#124 Stevie Wonder

80年代以降のスティーヴィー・ワンダーについて、才能が枯渇してきたなどと無礼な事を
書いた輩がいますが(誰だ!ゴルァ!!━(# ゚Д゚)━・・・・・オメエだよ (´∀` ))、
確かに70年代における異常な程のクオリティーには及ばないにしても、前回のテーマである
「リボン・イン・ザ・スカイ」をはじめとして素晴らしい楽曲はまだまだあります。

「心の愛」(84年)が評論家やスティーヴィー通に評判が悪いのは前回述べた通りですが、
本曲が収録された映画のサントラ「ウーマン・イン・レッド」。やや不確かな情報ですが、
元々はディオンヌ・ワーウィックに話が来ていたものを、ディオンヌがスティーヴィーを
推した為にスティーヴィーによるアルバムとしてでリリースされた作品とされています。
本作でディオンヌがフィーチャーされているのはその様な理由です。
「ウーマン・イン・レッド」から繋がっているのかどうかは判りませんが、85年のNo.1ヒット
「That’s What Friends Are For(愛のハーモニー)」は当初スティーヴィーとディオンヌの
デュエットであったとされています。本曲は初出がロッド・スチュワート(82年)のレコーディング。
85年にチャリティーとして再び世に出る事となります。スティーヴィーの楽曲を紹介すると言って
おきながら何ですが、本曲は言わずと知れたバート・バカラックによる楽曲です。そしてヒットを
確実にする為に共演者を増やそうと提案したのもバカラックであると言われています。
そうした理由でエルトン・ジョン、そして一般的な知名度という点では他三人には及びませんが、
60年代~70年代前半においては米ソウル界でカリスマ的支持を得ていたグラディス・ナイトを
起用することとなったそうです。
甘ったるいだけのバラード、売れ線などと批判はあります。バカラックによる数多の名曲群において、
本曲が上位に入るかというと私もそれは否と断じざるを得ませんが、これだけの実力派シンガーが
一堂に会したというだけでも貴重なナンバーです。ちなみにロッド版も良いですので聴いてみてください。

「リボン・イン・ザ・スカイ」と並んで、80年代以降におけるスティーヴィーの傑作が上の
「Overjoyed」(85年)だと思います。毎度の如く一筋縄ではないコード進行なのですが、
全くそれを感じさせない歌が素晴らしい。「ホッター・ザン・ジュライ」ではやや過剰なアレンジが
感じられる所もありましたが、本曲でのストリングスは見事。これが無ければこの曲足り得なかった
のではないでしょうか。ギターは当時新進気鋭のジャズフュージョン・ギタリストとして頭角を
現しはじめていたアール・クルー。

とかく80年代に入ってからの作品は酷評される事が多いのですが、「リボン・イン・ザ・スカイ」や
「オーヴァージョイド」以外にも素晴らしい曲はまだあります。
上の「With Each Beat of My Heart」はアルバム「Characters」(87年)からの5thシングルとして
世に出ましたが、ポップスチャートではチャートインすらしませんでした。スティーヴィーの楽曲としては
全く陽の目を見ていないナンバーですが、非常に秀逸な曲だと思っています。メインからバッキングまで
全てスティーヴィーの多重録音によるもの。この様なドゥーワップスタイルのナンバーは
スティーヴィーとしては珍しい部類ですが、元々子供の時分にはデトロイトの街角で演っていた
スティーヴィーですから、原点回帰とでも言えるナンバーでしょう。80年代末から90年代にかけて、
新しい世代のソウル・R&Bシンガー達がドゥーワップ・アカペラを取り上げて一大ブームを
巻き起こす事となりますが、丁度そのブレイク前夜とも言える時期であるのも興味深いです。
日本では山下達郎さんや鈴木雅之さん(更に遡ればキングト―ンズ)が大昔から演っていたのは
言わずもがなです。

