#138 Harvey Mason

ドラム教室のブログらしく、いい加減ドラマーの事を書かなければならぬと思っていた今日この頃。
丁度折よく前回・前々回と、いつかは絶対に取り上げなければ、という人の名前が挙がりました。
ハーヴィー・メイソン、70年代フュージョンシーンを代表するドラマー、その人です。

        今までも何度かスティーヴ・ガッドと共にその名が出てきましたが、私の世代(昭和45年生まれ)以上で
ドラムを演っている、もしくはある程度音楽に精通している人ならばその名を聞いた事があるでしょう。
技術が優れているのは言うまでもない事ですが、ハーヴィーの魅力で皆が一様に口を揃えて挙げるのが
その唯一無二のリズム、所謂グルーヴです。ウネる・ハネる・ジャンプしている、いずれの表現も
その躍動感あふれるビートを言い表したものに他なりません。

47年ニュージャージー州生まれ。7歳(4歳説も有)でドラムを始め16歳にて自身のドラムセットを購入。
バークリー音楽大学とニューイングランド音楽院という二つの名門音楽大学(ニューイングランドは
全額支給の奨学金を得て)でドラム・パーカッションのみならず作曲・編曲も学びます。
実はハーヴィーはコンポーザーとしての一面も持っており、その能力はこの時期に培われたようです。
在学中からセッションミュージシャンとしての活動もしており、日に三つのスタジオセッションを
掛け持ちする事がある程で、この時から既に引っ張りだこであった様です。

ハーヴィーのキャリアを語る上で必ず挙がる作品がハービー・ハンコック「Head Hunters」(73年)。
エレクトリック・ジャズの金字塔的作品であり余りにも有名なアルバムなので、ジャズフュージョンに
興味がある方ならその収録曲である「Chameleon」「Watermelon Man」などは耳にした事が
あるのではないでしょうか。「Chameleon」の実に粘り気のある16ビートはハーヴィーの
名演としてよく取り沙汰されます。ユーチューブで聴けますので是非ご一聴を。
なのでこちらではあえて「Head Hunters」を避け、同年におけるやはりジャズフュージョンの
名盤とされ、ハーヴィーのプレイが堪能できる別の作品を。トランぺッター ドナルド・バードによる
アルバム「Black Byrd」より「Love’s So Far Away」。粘っこいファンクビートがハーヴィーの
真骨頂とされますが、スピーディーかつスリリングな16ビートも当然の如く絶品です。
フルートが如何にもこの時代のフュージョン(当時はクロスオーヴァーと呼ばれた)らしいです。

これまたドナルド・バードによる同年のアルバム「Street Lady」より「Sister Love」。
ヘヴィーなファンク、スピーディーな16ビートはもとより、本曲の出だしにおける軽快な8ビートも
見事です。ところが更に、曲が進むにつれ段々と一筋縄では無い演奏に。ドラムを演っている
人ならわかると思いますが、16に比べて8ビートの方が技術的には容易ですけれども、
じゃあ8ビートでどんどんフレーズをフェイク、膨らませていけ!と言われると、これがどうして
良いか戸惑ってしまいます。フィルインには当然16分音符は使いますが、8ビートの中で
エキサイトさせていくのはなかなかに至難の業なのです。中盤以降のハーヴィーのプレイは
素晴らし過ぎます。ハイハットの強弱・オープンクローズ、2・4拍以外の細かいスネアによる
表情付け、曲中しばしば行われる3拍目裏のシンコペーションにおけるグルーヴなど全てがパーフェクト。
特筆すべきは、一貫して元の気持ちの良い8ビートのグルーヴが全く失われていないという点です。
プロであっても盛り上げるとなるとラウドな音色(ドラムならクラッシュシンバルやオープンハイハット、
ギターで言えばディストーションをかけて音量を上げるなど)を用いたり、とにかく速く叩く・弾く
という事に終始するプレイヤーが少なくありませんが、ハーヴィーのプレイを聴くとそれがいかに
陳腐であるかという事に気付かされます。

