#27 Wish You Were Here

特に日本のピンク・フロイドファンの間では人気の高い作品、それが今回のテーマ「Wish You Were Here(炎〜あなたがここにいてほしい)」です。前作「狂気」までにあった前衛・実験色が薄れ、抒情味が前面に押し出された比較的素直な”ロック”として完成しています。それが日本のファンには好意的に受け入れられたようですが、リリース時の評価はあまり芳しいものではなかったそうです。「狂気」の次作としてどれほど、今度はどんな驚くようなサウンドアプローチをしてくれるのか、と過剰な期待を抱いていたファン達には肩透かしを喰った形となってしまったからです。あまりにも成功し過ぎてしまった「狂気」がバンドにもたらした変化は、決して良いものばかりではなかったようです。「狂気」制作後、”やり尽してしまった”症候群的な虚無感の様な感情が芽生え、また軽佻浮薄なショービジネス界への嫌悪感、さらに聴衆は自分達の音楽の本質を本当に理解してくれているのかという懐疑心(特にロジャー)、勿論次作への期待に対するプレッシャー等々。様々な試行錯誤の後、難産の末に2年以上の歳月を経て本作は世に出ます。当初こそ好意的でない評価があったのは先述の通りですが、結果的には英米共に1位となり、「狂気」や79年の「The Wall(ザ・ウォール)」にこそ及ばないものの(この2枚が異常なのです)、全世界で2,200万枚というビッグセールスを記録します。

 

 

 


その音楽性は従来とは比べ物にならないほど親しみやすく、効果音などは使われてこそいるものの、全体に溶け込んでいてそれらが突出して耳目を引くようなことはありません。シンセサイザーの音色はよりコズミックサウンド(宇宙的音世界)を効果的に演出しており、これに関しては前作までの流れを踏襲しています。また音楽的にはブルースフィーリングに満ち溢れていて、ある意味では原点回帰とも言える側面もあるのでは?と私は思っています。
アルバムのオープニングとラストを飾る「Shine On You Crazy Diamond(狂ったダイアモンド)」は初期メンバー シド・バレットについて歌ったものとされていますが、後のロジャーのコメントにはそれを否定するものもあります。「Have A Cigar(葉巻はいかが)」は旧友ロイ・ハーパーがリードヴォーカルを務め、先述したショービジネス界への皮肉を込めた歌詞となっています。タイトル曲は明らかにシドについて歌った曲。精神を病み音楽界、ひいては通常の現実生活をも去って行ってしまったと言っても過言ではないシドに対しての、朴訥でありながら、それでいて慈しみに溢れた歌詞・歌唱であり、サウンドは非常にシンプルでアコースティックなもの。それが余計にシドへの思いを表している名曲です。ちなみに ”あなたがここにいてほしい” という邦題はバンドがわざわざ日本のレコード会社側へ指定してきたもの。ここからも彼らの思い入れがうかがい知れます。ですが、この作品で何より白眉なのは「狂ったダイアモンド」に他なりません。

オープニング曲「狂ったダイアモンド」パート1。冒頭部、無機的な宇宙空間を想起させるようなシンセの音色とフレーズ。そこに仄かな光と温かみを与える抒情的なギター、これだけで本作の世界へ引き込まれてしまいます。やがてアンサンブルパートへ。ギルモアのストラトキャスターによる乾いていて、それでありながらハリがあり、時に泣き叫ぶ様なブルージーなギタープレイ。個人的にはこのパートはギルモアのプレイのなかで一二を争うものと思っています。ヴォーカルは無骨でありながら、それでいてそこはかとなく優しい。シド、あるいは現実からドロップアウトしてしまった者達すべてに語り掛けているような歌です。終盤は前作から引き続き参加しているディック・パリーのサックスソロで一旦幕を閉じます。
エンディング曲「狂ったダイアモンド」パート2。パート1同様、スペイシーサウンドとでも呼ぶべきイントロ。リックによる短いシンセのソロ、その途中からギルモアのギターが絡んできます。本曲のクライマックスは何と言ってもこの後のギターソロで、スライドによるまさしく”泣き叫ぶ”プレイが聴き処。随所におけるギターのオーバーダビングも素晴らしい効果をもたらしています。曲は展開し、パート1同様のヴォーカルパートへ。その後二つのインストゥルメンタルパート、前者はややリズミックな楽曲であり、そして後者はエンディングを飾るに相応しい、例えるなら宇宙からの旅路を終え、まさしく今地球に帰還するようなサウンドです(我々オッサン世代ならイメージするのは、間違いなくイスカンダルから帰ってきた宇宙戦艦ヤマト…(´・ω・`))。