90年代以降ベスト盤は別として、映画のサントラとライヴ盤を除くとオリジナルアルバムは
「Conversation Peace」(95年」と「A Time to Love」(05年)のみで、一応現在の所は
「タイム・トゥ・ラヴ」が最新作となります。14年も前の作品ですが・・・
スティーヴィー回の一番最初の方でも書きましたが、ポップス界において最も才能に溢れた
人だと思っています。ジミ・ヘンドリックスもいますが彼は機材の扱いを含めたギター演奏に
関しては飛びぬけた天才であった人です。
スティーヴィーよりも作曲及び編曲・器楽演奏・歌といった個々の分野において秀でている
ミュージシャンは勿論いますが、全てが高い次元で完成されていて、そして70年代をはじめとした
異常とも言えるクオリティーの作品をほぼ一人で創りのけてしまった様な偉業を成し遂げた人は、
彼をおいて他にいないのではないでしょうか。彼に匹敵する才能を持った人と言えば同時期においては
エルトン・ジョン、それ以降ではプリンスくらいだったのではないかと私は思っています。

https://youtu.be/x9gXgiHSskk
最後はライヴ演奏でも上げて締めたいと思います。「キー・オブ・ライフ」回で有名曲は
取り上げなかったので、「I Wish(回想)」と「Isn’t She Lovely(可愛いアイシャ)」の
メドレーを。08~09年の欧州ツアーにおけるロンドン公演の模様、多分DVDで出ているやつです。
女性コーラス三人の真ん中がおそらくアイシャ、途中でアップになる箇所がありますが凄い美人です。
この頃はまだ声もバリバリ出ていました、数年前のコンサートの模様もユーチューブに上がっていますが、
さすがに声の衰えは如何ともし難いところです。もっともこの人は日本で言う所の人間国宝の様な
人ですから、とにかく少しでも長く現役で活動してくれれば良いのだと私は思っています。

以上で10回に渡って続けてきたスティーヴィー・ワンダー回もこれにて終了です。
まだ例えば、ドラマーであるスティーヴィーについてスポットを当てて書いてみるというのも
面白いかと思ったのですが(一応ドラム教室のブログなんですよ・・・)、それはまた別の機会にて。

#123 Ribbon in the Sky

80年代前半におけるスティーヴィー・ワンダーの活動は、チャートアクションだけを
取れば60~70年代と遜色なく輝かしいものに見えます。余りにも有名なポール・マッカートニー
とのデュエット「エボニー・アンド・アイボリー」(82年)、映画のサントラからシングルカットされた
「I Just Called to Say I Love You(心の愛)」(84年)、85年のアルバム「In Square Circle」
より「Part-Time Lover」、そしてディオンヌ・ワーウィックやエルトン・ジョン達との共演による
「That’s What Friends Are For(愛のハーモニー)」などのNo.1ヒットを連発しています。
しかしコアなリスナー、評論家連中、そして何しろスティーヴィー自身もある事に気が付き始めました。
”以前の様な、泉の如く湧き出ていた圧倒的かつ、斬新で、驚異的な楽曲・アイデアなどが
枯渇してきているのではないだろうか?” と・・・・・

82年、スティーヴィーは二枚組のベスト盤をリリースします。「Stevie Wonder’s Original Musiquarium I(ミュージックエイリアム)」。ベストアルバムではありますが、新曲が4曲も
入っているというもの。この当時はこの手のベスト盤がよく出ていた様な記憶があります。
今思いつくだけでもホール&オーツ、ビリー・ジョエル、カーズなど。新しいリスナーは勿論、
既存のファンも買えよテメエらこのヤロウ、という阿漕な … もとい商売上手な手法です・・・
上はその先行シングルであった「That Girl」。ポップスチャート4位・R&B1位と好セールスを
記録しますが、直後における「エボニー・アンド・アイボリー」の大ヒットのせいで影が薄くなって
しまっている曲です。80年代的ブラックコンテンポラリーの影響を受けながらも、スティーヴィー
らしさは失っていない、地味ではあるけれども佳曲だと思います。

84年のNo.1ヒット「心の愛」はコアなスティーヴィーフリークや評論家筋にはとかく嫌われている
楽曲ですが、皮肉にも一般的にはスティーヴィーの代表曲として認知されています。
確かに60年代後半から70年代における綺羅星の如し名曲群と比べれば聴き劣りするかもしれませんが、
私は普通に良い曲だと思っています( ”普通” ってあまり誉め言葉じゃないですね … )。
ちなみに元々は日本の兄弟デュオ ブレッド&バターの為に書かれた曲。しかしその後、先ず自分で
使うので、ブレバタにはレコーディングをペンディングする様に要請があったとの事。スティーヴィーが
リリースした後に、ブレバタは「特別な気持ちで」として発売しています。ちなみに歌詞は呉田軽穂に
よるもの。ファンにはお馴染みの事ですが、呉田軽穂とはユーミンの別名義です。

