#23 Selling England by the Pound

調子が上向いてきたジェネシスでしたが一つ重大な問題が。コンサートは大入り満員なのですが、赤字になってしまっていました。理由は簡単、それ以上に経費を掛け過ぎていたからです。芸術家やエンターテイナーはともすれば、自分の表現の為には採算などは度外視してしまうきらいが往々にしてありますが、彼ら(特にピーター)も御多分に漏れませんでした。こりゃいかんとマネージメントに長けた人間を探し、フーやEL&Pのプロモーターも務めたトニー・スミスを迎えることでこの問題は解消されました。バンドは次作「Selling England by the Pound(月影の騎士)」の制作に取り掛かります。

前作「Foxtrot」と比べると大分聴きやすく仕上がっています。それでいて音楽性は素晴らしく充実していて、個人的には前作と甲乙付け難いジェネシス最高傑作の双璧だと思っています。
オープニング曲「Dancing with the Moonlit Knight(月影の騎士)」が本作の世界観を象徴しています。英国貴族風ロマンティシズムとでも呼ぶべき冒頭部から、劇的かつ動的なインストゥルメンタルパートへと移行するところは圧巻の一言です。ちなみにアルバム邦題の「月影の騎士」は本曲にちなみます。本曲中に”Selling England by the Pound”という歌詞が出てきますので、事実上のアルバムタイトルナンバーと解して良いでしょう。
それまで前面に押し出されていたピーターのオリジナリティーが良い意味で薄れ、メンバー全員が一丸となって創った(その意味では最後と言ってもよい)結晶の様なアルバムです。
それが最も顕著な曲「Firth of Fifth」。美しいピアノのイントロに始まり、アンサンブルパートに入ると非常にドラマティックで荘厳なサウンド・歌詞が堪能できます。この曲はトニー・バンクスがイニシアティヴを握っていたと言われており、ピーターに負けるものか、という競合精神が良い意味で昇華された楽曲です。さらに特筆すべきは後半のギターソロ。スティーヴ・ハケットによる、思わず「キング・クリムゾンかよ!」と言ってしまいそうになるくらい、抒情的かつ哀愁を帯びた名演が聴けます(というか、ロバート・フリップはクリムゾンで、少なくともこの当時までにおいて、こんなに素直でメロディックなソロは弾いたことはありませんが…)。またフィル・コリンズが「More Fool Me」でリードヴォーカルを取っており(以前にも取ったことはあります)、更に「I Know What I Like」はバンドとしては全英で初めてシングルヒット。そしてB面終盤にて、その後の重要なライヴナンバーとなる「The Cinema Show」が収録されています。
ジャケットを見ればお分かりになると思いますが、それまでよりかなり垢ぬけています。これが何よりも象徴しており、この時期が初期ジェネシスの最も良い時代だったのだと思います。本作は全英チャートで3位となり、本国にてその人気を不動のものとしました。

74年の夏からバンドは次作の制作に取り掛かりますが、バンド内の関係は綻びが見え始めました。コンセプトアルバムを作ることでは一致していたのですが、ピーターは一人で歌詞を書くことを望み、それに対して他メンバー(特にトニー)は納得がいきませんでした。結果的にはピーターが詩を書き、それとは全く別に他メンバーが曲を作るという無秩序な制作過程を経てしまう事となりました。
そうして出来上がったのが二枚組コンセプトアルバム「The Lamb Lies Down on Broadway(眩惑のブロードウェイ)」です。発表当時はかなり賛否両論分かれたそうです。前作にてかなり親しみやすくなったのが、本作では舞台こそ現代のニューヨークに移しはしましたが、前々作までのシュールかつ難解な作風が復活しています。
この時期ピーターには子供が出来ます。ピーターは家庭を顧みる時間を増やすのが当然という考えなのに対し、他メンバー達は仕事を優先すべきだという考えでした。ますます溝は深まり、遂にピーターは脱退を決意し、バンドは新しいヴォーカリストを探します。ピーターの脱退は公には伏せたままだったので、”ジェネシスタイプのバンド”という文句でオーディションの広告を打ちますが、思った通りの人材に巡り合えず、以前からヴォーカルを取っていたフィルが歌うことで落ち着きます。
世の中というものは何が良し悪しに働くか全くわからないものです。結果的にこれが、バンドの世界的成功のきっかけとなるのです。フィルの声質はピーターに驚く程似ており、従前のナンバーを歌っても全く違和感はなく、更にそれまでにはなかった、良い意味でのポップさ、躍動感の様なものをもたらしました。ピーター脱退後初となる、76年発表の「A Trick of the Tail」は全米でTOP40に入り、結果的にこれまでのどのアルバムよりもセールス的に成功を収めます。それまでの英国的哀愁・ロマンティシズムといった作風は踏襲しつつ、よりシンプルで、躍動感のある(アフリカンリズムのテイストを取り入れたと言っても良い程)リズムを前面に押し出します。
フィルはフロントに立つべくして立った人なのでしょう。子役として演劇活動をしていた幼少期(実はビートルズの映画「ハードデイズ・ナイト」にエキストラとして出演もしている)の経験もあったでしょうし、また非常に人懐っこい、ヒューマンな人柄も功を奏したと言えるでしょう。ここからバンドはヨーロッパのみならず、全米での(つまり世界での)人気を着実なものにしていきます。

その後、スティーヴ・ハケットが脱退しバンドは3人となり、78年に「…And Then There WereThree…(そして3人が残った)」という、超有名小説をもじりながら、当時のバンド状況を自嘲・自虐的に表したタイトルのアルバムを発表します(このセンスはブラックユーモアを解するイギリス人ならではだと思います)。しかしながら、これがまた大ヒット。初の全米TOP20にチャートインすることとなります。北米にとどまらず中南米、そしてアジア圏(勿論日本を含む)でもその名声はとどろいて行きます。
やがて時代は80年代へ。快進撃はさらに加速します、その辺りはまた次回にて。

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