本作制作時にシドがレコーディング現場にふらっと現れたというエピソードがあります。すっかり容姿が様変わりした彼は、スタジオで奇行を繰り広げ、メンバー達は非常にショックを受けたそうです。この事が本作の出来に影響を与えたか否かはわかりませんが、この後、06年にシドが亡くなるまでメンバー達は彼と会うことはなかったと言われています。

77年「Animals(アニマルズ)」発表。”資本主義は豚だ!”の様な旨の強烈な社会風刺を効かせたコンセプトアルバム。ますますロジャーのイニシアティヴ(=独裁化)が強まり、他メンバーとの溝は深まっていきます(特にリックと)。それまでのコズミックサウンド志向から、現実世界の不条理、人間の内面におけるネガティブな部分について歌われており、その作風は次作「The Wall(ザ・ウォール)」へとつながることとなります。その辺りはまた次回にて。

#26 The Dark Side of the Moon

「Atom Heart Mother(原子心母)」の成功後、バンドは初めて自分達のみでアルバム制作に取り掛かります。ピンク・フロイドにとってその後の重要なナンバーとなる「Echoes」を含む「Meddle(おせっかい)」を71年11月にリリース。「Echoes」はB面全てを費やした一大組曲。2ndアルバム「神秘」タイトル曲にて萌芽していた、宇宙的音世界の発展・完成形とも言える傑作。「原子心母」同様にサウンドコラージュ、20以上に渡る楽曲素材の構築力が見事であり、23分30秒という長さを全く感じさせません。これはあくまで私個人の主観なのですが、「原子心母」まであった”怖さ”の様なものがだいぶ和らぎ、抒情味・ロマンティシズムが全編に流れているように感じます。勿論大衆に迎合したなどということは全くなく(そうであったらもっとコマーシャルな作品を作るでしょう)、この時期メンバー達に何某かの変化が生じたのではないかと勝手に推測しています。
A面の楽曲群も秀作ぞろいで、特にオープニング曲「One Of These Days(吹けよ風、呼べよ)」は私以上のオッサン世代なら御馴染、アブドーラ・ザ・ブッチャーの入場曲。延々と繰り返されるベースの上で、やはりサウンドコラージュを駆使したフロイド流音楽世界が展開されます。このベースラインは、ワンフレーズだけ弾いて録音したテープをループ状にして再生したものとか。80年代以降なら、サンプリングマシーンやシーケンサーで難なく出来ることですが、当時は涙ぐましいほどの労力、またそのアイデアに至るまでの試行錯誤がなされたのです。しかしだからこそ、技術が発達した時代においては得られない素晴らしい効果をもたらしたのも事実です。テクノロジーが乏しい方が良いなどとはゆめゆめ思いませんが、やはりそれだけではないという事も思い知らされます。また71年8月には来日を果たし、野外フェスティバル『箱根アフロディーテ』に出演。夕暮れ時に霧が立ち込める状況で、これ以上ない、と言う程絶妙なシチュエーションでのライヴは、勿論その演奏の素晴らしさも相まって伝説となっています。

 

 

 


「おせっかい」リリース時にはすでに曲作りは始まっていたと言われています。それらは断片的にはコンサートで演奏され、ブートレグでは聴くことが出来るそうですが、よほどのマニア以外にはそれだけを聴いてもあまり意味のないものでしょう。しかし発売前半年余りにかけて行われたレコーディング、その後の編集作業によって、その一つ一つのピースはとんでもない怪物のようなアルバムへと変容を遂げます。
主語を入れるのを忘れていました、それはあまりにも有名な、ロック史においてエポックメイキングとなるアルバム、言わずと知れた今回のテーマ「The Dark Side Of The Moon(狂気)」です。一度見たら決して忘れられない様なヒプノシスによるジャケットデザインとともに、本作は多くのロックファンに強烈な印象として焼き付いているのではないでしょうか。
”コンセプトアルバム”とは何ぞや? と問えば、ロックファンによって百人百様でしょうが、もし私が人に説明するとしたら、”ピンク・フロイドの「狂気」の様なアルバム”と言います。ビートルズが「SGTペパーズ」で成し遂げられなかった事を(#3の記事ご参照)、その後、彼らが具現化出来たのだと私は思っています。