80年代に入ってから、スティーヴィーの中では焦りの様なものが芽生えてきたと言われています。
セールス及び一般的な評価としては冒頭で述べた通り全く問題無い様に思われますが、評論家や
昔ながらの耳の肥えたリスナーによる否定的なレヴュー、何といっても彼自身の中で満足のいく作品を
創っているという自身が失われていたそうです。
これはあくまで噂話のレベルですが、マイケル・ジャクソンがクインシー・ジョーンズと組んで
モータウンを離れ、「オフ・ザ・ウォール」(79年)により華々しく ”大人のマイケル” として
再デビューを飾り、その後「スリラー」で怪物的なセールスを上げ世界を席巻する訳ですが、
それによってグラミー賞も総なめする事となります。かつてはスティーヴィーが同様の立場だった訳ですが、
新しい世代に取って代わられたという気落ちが彼にあったとされています。グラミーの評価が妥当かどうか?
などの意見は昔からありますが、創り手としては評価というものに対して過敏になるのでしょう。
これは嘘か誠は判りかねますが、ある年のグラミー賞授賞式にて、スティーヴィーは会場を離れ
舞台裏(トイレ)へと逃げるように行ってしまいました。その年もマイケルの独壇場だったそうです。
それを見たクインシーが彼を追いかけ、トイレにて激励(お説教?)をかました、と言われています。
これも真意の程は定かではありませんが、この時期モータウン側からクインシーに対して
スティーヴィーのプロデュースをして欲しいと打診があったいうウワサもあります。
これはあくまで個人的な意見、マイケルファンの皆さんイイですか?あくまで私見ですよ …
ダンスやステージングアクトなどのエンターテインメントにおける力量に関してマイケルは
素晴らしいとは思いますが、シンガー・作曲家編曲家・器楽演奏者としての才能は、
比べるまでもなくスティーヴィーの圧勝だと私は思っています・・・・・・・・・・・
ε=ε=ε=ε= (#゚Д゚)( °∀ °c彡)ヽ( ・∀・)ノ┌┛・・・ だから私見だ!つってんだろ!!!(((((゚Å゚;)))))

結果としてクインシーによるスティーヴィーのアルバムというものは実現しませんでしたが、上の曲は
”クインシーのプロデュース?” と言われても全く違和感の無いもの。「ミュージックエイリアム」の
ラストに収められている「Do I Do」は当時流行のダンサンブルなファンクナンバーで、クインシー&
マイケルやシックの曲?、と言われても疑わない様な楽曲です。ですがそこはスティーヴィー、
しっかり自分の曲にしてしまっています。歌のグルーヴ感が何とも素晴らしいのが耳を引きますが、
演奏陣も見事。ソリッドなブラスセクション、長年に渡ってスティーヴィーバンドにてベースを務めた
ネイザン・ワッツのプレイが印象的です。しかし本曲で一番話題にされるのは、ジャズトランペッター
ディジー・ガレスピーの参加でしょう。チャーリー・パーカーと共にモダンジャズ・ビバップの
開祖とされるこの超大物ジャズメンがレコーディングに加わった事が第一のトピックとなりました。
本曲もシングルカットされましたが、アルバム版は10分半もある為、シングル版は縮められています。
それでも6分もありますけれども・・・

この時期のスティーヴィーについて否定的な事を書き連ねてきましたが、しかしやはりスティーヴィー・
ワンダーです。本作には珠玉の名曲が存在します、それが今回のテーマ「Ribbon in the Sky」。
「トーキング・ブック」回にて私なりの三大バラードがあり、一曲目は「You and I」。二曲目は
前回の「Lately」であると述べました。そして残る三曲目が本曲に他なりません。
この曲について ”天上的な美しさを持った曲” と形容したレビューを読んだことがあります。
これ程的確な表現は無いという程に本曲を言い表した言葉です。
「You and I」「Lately」と際立って異なるのはドラムが入っている点でしょうか。二曲と同様に
生ピ&シンセでも面白かった様な気はしますが、それはこの時点でのスティーヴィーによる判断。
また、生ギターによる調べも素晴らしい効果を演出している所も相違点ではありますが、本質的な
部分においては二曲と相通ずるものだと思っています。それは緩急の付け方、独唱を用いる事で
よりエモーショナルな歌唱を引き立たせている点、そして甘美という表現以外が見当たらない程に
劇的な構成です。緩急の付け方と劇的な構成という部分は(似たような表現だな?!とかの
ツッコミはご勘弁。語彙が乏しい・・・)、終盤におけるコードあるいはメロディの駆け上がり方に
他なりません。「You and I」は転調ではないですが歌がドラマティックに変化し、「Lately」は
二音半の転調によって見事な高揚感を演出、そして本曲では歌の二番にて半音転調、そして
二番の最後 ”Love” を繰り返す箇所でさらに半音上がる。聴き所は何といっても二回目の転調後
(2:37辺りから、勿論それまでの抑制があってこそなんですけどね)。
この三曲全てに通じるのは、佳境にてスティーヴィーの歌が最も映える音域に持って行っているという所。
勿論この様なアレンジはスティーヴィーだけに限ったものではありませんが、本三曲は
とりわけその点において見事という他に言葉がありません。

