#119 Fulfillingness’ First Finale

73年8月6日、スティーヴィーを乗せた車がトラックを追い抜いた際、接触により積み荷の木材が
崩れ落ち、それがスティーヴィーを直撃し一時は生と死の境をさまよいました。
前回の最後にて触れた交通事故の概要は上の様なものですが、驚異的な回復を遂げ、一か月半後に
エルトン・ジョンのコンサートへ登場したのも既述の通りです。
しかし本来予定していた「インナーヴィジョンズ」のプロモーションは当然出来ませんでした。
ところがこのアクシデントがメディアにおいて報じられる事によって注目を浴び、結果的に
セールスを押し上げた面もあったとの事(そんな事は関係なく名盤であるのは言わずもがなですが)。

一度死に直面した人が、その後の思想・人生観などを変えてしまうという事はよく耳にします。
率直に言って音楽面においては、その事故前後によってスティーヴィーの作品が極端に変わったとは
思いませんが、音楽面以外では影響が出ている様です。
74年6月リリースの「Fulfillingness’ First Finale(ファースト・フィナーレ)」。タイトルや
それまでの彼の歩みを網羅した様なアルバムジャケットからして、スティーヴィーがそのキャリアに
一区切り付けようとした事は明らかです。命は有限であるという、当たり前の事なのですが、普段は
忘れてしまいがちな事実を再確認したのでしょうか。
かと言って、本作が生と死、あるいは思想・宗教観などに向き合った様な重厚な作品、などと言う事は
全くなく、むしろ三部作中では最も聴きやすい仕上がりになっていると私は思います。
上はオープニングナンバー「Smile Please」。本作から参加しているマイケル・センベロのギターが
印象的なイントロです。私の世代だとセンベロと言えば映画『フラッシュ・ダンス』のサントラに
収録されたNo.1シングル「マニアック」(83年)がすぐに思い浮かびますが、元は非常に優れた
セッション・ギタリストです。次作「キー・オブ・ライフ」においても多大な貢献をする事となります。

「Too Shy to Say」は「You and I 」からの流れをくむ様なバラード。ただし「You and I 」と
異なるのはシンセを使わずスティール(スライド)ギターを採用した事。この当時のシンセでも
似たような音色は作れたかとは思いますが、やはり細部においてはスライド(厳密に言えば
このプレイはペダルスティールによるもの。ハワイアンでお馴染みのやつ)特有のフレーズを
聴く事が出来ます。多分シンセで演ってはみたものの満足がいかなかったのではないでしょうか。

「Boogie On Reggae Woman」はシンセベースがとにかく印象的な曲。ベースの奇抜さと
ハーモニカソロ以外は割と飄々かつ淡々と演奏している様に
聴こえますが、歌詞はかなり性的なもの。
どんな歌詞かって?……… ここでは言えません・・・♡♡♡(´∀` )♡♡♡

ラテンフィールの「Bird of Beauty」。クイカというパーカッションによる独特のサウンドから
始まるサンバとクロスオーヴァーファンクの混合とも言えるナンバー。70年代クロスオーヴァーの
香り漂う、この時期のマイルス・デイヴィスやハービー・ハンコックにも通じるリズム・サウンドです。

本作は「フィンガーティップス」と同時発売のライヴ盤(63年)以来となる、ポップスチャートでの
1位を記録しました。先述の通り生死を彷徨った直後ではありながら、決して死生観・宗教などの
重苦しいテーマ・雰囲気を漂わせるような事無く、ポップミュージックとして完成しているのが
功を奏したのも一因ではないかと私は思っています。

その中にあって唯一の例外が上の「They Won’t Go When I Go(聖なる男)」。厳粛な雰囲気に
満ちた本曲は、直接的な表現こそ無いものの、天国や地獄といった来世について歌っている様です。
ここでもシンセの使い方が実に巧妙で、それ無しでは本曲は成立しなかったと思われます。

エンディングナンバー「Please Don’t Go」。最後を飾るに相応しいまさしく大円団といった
雰囲気の楽曲。途中からゴスペル風になる本曲は、前曲の「聖なる男」が静的なゴスペル調の曲で
あったのに対して、本曲は動的なゴスペルで締めくくる、まさに ”ファースト・フィナーレ”
といったエンディングの迎え方です。

所謂 ”三部作” は本作にて完結し(スティーヴィーが ”三部作” などと考えて創っていたかどうかは
わかりませんが)、いよいよ「キー・オブ・ライフ」の制作へと向かう訳ですが、その辺りはまた次回にて。

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