売上通算5,000万枚、全米TOP200に741週チャートインなど、本作を語る時に枕詞の様に出てくる説明はどうぞ各々でググってください。この作品がどうしてここまで怪物的に支持を得たのか?あまり長いと飽きられるので私見を出来るだけ簡潔に。私は青春時代に鼻血が出るほどフロイドを聴きまくったのであえて言いますが、彼らはポール・マッカートニーやエルトン・ジョンの様な希代のメロディーメイカーではないですし、レッド・ツェッペリンの様なソリッドかつヘヴィーなロックチューンをプレイするでもなし、また同じプログレッシヴロックと言われるイエスやキング・クリムゾンの様な高度な演奏技術も持ち合わせてはいません。じゃあ何故に?
先ずブルースをベースにした根源的な感情に訴えかける音楽性があります。彼らのルーツがブルースにあるのは前回の記事にて述べましたが、それはギルモアのギタープレイにもっとも顕著に表れています。この様な言い方は身も蓋もないかもしれませんが、イエスやクリムゾンなどよりは分かり易い音楽です。またお世辞にもポップでコマーシャルな音楽ではありません、どころか、重く、陰鬱な音楽です。これが70年代にはまった、としか言いようがありません。60年代の”ウッドストック幻想”のようなものが破れて、心に隙間が空いたようなロックエイジ達にドンピシャにヒットしたのではないでしょうか。更にSFブームや、(これは日本だけかもしれませんが)オカルトブームなど、宇宙的・神秘的なものに対する興味の高まりもあったと思います。そして、私は英語が得意ではないのであまりわかりませんが、彼らの歌詞(主にロジャー)は、平易な英語で、それでいてイメージが喚起される様な、分かり易く、しかし奥深いものだそうです。英語圏ではない人間が英米のポピュラーミュージックを聴くとき、見落としがちですが、商業的成功の為にはこれは非常に重要なファクターでしょう。各国のポップスシーンに置き換えてみれば同様の事が言えるのでは(日本は?…)。音質的にも従来のロックアルバムよりも群を抜いて素晴らしく、エコー処理やSEなどは後のレコード制作に多大な影響を与えました。これにはエンジニアであるアラン・パーソンズとクリス・トーマスの功績が挙げられるところです。

モンスター級のビッグセールス・成功を収めたバンドはその後どのような変遷をたどったのか。順風満帆にスターダムを駆け上がっていったのか、はたまた否か。その辺りはまた次回にて。

#25 Atom Heart Mother

『プログレッシブ・ロック』と呼ばれるロックミュージックのカテゴリーがありますが、一口に言ってもその音楽性は様々で、実際には一つには括れないものと私は考えております。直訳すると”進歩的・先進的なロック”という意味なのでしょうが、いざその定義は? と、問われると思わず考え込んでしまいます。ものの本によると”クラシック・ジャズ・前衛音楽などの手法を取り入れ、従来の価値観にとらわれないロック”の様な旨が書いてあります。概ねこの説明で間違ってはいないと私も思いますが、その定義によれば、クラシック色・オーケストラを取り入れた「ペットサウンズ」や「SGTペパーズ」も当てはまりますし(実際これらをプログレの元祖と呼ぶ人もいます)、ムーディー・ブルース、プロコル・ハルム、初期のディープ・パープルなどはもろにそうです。また、ジャズ的であるというならば、ソフト・マシーンはその先駆けですし、前衛音楽的ロックと言えばフランク・ザッパにとどめを刺すのではないでしょうか。このようにカテゴリーの定義はかなり曖昧かつ難しいのです。では、そのプログレッシブ・ロックにおいて最も有名な、すぐに名前が挙がるバンドと言えば、これに関しては殆ど衆目が一致するのではないでしょうか。それがピンク・フロイドです。