ところでスティーヴィー・ワンダー回はいつまで続くのでしょうね(´・ω・`)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・書いてんのオメエだろ (´∀` )

#122 Lately

俗に ”黒歴史” なる言い方をされる事柄があります。なかったことにしたい、あるいはなかったことに
されている過去を指す言葉の様ですが、スティーヴィー・ワンダーの作品にも当てはまるものがあります。

「Stevie Wonder’s Journey Through “The Secret Life of Plants”(シークレット・ライフ)」(79年)。前作「キー・オブ・ライフ」の大成功の後、周囲の期待を受けて発表されたのが、
”植物には意識がある” といった、悪く言えばトンデモ学説を基にしたドキュメンタリー映画の
サウンドトラックでした。結果的には映画は未公開に終わった為、映像的な詳細は分からず終いですが、
当然ストーリーものではなく、植物の一生を映像で綴る様なドキュメントフィルムであったようです。
ポップソングに限界を感じ、新たな飛躍を遂げる為にあえて実験的な試みに身を投じたのだとか、
いや一時の気の迷いだとか、諸説ありますが、この二枚組サウンドトラックの評価は決して高いものでは
ありません。前作に参加したハービー・ハンコックなどはその冒険心を称えたそうですが、
評論家によってはターンテーブルに乗せる必要の無い作品だ、などと酷評する者もいたそうです。
実は私も今回はじめて本作をちゃんと聴いたのですが、言う程駄作とは思いませんけれども、
それまでのスティーヴィーによる作品群と比較すると?・・・ といった感じでしょうか。
しかしそんな辛辣な評価を下す評論家連中でも絶賛する曲が収録されています。それが上の
「Send One Your Love」。いかにもスティーヴィーらしい高度なコードプログレッション
(ダ、ダジャレじゃないんだからね!か、勘違いしないでよね!!(๑`н´๑)・・・)による本曲は、
ベスト盤でも大概収録されている代表曲の一つです。

「シークレット・ライフ」から一年余りでリリースされたのが「Hotter than July」(80年)。
これも人によって評価は様々なのですが、”ちゃんとした” ポップミュージックとして成立しています。
上はA-②「All I Do」。60年代におけるパートナーであったクラレンス・ポールとその時代に
既に創られていた楽曲と言われています。リズムがディスコティックなのと、シンセベースが
突拍子がないのを除けば、所謂 ”モータウン時代” の楽曲として感じられないこともない曲です。

本作で有名なのはシングル曲であるレゲエ調の「Master Blaster」、「I Ain’t Gonna Stand for It」
及びマーティン・ルーサー・キングを歌った「Happy Birthday」ですが、あえて取り上げません。
上はA-③「Rocket Love」。スティーヴィーの全曲中においても全く陽の目を見ない曲です。
これをクドい、オーバープロデュースと感じるか、スティーヴィーの楽曲としては珍しい試みと取るか、
聴き手によりますけれども個人的には興味深い一曲だと思っています。

B面は「マスター・ブラスター」から始まり、クインシー・ジョーンズを意識したのかな?
と思わせる「Do Like You」。そして上は、これも全く陽の目を見ないファンクナンバー
「Cash in Your Face」です。彼の楽曲群において特に秀でたものとは思いませんが、
この時期のスティーヴィーを知るには面白い作品なのではないかと。

