スティーヴィー・ワンダーは50年5月生まれ、ですので70年5月に20歳になった訳です。
そして翌年の21歳をもってモータウンレコードとの契約期間終了を控えていました。
モータウンにはこの頃から内部で不協和音が響き始めていました。社長のベリー・ゴーディは
独断で会社をデトロイトからL.A. へ移しミュージシャン達から反感を買いました。また、
世の音楽は転換点を迎えており、アルバムを一つのトータルな作品とみなし、コマーシャリズムだけを
追及する音楽スタイルからの脱却を図り始めていましたが、ゴーディはあくまで3分弱のポップソング
こそが理想、という考え方でした。であるから当然曲に社会的・政治的メッセージ性を込める事にも
否定的で、マーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイン・オン」にも決して良い顔をしませんでした。
スティーヴィーは既にマーヴィンやダイアナ・ロスと並んでモータウンのドル箱スターと
なっていましたので、勿論ゴーディも契約更改をさせようと目論んでいました。しかし、
スティーヴィーも当然ミュージシャンとしての自我(かなり強烈な)が芽生えており、
今までの様なモータウンのやり方には素直に従うつもりはなかったのです。二人の間で具体的に
どのようなやり取りがあったかはわかりませんので、その後の作品から推して知るべしですが、
プロデュースは自身で行う、共同作曲者も付けない等、少なくとも音楽的には好きに演らせてもらうと、
出来得る限り余計な干渉はしてくれるな、というものだったのでしょう。
という訳で二十歳になったスティーヴィーは70年の夏頃から次作の制作に取り掛かり、そうして
出来上がったのが71年4月リリースの「Where I’m Coming From(青春の軌跡)」です。
前回、71年という年が重要な意味を持つような言い方をしたのはこういう訳です。
上はオープニングナンバー「Look Around」。いきなりクラシック的雰囲気を漂わせる本曲を
一曲目に持ってくる所からして、作風の変化が一聴瞭然です。アルバム全体を通して、
これまでよりも内省的、悪く言えば地味で暗い作品です。チャートアクションだけを取れば
ポップス62位・R&B7位と、芳しくないものでした。唯一の例外はシングル
「If You Really Love Me」がポップス8位・R&B4位というヒットを記録した事。本曲は
”60年代モータウン的スティーヴィー” のカラーを残しつつ、良い意味で新しいスタイルと
巧く折り合いをつけた佳曲です。
地味で暗い、などと酷い言い方をしましたが、本作はその後のスティーヴィーにとって大変重要な
意味を持つアルバムです。上の「Never Dreamed You’d Leave in Summer」は、その後の
「You and I」や「Lately」といった、スティーヴィーならではの劇的なバラードの萌芽的楽曲です。
エンディング曲「Sunshine in Their Eyes」。アレンジに旧モータウン色を脱して切れていない感も
若干ありますが、7分に渡る本曲は、ソングライティング面における彼の新境地を見出す事が出来ます。
ちなみに70年9月にスティーヴィーはソングライターであったシリータ・ライトと結婚しています。
結婚生活自体は18ヶ月間と短いものでしたが、シリータは妹のイヴォンヌと共にスティーヴィーの
作品と深く関わる事となった人物であり、「青春の軌跡」は全て共作名義となっています。
70年代のスティーヴィーを語る上で欠かせないのがシンセサイザーです。彼はこの時期にその後の
音楽性に多大な影響を与えるものと出会います。TONTOシンセサイザー。私は電子キーボード類に
明るくないので、詳細に興味がある方は自身で調べてください。ムーグシンセサイザーを改良、
発展させた本器の音を聴いたスティーヴィーはすぐさま開発者達に会いに行ったそうです。
本器を使用し、また開発者達にもエンジニアとして加わってもらい新作が完成します。72年3月に
リリースされた「Music of My Mind(心の詩)」です。
76年の超大作にて代表作である「キー・オブ・ライフ」、そしてそれにつながるとされる
「トーキング・ブック」「インナーヴィジョンズ」「ファースト・フィナーレ」を俗に ”三部作”
と呼んだりしますが、実際は「心の詩」からつながっていると思います。もっとも三部作という
言い方を欧米でもするのかはわかりません。 ”三大ギタリスト” と同じく日本だけのものかも。
オープニング曲「Love Having You Around」。まさしくニューソウルと呼ぶに相応しい、
前作にてその片鱗を覗かせてはいましたが、それが見事に開花したナンバーです。
様々なアイデア、従来とは異なる手法が採用されています。音質は非常にクリアで、ステレオの
定位(左右の振分け)が実に巧妙、ヴァリエーションに富んだバッキングヴォーカル、その中でも
トーキングモジュレーター(管に声を通して音色を変化させる)が効果的に使われています。
エレクトリックピアノに関しては、本作からフェンダー社のローズピアノが使用されていると言われ、
それが前作より表情豊かなプレイを可能にしているようです。非常に計算されつくしたバッキング
トラックでありますが、それが要であるスティーヴィーの歌を邪魔する事は全くなく、全てが
渾然一体となって、このブラックフィーリング溢れるナンバーを盛り立てる事に成功しています。
シンセやエレピと並んで、スティーヴィーの音楽にとって重要なキーボードがクラビネットです。
「迷信」のイントロが良く知られる所ですが、上の「Happier Than the Morning Sun」も
クラビが印象的な曲。マルチで重ねたようにも聴こえますが、エフェクターのコーラスをかけたものと
言われています。ビートルズの「ヒア・カムズ・ザ・サン」に影響されたとかされないとか。
「Seems So Long」も新境地が垣間見える楽曲。フリーなコンテンポラリージャズのような
スタイルのバラードは、淡々と始まり、やがて劇的なエンディングを迎えるといったスティーヴィーの
バラードにおける一つの型が出来上がった初期の作品と言えます。パーカッション的なフリーな
ドラミングも素晴らしく、彼のセンス・グルーヴを堪能出来ます。
私が思う本作のベストトラックであり、黄金期の幕開けを象徴するナンバーが上の「Superwoman」。
異なる二曲をつなぎ合わせたこの8分に渡る大曲は、先の「Seems So Long」同様にTONTOシンセが
効果的に使用されています。楽曲、アレンジ、演奏、そして勿論スティーヴィーの歌といった全ての要素が
非常に高い次元で結び付き、更に高みへと昇華されている初期の名曲です。
「心の詩」はポップス21位・R&B6位と、前作よりはだいぶ良かったものの、次作「トーキング・ブック」
以降と比べるとチャートアクション的には決してヒットとは呼べないもので、それが現在においても
今一つ評価が低い原因かと思われますが、所謂スティーヴィーの黄金期は本作から始まったと
私は思っています。
また音楽的な面ではないのですが、21歳時の契約更新の際にはやり手弁護士を雇い、スティーヴィー本人は
創作に専念出来たというのも、この時期に急激な(異常とも言える)音楽的飛躍を遂げた遠因に
なっていると言う人もいます。
かくして黄金期へのお膳立ては揃った訳ですが、今回はここまで。
次回は当然「トーキング・ブック」についてです。