ロンドンで結成されたバンドは、67年にレコードデビュー。全英では初めからヒットを飛ばします。デビュー前結成当初はブルースのカヴァーなどを演っていたようですが、やがて時代の波もあったのでしょうが、サイケデリックロック色を強め、ライティング(照明効果)を巧みに使った”トリップ”する音楽が売りとなります。勿論それにはこの時代のお約束としてLSDなどのドラッグが、演奏者・オーディエンス共にその傍らにあったのは言うまでもありません。
(良い子のみんなはマネしちゃダメだぞ!☆(ゝω・)v)
オリジナルメンバーはシド・バレット(vo、g) ロジャー・ウォーターズ(vo、b)リチャード・ライト(key) ニック・メイスン(ds)の四人。1stアルバム「The Piper at the Gates of Dawn(夜明けの口笛吹き)」は全英6位を記録。殆どの曲をシドが書き、その後のバンドの音楽性とはカラーを異にする作品です。しかしシドはこの時点で既にドラッグの過剰摂取、また元々精神を病んでいた様で、このアルバムも無理くり仕上げた様な状況だったそうです。トリビア的なこぼれ話ですが、アビーロードスタジオにて本作をレコーディング中、隣のブースではビートルズとジョージ・マーティンが「SGTペパーズ」の仕上げ作業中だったとの事。2ndアルバム「A Saucerful Of Secrets(神秘)」の制作途中でシドは脱退。シド在籍中から既に加入していたデヴィッド・ギルモア(g)と共にバンドは新体制で再スタートします。つまり後に世間一般で認知される事となる”ピンク・フロイド”の誕生です。

 

 

 


「神秘」は前作の流れを踏襲しつつ、しかしながらその後のコズミックサウンド(宇宙的音世界)の片鱗がすでに見え始めています。特にタイトル曲にそれが顕著です。その後映画のサントラ、ライヴとスタジオ録音から成る二枚組アルバムを発表し、いずれも全英TOP10ヒットとなります。特に後者の二枚組アルバム「Ummagumma」のスタジオ盤は非常に実験的・アヴァンギャルドな作風で、これがTOP10ヒットとなるイギリスは、時代の波もあったのでしょうが、つくづく凄いお国柄だと思います。ちなみに私は数回ターンテーブルに乗せただけで断念しました・・・。
ミュージック・コンクレートという音楽の一分野があります。基本的に楽器を用いず、具体音(=グラスの割れる音や、人の足音、はたまた風が吹く音など、自然物・人工物問わず現実世界に存在する(楽器以外の)音を組み合わせて音楽を創り上げようとしたものです。私はこの手の音楽をちゃんと聴いたことがありませんので、どうこう言える知識はありません。ただ60年代から、ポップミュージックにおいても、この手法を取り入れようとする動きが現れました。結論から言うと、これらを音楽に昇華できたのはポップミュージック界ではピンク・フロイドだけだと私は思っています。ジョン・レノンも「ホワイト・アルバム」の「Revolution 9」という楽曲でチャレンジしていますが、私見ですが観念的なものだけが先走り、音楽の体を成していないというのが感想です。ピンク・フロイドにしても丸々一曲ミュージック・コンクレートで楽曲を仕上げたというのは先述した「Ummagumma」のスタジオ盤やその他少々で、基本的には”ちゃんとした音楽” つまり器楽・声楽演奏と、SE(サウンドエフェクト)や電子音を含んだミュージック・コンクレートとのバランスを保った楽曲構成として成立させています。なぜ彼らはそれを音楽として成立せしめることが出来たのか? 一言で言えば、”起承転結がしっかりしている”、という事に尽きるでしょう。「神秘」のタイトル曲にてそれは既に表れていました。

これらが全て音楽的に素晴らしいものとして最初に結晶化されたのが、今回のテーマである「Atom Heart Mother(原子心母)」でしょう。あまりにも印象的なそのジャケットデザインと共にロック史に刻み込まれています。23分強に及ぶタイトル曲は、元はギルモアが西部劇をイメージして作ったメロディに、様々なアレンジの変遷を経て(=収拾がつかなくなり)、前衛音楽家 ロン・ギーシンに協力を仰ぎ、膨大な音的素材群から、気の遠くなるような編集作業の末に完成したものです。
本曲を傑作たらしめているのは、全体を通しての編集・構築感覚の見事さでしょう。音楽であると同時に、優れた絵画・建築物を鑑賞しているような感覚に陥ります。通常のポップミュージックとは制作へのベクトルが異なる、むしろ美術におけるコラージュ、創造的建築物の構築に近い感覚だったのではないでしょうか(実際ロジャー、リック、ニックはアートスクールの建築学科出身)。ミュージック・コンクレートをきちんとした音楽に昇華出来たのも、その様な能力に秀でていたことが理由としてあるのではないかと思われます。

