#83 Punch the Clock

直近のブルース・スプリングスティーン回にて、ブルースが70年代後期に興ったパンクムーヴメントに影響を与えたであろう事を書きました。ロンドンを中心としたロックンロールへの回帰、とでも言える様な音楽的な波が一般的にそう呼ばれます。もっともこの時期にイギリスでデビューしたミュージシャン達は皆パンク扱いされました。後になって『この人(達)ってパンクか?』というようなケースもありましたが、流行・時代の波といったものは往々にしてそういうものでしょう。

 

 

 


エルヴィス・コステロもそのパンクムーヴメントの真っ只中にレコードデビューした一人です。後にその音楽性の多様さ(節操のなさ?)を発揮しますが、デビュー当時はパンク調の音楽であったのは確かです。しかし他のパンクロッカー達と一線を画していたのは、コステロのバックボーンにはオールディーズR&R、カントリー&ウェスタン、ジャズ等のアメリカンミュージックが染み付いていた事。大ヒットとまでは行きませんでしたが、初期から米において比較的チャートアクションが良かったのは、一過性に終わったパンクの流行に乗っただけではない、これらの要因があったからなのではと思われます。

今回取り上げる80年代の作品、私がリアルタイムで聴いていた「Punch the Clock」(83年)「Goodbye Cruel World」(84年)の二つは生粋のコステロファンにとってはあまり芳しくない評価のものです。というよりも、コステロ自身が気に入っていない、と公言しているものです。「Goodbye Cruel World」などは後にCDで再発された時に、コステロ自身によるライナーノーツにて、『Congratulations! You just bought the worst album of my career.(おめでとうございます。あなたは我々のワーストアルバムを購入しました。)』という文言が入っていた程だそうです。自虐ネタにもほどがあるでしょうが・・・
私的にはリアルタイムで体験したというひいき目を差し引いても、決して出来の悪いアルバムだとは今聴いても全く思いませんが、コステロ的には”売れ線”に走ってしまったのがどうにも許せなかったらしいです。確かに80年代の日本のロック雑誌にてそのようなコメントがあったのを記憶しています。

その”売れ線”と言われた一つが上の「The Only Flame in Town」。当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったホール&オーツのダリル・ホール(#56~#61ご参照)をゲストに迎えた一曲。ダリルとデュエットするからにはやはりソウルミュージック、となったのかと推測されますが(ダリルはどんなスタイルでも見事に歌う事が出来るシンガーですけど)、言うほど売れ線か?と思うような楽曲です。先程デュエットと書きましたが、正確にはダリルがバッキングヴォーカルに回った、というのが正しいでしょう。コステロはかなり個性的な声・歌唱スタイル、悪く言えばかなりアクの強い歌い方をするシンガーですが、ダリルはそれを引き立て出しゃばり過ぎず、それでいてちゃんと存在感を示しているという素晴らしいプレイを披露しています。超一流のシンガーでなければ出来ない事です。

もう一つの”売れ線”がこれ「I Wanna Be Loved」。スクリッティ・ポリッティ(#54ご参照)のグリーン・ガートサイドをコーラスに起用したバラード。シンセの音色が如何にも80年代を感じさせ、またグリーンの個性的な声でもってより特色ある楽曲へと仕上がっています。ちなみに本曲はオリジナルではなく、シカゴのR&Bコーラスグループ「Teacher’s Edition」という、お世辞にも有名とは言えないグループの、しかもアルバム未収録のシングルB面曲との事。コステロが本曲を知ったのは訪日時にたまたま買ったその手のコンピレーションものに入っていたらしいです。参考までに原曲を。

ポップに歩み寄ったつもりでもチャート的にはイマイチ振るわず、コステロはアメリカに渡り「King of America」(86年)を制作。前述した様なアメリカのルーツミュージックに傾倒した作品となりました。また2ndアルバム以降その活動を共にしてきたバックバンド アトラクションズとの関係もこの時期に一度断ち切っています。私生活では離婚問題などを抱え、80年代中期~後期はコステロにとって比較的苦難の時代となっていました。

89年、コロンビアからワーナーに移籍。アルバム「Spike」をリリースし、そこからの第一弾シングルでありポール・マッカートニーとの共作として話題を呼んだ「Veronica」。コステロのキャリアにおいてはアメリカで最もチャートアクションが良かった曲です(全米19位)。果たして何かが吹っ切れたのでしょうか?。90年代以降のコステロはその奇才ぶりを発揮していきます。バート・バカラックとの共作、ジャズへの傾倒(3番目の奥さんがジャズシンガー)、さらにはインスタントラーメンの生みの親である日清食品の創業者をタイトルに冠したアルバムのリリースなど、その創作意欲はとどまる事を知らないかのようです。

パンクムーヴメントでデビューし、果てはジャズまで。決して一筋縄で括ることが出来ないミュージシャンではありますが、基本的にこの人はオールディーズやカントリー&ウェスタンといったアメリカンルーツをイギリス人的解釈で演る人だと私は思っています。それに関しては先輩であり盟友でもあるニック・ロウ、デイヴ・エドモンズなどと同系譜のミュージシャンと言えます。
決してビッグセールスを連発したミュージシャンという訳ではありません。しかし40年に渡る根強いファンからの支持、また同業者であるミュージシャン達から一目置かれる存在であり続けているエルヴィス・コステロという人は、ポップミュージック界におけるワンアンドオンリーだと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です