#130 Killing Me Softly

前回のつづき。ロバータ・フラック「Killing Me Softly with His Song(やさしく歌って)」は
彼女のオリジナルではなく、飛行機で偶然耳にしたことが発端となりカヴァーしたというのは
前回述べました。実は彼女、「Killing Me・・・」というタイトルには眉をしかめたと語っています。
この場合におけるkillは当然 ”人を殺める” ではなく、”悩殺する・魅了する” の様な意だそうです。
つまり ”彼の歌は私を優しくメロメロにしてくれちゃうのよ・・・” くらいの意味なのでしょうが、
やはりそれでもkillという単語にはネイティヴであっても抵抗を感じるようです。
メロディ(歌)は殆ど同じなのに、これだけ印象が変わるというのはやはり楽曲はアレンジに因るところが
大きいのだと改めて認識させられます。先ず以て楽器の編成が違うというのは当たり前ですが、
一か所決定的に異なる部分があります。歌の最後 ” with his song ~ ” のパートが原曲では
マイナーコードである所をロバータはメジャーに変えました。聴き比べてみると確かに印象が
ガラッと異なります。具体的には主メロであるC(五度)の歌にメジャー三度であるAをコーラスで
重ねています(この部分はFコード)。不思議な事にメジャーであるのに不気味さの様なものを感じます。
ロリ・リーバーマンのオリジナル版は思いの丈をストレートに歌ったのに対して、ロバータ版は
女性の情念、愛憎入り乱れた様な感情を感じてしまうのは私だけでしょうか。
ちなみにベースはここでもロン・カーター。ロンのプレイがあるからこその曲とも言えます。

シングル「やさしく歌って」は通算で5週全米1位となり、本曲を含むアルバム「Killing Me Softly
(やさしく歌って)」は米だけで200万枚以上を売り上げこれも大ヒットとなります。
細かい所ですが、楽曲のタイトルには「… with His Song」が付き、アルバムにはそれがありません。
邦題ではどちらも「やさしく歌って」です。上はA-②の「Jesse」、ジャニス・イアンの曲。
ジャニス・イアンはロバータによる本曲のカヴァーにて、この時再度脚光を浴びたと言われています。

A-③「No Tears (In the End)」。「Where Is the Love」と同様ラルフ・マクドナルドによる楽曲。
ロバータとしては珍しい部類の正統派(?)ソウルナンバー。ワウをかけたエリック・ゲイルの
ギターがたまらない。ロバータはシャウトなどしない歌唱スタイルですが、後半の盛り上げ方は
実に見事です。叫ぶだけが盛り上げる術ではないという事です(シャウトが悪い訳ではないですよ … )。

A-④「I’m the Girl」。淡々かつ朗々と歌い上げるロバータとチェロの組み合わせが美しい。

ジーン(ユージン)・マクダニエルズ作のB-①「River」。ロバータはデビュー作からマクダニエルズの
楽曲を好んで取り上げています。黒っぽいフィーリングは同じアフリカンアメリカン同士だからこそ
醸し出せるのでしょうか。

B-②の「Conversation Love」。デビューから70年代のロバータ黄金期をベーシストとして、
またアレンジ・ソングライティング面で支えたテリー・プラメリのペンによる曲。
この時代における、如何にもニューソウル然とした楽曲。やはり弦と管のアレンジが見事です。

B-③「When You Smile」はこれまたラルフ・マクドナルドのペンによる曲。ラグタイムの様な
オールドアメリカンミュージック風の楽曲と演奏は、ロバータとしては珍しく陽気なもの。

エンディングナンバー「Suzanne」。数々のミュージシャンによって歌われているレナード・コーエン作の
曲ですが、ロバータが取り上げるとやはりロバータワールドになります。10分近くに渡る長尺の曲で、
特に山場があるという訳でもなく淡々と進んでいくのですが、テンション感を保ちながら全く飽きる事なく
聴かせてくれます。後半のストリングスとロバータによるスキャットは、静かな嵐とでも形容すれば
よいのでしょうか、抑制を効かせながらもストーリー性を持った素晴らしいアレンジです。

本作はダブルプラチナ(200万枚以上)を獲得し、彼女にとってセールス的に最も奮ったアルバムです。
ロバータ・フラックと言えば「やさしく歌って」、とされる程に彼女の代名詞的作品となりました
(日本ではコーヒーのテレビCMによって特に)。勿論名盤である事に私も異論はありませんが、
あまりにも本曲・本作が有名になり過ぎて、それ以前及び以降の素晴らしい傑作群が世間の耳に
触れづらくなってしまっているのも事実だと思います。「やさしく歌って」を聴けばロバータ・フラックを
理解したつもりになってしまうという弊害をもたらしてしまうのです(何しろ私も昔はそうでした・・・)。
もっともこれはロバータに限った事ではないのですけれども・・・・・・
でもこれは、ちょっと捻くれた私だけの見方だと、どうか読み流してください ………………

ディスコグラフィーだけを参照すれば、ここまでの作品全てがプラチナ・ゴールドディスクを獲得し、
順風満帆なミュージシャンとしてのキャリアを重ねたように錯覚してしまいますが、37年生まれの
ロバータがデビュー作を出したのは69年なので、この時点で32歳。既述ですがブレイクするのは
72年の事なのでこの時既に35歳。名門ハワード大学の大学院まで進みながら、父親の急死によって
大学を辞めざるを得なくなった事も既に触れましたが、やはりミュージシャンの道を諦めきれず、
週末にはナイトクラブなどで演奏していたそうです。ヘンリーのレストランという店で演奏していた
頃にはラムゼイ・ルイスや映画監督のウディ・アレンなどが常連だったとのこと。
そしてやがて評判が広まり、以前書いたようにある人物が推薦しアトランティックのオーディションへと
こぎ着ける事が出来たのです。アレサ・フランクリンやディオンヌ・ワーウィック、そしてダイアナ・ロスの
ように、60年代から若くして成功した黒人女性シンガーとは一線を画すものがあると言えます
(音楽的な優劣ではなく・・・)。要するにロバータ・フラックとは確固たる才能を持ちながら、
なかなかその芽は出なかったのだが、決して諦めることなく地道に活動を続け、やがて自身の道を
切り開いた努力の人だということです。努力をした人が全て報われるとは限りませんが、
努力無しの成功もまたあり得ないのではないかと思うのです。

 

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