鉄板である「Head Hunters」を外して置きながら、” 王道こそこれ真の道である ” という言もあります。
え?そんな格言は無い?!そんなはずはありません!こないだ近所の小学生が言ってましたよ (`・ω・´)!!!
てな訳でベタなヤツも。言わずと知れたジョージ・ベンソンの大ヒット作「Breezin’」(76年)より、
彼のオリジナル「So This is Love?」。フュージョンブームの火付け役となった作品であり、
ジャズフュージョンのカテゴリーでは初めて全米で100万枚以上(トリプルプラチナ=300万枚以上)を
売り上げたジャズ界におけるモンスターアルバム。確かいまだにこれを超える売り上げは無いのでは?
(もしかしたらその後もっと売れたのがあるかも、うろ覚えなのでご勘弁)
タイトル曲やレオン・ラッセルの「This Masquerade」が有名ですが、ハーヴィーのドラミングを
堪能したいのならこの曲です。軽快な感じで始まる16ビートですが、曲が進むにつれ白熱していきます。
時にギターフレーズに呼応し、時にベンソンを挑発するようなプレイで全体を盛り上げる、
これは完全にジャズのインプロヴィゼーション(即興演奏)の感覚です。当然のことながら、
ハーヴィーは卓越したジャズドラマーでもあります。

ハーヴィーは日本人ミュージシャンの作品にも多く関わっています。言うまでもなく渡辺貞夫さんの
「カリフォルニア・シャワー」をはじめとする一連の作品は有名ですが、意外にも井上陽水さんの
L.A. 録音「二色の独楽」(74年、「氷の世界」の次のアルバム)でもプレイしており、
実は結構身近な所でハーヴィーのドラムを耳にしているのです。カシオペアとの共演は
フュージョンファンには周知の事ですが、今回ユーチューブを漁っていたら面白いものを
見つけてしまいました。81年にテレビ番組で一緒に出演しており、演奏も披露しています。
曲はカシオペアの代表曲「ASAYAKE」。動画のコメントにもありますが、神保彰さんが力み過ぎでは
ないか?と観て取れますけれども、そうであったとしてもしょうがないでしょう。神保さんは
ハーヴィーとスティーヴ・ガッドをフェイバリットドラマーと公言していた人ですから、
この時まだ20代前半であった神保さんは嬉し過ぎ、そして少しでもハーヴィーにイイところを
観せて認めてもらおうという思いがあっても何ら不思議はありません。それにしても
向谷さん・野呂さん・櫻井さん、そして勿論神保さんも皆若い。翌82年、カシオペアと
ハーヴィーを含めたL.A. のトップミュージシャン達、リー・リトナー、ドン・グルーシン、
ネイザン・イーストによる夢の競演アルバム「4×4 FOUR BY FOUR(フォー・バイ・フォー)」の
制作へと繋がった訳です。

当然一回では書き切れないので次回以降へ続きます。

#137 Feel Like Makin’ Love

今回のテーマ「Feel Like Makin’ Love」。本曲つながりでロバータ・フラックから
マリーナ・ショーへ話が展開した訳ですが、ふと思いつきで、この曲だけに絞って
丸々一回ブログ書いたら面白くね (*゚▽゚)?! … などと安直な考えに至った次第です・・・

本曲に関してはマリーナ版が白眉と前回述べましたが、ロバータ版が素晴らしい事も
言わずもがなです。ビルボードとキャッシュボックスのポップスチャートにて1位を記録し、
その他ビルボードのソウル及びイージーリスニングチャート、またカナダでもNo.1ヒットに。

数えるのがイヤになるほど数多くのミュージシャンに取り上げられて続けている本曲の作者は
ユージン(ジーン)・マクダニエルス。ジャズバンドのシンガーとして出発し、60年代には
ソウルシーンでヒットを飛ばし注目を浴びます。ロバータはデビュー作からマクダニエルスの楽曲を
取り上げていましたが、本曲をタイトルとする75年の6thアルバムでは9曲中4曲が彼のペンに
よるものでした(共作含む)。ロバータ版が初出であり、No.1ヒットとなった事から、
”「Feel Like Makin’ Love」と言えばロバータ・フラック ” 、と言われる所以です。
マクダニエルス自身も75年にレコーディングしています。

