前作からわずか半年あまりでリリースされたジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスの
2ndアルバム「Axis: Bold As Love」。一般的な評価としては衝撃的なデビュー作、
重厚な2枚組である3rdより、良く言えばメロディック・親しみやすいと言われ、
悪く言えばインパクトに欠ける・軽い・緩いとされています。評価はそれぞれですが、
着目すべきは先述の通り短期間にて、しかもレコーディングに専念出来ていた訳でもなく
(むしろモンタレー以降あちこち引っ張りだことなりました)、それでありながら
これだけの完成度を誇るアルバムを完成させた事でしょう。
時間的余裕が無かったからと言って、決しておざなりな制作となった訳ではなく、むしろ
気が付かないところで手が掛けられていたりします。前作同様に、当時としては先進的な
レコーディングテクニックが用いられており、事実、本作の収録曲は一部を除いて、
コンサートで披露されることがまれだったという事実があります。その真意は分かりませんが、
ライブでは再現が難しいという理由があったからではないかとの見方もあります。
その制作に関しては、プロデューサー チャス・チャンドラーや、エンジニア エディ・クレイマー
の力が大きかったようです。また、多忙の中で作られたことにより、かえってジミのナチュラルな
面が引き出された、と見る向きもあります。そのギタープレイはもとより、ジミのシンガー及び
ソングライターとしての優れた側面が結果的に前面に押し出された、という評価もなされます。
オープニングナンバー「EXP(放送局EXP)」は架空の放送局という設定での、フィードバック等の
サウンドエフェクトやステレオにおける左右の定位を変化させる”パンニング”などの当時としては
斬新なレコーディングテクニックを駆使したサイケデリックナンバー。それに続く「Up from the Skies」
はポップでサイケな曲。ジミが有名にしたといっても過言ではないエフェクター”ワウ・ペダル”が
実に効果的に使われています。冒頭の2曲と、映画「イージーライダー」でも使用されたA面ラストの
「If 6 Was 9」を聴く限りは、ジャケットデザイン通りの摩訶不思議でサイケデリックなサウンドですが、
これら以外の楽曲は”意外と”普通です(決して凡庸という意味ではなく)。
本作で最も知名度がある楽曲は言うまでもなく「Little Wing」でしょう。正統派R&B風バラードである
本曲は、偉大なる先達たちの影響を受けて作られたと言われますが、特にカーティス・メイフィールドを
意識して作られたのではないかとされています。コメントでもカーティスへの尊敬の念が語られており、
実際ジミは63年にカーティス・メイフィールド&ザ・インプレッションズの前座を務めています。
正統派の楽曲でありながら、サウンド面では非常に画期的なトライアルがなされており、今では当たり前で
ある、ストラトキャスターのハーフトーン(2つのピックアップのミックス)が用いられています。
当時のストラトにはピックアップセレクターにハーフトーンの位置など無く(そんな使い方は想定して
いなかった)、ガムテープでフロントとセンターの中間に固定してレコーディングに臨んだとのことです。
また後半のソロにおける独特の”ゆらぎ”の様なサウンドは、ハモンドオルガンで有名なレスリースピーカー
(回転スピーカー)によるもの。これはエディ・クレイマーのアイデアと言われています。余談ですが、
私昔はレスリースピーカーとはスピーカーユニット(コーン紙の部分)が鳴門の渦潮みたいにぐるぐる回るのだと思ってました。実際はキャビネット・ボックス内にローターがあって、それが回転してあの様な効果を
もたらすものだと知ったのはだいぶ後の大人になってからでした・・・バカですね。(´・ω・`)
またタイトル曲においても同様の試みが、こちらは電気的にレスリー同様の音程・音量・音質のゆらぎを
作り出す、当時としては最先端のエフェクターであったフェイザーが使用されています。後半のソロで
用いられていますが、ギターでばかり語られていますけどドラムにもかかっています。70年代に入ると
ボンゾやカーマイン・アピスなどがドラムソロなどでこの様なサウンドエフェクトを使用しましたが、
私が知る限りドラムにフェイザー・フランジャー等のエフェクトをかけたのは本曲が初めてでは
ないかと思います。もしもこれより前に使っていたのを知っている、という方は教えてください。
「Wait Until Tomorrow」は堪らないほどのシャープなカッティングが印象的な曲。型破りな
フレージングやサウンドエフェクトなどで語られる事の多いジミですが、この様な基本的な
テクニックからして一流です。それもそのはず、アメリカでの下積み時代にはアイズレー・ブラザーズ
などのバックで嫌というほどこうしたリズムギターを演ってきたのですから。本人はそれが退屈で、
つい派手なソロを取ってしまって、バンマスから怒られたりしたそうですが・・・
「Castles Made of Sand(砂のお城)」は「The Wind Cries Mary」同様の、ジミとしては
ナチュラルでナイーヴなナンバー。テープの逆回転によるエフェクトが必要だったかどうかは
人によって意見が分かれるところですが、この当時はそういう時代だったのでしょう。
本作も全英5位・全米3位の大ヒット、ますます多忙を極めます。68年初頭からヨーロッパで公演、
2月にはアメリカへ舞い戻り、カルフォルニアから始まるアメリカツアーとなります。5月には
マイアミ・ポップ・フェスティバルへ出演。後年になって当フェスの演奏は音源化されます。また、
あまり知られていない事かもしれませんが、この殺人的スケジュールの合間を縫って、ジミは
エクスペリエンスバンドとは別の仕事もこなしています。実はアメリカ下積み時代の後期に、
ジミはPPXレーベルという会社と3年の契約をしてしまいます。仕事もそれ程なかったので
軽い気持ちでサインしてしまったようなのですが、これが後にジミへの負担の一つとなります。
アメリカツアー中の当該レコーディングもその契約を消化するためでした。それらの音源は
様々な形でジミの死後に、次から次へと未発表音源として出回る事になるのは周知の通りです。
またこの頃からジミの内面に変化が生じます。エキセントリックなステージパフォーマンスなどより、
自分のルーツであるブルースなどをじっくり聴かせるライヴにしたいと思うようになっていった様なの
ですが、聴衆が求めるのは相変わらずモンタレーのようなギターの破壊や派手なステージアクトでした。
また仲間内においても不穏な空気が流れ始めます。有名なところではベースのノエル・レディングとの
確執ですが、育ての親であるチャスとの関係もおかしくなっていったそうです。簡単に言うと
スーパースターになっていったジミが増長してチャスのいう事を聞かなくなっていったそうです。
このような不協和音が流れる中、バンドは次作の制作へと取り掛かりますがその辺りはまた次回にて。