いです。

09年、60歳になったことをもって、演奏活動からの引退を発表しました。これはかねてから温めていた考えであると語っており、ファンとしては少し早いような気もしますが、本人の熟慮の上の決断なのですから、致し方無い事でしょう。

20回目にしてやっとドラムに関する記事を書くことが出来ました
(次はいつに
なることか・・・(´・ω・`))。
これにてビル・ブラッフォード編は終了です。

#20 Bill Bruford

イエス、キング・クリムゾン、ジェネシス、ナショナル・ヘルス、UK、と所謂”プログレッシヴロック”とカテゴライズされる、英国を代表するこれらのバンドに関わり、ブリティッシュロックの”生き字引”と行っても過言ではないドラマー、それが今回取り上げる ビル・ブラッフォード(Bill Bruford)です。

1949年生まれ。英国ケント州出身。幼少の頃からジャズを聴いて育ち、自然とドラムに親しむようになる。彼の名を一躍世間に知らしめたのは、言うまでもなく前回までの記事にて触れたイエスへの加入によってです。技術的にこれまでのロックドラマーとは明らかに一線を画していました。それは勿論ルーツにジャズがあるからであり、本人もその旨を公言しています。と、言っておきながら何ですが、技術の部分に関して述べるのは後回しにして、先ず触れたいのはその音色についてです。それまでのドラマー(ジャズ、ロック含めて)は基本的に、エレキギターで当然に行われているような、音色で個性を表現するというアプローチは無かったと断言出来ます。(もっとも普通の楽器はそれが当たり前であり、基本的にはその楽器のナチュラルな音色を最大限に引き出すことが至上命題なのであり、コロコロ音色を変えられるエレキギターや電子キーボードの方が特殊なのですが…)
ドラマーで初めて”意識的に”その音色に個性を持たせたのはブラッフォードが最初です。ちょっとまて!ボンゾのスネアの音や、あまりに強力なキックで歪んでしまった様なベースドラムのサウンドは個性ではないのか?と異論・反論があるのはごもっともです。しかしあれは”結果的に”あのようなサウンドになったのです。ボンゾ、ジンジャー・ベイカー、イアン・ペイス、カーマイン・アピス。皆24~26インチの特大のベースドラムに、22インチのこれまた口径の大きいトップシンバル、ドラムにはミュートなど一切せず、シンバルは床に対して平行にセッティングして減衰(サスティーン)を長くする、といった音作りは彼らがドラムを始めた頃にお手本としたビッグバンドドラマー ジーン・クルーパやルイ・ベルソンといった人たちのセッティングを模倣したものでした。これらは、まだPA環境が全然整っていないスウィングジャズ時代に、大勢の管楽器奏者達に音量で負けないために施された措置でした。それをジンジャーやボンゾ達が模倣し、今日では
ハードロックドラムの定番セッティングとなっているのです。
ただし、一人だけ例外と言えなくもないドラマーがいます。言わずと知れたリンゴ・スターです。タオルミュートなどの独特のアイデアで、ビートルス後期のサウンドにて、それまでのいかなるドラマーとも異なる音色を作り出しました。ただそれは、”ドラマー リンゴ・スターとして個性を発揮してやるぜ!” といった意図ではなく、その時期のビートルズの音楽性から自然と生まれたものでしょう(アルバムで言えば「Sgt.Pepper’s」以降)。それまでは”普通に”比較的ハイピッチの、ドラムの自然な鳴りを引き出すようなチューニングであったのが、後期は重く沈み込むようなローピッチの音色、先述したタオルミュートなど、軽快なロックンロールが主だった前期の音楽性とは、方向性が異なってきたバンドの音楽性に寄与するためのリンゴの試行錯誤の末の結論としての”あの音色”だったのでしょう。

