80年代、フィル・コリンズの来日公演を観ていた女子大生風の女の子達が、「フィルってドラムも叩けるのねw」の様な事をのたまわった、という笑い話がありました。つまりその位、フィルがソロミュージシャンとして名声を確立してしまい過ぎて、元々はジェネシスのドラマーとしてが、そのキャリアの出発点だということを忘れ去れているというたとえ話、都市伝説のようなものだと思っていました。しかし00年代になって、この話が本当であることが、その時その場にいた本人の口から語られました。
日本を代表するピアノ・キーボードプレイヤー 難波弘之さんです。某公共放送の洋楽紹介番組のジェネシス回でご本人が仰っていました。この話の出所はなんと難波さんだったのです。
「マジで!Σ(゚Д゚;」と、その時は驚愕しました(そこまで大げさな話ではないか・・・)。
やや強引な枕でしたが、今回から取り上げるのはジェネシスです。
このバンドについて述べられるとき、”貴族がつくったバンド”という形容詞で語られるときがあります。確かにそれは間違いではありません。創設メンバーは全員パブリックスクール(英国で貴族の子弟が通う学校)に在籍していた人達でした。しかしごく初期の内にメンバーチェンジが行われ、71年の3rdアルバム時にて、フィル・コリンズ(ds)、スティーヴ・ハケット(g)が加入し(二人は庶民階級)、オリジナルメンバーであったピーター・ガブリエル(vo)、トニー・バンクス(key)、マイク・ラザフォード(b)とともにバンドは”第一次黄金期”を迎えることとなります。
先述の3rdアルバム「Nursery Cryme(怪奇骨董音楽箱)」にて初期ジェネシスの音楽性は確立されました。神話や寓話(マザーグース等)をモチーフにし、そこに”ひねり”を加えたシュールな歌詞、ジャズやクラシックの要素を取り入れた高度な音楽性と演奏技術。そして何より話題となったのは、リーダーかつフロントマンである、ピーター・ガブリエルの奇抜なコスチュームと、その演劇的なパフォーマンスでした。
正直言ってピーターの創る歌詞や演劇的ステージは私もあまり理解出来ません。(歌詞は英語が分からないので当たり前、と言うか、たとえネイティヴであっても理解できるかどうかは疑問符が付くところです)その位シュール(悪く言えば荒唐無稽)なのです。しかし時代がそういうものを求めていたのかどうか、そのパフォーマンスはかなり好意的に受け入れられ、イギリスの音楽専門誌 メロディーメーカー誌のライヴアクト部門では数年に渡って一位に選出されました。
難解な歌詞の中でも比較的理解し易く、また初期ジェネシスの世界観を最も堪能出来るのが、「怪奇骨董音楽箱」のエンディング曲「The Fountain of Salmacis(サルマシスの泉)」。(神話に詳しくないので間違っていたらご勘弁…)泉の精サルマシス(両性具有の象徴)は、泉に近づき、そしてその水を飲んだ神の子ヘルマプロディートスと一つになろうとする。荘厳かつ抒情的なサウンドと歌詞で中盤まで進行するこの曲は、突然超展開します。サルマシス、ヘルマプロディートス、そしてナレーター役と一人三役を演じてきたピーターの真骨頂とも言えるパートです。そのパートの歌詞をあえて意訳(超訳)しますと、
ヘルマプロディートス:「こっちに来んな!お前と一緒になる気などない!!(`Д´)、」
サルマシス:「私たちは一つになるのよおおおおー!!ε=ε=ε=ε=(;゜д゜)ノ ノ」・・・
サウンドもそれまでの荘厳・神秘的なものから一転、リズミックでコミカル(ギャグパートと呼んでも良い様な)な曲調に変わります。この様な発想の源泉はピーターの幼少期にあるようです。貴族の家だけあって、彼は毎晩乳母に寝付くまで話をしてもらっていたそうです。しかし彼はその話の”ウラ”を常に考えていたとのこと。また彼は屋敷の中でたびたび幽霊の様なものを見たと語っています。それが本物なのか、幻覚、または彼の想像上の産物なのか分かりませんが、これらの事が彼の書く歌詞、パフォーマンスの源になっているようです。
「怪奇骨董音楽箱」は大変な力作にも関わらず、当初セールス的には奮いませんでした。ところが思わぬ所から人気に火が付きます。ベルギーのチャートで前作「Trespass(侵入)」が1位を記録。早速海外公演の準備に取り掛かっている所へ更に朗報が。イタリアで「怪奇骨董音楽箱」が最高位4位を記録。本国以外のヨーロッパの国で高評価を得て、それにつられるように本国イギリスでも注目を集めるようになります。
勢いが出てきたところでバンドは次作に取り掛かります。今回のテーマ「Supper’s Ready」を含む4thアルバム「Foxtrot」は最高傑作と評される作品です。全英12位を記録し、本国でもその人気を確実なものとします。「Supper’s Ready」はB面の殆どを費やした23分の大作。
その創作の元になったのはドラッグです。ピーター、妻のジル、そして友人の三人にてLSD(幻覚剤)を嗜んでいた時の事、突然ジルが普段とは違う声で(さながらエクソシストの様に)喋り出し、大変な状況になったそうです。所謂”バッドトリップ”だったのでしょうが。
(良い子のみんなはマネしちゃダメだぞ!☆(ゝω・)v)
ピーターはこの経験から人間の中に潜む善と悪、二面性について思いを巡らします。そして書き上げたのが本曲の歌詞です。舞台はリビングでの男女のひとときに始まり、いつの間にか戦闘シーン、その後の惨憺たる人肉の山、奇怪な植物が登場する農場、と目まぐるしくシーンを変えながら最後は黙示録にあるような天使と悪魔による一大決戦の場を迎えて、その物語は幕を閉じます。正直言って、あまりにシュール過ぎて和訳を読んでも意味は分かりません(先述の通りはたして英国人でも理解出来ているのか…?)。この様な歌詞は意味を追うより、単語・フレーズが持つイメージや、言葉の響き、韻の踏み方などを味わうのが正解だと私は思っています。しかし、楽曲構成、サウンド、そして演奏は完璧と呼べるものです。この様な組曲ではコンセプト性を持たせる為、序盤でのテーマ・リフなどが、その後の曲中にて形を変えて演奏されるというクラシックでの手法が使われることがありますが、本曲でも序盤のテーマが、エンディングのパートにて見事なリプライズとしてプレイされます。
ただ、御多分にもれずバンド内には不和が生じ始めていました。ピーターのステージアクトは時に、その楽曲とは全く無縁のものがなされることがあり、特にサウンド面でイニシアティヴを担っていたトニー・バンクスはそれを快く思っていなかったそうです。
多少の問題を内部に抱えていたバンドでしたが、基本的には、その後も上り調子にて活動を続けていくこととなります。その辺りはまた次回にて。