本作では黎明期におけるサンプリングドラムマシン『リンドラム』の使用、ディスコサウンドの
取り込み、ポップでキャッチーな楽曲などにより前作で失いかけた大衆の支持を取り戻した面と、
一部の評論家からは三部作~「キー・オブ・ライフ」にかけての様なクリエイティビティが無い、
といった相反する評価があったようです。個人的には、質の面では確かに前四作には及ばないとしても、
そこまで酷評するものでは無いと思っています。それにはある曲の存在もあるのですが・・・

本作からの3rdシングルである「Lately」。当時はポップスチャート64位、R&Bで29位とお世辞にも
ヒットシングルとは言えないものでしたが、その後数多くのミュージシャンによって取り上げられ、
今日においては名曲とされる楽曲です。#117にて個人的に ”三大バラード” があると述べましたが、
その二曲目が本曲です。
「You and I 」と同系統とされる楽曲であり、口の悪い評論家は「You and I 」等既存曲の
アイデアを使い回していると難癖をつける輩もいるようですが、ポップミュージックでそれを
言い出したらキリがありません。
生ピアノ・シンセ(シンセベース)のみ、そしてスティーヴィーによる独唱といった点も
「You and I 」同様。そして終盤における歌の盛り上げ方も同じく絶品です。
二回目の ”good-bye” を繰り返すパートからが最大の聴き所であるのは言わずもがな。
二音半転調し、スティーヴィーの歌が一番映える音域まで駆け上がっていく箇所は、
「You and I 」にしろ本曲にしろ鳥肌ものです(「You and I 」は転調ではないですが … のはず・・・)。

「レイトリー」はその後スティーヴィーのコンサートにおいて、欠かす事の出来ないナンバーとなりました。
ミュージシャンにとって、シングルヒットした曲だけが重要なものではないという顕著な例です。

#121 Songs in the Key of Life_2

76年に発表されたスティーヴィー・ワンダーの代表作「Songs in the Key of Life
(キー・オブ・ライフ)」は、当初「ファースト・フィナーレ2」と、前作のタイトルを
踏襲する考えもあったそうです。TONTOシンセのエンジニアであり、三部作の
共同プロデューサーでもあったロバート・マゴーレフとマルコム・セシルはこの当時
スティーヴィーに ”群がってきた” 様々な人物達によって引き離され(あくまで二人の弁)、
またマゴーレフ達もそれに嫌気が差した為、共同プロデュースチームは解散となり、
スティーヴィーは一人でアルバム制作をするはめとなりました。そのためであったのか、締め切りは
75年中とされていたのが大幅に遅れ、76年9月のリリースとなりました。勿論スティーヴィーの
作品にかける並々ならぬこだわりが遅れの要因になったのも言わずもがなですが。

愛娘アイシャの誕生を歌った「Isn’t She Lovely(可愛いアイシャ)」でC面は幕を開けます。
前回有名曲は取り上げないと言ったので動画は張りませんが、トリビア的な話を一つだけ。
曲中で聴こえる赤ん坊の笑い声は永らく当然アイシャのものだと思われていましたが、00年代半ばに
スティーヴィーが ”実はアイシャのものではない” とカミングアウトしました … エェェ((゚д゚; ))ェェエ
当時洋楽好きの間ではちょっとした話題になりましたが、勿論最初はアイシャの声を使おうとしたものの
上手くいかず、同時期にかかりつけの歯科医に子供が生まれたのでその子の声を録らせてもらったとの事。
今調べてみるとイントロだけ別の子であってその他はアイシャであるとか、色々な話が出回っています。
15年位前の話なので私もうろ覚えなのですが・・・
上はC面3曲目「Black Man」。タイトルからしてわかる通り人種問題について触れた歌詞。
途中で寸劇の様なパートがあるのはインナーヴィジョンズの「汚れた街」と同様。その歌詞に興味がある方は自身で調べて頂くとして、とにかく本曲のファンクグルーヴは天下一品であり、「愛するデューク」でも
聴く事が出来るブラスセクションのソリも素晴らしい。8分半に及ぶ本曲を長いと感じる向きも
ある様ですが、私は気になりません。人それぞれという事です。

D面1曲目である「Ngiculela – Es Una Historia – I Am Singing(歌を唄えば)」。ズール語、
スペイン語、そして英語にて歌われる本曲はストレートなラブソングとの事。印象的なのはシンセの
音色(ハープシコード?)ですが、実はかなり大人数によるパーカッションのパートも採用されており、
それが言語と相まって本曲のワールドワイド感を高めているのだと思われます。

