ディープ・パープルのヒット曲「 Hush(ハッシュ)」、と聞いてすぐにピンとくる人はなかなか少ないのではないでしょうか。”パープルつったら「ハイウェイ・スター」とか「スモーク・オン・ザ・ウォーター」だろゴルァ!ヽ(`Д´)ノ ”という声がありそうですが至極もっともです。これらは所謂第2期ディープ・パープル、一般に彼らの黄金期とされる時期の代表曲であるのですぐに名前が挙がるのは当然です。しかし彼らは当初、第2期の様なハードロック路線ではなく、ジョン・ロード(key)を中心としたクラシックをモチーフとしたロックを売りにしたバンドだったのです。この様なロックは当時、アートロックと称されていました。その後イニシアティブを握ることとなるリッチー・ブラックモアのギターはまだ控えめでしたが、優れた演奏技術力に基づく高度な音楽性を有していました。
「 ハッシュ」(68年)は全米最高位4位を記録しました。新人バンドとしては超が付くほどの成功した出だしだったはずなのですが、ロックファンの間でもあまり印象に残らないのは、やはりハードロックバンドとしての第2期以降のイメージが強すぎる為でしょうか。ちなみ代表曲「スモーク・オン・ザ・ウォーター」(73年)も全米最高位4位。ディープ・パープルのシングルとしてチャートアクションが最も良かったのがこの2曲です。
そのディープ・パープルはデビュー当初”イギリスのヴァニラ・ファッジ”と呼ばれていたそうです。ヴァニラ・ファッジは66年アメリカで結成されたバンド。シュープリームスのカバー曲「You Keep Me Hangin’ On(キープ・ミー・ハンギン・オン)」であまりにも有名ですが、彼らも当時はドアーズなどと並んでサイケ・アートロックの急先鋒とされていました。1stアルバムは全曲カバー曲で占められ、「キープ・ミー・ハンギン・オン」をはじめ、「涙の乗車券」「エリナー・リグビー」など既存のロック・ポップスを、サイケかつハードなアレンジで演奏して当時のリスナー達を驚かせました。
奇才フランク・ザッパ。そのキャリアのスタートとなったのはマザーズ・オブ・インヴェンションです。R&R、R&B、ソウル、ポップス、はては前衛音楽まで、ごった煮のように混沌としたその音楽は決して商業的に成功した訳ではありませんでしたが、一部のコアなファンに圧倒的に支持されました。ザッパはその後もハードロック、プログレ、ジャズ・フュージョンなど様々な要素を取り込み、また”ザッパ・スクール”と称されるほど多数の優れたプレイヤーを自身のバンドから輩出しました。テリー・ボジオ、ジョージ・デューク、エイドリアン・ブリュー等々、天才・奇才といった呼称がぴったり当てはまるような錚々たる面々ばかりです。ザッパがそれを見抜く力は勿論のこと、やはり相通じ合う何かを感じ取って、彼らもザッパの下に集ったのかもしれません。
「In-A-Gadda-Da-Vida(ガダ・ダ・ヴィダ)」で有名なアイアン・バタフライはサイケ色がありつつも、ヘヴィメタルの元祖とも呼ばれます。シカゴやブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ はサイケロックとは一線を画しましたが、ホーンセクションを大々的に導入し、”ブラスロック”と呼ばれる新しいジャンルを産み出しました。この様にこの時期は様々な新しい形態のロックが出現しました。しかしそれを良いと思った人ばかりではなかったのも事実です。大瀧詠一さんは以前ラジオで「(ビートルズは)もうラバーソウルで難しくて着いていけなくなった…」の様な旨を仰っていました。古き良きR&R、ポップスを好むリスナーも当然少なくなかったようです。
今回ご紹介した中で個人的に白眉なのはこの曲です。後にジェフ・ベックとベック・ボガート & アピスを結成することとなるティム・ボガート(b)とカーマイン・アピス(ds)は技術的にはまだ発展途上と言えますが、それを補って余りあるパワーとグルーヴを持っています。決して超絶技巧という訳ではありませんが、エンディングでのアピスによる怒涛のドラミングは圧巻です。更にシュープリームスのあのオリジナルを、この様にアレンジしたのは何ともお見事、としか言いようがありません。最後にこの動画を貼って閉めたいと思います。