本作は初の全英1位を記録、アメリカや日本でもヒットしました。一躍ロックのスターダムへとのし上がった彼らは更に飛躍を続けます。その辺りはまた次回以降にて。

#24 Duke

78年の「…And Then There Were Three…(そして3人が残った)」発表後、メンバーは各々ソロ活動に力を入れ、良い意味でバンドの活動にインターバルを挟んだ後、レコーディングに入ります。そして出来上がったのが80年発表の「Duke」。非常にポップでコマーシャル性に富みながら、音楽性(ジェネシスらしさ)の充実度も兼ね備えた中期の傑作です。
本作は初の全英1位、全米でも最高位11位。シングルヒットも生み出し、その勢いは留まることを知りませんでした。シングル向けのポップチューンも勿論良いのですが、やはりその真骨頂はジェネシスらしさを存分に発揮した、プログレッシヴナンバーです。アルバムラストを飾る「Duke’s Travels」から「Duke’s End」へのメドレーは見事としか言いようがありません。あくまで私見ですが、”古き良きジェネシスらしさ”があったのは本作までと私は勝手に思ってます。
その後「Abacab」「Genesis」と続けて全英アルバムチャート1位、全米でもTOP10入り。また82年のライヴアルバム「Three Sides Live」(米盤はスタジオ録音含)は「Abacab」ツアーを収録した快作。特にコンサートのハイライトである「The Cinema Show」を含むメドレーはお見事。本曲は発表以降、ライヴで様々なアレンジの変遷を経て演奏され続けてきましたが、ここでのヴァージョンにて遂に極まったかなという感が個人的にはあります。
(他のライヴでの演奏も勿論良いですよ(´・ω・`))

 

 

 


86年、「Invisible Touch(インヴィジブル・タッチ)」を発表。バンド最大のヒットとなり、シングルカットされたタイトル曲は遂に全米チャートNo1に。更に全く同時期、元リーダーピーター・ガブリエルの5thアルバム「So」もチャートを駆け上がり、そこからの1stシングル「Sledgehammer(スレッジハンマー)」は、「インヴィジブル・タッチ」と1位の座に取って代わってチャートイン。つまり奇しくもジェネシスファミリーが全米チャートのTOPの座を続けて占めたのです。往年のジェネシスファンは涙を流し、赤飯を炊いて祝ったとか。
(本当かな…(´・ω・`)、でもそのくらい嬉しい出来事だったという事です)
時系列は前後しますが、フィル・コリンズは81年のソロアルバム「Face Value(夜の囁き)」を皮切りに、次々と大ヒットを連発。それ以外にも映画のサントラ「カリブの熱い夜」、EW&Fのフィリップ・ベイリーとのデュエット「Easy Lover」も大ヒット。エリック・クラプトンを
はじめとする他ミュージシャンのプロデュース、また有名なエピソードですが、80年代ミュージシャンによるチャリティーの先駆け、『ライヴエイド』では、ロンドンでのステージの後、コンコルドでアメリカへ飛び、そちらのステージにも出演。”いつ寝てるんだ!!Σ(゚Д゚;”という程の多忙ぶり。