ロバータ版・マリーナ版と並んで有名なのはこれでしょう。ジョージ・ベンソンが83年に
リリースした「In Your Eyes」に収録されたヴァージョン。ミディアムテンポの16ビートにて
演奏される事が多い本曲ですが、これは思いっきりアップテンポのダンサンブルファンクナンバー。
人によって好き嫌いは分かれる所ですが、こういう解釈もあって良いのでは?
ちょっとだけ音楽的な事をタレますが、いきなり歌から始まるロバータ版にしろ、前奏がある
マリーナ版にせよ、所謂 “ ツー・ファイブ ” というコード進行で始まります。
キーとなるコード(この言い方は正しくなくて音楽的にはトニックと言うらしいですが
あくまで分かり易く)をIとすると、Iへ戻る直前にⅡ(大抵マイナーコード)→Vという
展開をするこのコード進行はポップスでもお馴染みですが、ジャズフュージョンでは
本曲の様にいきなりツー・ファイブで始まる事も多い様です。であるからして本曲の場合は
Fm7(Ⅱm)→Bb(V)→E♭(I)となり、キーはFmではなくE♭になります。
興味が無い方はこの辺読み飛ばしてください、私も本職はドラムなのであまりその辺は・・・

ロバータ版にて参加していた二人のギタリスト ラリー・カールトンとデヴィッド・T・ウォーカーが
15年に来日し、ビルボードライブ東京で行ったライヴで本曲を取り上げています。
このライヴ盤は物足りないという声が多い様ですが、弾きまくるだけが能じゃありません。
これ以外は聴いていないのでわかりませんが、あくまでマリーナ版の本曲をイメージした
演奏らしいので、抑制の効いたものになったのではないでしょうか。

ラリー・カールトンのライバル(=盟友)と言えばリー・リトナー。彼の代表作にて70年代
フュージョンシーンを象徴するアルバム「Gentle Thoughts」で本曲を録音しています。
ドラムはマリーナ版と同じくハーヴィー・メイソン。西海岸におけるトップドラマーでした。

https://youtu.be/3ZpyLwjpBgk
インストが続いたので再び歌モノ。スティーヴィー・ワンダー回(#124)でも取り上げた85年の
大ヒット「That’s What Friends Are For(愛のハーモニー)」に参加していたグラディス・ナイト。
スティーヴィー、ディオンヌ・ワーウィック、エルトン・ジョンと比較すると一般的知名度は
劣るとその時は書きましたが、米ソウル界ではカリスマ的支持を集めた彼女。
グラディス・ナイト&ピップスにて発表したヒット作「2nd Anniversary」(75年)に収録されています。
ジャズフュージョン、イージーリスニング的編曲がなされる事が多い本曲ですが、グラディス版は
それらに比べると異色でありがっつりとソウルしています。彼女の歌唱力があってこそのアレンジです。
本アルバムにはプロデューサーの一人としてマクダニエルスが参加し、全9曲中の内4曲が彼の作品。
一般的には枕詞の様に「Feel Like Makin’ Love」の作者という点だけが取り上げられるマクダニエルス
ですが、ロバータをはじめ、米ブラックミュージック界において絶大な信頼を得ていた事が伺えます。

変わり種ですが今井美樹さんも本曲を取り上げています。殆どが洋楽のカヴァーで占められた
「fiesta」(88年)に収録。これから本当に大変失礼極まりないことを言います。
今井さんは決して歌が上手いシンガーではないと思いますが・・・・・
ε=ε=ε=ε= (#゚Д゚)( °∀ °c彡)ヽ( ・∀・)ノ┌┛・・・ ・・ちょっ!!タ、タンマ!!!(((((゚Å゚;)))))
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( #)ω・) ぎょふょんにんのふぇんにみょあみばひたぎゃ(訳:ご本人の弁にもありましたが。
失礼、ちょっと歯が折れたもので … )、ご実家は確かジャズ喫茶を営まれていて、幼い頃から
エラ・フィッツジェラルドやカーメン・マクレエを聴いて育ち、彼女達と比べて何て自分の声は
弱弱しく頼りないんだろうと常日頃思っていたそうです(比べる相手が悪すぎますが・・・)。
しかしながら、私は初期における彼女の作品しか知らないのですけれども、その儚げな声は
当時の作風とマッチしており、独特な雰囲気を醸し出していました。

最後に再度ロバータ・フラック。80年にリリースした彼女初のライヴアルバム「Live & More」。
その後ディズニーアニメの主題歌などでブレイクするピーボ・ブライソンをパートナーに
迎えたロバータのライヴ盤に本曲を収録しています。印象的なベースプレイはマーカス・ミラー。
洗練された音色とフィーリングがこの時代らしい。ロバータはピーボという相方を得て
ダニーの死を乗り越えたと一般的には言われていますが果たして? ……… と言うのも野暮ですね。

ヴォーカル・インストゥルメンタル共に数えきれない程の録音があり、またジャズフュージョン系の
ミュージシャン達にとってはセッションの定番曲なので、世界中でどれだけ演奏されているのか
見当も付かない程です。万人に受ける親しみやすい循環進行のポップスという訳ではありませんが、
そのアダルトでアンニュイな雰囲気は、少し背伸びしかけた若者からオールド世代までを
魅了してやまないのでしょう。本曲がこれだけ支持されている理由はそこにあります。
ちなみに「Feel Like Makin’ Love」ってどんな意味なの?、などと考えているそこのアナタ …
私の口からはとても言えません … ♡♡♡(*´▽`*)♡♡♡ … 言えませんよ、”@※▽◎したい” なんて。
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#136 Who Is This Bitch, Anyway?

