ティナ・ターナーの「What’s Love Got to Do with It(愛の魔力)」が全米1位の大ヒットと
なっていた頃(84年の9月に三週連続1位)、ある黒人女性シンガーの楽曲もチャートを急上昇
し始めました。チャカ・カーン「I Feel for You」。チャカにとって最大のシングルヒットとなる
その曲は、11月から12月にかけて最高位3位を記録します。圧倒的な歌唱力を誇り、ソウル・R&Bに
留まらず、ジャズ・フュージョンまで幅広くこなすその歌唱テクニックは、歴代女性シンガーの中でも
トップクラスのものではないでしょうか。
53年シカゴに生まれる。親はボヘミアン(定住しない人々)でビートニク(所謂 ”ヒッピー” )だった
そうです(括弧の定義はあくまで私の思う所なのでツッコミはご勘弁)。つまりかなりフリーキーな
環境で育ったという事。祖母の影響でジャズを聴き始め、やがてR&Bに傾倒していき、10代前半には
音楽活動を始めていました。地元シカゴでいくつかのバンドを経た後、同じく地元のバンド ルーファスに
加入します。言うまでもなくこれが彼女を名を全米に知らしめるキッカケとなります。
2ndアルバム「Rags to Rufus」(74年)からの第一弾シングルである、スティービー・ワンダー作の
上記「Tell Me Something Good」がポップス・R&B共に全米チャートにて3位の大ヒットを記録。
如何にもこの時期のスティービーらしい粘っこいファンクナンバーで、バンドはグラミー賞を受賞し、
アルバムもゴールドディスクを獲得します。
2ndシングルである「You Got The Love」も大ヒット(ポップス11位・R&B1位)。
上は『ソウル・トレイン』に出演した際のもの。本曲はチャカとレイ・パーカー, Jr. による共作。
レイ・パーカーは84年の大ヒット映画『ゴーストバスターズ』のテーマ曲で有名ですが、実は非常に
卓越したテクニックを持ったギタリスト・コンポーザーであります。
同年には早くも3rdアルバム「Rufusized」をリリース(凄いペース…)。1stシングルが上の
「Once You Get Started」(ポップス10位・R&B4位)。ベイエリアの超絶技巧ファンクバンド
タワー・オブ・パワーのブラス陣を従え、素晴らしいジャンプナンバーとなっています。
話は逸れますが、吉田美奈子さんのライヴアルバム「Minako Ⅱ」(75年)で本曲をオープニングナンバーに演っており、そちらも素晴らしいものです。松木恒秀さん(g)、佐藤博さん(key)、村上秀一さん(ds)、そしてコーラスで山下達郎さんと、その後大御所となるミュージシャン達がまだ若かりし頃の、
エネルギーに溢れた歌と演奏が堪能できる名盤です。(他にもビッグネームが参加していますが
書き切れないので割愛。こちらの方のブログに詳しく記載されています。)
その後もチャカが在籍したルーファスのアルバムは殆どがゴールド・プラチナを獲得し、それは彼女の
人気に因るものと衆目が一致するところでした。しかし、バンドと彼女との関係にはやがて暗雲が
立ち込み始め(特にドラムのアンディと)、作品毎にメンバーが変わる事態となりました。
チャカはバンドに在籍しながら、ソロとしてのデビューをワーナーと契約します。
ソロ活動で多忙になった為、バンドはチャカ抜きでレコーディングする機会が多くなりました。
それでも彼女は完全にバンドから離れる事はせず、ソロワークの傍らでルーファスに参加し続けます。
ミリオンセラーとなった79年のアルバム「Masterjam」からの1stシングル「Do You Love What
You Feel」。本作のプロデュースはクインシー・ジョーンズ。とにかく70年代半ば以降の
ミュージックシーンは、クインシーかヴァン・マッコイか、というくらいにディスコ・ダンスミュージックの時代だったようです。あのローリング・ストーンズでさえディスコを取り入れたほどでしたから。
https://youtu.be/P4p1k6YIc1U
チャカの1stソロアルバム「Chaka」(78年)はポップス12位・R&B2位という大ヒットを記録します。
とにかくワーナーの力の入れ様がありありと伺えます。プロデュースはアリフ・マーディン。参加
ミュージシャンを以下に列挙しますが名前だけ。詳しく知りたい人はコピペして自分で調べて下さい。
如何に物凄いメンツかが判ると思いますから。スティーヴ・フェローン、ウィル・リー、フィル・
アップチャーチ、リチャード・ティー、アンソニー・ジャクソン、マイケル・ブレッカー、ランディ・
ブレッカー、コーネル・デュプリー、ジョージ・ベンソン、デイヴィッド・サンボーン etc.・・・
念のため言っときますけど、復活の呪文とかじゃないですよ … わかっとるがな!!( °∀ °c彡))Д´)・・・
ジャズ・フュージョンに興味のある方なら、この人達がどれほどのビッグネームかがおわかりでしょう。
ワーナーの期待を裏切る事無く、アルバムはゴールドディスクを獲得。上は本作からの第一弾シングル
「I’m Every Woman」(ポップス21位・R&B1位)。一般的にはホイットニー・ヒューストンによる
93年のレコーディングの方が有名かとは思いますが、ホイットニーファンの方々には本当に申し訳
ありませんけども、この曲に関しては、その他のカヴァーを含めても圧倒的にチャカのヴァージョンが
白眉だと思っています(※あくまで個人の感想です)。もっともホイットニーもきちんと敬意を表して、
エンディングの方でチャカの名を上げてますけれども。
チャカのソロワークによる多忙さから、ルーファスが彼女抜きでの活動を余儀なくされたのは
前述した通りですが、83年のアルバム「Seal in Red」(チャカは参加せず)が最後のスタジオアルバムと
なりました。ただし、同年10月にリリースされたライヴ盤「Stompin’ at the Savoy – Live」には
スタジオ録音の新曲も含まれており、シングルカットされた「Ain’t Nobody」は最後のヒット曲と
なり(ポップス22位・R&B1位)、また二度目のグラミー賞の受賞をもたらしました。
この曲の成功をもって、ルーファスとチャカは別々の道を歩み始めます。良好な袂の分かち方だったと
言えるでしょう。そしてチャカは、最初の方でも触れた「I Feel for You」による世界的成功を収める事と
なるのですが、その辺りはまた次回以降にて。