#28 The Final Cut

「Animals(アニマルズ)」コンサートツアー最終日のカナダ公演にて、演奏そっちのけで大騒ぎする最前列の観客達に対して、ロジャーが唾を吐きかけるというアクシデントが起こります。それまで溜まった様々なフラストレーション、具体的には昔の曲ばかりを聴きたがる聴衆、大規模なツアーによる心身の疲弊、大会場で行われる故に生じる聴衆との溝、などによるストレスが極限まで達して先の暴挙に至ったようです。後にロジャーは反省したようですが、この経験から、オーディエンスとの溝=”壁”をイメージし、次作である「The Wall(ザ・ウォール)」の制作へと向かいます。かねてからロジャーはレコード・映画・コンサート現在で言う所の”メディアミックス”的展開を構想しており、それにはこのアイデアはうってつけでした。「ザ・ウォール」の内容をあくまでざっくりと。主人公ピンクはロックスターという設定。先ず冒頭にある短いメロディと一言”….we came in?(来たの、おれたち?)” これについては後述します。その直後オープニング曲「In The Flesh?」はコンサートの開始を彷彿させる楽曲(歌詞は非常にシニカル)。爆撃音のような音の後に、赤ん坊の泣き声。ピンクの誕生した瞬間へ遡ります。かなり割愛しますが(本気で全内容を知りたい人は、和訳と解説を丁寧に記しているサイトが幾つかありますのでそちらをご参照)、行き過ぎた管理教育、親の過保護、やがてロックスターへと成長、しかしお決まりのドラッグへの傾倒、スターであるのにも関わらず孤独・疎外感を感じ、ますます”壁”を構築。終盤でオープニングのリプライズ「In The Flesh」(?がとれている)ではこれまで溜まっていた観客への罵倒。その後ピンクの気がふれた精神世界における、蛆虫達による自らへの弾劾裁判。母親や妻などが関係者として証言の後、”ピンクの壁を崩せ”という大合唱とともに壁が崩れ落ちる大音量のSE。エンディング「Outside The Wall」では牧歌的なメロディーの上で、”何だ、結局壁の外とは結局こんな所なのか?…”の様な失望と諦めの境地のような歌詞。そして最後に一言”Isn’t this where(ここって?)”。先の冒頭部におけるメロディはエンディングと同じもの。ラストの歌詞冒頭の一言をつなげると”Isn’t this where we came in?(ここってはぼくらが入って来たとこじゃないのかい?”という意味。つまり振り出しに戻るということ。SFなどにある所謂”ループもの”の様なオチ、しかもかなりバッドエンドの・・・。

 

 

 


前作の「アニマルズ」から宇宙的・神秘的音世界はなりを潜め、現実社会における矛盾を怒りでもって
歌い上げ、サウンドもストレートなロックサウンドとなっていきました。特にそれまでフロイドの”売り”とも言えた、広がりのあるサウンド、具体的にはエコー処理・音響空間の創造の巧みさがなくなっていってしまったのです。従来からのファンは、当時ややもするとフロイドを見限り始めた所だったようなのですが、意外にも若いロックファンに受け入れられたそうです。フロイドのような大作主義は70年代後半にムーヴメントとして興ったパンク世代達などには、嫌悪される標的だったそうですが、「ザ・ウォール」のように、ここまで徹底した大作であるとかえって新鮮に映ったのかもしれません(あとパンクというのは一過性のもので79年頃は既に廃れ始めていました)。結果的にはこれも特大のヒットを記録。当時で既に1,000万枚を超えるセールスを上げました。
バンドは「ザ・ウォール」ツアーを行いますが、何と1ステージ毎に本作の世界を再現するといった暴挙… 斬新な試みに出ます。具体的にはステージと客席の間に実際に”壁”を作り、エンディングでそれを崩し去る、といったとんでもないセットを組みました。当然話題になり大盛況でしたが、当たり前の事に経費もとてつもなく掛かったために莫大な赤字を被りました …
…(´Д`)…

83年、ロジャー在籍時最後のアルバム「The Final Cut」発表。実質的にロジャーのソロ、そして内省的・私小説的作品とでも呼べるもの。人によって好き嫌いは分かれるでしょうが、イギリスでは1位を記録。「ザ・ウォール」のアウトテイクも収録されており、楽曲的・サウンド的に秀逸なアルバムとは思いませんが、フロイドファン、ロジャー・ウォーターズファンにはその内面をうかがい知ることが出来る作品であり、ジョン・レノンにおける「ジョンの魂」的アルバムと私は思っています。
その後実質的にバンドは解散状態に。各々がソロ活動を経て、87年にロジャー抜きで活動を再開。ロジャーとギルモア達は長い間反目し合いますが、00年頃から雪解けムードが漂い始め、05年にはチャリティー・イベントにて一時的ではあるものの再結成。しかし06年にシド・バレット、08年にはリチャード・ライトが死去。14年にリックへの追悼を込めたスタジオ録音のアルバム(ロジャーは不参加)を発表しますが、これを最後にピンク・フロイドとしてはその活動に終止符を打ちます。

#26の記事の内容と重複しますが、彼らは決して突出した作曲能力や演奏技術の持ち主ではありません。元々はブルースのカヴァーを演っていたバンドであり、やがて時代の波であったフラワームーヴメント・サイケデリックロックの一翼として世に出ました。それらの殆どが一過性のブームとして消えていってしまったと言えるもので、フロイドと同時期のデビューでその後息の長い活動を続けられたのはグレイトフル・デッドとジェファーソン・エアプレイン(←名前も音楽性も移り変わって行きましたが…)くらいではなかったでしょうか。そのようなバンドがここまでモンスター級の成功を収めたのは、先の記事でも述べましたが、非常にレコード(アルバム)制作に長けていた、つまりそれまではラジオでかけるのが前提である3分位の曲の寄せ集めでしかなかったアルバムを、トータルに音楽作品として昇華せしめたのは、若干の例外を除いて彼らが初めてで、そして最も秀逸だったと言って過言ではなかったと思うのです。ちなみにその例外の一つはザ・フーの二枚組ロックオペラ「Tommy(トミー)」(余談ですが「トミー」「ザ・ウォール」共にプロデュースはボブ・エズリン。これは偶然でも何でもなく、「トミー」の様な超大作を仕上げた実績があるからこそロジャーはエズリンを起用したと言われています)。アルバムが”作品”と呼ぶに値するに相応しかった70年頃から90年代半ば位までの限られた時期に出現した、ポップミュージックにおけるある種の究極形音楽と言えるのではないかと思うのです。この期間は、今はまだそう感じられないかもしれませんが、もっと後世にポピュラーミュージック史が語られる時、極々短い期間として扱われるのではないでしょうか。サイケの時代には、意識の垂れ流しと呼んでも過言ではないような感性のみに頼ったバンドが多かった中、彼らは感性+理性(=構築力、この場合は一般的な音楽の編曲能力と言うよりは、以前に述べた様な美術・アート建築的なもの)を併せ持った稀有な存在だったのだと思います。

またまただいぶ長くなってしまいました。中~高校生にかけて鼻血が出るほど聴きまくったバンドの事ですので、筆が止まらなくなってしまうことは何とぞご容赦を。これにてピンク・フロイド編は終了です。プログレッシヴロックで続いてきた流れもここで一旦終了しようと思います。はて、次は何を書こうか?… ま、どうせ昔の洋楽ネタには変わらないんですけど・・・

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