フィルの活動だけが目立ちがちですが、トニー・バンクスやマイク・ラザフォードも80年頃からソロ活動を始めます。つまり全員がバンドとソロ活動をそれぞれ両立していったのです。これは多分丁度良い距離の取り方になったのでしょう。フィルやマイクは温厚な人柄と言われていますが、トニーはかなり神経質な人(ピーターと衝突していたのは以前の記事に書いた通り)らしく、そのエピソードとして、楽器は人に触らせない、の様な事が「Three Sides Live」映像版(現在でもDVDで発売されているようですが、輸入盤なので当然インタヴューに字幕などはついてないでしょう…)の中で関係者から語られています。搬入出や運搬は勿論スタッフが行うでしょうが、セッティングやサウンドチェックなどはローディー(所謂”ボーヤ”)に任せっきりのプロが少なくないところを、自分でやらないと気が済まない、というのは彼の几帳面さ・完璧主義を物語るエピソードです。また、フィルが歌に専念するためツアーサポートメンバーとしてチェスター・トンプソンが(ただしライヴでは必ず”見せ場”としてドラム・デュエットがあります)、スティーヴ・ハケット脱退後は同じくダリル・スチューマーが参加します。70年代後半からは永らくこの不動のメンバーで活動します。キング・クリムゾンやイエスの様に、頻繁なメンバーチェンジを繰り返したバンドから見ると、非常に安定していたと言えるでしょう。これは非常に全員が”大人な距離感”を大事にしていた事。そしてもう一つ、意外に知られていないことかもしれませんが、舞台照明装置として有名な『バリライト』というライティングシステム、実はこれの特許はジェネシスの三人が持っていて(具体的にはアメリカの照明会社が彼らにこのシステムのアイデアを持ち寄り、フィル達が資金を出してあげてそのパテントを取得したらしい)、この特許収入だけで十分生活ができるらしいのです。これがさらに”心の余裕”のようなものを生み出している側面もあるのではないかと推測しています。もっとも三人とも類まれなる才能を持ったミュージシャンですから、食うに困らないと言っても音楽を辞めるわけはなかったでしょう。フィルはワーカホリックのようなところがあったので特に・・・。

90年代初頭までは栄華の限りを尽くしていた様な彼らでしたが、96年にフィルがバンドを脱退。新ヴォーカリストを迎えてニューアルバムを発表しますが、以前の様な成功は得られず、やがて活動停止。06年に再びフィルが加わりその活動を開始しますが、00年代に入ってから、フィルは難聴や脊髄の病気を患い、また加齢と共に老年性のうつも発症していたそうです。08年に一度引退を公表、これは撤回して活動を続けますが、11年にまた引退を表明。しかし15年にこれまた活動再開を表明。ビリー・ジョエルもそうですが、口の悪い連中は”引退するする詐欺”などとのたまう輩もおりますが、彼らのような突出した才能を持った人間はこれでも良いのです。某アニメキャラによるセリフを借りれば ”何度でも蘇るさ!”といったところでしょうか・・・。

白状しますと私はかなりのジェネシスフリークで、彼らに関しては人並み以上の知識と思い入れがあります。だからこそあまりにマニアックな、また主観の強い文章は極力避けようと思いながら書きました。しかし、はたしてこれらの記事が読者の方々にはどのように映ったでしょうか・・・
(´・ω・`)?

これにてジェネシス編は終了です。キング・クリムゾン、イエス、そしてジェネシスと続きましたが、お分かりの方には言うまでもなく… そう、あのバンドがまだ残ってますよね・・・

#23 Selling England by the Pound

調子が上向いてきたジェネシスでしたが一つ重大な問題が。コンサートは大入り満員なのですが、赤字になってしまっていました。理由は簡単、それ以上に経費を掛け過ぎていたからです。芸術家やエンターテイナーはともすれば、自分の表現の為には採算などは度外視してしまうきらいが往々にしてありますが、彼ら(特にピーター)も御多分に漏れませんでした。こりゃいかんとマネージメントに長けた人間を探し、フーやEL&Pのプロモーターも務めたトニー・スミスを迎えることでこの問題は解消されました。バンドは次作「Selling England by the Pound(月影の騎士)」の制作に取り掛かります。