ロバータ・フラック回の中で、とある代表曲のひとつについて触れませんでした。
その曲とは「Feel Like Makin’ Love」。74年にNo.1ヒットとなった本曲はロバータ版が
初出であり最もよく知られる所でしょう。数多くのカヴァーが存在する本曲ですけれども、
これについては、少なくとも私にとってはですがロバータを凌ぐヴァージョンがあります。

マリーナ・ショウが75年に発表した名盤「Who Is This Bitch, Anyway?」に収録された
ヴァージョン。これを超える「Feel Like Makin’ Love」を私は他に知りません。
ロバータ版よりもさらにジャズフィーリングに溢れた本曲は、ドラマティックな山場などが
ある訳ではありませんが(この曲自体が元々そうですけど)、静かにテンションが
高まっていく展開は何度聴いても鳥肌が立ちます。

マリーナ・ショウは42年、N.Y.生まれの御年76歳(もうすぐ77歳)。
ポップス・ソウルというよりもジャズのカテゴリーに組み入れられる事が多いため、
余計にポップミュージック界では知名度がイマひとつな原因かもしれません。
かくいう私も本作しか知らないのですけれども・・・
上はオープニング曲「Street Walking Woman」。16ビートとスウィングが交錯する
曲調は英語で言う所の ” Cool ” という表現がピッタリです。

https://youtu.be/78rse-G4jW8
トランぺッターを叔父に持ち、自身もディジー・ガレスピーやマイルス・デイヴィスなどを
好んで聴いていたようであり、音楽を学ぶ為大学へ進学しますが中退し、やがて結婚・妊娠。
しかし彼女は音楽の道を諦めなかった様です。上は「You Taught Me How to Speak in Love」。
エレピ(ローズピアノ)が印象的であるメローなナンバー。本作ではラリー・カールトンと
デイヴィッド・T・ウォーカー、ギターの名手二人が参加しています、左チャンネルがラリー、
右がウォーカーと言われており私も多分そうだと思いますが? …… 聴き比べもこれまたご一興。
ちなみに一部では「いとしのエリー」の元ネタとまことしやかに言われていますがその真相は・・・

短い曲ですが「The Lord Giveth and the Lord Taketh Away」は彼女のオリジナル。素晴らしい
ブルース&ゴスペルフィーリングです。63年にはジャズバンドでニューポートジャズフェスなどにも
出演したマリーナでしたが、バンドを辞めその後は小さなクラブで細々と活動。転機は66年に、
ブルース・R&B界ではよく知られるチェス・レコード(の子レーベル)と契約。上は彼女のルーツと
言えるテイクなのでしょう。彼女の名は徐々に米音楽シーンへ浸透していきます。

しかしブルースを主とするチェスでは彼女の本領を発揮させる事が出来なかったのでしょうか、
72年にジャズの名門として知られるブルーノートへ移籍、本作を含む5枚のアルバムを発表します。
彼女の絶頂期は間違いなくこの頃であったでしょう。上は「You Been Away Too Long」。
75年と言えばフュージョン(当時はクロスオーヴァー)が開花した時期、フルート他の管楽器群も
この時代ならでは。リズム隊はチャック・レイニー(b、他一名)とハーヴィー・メイスン(ds)。
レイニーはロバータ・フラックの傑作群でも活躍した事は既述。70年代フュージョンシーンを
担ったハーヴィーですが、東のスティーヴ・ガッド、西のハーヴィー・メイスンと言われる程に
当時の西海岸シーンにおけるファーストコールドラマーでした。ガッドとの相違点を挙げれば、
ややシンプル、乾いた音色(タムが特に顕著)、そして黒人特有のジャンプするグルーヴでしょうか。
しかし、どちらも素晴らしいというのは言わずもがなです。

