前回までのジェフ・ポーカロ及びTOTO回にて、ジェフとスティーヴのポーカロ兄弟がジャズ界の”帝王” マイルス・デイヴィスと交流があり、TOTOのアルバムにおいてマイルスがプレイした、という事は書きました。80年代のマイルスはロック・ポップスの曲を積極的に取り上げていました。スティーヴ・ポーカロがマイケル・ジャクソンへ提供したビッグヒット「ヒューマン・ネイチャー」、#54で触れたスクリッティ・ポリッティの「Perfect Way」等。特にヒューマン・ネイチャーと共にステージでも好んで演奏していたナンバーがあります。今回取り上げる、シンディ・ローパーが83年にリリースした「She’s So Unusual(当時の邦題は『N.Y.ダンステリア』)」からのNo.1ヒット「Time After Time」がそれです。今回はシンディをはじめ、80年代に活躍した女性シンガー達を取り上げてみたいと思います。80年代にデビュー及び活躍した女性シンガーと言えば、マドンナ、ホイットニー・ヒューストン、ぎりぎり80年代後半にデビューしブレイクしたカイリー・ミノーグなどが挙げられると思いますが、先に言っときます、彼女たちは取り上げません… ━(# ゚Д゚)━なんでやねん!! と言われてもしようがありません。私が彼女たちについて詳しくないからです・・・
シンディは1953年、ニューヨーク生まれ。決して恵まれた少女時代を過ごした人ではありません、この生い立ちが彼女の歌にある、明るいのにそこはかとなく哀愁を感じさせる要素なのかと私は勝手に思っています。音楽の道を志してからも決して順風満帆な道のりではありませんでした(詳しくはウィキ等をご参照)。当アルバムから翌84年にシングルカットした上記の「Girls Just Want to Have Fun(当時の邦題は『ハイ・スクールはダンステリア』)」が大ヒット、この時シンディは既に30歳を過ぎています、遅咲きのブレイクでした。前述の「タイム・アフター・タイム」や映画『グーニーズ』のメインテーマ、2ndアルバム「True Colors」からのやはりNo.1シングルであるタイトルナンバーなど、ヒット曲は数多くありますが、シンディのオリジナリティを最も端的に表しているのは上の「ハイ・スクールはダンステリア」だと思います。ちなみにビデオクリップの冒頭に登場している女性はシンディの実のおかあさんです。
当時のベストヒットUSAにて彼女が出演した際、小林克也さんに『・・・ハリウッドスマイルはこうよ」と言って歯をむき出しにしてニカっと笑う彼女のサービス精神は微笑ましいものでした。ちなみにマドンナについて同番組では、『こんなにもオンエア時とそうでない時の差が激しい人はいませんでした』と、非オンエア時の愛想無くつまらなさそうな顔をしている彼女と、オンエア時のニコニコしている顔を対照的に続けて放送していました(多分総集編の回にて)。結構辛辣ですよね、克也さんも・・・
大変な親日家であり、売れない頃に日本人が経営するレストランで世話になった経緯があるそうです。
お次はN.Y.で結成されたバンド ブロンディ。紅一点のヴォーカリスト デボラ・ハリーを中心とし、70年代後半から80年代前半に活躍。80年の年間シングルチャート1位を記録した「Call Me」が最も有名でしょう。こういう事を言うのは何ですが、デボラの容姿がとにかく端麗で、それが人気の一因になったことは否めないでしょう。マドンナの登場によりそのお株を奪われた感がありますが、それ以前の米ポップス界におけるセックスシンボルはデボラとされていたそうです。
「コール・ミー」がビートの効いたロックナンバーなので、バンド自体がそういう音楽性なのかと私も昔は思っていましたが、どちらかと言えばニューウェイヴやディスコを基調としていたとの事。今回調べて初めて知ったのですが、「コール・ミー」は確かに作詞作曲はバンドによるものですが、映画『アメリカン・ジゴロ』のサントラとしてリリースされた本曲は、演奏はバンドによるものではなく、デボラも歌入れに3時間ほどスタジオに入っただけで、それ以外は彼女達とは無縁の所で作られたらしく、それが最大のヒットになってしまったのは皮肉めいた気がします。なので今回取り上げるのは「コール・ミー」に次ぐヒット曲、79年の「Heart of Glass」です。ギリギリ80年代ではありませんが、1年くらい大目に見てください。こちらの方がブロンディらしいですし、PVのデボラがとにかく美しい…
最後に取り上げるのは「コール・ミー」の翌年、81年における年間シングルチャートNo.1である超ビッグヒット キム・カーンズ「Bette Davis Eyes(ベティ・デイビスの瞳)」。
そのキャリアは長く、66年にフォークグループでのデビュー以降、80年まで決して目立ったヒットはありませんでした。しかし潮目が変わったのが80年、「More Love」のヒットにより一躍スターダムへ。彼女の魅力はとにかくそのハスキーヴォイスにあるでしょう、唯一無二の声とは彼女の様な声です。ジャニス・ジョプリンを彷彿させ、また男性で言えば#36で取り上げたジョー・コッカーやロッド・スチュワート的な声質と呼べるものでしょうか。
「ベティ・デイビスの瞳」の原曲はジャッキー・デシャノンが75年に発表したもの。私も名前くらいしか知らなかったのですが、オリジナルを聴いてよくぞこの様にアレンジしたものだと改めて関心しました。
シンディは勿論の事、デボラとカーンズも1945年生まれの同い年ですが、共にシンガー・女優業を含めて現役活動中です(なんと御年72歳!女性に失礼・・・)。彼女たちの様なたくましい女性を見ると、50歳も近いから最近は心身共に調子が・・・などと言っている己が恥ずかしく思えてきます・・・
(´Д`)・・・
年初からの80年代特集はまだまだ続きますよ・・・誰も覚えてませんかね・・・( つω;`)ウッ …