アルバム「スーパー・セッション」の続編・ライヴ版として企画されたのが本作「The Live Adventures of Mike Bloomfield and Al Kooper(フィルモアの奇蹟)」。スティーヴン・スティルスは参加出来ませんでしたので、このフィルモアウェストにおける3日間公演はマイク・ブルームフィールドのギターの独壇場となる、予定でした…(3日目にダウンしたのは前々回の記事で触れた通り)。その代役として駆り出された人達、C面2曲目にカルロス・サンタナ、3曲目にエルヴィン・ビショップの演奏が収録され、また本作に収録こそされませんでしたがスティーヴ・ミラーもそのステージに立ったそうです。
アル・クーパーの力量不足が語られる事の多い本作ですが、私はそうは思いません。超絶テクニックのキーボーディストとは言いませんが、それが本作のクオリティを下げているなどということは決してありません。クーパーはプレイヤーというよりはプロデューサーのスタンスで作品を創る人だったようで、「スーパー・セッション」「フィルモアの奇蹟」が共に成功したのもその辺りが大きな要因の一つだったように思われます。
本作の魅力はやはり全編を通して(勿論先述した不在時の曲を除き)ブルームフィールドの素晴らしいギタープレイにあります。そのフレーズ・音色は神がかっていると言えるほど。この時期がプレイヤーとしてのピークであったことは間違いありません。クラプトンが彼のプレイに嫉妬した程だというのが頷けます。同時期のクラプトンのプレイ、つまりクリーム時代におけるそれは、良く言えばアグレッシヴ、悪く言えばブルームフィールドと比較して”とげとげしい”部分があるのは否めなかった様な気がします。ブルースにおける”色気”や”艶っぽさ”というものに関しては、ブルームフィールドに軍配が上がったとしか言いようがありません。クリームにはバトルの様なインタープレイが 求められていた、と言う面もありますが、クラプトン自身、ブルースフィーリングにおいてはブルームフィールドには敵わない、という自覚があったのでしょう。やがてクラプトンもそのバトルの様なインタープレイに嫌気が差し、アメリカへその活動の拠点を移したことは以前のクラプトン編で述べた通りです。
本作の収録(公演)が68年9月、同年12月にはフィルモアイーストでもコンサート及び収録が行われました。しかし当時は未発売に終わり、テープも長い間行方不明となっていましたが、後年になって再発見され、03年「Fillmore East: The Lost ConcertTapes 12/13/68(フィルモア・イーストの奇蹟)」としてリリースされました。ちなみに本公演ではまだ無名のジョニー・ウィンターがブルームフィールドの紹介によってゲスト参加する機会を得て、これを機に大手レコード会社と契約し、その後スターダムへとのし上がっていきます。ここではそのナンバーをご紹介。「It’s My Own Fault」。このチャンスをものにしようとするウィンターの血気溢れる歌とギターは素晴らしく、レコード会社間にて争奪戦が行われたというもの頷けます。ブルームフィールドも彼としては珍しく、瞬間的にはですが非常にスピーディかつ攻撃的なプレイが垣間見えます。やはりエネルギッシュなウィンターに触発されたのでしょうか。しかし根本的にはブルームフィールドらしいプレイです。一流のプレイヤー皆に言える事ですが、その時々のシチュエーションに沿いながらも自身のオリジナリティは決して失わないというスタイルは見事です。
サンタナもジョニー・ウィンターも(参加した経緯は異なりますが)、ブルームフィールドと関わったことにより、その後大成功を収めたのと相反して、ブルームフィールド自身はこの頃を境にその活動に陰りが出てきたというのも皮肉な話です。もっともそれは彼の薬物依存による側面が大きいので自業自得と言えばそれまでなのですが・・・
ブルームフィールドという人は決してフロントマン向きのプレイヤーではなく、ましてやエンターテインメント性に溢れた人とはとても言えない、まさしく”ギター職人”という表現がピッタリな人でした。どちらかと言えば静かに(演奏が静かという意味ではなく、プレスなどにあれこれ取材されたり、矢面に立たされないという意味で)ギターを弾いていたい、というタイプだったようなのですが、60年代の一連の輝かしいプレイがそれを許さず、周りは当然の様にあのすばらしいブルースギターを求め、勿論ビジネスとしての成功も望むわけですが、その周囲の期待や本人の葛藤などからますます薬へ逃避した様です。ブルームフィールドの人柄を表すエピソードを一つ。デビュー当初のサンタナは非常に”尖がっていた”そうで、「あんたをいつかつぶしてやる!」と言ってしまったそうです。するとブルームフィールドは、決して”大人の対応”などではなく、ニッコリ笑って、「君なら出来るかも。がんばってくれよ」と言ったそうです。サンタナはそれで虚勢を張っていた自分がアホらしくなったとのこと。当然サンタナは憧れ半分、その才能への嫉妬半分、といったところから出た言葉だったのは勿論の事、ブルームフィールドも若きサンタナの才能を認めて本心から出た言葉だったのでしょう。
81年2月、マイク・ブルームフィールドはヘロインの過剰摂取により亡くなります。駐車場で車内にて意識不明の状態で発見され、そのまま息を引き取ったとの事。享年37歳。70年代は様々な事情から(本人のドラッグ依存を含め)表舞台に出ることも少なくなり、作品のリリースもマイナーレーベルへ移行するなど、60年代の輝かしい活動と比べると寂しい晩年となってしまった感は否めません。
最後にご紹介するのは「If You Love These Blues,Play’em as You Please」(76年)から。実はこれ、米のギター専門誌による企画ものの”教則盤”。短いタイトル曲の上で本人が”このような機会を持てて嬉しい”という旨を述べ、様々なスタイルのブルースを演奏していき、曲間ではその解説をしているようです。英語が不得意なのであまり理解できないのが残念ですが、BBキング、ジミー・ロジャース、ジョン・リー・フッカーといった固有名詞や、「Eフラット」「フィンガーピッキング」「ギターとピアノのデュオ」など、単語の端々は聴き取ることは出来ます。
そのエンディングナンバー「THE ALTAR SONG」。レイドバックした演奏に乗せてブルームフィールドが、おそらくは彼が敬愛するギタリスト等の名を連呼していくという曲。私も全て聴き取れる訳ではありませんが、レイ・チャールズの名も出てくるので、ギタリストのみならず、彼が尊敬する、あるいは影響を受けたミュージシャン達を可能な限り列挙しているのではないかと思われます。当作品は本人も後年のインタビューにてお気に入りの一枚と語っているアルバムです。
本曲をご紹介してマイク・ブルームフィールド編後編を締めたいと思います。なお本動画において、「THE ALTAR SONG」自体は2:28辺りまで。残りの時間はUP主の方が編集した音源と映像から成っています。ブルームフィールドへの思いが伝わる動画となっており少しほっこりします。