ジョン・ウェットン回その2。ウェットンの性格はポジティブで人当たりの良いものだったと言われています。前々回でも書きましたが、仕事を断るという事を知らない、というか頼まれるとイヤと言えない性格であったそうです。勿論仕事好きというのが一番の理由でしょうが、前回述べたバンド遍歴(70年代だけであの量…)はそれらに起因するものかと思われます。
しかしウラを返すとその性格はルーズで大雑把、ともいえるものです。アルコール依存症のため厳格な性格のスティーヴ・ハウとソリが合わずエイジアを一時離脱した事は書きましたが、U.K.においてもビル・ブラッフォードとアラン・ホールズワースの”神経質組”とはアルバム1枚で袂を分かっています。もっともU.K.の場合は目指す音楽性の違いが大きな原因でしたが。また後年はだいぶ太っていましたが、これも自己管理の甘さからくるものだったのかもしれません。
シンガーとしてのウェットンにスポットが当てられる機会は意外になかったと思います。先ずは親しみやすい方から。エイジアのアルバム「Alpha」(83年)から、全米34位を記録した同アルバムからの2ndシングル「The Smile Has Left Your Eyes(偽りの微笑み)」。ドラマティックでハートウォーミングなバラードである本曲は、1~2枚目のアルバムを通じて唯一彼が作詞作曲全てを手掛けたもの、つまりウェットン成分100%の曲なのです。彼は美声という訳ではなく、割と野太い声で朗々かつ朴訥と歌う男性的な歌唱スタイルです。私見ですが本曲の様なバラードは彼の様な歌い方で丁度バランスが取れているのではないかと思います。つまり、あまり過度な感情表現と所謂”美声”で歌われると『クドさ』が前面に立ってしまうのです。オフィシャルPVは妻子と別れた男性のストーリー仕立てのもの。母親に引き取られた娘が途中で車を降り、パリの街中で誤って川(セーヌ川?)に転落してしまい両親は娘にこの様な行動を取らせてしまった自分達を責め嘆いて終幕、と思いきや娘は最後にエイジアのメンバー達の前に現れる、というオチ。
オフィシャルプロモなので歌詞もその様な内容なのだろうと信じて疑わなかったのですが、今回本曲の和訳を色々な方がされているのを調べて改めて気付いたのですが、ビデオの内容と歌詞があまり合ってないようです。”父さん母さんのせいで君(娘)に辛い思いをさせた、その瞳から笑顔が消えてしまった”の様な歌詞かと思い込んでましたが、多分PVを観ていなくて純粋に訳だけをした方なのでしょうけれど、”一度は僕の元を去ったのに、また戻ってくるなんて…” 勿論娘に対してという訳ではなく恋愛の対象(元妻or元カノ)に向けた言葉です。拙い英語力で挑んでみましたが挫折しました………(´Д`)
ホール&オーツ回の#61で書きましたが、MTVの申し子のように思われていたホール&オーツが実は当時それを快く思っていなかった。あまりに忙しすぎたというのもあったのでしょうが、指定された日に撮影の為スタジオに行くと、本人たちの意図していなかった愕然とするようなひどい内容のPVを撮られ作られてしまった、という事があったそうです。本曲はそこまで酷くはないと思いますが、作詞者ウェットンの意図する所と異なるものに仕上がってしまったという可能性も考えられます。
お次は”親しみにくい方”を。やはり何と言ってもこれでしょう、キング・クリムゾン「Red」のエンディングナンバー「Starless」。クリムゾン回の#17で取り上げましたが、クリムゾン時代における彼のヴォーカルでいずれか一つと言われたらこれに尽きます。本曲については#17をご参照の程。
(お願いです、ちょっとでイイですから読んでください…。゜:(つд⊂):゜。)
まるで葬送曲を思わせるこの歌は、ウェットンのヴォーカルがあったればこそ。感情を抑えた淡々とした歌唱が本曲をより引き立てます。12分30秒の内、ヴォーカルパートは冒頭の4分半ほどですが、是非とも最後まで聴いてみて下さい。インストゥルメンタルパートまでを全て含めて「スターレス」なのです。感動的なまでの絶望感という言葉があるならば、それは本曲の為にある言葉だと思います。
イエスのクリス・スクワイア、グレッグ・レイク、そしてキース・エマーソンと、ブリティッシュロックの巨人達が相次いで亡くなる中、昨年1月にジョン・ウェットンもこの世を去りました、享年67歳。勿論これらの事に因果関係などがある訳ではなく、皆そのような年齢だったので致し方ない事なのですが、やはり自分が長年聴いてきた人達がいなくなってしまうのは寂しいものです。

上の写真はウェットンが亡くなる直前(16年12月らしいです)、リサ夫人と一緒にロバート・フリップを訪ねた時のもの。ウェブ上の日記にウェットンへの追悼の言葉と共に上記を含む写真があげられています。その激やせぶりから分かる通り、病状も思わしくなかったでしょう。おそらく会えるのはこれが最期とフリップを訪ねたのでしょう。クリムゾン回でも書いたことですが、失礼を承知で言うと、フリップは決して人間味溢れる温かい人柄という訳ではないと言われています。クリムゾン解散時は非常に険悪な人間関係だったというのも既に述べた通りです。しかしどうでしょう、特に右側の二人で写っている写真での笑顔は。一緒に組んでいた時期ははるか昔であり、また二人とも歳を取った事なども勿論あるのでしょうが、性格的相性などはともかくとして、やはり根底にあるのは音楽家として互いに認め合っていた仲だからこそ、最期はこのように笑って一緒にいることが出来たのではないでしょうか。
最後にご紹介するのはベーシスト、シンガー、そしてコンポーザーとして、全てを含めた音楽家としてのジョン・ウェットンを最も知る事が出来ると私が思う曲。彼はプログレ然とした変拍子などのテクニカルなプレイから、エイジアやソロアルバムでのポップな面まで、様々な顔を持ち合わせている、一筋縄ではその音楽性を括る事が出来ないミュージシャンです。その間を取ったなどと言うと中途半端な感じに聞こえてしまうかもしれませんが、難解と言われるプログレッシヴロックからポピュラリティを得たポップミュージックへの移行期とも言えるU.K.の2ndアルバム「Danger Money」(79年)から「The Only Thing She Needs」。今聴くと難しい、と思われるかもしれませんが、これでもまだ当時はポップなプログレを目指して作った方なのです。展開が劇的に変わるアレンジの素晴らしさと、超絶技巧を尽くした演奏でありながら、エンターテインメントとしての音楽性も失わない本曲は、エディ・ジョブソンとテリー・ボジオという圧倒的な技術・音楽的素養を持ったプレイヤー達と共に、この時点でウェットンが思い描いていた音楽が見事に具現化されたものだと思います。商業的には決して振るわなかった本作ですが、これらは後のエイジアにおける成功の布石となったのです。本曲だけのいい動画がないので、どうせならアルバム丸ごと上げます。「The Only Thing She Needs」は13:14~21:07ですが、どうせなら全部聴いてみて下さい。その価値がある作品です。