#62 Rosanna

前回まで続けてきたホール&オーツ回の#57にて、彼らの70年代後半のアルバムにおいて、豪華な顔ぶれのセッションミュージシャンが参加していることについて少し触れました。RCAに移籍してからはN.Y.とL.A.のそれぞれで録音することがあったようですが、その参加ミュージシャンの面子の中で、ジェフ・ポーカロ、スティーヴ・ルカサー、スティーヴ・ポーカロの名前があります。彼らの名前を聞けば昔の洋楽がお好きな方ならすぐにピンとくるでしょう。そう、今回のテーマは76年にL.A.で結成されたTOTOです。

 

 

 


ジェフ・ポーカロ(ds)とデヴィッド・ペイチ(key)を中心にバンドは形成されました。メンバーの参加した経緯とその変遷を記すとそれだけでかなりのボリュームになってしまいますので、その辺を知りたい方は日本版のウィキ等をご参照ください。このバンドについて語られる時よく挙げられる事柄が二つ、スタジオミュージシャンが作ったバンドであるという事と、もう一つがそのユニークなバンド名の由来です。前者は事実であり、特にボズ・スキャッグスの代表作「Silk Degrees」(76年)に主要メンバーが関わっている事はよく語られます。もう一つのバンド名について、様々な説があり、メンバーのコメントも一貫していないということもありますが、ただ一つ言えるのは、昔日本では真実と思われていた、某大手衛生機器メーカーを元にしたという説は正しくないということです。日本ではTOTOと全て大文字で表記されるのですが、欧米ではTotoと表記されます。本ブログでは日本式で。

その音楽性はアメリカ的プログレッシブロック(イギリスのそれとは異なる、明るく開放的なスペイシーサウンドと呼べるもの)、ストレート&ハードなロックナンバー、メロディックなバラード、と、ここまでは同時期に活躍し、よく並んで比較されるジャーニー、スティックス、ボストン、カンサスといったバンドと同様ですが、彼らはそれプラス、AOR・クロスオーヴァー的な音楽性を持ち合わせていました。メンバーの全てが腕利きのセッションミュージシャンであり、西海岸を拠点にロック・ポップスからジャズフュージョン寄りのセッションまでをこなしていた彼らの幅広く優れた技術・音楽的素養に裏付けされたものでした。それらが関係しているかどうかは定かではありませんが、ボストンやジャーニー達が圧倒的にアメリカ本国やカナダといった北米圏での人気が高かったのに対し、TOTOについては、ヨーロッパ圏・その他においてもその人気が高く(勿論日本でも)、それらの国でもゴールド・プラチナディスクを獲得しています。

あまりにいつもレコーディングで顔を会わせていたので、「オレたちでバンド組んだらよくネ?!」と、言ったとか言わないとか(”よくネ?!”、とは言ってないと思う………絶対に…)。この点においては、同じ様な経緯でバンドを結成したN.Y.の『Stuff』が比較されます。ただStuffがジャズフュージョン・R&Bをその音楽性の根底にしているのに対し、TOTOはあくまで”ロックバンド”である、という点が異なりました。

デビューアルバム「Toto(宇宙の騎士)」(78年)は全世界で400万枚以上を売り上げるビッグヒット。後述する最大のヒット作である4thアルバムまで、基本的にその音楽性はこの1stから一貫しています。何よりも成功の要因で最も大きなものは”わかりやすさ”、この言葉に語弊があるならば”ギミックに陥る事のないカッコ良さ”、とでも言い換える事が出来ると思っています。前述の通り、一流のセッションミュージシャンの集まりであり、その気になれば超絶技巧を尽くして聴衆を圧倒させる様な音楽も出来るのですが、彼らはそれはしませんでした。例えばフロントマンであるギターのルカサー。ライヴでは別として、スタジオ盤ではあえて音数を抑えて、そのトーンやニュアンスを優先したプレイです。シンプルでタイトなカッティング、速さや複雑さよりも琴線に触れる様なソロプレイ。しかしその合間、何気に超絶テクニックがさらりと顔を出す瞬間があり、それがまたニクイのです。これは他のメンバー全てに言える事です。2nd「Hydra」、3rd「Turn Back」も続けてミリオンセラー、しかしこれはまだ序章でした。

全世界で1200万枚を売り上げ、最大のヒット作にて言わずと知れた代表作「Toto IV(聖なる剣)」。本作からの1stシングルである「Rosanna」。ジェフの流れるようなシャッフルビートの上で展開される本曲は、高度な演奏技術とアレンジに基づきながら、決して難しい音楽と認識させずにポップさを失わない、といった相反するものを両立させた彼ららしい、そしてこの時代を切り取った様なコマーシャルな楽曲です。本作は82年のグラミー賞を総なめにし、その実力は勿論、世間からの評価も揺るぎないものとしました。先述の通り、米国・カナダのみならず世界各国でもその人気は高いものでした。英・仏・独・蘭・豪・フィンランド、そして日本でもゴールド・プラチナを獲得、その幅広い音楽性と技術によるものでしょう。

86年発表の「Fahrenheit」には何とも豪華なゲストが目立ちます。マイケル・マクドナルド、ドン・ヘンリー、デヴィッド・サンボーン(彼らはジェフの友達)だけでもすごい面子ですが、エンディング曲である上記の「Don’t Stop Me Now」には何とマイルス・デイヴィスが参加しています。スティーヴ・ポーカロ(ジェフの弟)がマイケル・ジャクソンに提供し、ビッグヒットとなった「ヒューマン・ネイチャー」。マイルスはこれを自身の作品で取り上げ、当時ライヴでもレパートリーとしており、スティーヴに作曲の依頼もしてきました。その縁でジェフとも交流が生まれました。ある日マイルスがジェフの家に来た時に、ジェフの描いた絵をマイルスが気に入りそれを欲しがりました。勿論プレゼントしましたが、「絵の代わりに何が欲しい?」と聞かれ、マイルスも絵を描くことを知っていたジェフは、「では貴方の描いた絵と交換しましょう」と言うと、マイルスは二つ返事でその場にて描き始めて、それが出来上がった後に、「もっと何かあげなければいけない」と言いました。マイルスが簡単にプレイすることは無いのをジェフは知っていましたが、思い切ってTOTOの作品でトランペットを吹いてくれないかと頼みました。するとマイルスは「君の為に吹こう、もし気に入ってくれたらどうぞ使ってくれ」と言ったのです。マイルスは義理・付き合いなどでプレイする事は無かったと言われています。ジェフ達を認めたからこその、先の発言となったのです。

92年8月、ジェフが38歳の若さで急逝してしまいます。新作の収録を終えた直後の事でした。ヨーロッパではその翌月に急遽リリース(この辺りからも彼らのヨーロッパでの人気が伺えます)、本国では93年5月にジェフの遺作となる「Kingdom of Desire(欲望の王国)」が発売されます。ジェフの後任にはイギリスが誇るセッションドラマー サイモン・フィリップスを迎え入れ、バンドはその後も活動を続けます。しかし、本国アメリカでは90年代以降は目立ったヒットはなく、過去の人扱いされているかもしれませんが、ヨーロッパその他の地域では依然として根強い人気を誇り、現在のところ最新作である「Toto XIV(聖剣の絆)」(15年)のチャートアクションを見てみると、米での98位に対し、日本とオランダでは2位、スイスでは3位となっています。ポップミュージックの中心がアメリカであることは紛れもない事実ですので、アメリカで売れていないと人気が無いと、ややもすれば捉えられがちですが、当然の事ながら音楽の市場は米国のみならず世界中にあるのです。彼らの存在はそれを改めて教えてくれます。

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