バラードの「You」も彼女のペンによる曲で、作曲能力の高さを示しています。

マリーナは感情表現が激しい歌唱スタイルではなく、むしろ抑制を効かして歌うタイプです。
その意味では、ジャズがバックボーンにある点も含めてロバータ・フラックと似ています。
「Loving You Was Like a Party」はジャズ、ニューソウル、そしてプログレッシブの
要素までを含めた、如何にも70年代中期のクロスオーヴァー風楽曲であり、シンセも印象的。

https://youtu.be/6Qwi6vTSTNc
エンディングナンバーである「A Prelude for Rose Marie~Rose Marie」。
荘厳な序章から始まる本曲ですが、本編は意外にも軽快なスウィング。しかし重厚なストリングスが
入る所など一筋縄のナンバーではありません。
男女の会話から始まり、波の音で締める。一本の映画を観ているような物語性のある作品です。
冒頭の会話はクラブの専属歌手であるマリーナが男から ” 一杯おごるよ! ” などと言われる
内容で、その流れからオープニングの「Street Walking Woman」へなだれ込みアルバムが
始まります。マリーナを劇の主人公に見立てた一種のコンセプトアルバムと呼べるかもしれません。

本作は決して好セールスを記録したアルバムではありません。しかも米本国を含め海外では他の作品
(ブルーノート移籍後初の「Marlena」など)の方が評価が高かったりするらしいです。
しかし本作は特に日本で人気が高く、09年から16年までビルボードライヴで、しかも本作の演奏陣にて
来日公演を行ったそうです。
なぜ本作が日本で人気があるのか?マリーナは抑制の効いた歌い方であり、所謂分かり易い ” 上手い歌 ”
のシンガーではありません。素晴らしい楽曲揃いではありますが、特に日本人にウケやすい、
単音のメロディが印象的な楽曲というよりも、ハーモニー・和音やリズムの重なり合いによるグルーヴが
聴きどころである作品です。
本作で検索すると、松任谷正隆さんがこのアルバムについて語っているページが出てきます。
70年代中期、本作はかなりのインパクトを与えたらしく、当時は新進気鋭の若手ミュージシャンで
あった松任谷さん達を夢中にさせたようです。つまり、決して商業的に大成功を収めた訳ではない
アルバムでありながら、松任谷さんの様な同業者や当時においてアンテナの鋭い洋楽ファン達が、
一般的には評価されづらい本作の魅力・本質を嗅ぎ取り、やがて日本のミュージックシーンを
担った松任谷さん及び年季の入ったコアなリスナー達によって名盤と語り継がれることに因り、
このアルバムが我が国において語り草になっていったのではないかと思うのです。

#135 The Closer I Get to You

79年1月13日、ダニー・ハサウェイは滞在していたN.Y.のホテルから転落して亡くなります。
享年33歳、自殺であったと言われています。生前にリリースした最後のレコードであり、
最大のヒットとなったのが、ロバータ・フラックとのデュエット「The Closer I Get to You」です。

前回取り上げたアルバム「Extension of a Man」(73年)の前に、実は映画のサウンドトラックを
手掛けています、それが『Come Back, Charleston Blue(ハーレム愚連隊)』。

上はそのタイトル曲。素晴らしいジャズテイストであり、ダニーのヴォーカルも見事。デュエットの
女性はマージー・ジョセフ。アレサ・フランクリンと並ぶほどの実力を持つとされていましたが、
アトランティック時代は芽が出ず、70年代にポップスのカヴァーなどで知られるようになりました。
本サントラでダニーはクインシー・ジョーンズと組んでいます。実はこの二人親しかったとの事。
クインシーの自叙伝の中でダニーについて触れている部分があり、そこでは思った通りの評価が
得られず苦悩していたとの記述があるそうです。本人としては入魂の力作であった
「Extension of a Man」がそれまでの様なセールスを上げられなかったのがやはりショックで
あったらしく、「Live」のヒットは本人的にはそれほど響かず、また最大のヒットがロバータとの
共作であったというのも(勿論ロバータが嫌いとかいう訳ではないのでしょうが)、ミュージシャンとしての
プライドには引っかかるものがあった様です。更に年下ではあるものの同じくニューソウルの騎手と
されたスティーヴィー・ワンダーが快進撃を続けていくのを傍目で見ていて、なぜ自分の作品は
スティーヴィーの様な評価が得られないんだ?という焦りもあったようです。
前回、「Extension of a Man」の後に表舞台から姿を消す様になったのは既述ですが、
ダニーの中ではこの様な思い・葛藤が渦巻いており、それが精神の病を悪化させていたようです。