ハープ(竪琴の方)による調べの上でスティーヴィーの歌(と若干のみハーモニカ)が堪能できる
「If It’s Magic」。「歌を唄えば」と共に、ともすれば本作においては小作品といった扱いを
されてしまいがちなナンバーですが、それでさえ一級品の楽曲・歌・演奏なのです。

ジャズ界の御大 ハービー・ハンコック(と言っても当時はまだ30代)が参加している「As」。
本曲は珍しくハンコックのエレピをはじめとしてベース・ドラムにおいてもゲストミュージシャンによる
演奏です。歌の合間のオブリガード(合いの手的フレーズ、フィルイン)やソロがハンコックでしょうが、
スティーヴィーの歌をスポイルする事無く、見事な効果をあげています。当然ストレートアヘッドな
ジャズミュージックからそのキャリアを開始したハンコックでしたが、やがてエレクトリックな
フュージョン、ファンク・ヒップホップと、ジャズの枠には収まりきらない音楽を展開していったのは、
スティーヴィーなどのポップス界のミュージシャンとの交流による影響もあったのでしょう。
実際本作の後、シンセをスティーヴィーから借り受けて自身のアルバムで使用したりしていたそうです。
本曲は全体に漂う黒っぽいフィーリングがたまりません。節回しを変えて歌うパートはまるでサッチモ?
また大人数に聴こえるコーラスですが、実はスティーヴィーと女性シンガーの二人によるもの。
7分強と長尺ですが全く飽きを感じさせません。

D面のトリを飾る「Another Star」。”サンタナかよ!” と思わずツッコんでしまう様なラテンフィール
溢れるイントロ。血沸き肉躍る様な曲、というのは本曲を指すもの。歌・演奏・アレンジ全てが完璧です。
ジョージ・ベンソンがギターとコーラスで参加しています。「ブリージン」が本作と同年の5月と、
若干早くリリースされジャズのアルバムとしては異例の大ヒットを記録したベンソンですが、
勿論レコーディング時はもう少し前の話。決して派手なソロなどは弾いておらず、オブリガードに
徹していてあまりフィーチャーされていませんが、自他共に結果としてそれで良いと判断されたのかも。
ブラスセクションが見事なのは言うまでもなく、パーカッション、コーラス、そして終盤のフルートソロが
秀逸です。個人的には本作のベストトラック。

EP盤B面のラストナンバー「Easy Goin’ Evening (My Mama’s Call)」。エレピ・ベース・ドラム、
そしてハープ(竪琴じゃない方)によるインストゥルメンタルである本曲は、大傑作の締めくくりとして、
何とも哀愁を漂わせながら、かつストイシズムを撒き散らしてリスナーを良い意味で翻弄させてくれる
エンディング曲です。見過ごされがちですがスティーヴィーのワイヤーブラシによるドラミングが実に
見事。そして、ハーモニカという楽器は何故これ程まで切ない音色なのでしょう…

アナログで聴けば普通はLP①→LP②→EPという順番ですが(多分その昔テープへダビングしたのも
その順、だったと思う…)、CDではLP①→EPのA面→LP②→EPのB面となっています。
再発されたCDの曲順からしても、
EP収録曲は決してオマケ的なものではなく、本作を構成する
重要な楽曲だったのだと思います。
ですからCD①は「エボニー・アイズ」で終わり、CD②の
オープニングは「可愛いアイシャ」で
始まるのがしっくりくるのです。
「アナザー・スター」で終われば大盛り上がりのうちにフィナーレを迎えられたのですが、
そうは問屋が卸さず、「Easy Goin’ Evening 」で祭りの後に過行く夏の終わりを突き付けられる様な
寂しさを味わいながら、我々は現実へと引き戻されるのです。

前回本作について、コンセプト性は無くごった煮の様な作品と言い表しました。実際に全てが
本作の為に準備された楽曲という訳ではなく、幾つかは前作以前からのストックで、場合によっては
三部作に収録されていたかもしれない曲もあるとされています。
なのですが、矛盾を承知で言いますと、やはり本作にはスティーヴィー本人は図っていなかったとしても、
統一されたカラー・雰囲気が、あの印象的なアルバムジャケットと共に存在する様な気がするのです。
もっともこれは我々リスナーによる後付けの印象、ただの刷り込みかもしれませんが・・・