前作「Foxtrot」と比べると大分聴きやすく仕上がっています。それでいて音楽性は素晴らしく充実していて、個人的には前作と甲乙付け難いジェネシス最高傑作の双璧だと思っています。
オープニング曲「Dancing with the Moonlit Knight(月影の騎士)」が本作の世界観を象徴しています。英国貴族風ロマンティシズムとでも呼ぶべき冒頭部から、劇的かつ動的なインストゥルメンタルパートへと移行するところは圧巻の一言です。ちなみにアルバム邦題の「月影の騎士」は本曲にちなみます。本曲中に”Selling England by the Pound”という歌詞が出てきますので、事実上のアルバムタイトルナンバーと解して良いでしょう。
それまで前面に押し出されていたピーターのオリジナリティーが良い意味で薄れ、メンバー全員が一丸となって創った(その意味では最後と言ってもよい)結晶の様なアルバムです。
それが最も顕著な曲「Firth of Fifth」。美しいピアノのイントロに始まり、アンサンブルパートに入ると非常にドラマティックで荘厳なサウンド・歌詞が堪能できます。この曲はトニー・バンクスがイニシアティヴを握っていたと言われており、ピーターに負けるものか、という競合精神が良い意味で昇華された楽曲です。さらに特筆すべきは後半のギターソロ。スティーヴ・ハケットによる、思わず「キング・クリムゾンかよ!」と言ってしまいそうになるくらい、抒情的かつ哀愁を帯びた名演が聴けます(というか、ロバート・フリップはクリムゾンで、少なくともこの当時までにおいて、こんなに素直でメロディックなソロは弾いたことはありませんが…)。またフィル・コリンズが「More Fool Me」でリードヴォーカルを取っており(以前にも取ったことはあります)、更に「I Know What I Like」はバンドとしては全英で初めてシングルヒット。そしてB面終盤にて、その後の重要なライヴナンバーとなる「The Cinema Show」が収録されています。
ジャケットを見ればお分かりになると思いますが、それまでよりかなり垢ぬけています。これが何よりも象徴しており、この時期が初期ジェネシスの最も良い時代だったのだと思います。本作は全英チャートで3位となり、本国にてその人気を不動のものとしました。

74年の夏からバンドは次作の制作に取り掛かりますが、バンド内の関係は綻びが見え始めました。コンセプトアルバムを作ることでは一致していたのですが、ピーターは一人で歌詞を書くことを望み、それに対して他メンバー(特にトニー)は納得がいきませんでした。結果的にはピーターが詩を書き、それとは全く別に他メンバーが曲を作るという無秩序な制作過程を経てしまう事となりました。
そうして出来上がったのが二枚組コンセプトアルバム「The Lamb Lies Down on Broadway(眩惑のブロードウェイ)」です。発表当時はかなり賛否両論分かれたそうです。前作にてかなり親しみやすくなったのが、本作では舞台こそ現代のニューヨークに移しはしましたが、前々作までのシュールかつ難解な作風が復活しています。
この時期ピーターには子供が出来ます。ピーターは家庭を顧みる時間を増やすのが当然という考えなのに対し、他メンバー達は仕事を優先すべきだという考えでした。ますます溝は深まり、遂にピーターは脱退を決意し、バンドは新しいヴォーカリストを探します。ピーターの脱退は公には伏せたままだったので、”ジェネシスタイプのバンド”という文句でオーディションの広告を打ちますが、思った通りの人材に巡り合えず、以前からヴォーカルを取っていたフィルが歌うことで落ち着きます。
世の中というものは何が良し悪しに働くか全くわからないものです。結果的にこれが、バンドの世界的成功のきっかけとなるのです。フィルの声質はピーターに驚く程似ており、従前のナンバーを歌っても全く違和感はなく、更にそれまでにはなかった、良い意味でのポップさ、躍動感の様なものをもたらしました。ピーター脱退後初となる、76年発表の「A Trick of the Tail」は全米でTOP40に入り、結果的にこれまでのどのアルバムよりもセールス的に成功を収めます。それまでの英国的哀愁・ロマンティシズムといった作風は踏襲しつつ、よりシンプルで、躍動感のある(アフリカンリズムのテイストを取り入れたと言っても良い程)リズムを前面に押し出します。
フィルはフロントに立つべくして立った人なのでしょう。子役として演劇活動をしていた幼少期(実はビートルズの映画「ハードデイズ・ナイト」にエキストラとして出演もしている)の経験もあったでしょうし、また非常に人懐っこい、ヒューマンな人柄も功を奏したと言えるでしょう。ここからバンドはヨーロッパのみならず、全米での(つまり世界での)人気を着実なものにしていきます。

その後、スティーヴ・ハケットが脱退しバンドは3人となり、78年に「…And Then There WereThree…(そして3人が残った)」という、超有名小説をもじりながら、当時のバンド状況を自嘲・自虐的に表したタイトルのアルバムを発表します(このセンスはブラックユーモアを解するイギリス人ならではだと思います)。しかしながら、これがまた大ヒット。初の全米TOP20にチャートインすることとなります。北米にとどまらず中南米、そしてアジア圏(勿論日本を含む)でもその名声はとどろいて行きます。
やがて時代は80年代へ。快進撃はさらに加速します、その辺りはまた次回にて。