以前BS-TBSで、洋楽の名曲が生まれた背景をドキュメントする番組があったのですが、イエスの「Roundabout」を取り上げた回で、ブラッフォード本人が出演し、あの当時使っていたスネアを紹介し、実際に叩いていました。その映像を見る限りではメーカーの特定は出来ませんでしたが、スティール(ステンレス)シェルのスネアでした。初期はラディックやハイマンを使用していたとのことなので、ラディックのLM-400あたりかもしれないと思っているのですが、知っている人いたらどうか教えてください。
(´・ω・`)
そのスネアの音は非常にハイピッチでありながらも”甘い”音がする、つまりハイのみでなく、ミドル~ローまでしっかり出ているということです。普通ドラムヘッドをただ”きちきち”にきつく張っても、”カッ” ”パッ”という、やたらハイだけの耳障りな音にしかなりません。しかも彼の場合は、オープンリムショット(ヘッドとリム=縁の部分、を同時に叩く。”カン” ”ゴッ”の様なけたたましい大きな音がします)をすることが非常に多く、ともすれば余計に耳障りになってしまいそうなものなのですが、それが全く感じられません。楽器全般に言えることですが、基本的に良い音色と感じるのは、ハイ~ローレンジまでバランス良くなっていることが必須です。勿論ある程度以上のスペックの機材であること、また同じ製品でも当たりはずれもあります。それらを前提として、更にチューニングの妙が彼にはあるのです。言わば”ブラッフォードマジック”とでも呼ぶべき秘伝のチューニングが。そしてこれも一流のプレイヤーに言える事ですが、例えそれまで使っていた機材と異なるものを扱っても、自分の音にしてしまう、こうなるとそのトーンは楽器の良し悪しだけでなく、演奏者の指・手・足、全てに起因するものと言えるでしょう。生半可なプレイヤーが一流のプレイヤーと全く同じ機材・セッティングにしても同じ音にならないのは当然とも言えます。
実際ブラッフォードは80年頃に日本のTAMAを使用するようになりましたが、その音色は基本的に、やはりそれまでと変わらぬ紛うことなきブラッフォードの音です。また、ロートタムをいち早く取り入れ、80年代に入るとこれまた先駆けてシモンズ(電子ドラム)を導入しました。これは勿論、彼が活躍していたフィールドが、プログレッシヴロックという多彩な音色によって成り立っている音楽である、という部分が大きかったのは間違いないことであり、自然と音色にも貪欲になっていったのでしょう。

ここまで偉そうに書いてきましたが、白状しますと実はかなりの部分で、ある方の著書から引用させて頂いております。
※「Basic Method」ベーシック・メソッド 製作 リズム教育研究所 編著 江尻憲和
https://www.dlmarket.jp/manufacture/index.php?consignors_id=13896
私がドラムを始めた80年代中期、ネットなど当然無い時代、ドラミングに関する情報は基本的に活字媒体によってしか得られませんでした。むさぼるように読んだこの教則本。江尻先生(勝手に先生呼ばわりしております…(´・ω・`))のドラミング理論は非常に合理的で、分かり易く、何しろ読んでいて楽しい。その他の著書も含めて、現在の私の血と肉になっているものと思っております。ブラッフォードに関する音色の話はその中のこぼれ話的な一つですが(そのこぼれ話の数々も大変興味深い、”金属にも意識がある?”のくだりは非常に興味をそそられたものです)、ドラムを始める前からイエスやクリムゾンを聴いて、ブラッフォードのドラムに関心を寄せていた私は、「そうか!他のドラマーと何か違うと感じていたのはそこだったのか!!」と納得しました。現在でも電子書籍で入手可能です(上のリンクから)。興味のある方は、というか、ドラムをプレイする人間は必読書と言っても過言ではないと思っております。

今回は音色の話だけでスペースを費やしてしまいました。本当は音色だけでもまだまだ書きたいことは山ほどあるのですが、あまり長くなるとただでさえ少ない読者の方に愛想をつかされてしまいそうなので、涙を飲んでこの辺で。
(´;ω;`)
次回はやっと、テクニック編です。”ビル・ブラッフォードpart2” 乞うご期待。

#19 Close to the Edge

ピンク・フロイド「Echoes」、キング・クリムゾン「Lizard」、ジェネシス「Supper’s Ready 」、キャメル「The Snow Goose」。今、思いつく限り挙げてみましたが、これらの共通点がすぐにわかってしまった人は、かなり重症のオールド洋楽シンドロームにかかっています。対処法としては、このブログを定期的に読むことです。それしか治療法はありません。
(たまにでいいから読んで下さい、おながいします… (´;ω;`))
その共通点とはLP時に、片面全てを使って一曲(「The Snow Goose」はAB面通して)という、とんでもない楽曲構成ということ。今こんなことをやったら頭おかしいの?と思われることでしょうが、70年代はこれが許されてしまったのです。そして、お分かりの人は”一つ大事なのが抜けとるぞ!ゴルァ!!(#゚Д゚)” とすぐにお気づきになられるでしょう。そうです、今回のテーマ、72年発表イエスの代表作にて最高傑作と評される「Close to the Edge(危機 )」そのタイトル曲です。

