69年8月、N.Y.州のベセルで催されたウッドストック・フェスティバルはロック史に残る大規模な野外コンサートとして、名前くらいは耳にしたことがある方も多いのでは。結果的に約40万人の聴衆が集い、「ラブ&ピース」「音楽で社会を変えられる」と言う様な理想とも幻想とも言えるような考えの下に当時の”ヒッピー”達が詰めかけたそうです。いささか美化され過ぎて語られている面がかなりあるとは思うのですが、日本においてもその時代に青春時代を過ごした現在60~70代の方たちには、遠い外国での事とは言えども、時代を象徴する出来事として印象に残っているのではないでしょうか。ロック・フォーク界から多数の大物ミュージシャンが参加し、悪天候やトラブルが起こる中、後世にて語り草となるプレイも繰り広げられました。カルロス・サンタナ率いるバンド”サンタナ”もウッドストックでのステージが注目され、その後の大躍進へと繋がりました。
ラテンロックと言われるジャンルを切り開いたのはサンタナによってでしょう。勿論それ以前からラテン調の楽曲はロックにおいてもありました。例えばビートルズも実はかなりラテン好きで、「アイ・フィール・ファイン」はアフロキューバン、「Mr.ムーンライト」「ティル・ゼア・ウォズ・ユー」等はルンバのリズム、またレコードデビュー前はステージで「ベサメ・ムーチョ」などを好んで演奏していたそうです。しかしサンタナほど情熱的・躍動的なラテンフィーリングをロックに取り入れたミュージシャンはいませんでした。そしてそのフィーリング・リズムに、サンタナの情感あふれる、所謂”泣きのギター”は見事にマッチしました。メキシコ出身という事がその音楽性に寄与しているのは言わずもがなです。
ウッドストックと同月発売の1stアルバム「Santana」は、同コンサートにおけるその素晴らしいプレイも相まって全米4位の大ヒットとなりました。翌年リリースの2ndアルバム「Abraxas(天の守護神)」にて全米No.1を獲得。シングルカットされた代表曲となる「ブラック・マジック・ウーマン」も大ヒット。ちなみに豆知識的ですが、本曲はサンタナのオリジナルではなく、イギリスのロックバンドフリートウッド・マックのカヴァー。70年代中期以降は「Rumours(噂)」などのポップ路線でのビッグセールスが良く知られるところですが、実は結成当初はブリティッシュブルースロックにおける急先鋒の一員でした。続く3rdアルバム「Santana III」も全米No.1。本作では、後にジャーニーを結成する事となるニール・ショーンがサンタナに見い出されて参加しています(若干17歳)。4thアルバム「Caravanserai(キャラバンサライ)」はそれまでのラテンロック色はやや影を潜め、ジャズフュージョン色が強く打ち出されていますが、そのプレイの素晴らしさには全く変わりはありません。
時系列は前後しますが、ウッドストックでのプレイがあまりにも有名になりすぎて意外に知られていない事ですが、実はカルロス・サンタナのレコードデビューはそれよりも前、名盤「フィルモアの奇蹟」においてなのです。アル・クーパー、マイク・ブルームフィールドを中心として、68年9月にフィルモアウェストにて行われたコンサートを収録した作品。3日間公演だった最終日にブルームフィールドが体調を崩し、急遽サンタナを含むギタリスト達が参加しました。サンタナのプレイはC面2曲目「Sonny Boy Williamson」にて聴けます。ラテンミュージック同様にブルースにも傾倒していたサンタナの非常にブルージーなプレイが堪能できる、その後のサンタナバンドとはまた一味違ったサンタナを聴くことが出来ます。
80年代~90年代中期において、70年代ほどのセールスには恵まれない時代が続きましたが、99年「Supernatural(スーパーナチュラル)」が特大のセールスを記録します。グラミー賞の受賞など、見事な”サンタナ復活”を遂げました。その後もコンスタントに活動を続け、今日に至ります。御年70歳。まだまだ現役バリバリなのは素晴らしい事です。
数多の素晴らしいプレイがありすぎて、どれか一曲などとは選べないところですが、あえてチョイスするならば、本当のホントにベタですがこの曲です。「Europa(哀愁のヨーロッパ)」。本曲においてはYAMAHA-SGが使用されています。74年よりサンタナは本器を使い始め、ポール・リード・スミスに取って代わられるまでサンタナの愛器でした。日本が世界に誇る名器です、その素晴らしい音色も是非ご堪能ください。