78年の「…And Then There Were Three…(そして3人が残った)」発表後、メンバーは各々ソロ活動に力を入れ、良い意味でバンドの活動にインターバルを挟んだ後、レコーディングに入ります。そして出来上がったのが80年発表の「Duke」。非常にポップでコマーシャル性に富みながら、音楽性(ジェネシスらしさ)の充実度も兼ね備えた中期の傑作です。
本作は初の全英1位、全米でも最高位11位。シングルヒットも生み出し、その勢いは留まることを知りませんでした。シングル向けのポップチューンも勿論良いのですが、やはりその真骨頂はジェネシスらしさを存分に発揮した、プログレッシヴナンバーです。アルバムラストを飾る「Duke’s Travels」から「Duke’s End」へのメドレーは見事としか言いようがありません。あくまで私見ですが、”古き良きジェネシスらしさ”があったのは本作までと私は勝手に思ってます。
その後「Abacab」「Genesis」と続けて全英アルバムチャート1位、全米でもTOP10入り。また82年のライヴアルバム「Three Sides Live」(米盤はスタジオ録音含)は「Abacab」ツアーを収録した快作。特にコンサートのハイライトである「The Cinema Show」を含むメドレーはお見事。本曲は発表以降、ライヴで様々なアレンジの変遷を経て演奏され続けてきましたが、ここでのヴァージョンにて遂に極まったかなという感が個人的にはあります。
(他のライヴでの演奏も勿論良いですよ(´・ω・`))
86年、「Invisible Touch(インヴィジブル・タッチ)」を発表。バンド最大のヒットとなり、シングルカットされたタイトル曲は遂に全米チャートNo1に。更に全く同時期、元リーダーピーター・ガブリエルの5thアルバム「So」もチャートを駆け上がり、そこからの1stシングル「Sledgehammer(スレッジハンマー)」は、「インヴィジブル・タッチ」と1位の座に取って代わってチャートイン。つまり奇しくもジェネシスファミリーが全米チャートのTOPの座を続けて占めたのです。往年のジェネシスファンは涙を流し、赤飯を炊いて祝ったとか。
(本当かな…(´・ω・`)、でもそのくらい嬉しい出来事だったという事です)
時系列は前後しますが、フィル・コリンズは81年のソロアルバム「Face Value(夜の囁き)」を皮切りに、次々と大ヒットを連発。それ以外にも映画のサントラ「カリブの熱い夜」、EW&Fのフィリップ・ベイリーとのデュエット「Easy Lover」も大ヒット。エリック・クラプトンをはじめとする他ミュージシャンのプロデュース、また有名なエピソードですが、80年代ミュージシャンによるチャリティーの先駆け、『ライヴエイド』では、ロンドンでのステージの後、コンコルドでアメリカへ飛び、そちらのステージにも出演。”いつ寝てるんだ!!Σ(゚Д゚;”という程の多忙ぶり。
フィルの活動だけが目立ちがちですが、トニー・バンクスやマイク・ラザフォードも80年頃からソロ活動を始めます。つまり全員がバンドとソロ活動をそれぞれ両立していったのです。これは多分丁度良い距離の取り方になったのでしょう。フィルやマイクは温厚な人柄と言われていますが、トニーはかなり神経質な人(ピーターと衝突していたのは以前の記事に書いた通り)らしく、そのエピソードとして、楽器は人に触らせない、の様な事が「Three Sides Live」映像版(現在でもDVDで発売されているようですが、輸入盤なので当然インタヴューに字幕などはついてないでしょう…)の中で関係者から語られています。搬入出や運搬は勿論スタッフが行うでしょうが、セッティングやサウンドチェックなどはローディー(所謂”ボーヤ”)に任せっきりのプロが少なくないところを、自分でやらないと気が済まない、というのは彼の几帳面さ・完璧主義を物語るエピソードです。また、フィルが歌に専念するためツアーサポートメンバーとしてチェスター・トンプソンが(ただしライヴでは必ず”見せ場”としてドラム・デュエットがあります)、スティーヴ・ハケット脱退後は同じくダリル・スチューマーが参加します。70年代後半からは永らくこの不動のメンバーで活動します。キング・クリムゾンやイエスの様に、頻繁なメンバーチェンジを繰り返したバンドから見ると、非常に安定していたと言えるでしょう。これは非常に全員が”大人な距離感”を大事にしていた事。そしてもう一つ、意外に知られていないことかもしれませんが、舞台照明装置として有名な『バリライト』というライティングシステム、実はこれの特許はジェネシスの三人が持っていて(具体的にはアメリカの照明会社が彼らにこのシステムのアイデアを持ち寄り、フィル達が資金を出してあげてそのパテントを取得したらしい)、この特許収入だけで十分生活ができるらしいのです。これがさらに”心の余裕”のようなものを生み出している側面もあるのではないかと推測しています。もっとも三人とも類まれなる才能を持ったミュージシャンですから、食うに困らないと言っても音楽を辞めるわけはなかったでしょう。フィルはワーカホリックのようなところがあったので特に・・・。
90年代初頭までは栄華の限りを尽くしていた様な彼らでしたが、96年にフィルがバンドを脱退。新ヴォーカリストを迎えてニューアルバムを発表しますが、以前の様な成功は得られず、やがて活動停止。06年に再びフィルが加わりその活動を開始しますが、00年代に入ってから、フィルは難聴や脊髄の病気を患い、また加齢と共に老年性のうつも発症していたそうです。08年に一度引退を公表、これは撤回して活動を続けますが、11年にまた引退を表明。しかし15年にこれまた活動再開を表明。ビリー・ジョエルもそうですが、口の悪い連中は”引退するする詐欺”などとのたまう輩もおりますが、彼らのような突出した才能を持った人間はこれでも良いのです。某アニメキャラによるセリフを借りれば ”何度でも蘇るさ!”といったところでしょうか・・・。
白状しますと私はかなりのジェネシスフリークで、彼らに関しては人並み以上の知識と思い入れがあります。だからこそあまりにマニアックな、また主観の強い文章は極力避けようと思いながら書きました。しかし、はたしてこれらの記事が読者の方々にはどのように映ったでしょうか・・・
(´・ω・`)?
これにてジェネシス編は終了です。キング・クリムゾン、イエス、そしてジェネシスと続きましたが、お分かりの方には言うまでもなく… そう、あのバンドがまだ残ってますよね・・・