前作「こわれもの」のヒットにて、世界にその名が知られ、米国アトランティックからもようやく認められた彼らでしたが、バンド内の不和はかなり深刻な状態でした。なかでもビル・ブラッフォード(ds)とジョン・アンダーソン(vo)の関係はかなり険悪で、アンダーソンが度を過ぎて”きっちり・かっちり”とした構成を求める為に出口が見えない程、レコーディングしては修正、またレコーディングしては修正、という無限ループの様な状況。また難解な文学的歌詞の志向に、ブラッフォードはウンザリしていたそうです。彼はジャズにそのルーツを持つ人なので、もっとフリーにプレイしたい、といった願望がありました。以前からキング・クリムゾンの音楽性に魅かれ、ロバート・フリップと接点をもっていた彼は、結果的にアルバム発表後のツアー中に脱退して、クリムゾンへ加入しました。しかし、そのブラッフォードをもってしても、完成した本曲を聴いた時には、その出来栄えの素晴らしさに感嘆したそうです。

19分近くに及ぶ本曲は、とにかく聴いてみてもらうしかありません。今回は細かく楽曲の構成を四の五の言わないようにします。ただ”聴きどころ”だけを三点挙げると、
①SE的イントロを経て、00:57秒頃に始まるテンション感溢れる動的アンサンブル
②08:30~14:15秒頃までの静的パートにおける、終盤盛り上げりのパイプオルガンとシンセの音色、その後に続く上記①を更にテンションアップした動的パート
③16:32秒辺りのエンディングへと向かう展開
勿論この箇所だけを抜き出して聴いても意味はありません。YouTubeで聴けますので(お金に余裕のある人は、上のアマゾンリンクから買ってください)、人生におけるたった20分弱の時間です、騙されたと思ってこの曲に耳を傾けてみて下さい。

ブラッフォード脱退に伴い、新メンバーとしてアラン・ホワイトが加入。ブラッフォードよりシンプルで、ロックフィーリングに溢れたそのドラミングはイエスに新たなエッセンスをもたらしました。その後リック・ウェイクマンも脱退し、70年代も人事的に安定しないのは相変わらずでした。遂には中心メンバーであるアンダーソンですら一時バンドを離れます。バグルスのトレヴァー・ホーン (vo)、ジェフ・ダウンズ(key)が参加(というよりイエスとバグルスの”合併”と言った方が正確かも)してバンドは何とか存続の道を探ります。
83年発表の「90125(ロンリー・ハート)」からのシングル「ロンリー・ハート」が、全米NO1ヒットとなったのは前回で触れた通り。その後一時期、スクワイアを除く黄金期のメンバーとそれ以外のメンバーで、イエスが分裂した時期もありました。08年にアンダーソンが完全に脱退。15年には創設メンバーであったクリス・スクワイアが死去(享年67歳)。その後は別活動を行っていたアンダーソンと「イエス」ではない名義で合併し、実質上の「イエス」として、流動的ではありますが、今日でも彼らの音楽は連綿とそのDNAを紡いでいます。

ピンク・フロイドがロジャー・ウォータース、キング・クリムゾンがロバート・フリップの、その強烈・強力な音楽的個性及びリーダーシップによって成り立っていたのに対し、イエスは先に述べた様に(良くも悪くも)民主的なバンドだったのでしょう。強いて言えば、中心的役割を担ったのは創設メンバーであった、アンダーソンとスクワイアと言えるでしょうが、それとて絶対的なものではなく、実際に一貫して在籍し続けたメンバーは一人もいない(分裂期を考慮しなければスクワイアは唯一亡くなるまで居たとも言えますが)という事実を鑑みても、”イエスはこの人ありき”といったバンドではなかったと思いますが、しかし(80年代初頭はかなり薄れましたが)その血統・DNAの様なものは50年近く受け継がれているといって良いでしょう。ロックシーンにおいて、かなり珍しい存続のあり方を辿ってきたバンドだったのではないかと思います。
これにてイエス編は終了です。次回はどのバンド、それともミュージシャン?・・・