その様な状態であったダニーを引っ張り出したのは、やはり盟友であったロバータでした。
彼女のアルバム「Blue Lights in the Basement」(77年)に収録し、翌年2月に
シングルカットされ大ヒットしたのが最初にあげた「The Closer I Get to You」です。
ポップスチャート2位・R&B1位という大ヒットを記録し、ダニーここに復活、と思われました。
ロバータは再びアルバムを一緒に作る事をダニーに持ち掛け彼も了承します。レコーディングを
始めた二人ですが、実はダニーの病はこの時点でもかなり深刻だったようです。スタッフの
話では制作中のダニーによる奇言奇行はひどいもので、たびたび録音の中断を与儀なくされたとの事。
しかし死の直前、ダニーはマネージャーと共にロバータの家で食事を取りながら、今後の作業に
ついて話をしており、その時は普通であったと言われています。
ロバータの家からホテルへ戻り、その後衝動的に15階の部屋から身を投げたというのが公式の見解です。

制作途中におけるダニーの死という困難に直面しましたが、ロバータ達はアルバムを完成させます。
それが「Roberta Flack Featuring Donny Hathaway」(80年)。ダニーが録音を終えていたのは
2曲だけだった為、ルーサー・ヴァンドロスなどに協力を仰ぎ一枚のアルバムとして仕上げました。
ダニーが残した2曲というのが上の「Back Together Again」と「You Are My Heaven」、
ちなみにダニー最後の録音は後者の方だったそうです。アルバムはポップス25位・R&B4位と
ヒットを記録し、ゴールドディスクを獲得します。
ロバータは死の直前におけるダニーとのやり取りなどを永らく語る事は無く、その件に触れられるように
なったのは比較的最近だと言われています。あまりにもショックが大きいと、おいそれとは語る事など
出来ないものなのかもしれません。

表舞台での活動期間が短かったダニーですので、ジミヘンほどではありませんが(ジミヘンはどうして
あれだけ未発表ライヴ・テイクなどがコンスタントに出てくるのでしょう?)、
その死後において作品がリリースされています。まずは80年発売のライヴ盤「In Performance」から
自作である「We Need You Right Now Lord」。「Live」に比べ地味だとか言われているようですが、
リズミックでアップテンポ、快活な楽曲である事だけがライヴの醍醐味ではありません。
オーディエンスの声がよく聴こえるのも臨場感を引き立てていると思えば気になりません。
ダニーの歌と演奏が残されている、ただこれだけで貴重なのです。

13年に4枚組の「Never My Love: The Anthology 」が発売され、当時はちょっとした話題に
なりました。既出曲から未発表曲・ライヴ音源までをダニーの足跡を辿るようにまとめられた作品。
上は未発表音源を集めたディスク2における一曲「Memory Of Our love」。ダニーの歌及び
全体の演奏はまだ手探り状態ですが、それでも、いやだからこそこの上ない程のテンション感です。
この曲が仕上がっていたら・・・

歴史にタラればはナンセンスであるのは重々承知していますが、ダニーが精神を病まずに
若くして命を絶っていなければ、その後のポップミュージックが若干でも違っていた気がします。
ジミヘンとジャニスが麻薬に溺れてなければ、ジョン・レノンが撃たれていなければ、
というのと同じ様な愚問ですけれども・・・・・
ダニーはスティーヴィー・ワンダーの様にシンセや当時において革新的な録音技術などを
用いたエポックメーキングな作風ではなく、あくまで音楽本位、悪く言えば地味な作品創りでした。
結果的には本人単独の名義ではゴールドディスクが一枚のみと、大成功を収めたとは言い難いです。
しかし、死後40年を経た現在においても、ソウル、いやポップミュージック界全体における
伝説的存在として語り草になっているのは、その本質を理解している人々が大勢いるからに他なりません。

最後にロバータとダニーが一緒に歌っている動画を、といっても現在の所二つしかなく、
どちらも出所は同じ(TVショー?)。「Roberta Flack & Donny Hathaway」に収録された
「Baby I Love You」。これを含んだもっと長い動画は画質・音質共に更に悪いのでここでは
本曲の動画だけを。二人が共に映っているだけで国宝ものですから …
今回をもってロバータ・フラック及びダニー・ハサウェイ回は終わりです。

#134 Extension of a Man

ダニー・ハサウェイのミュージシャンとしてのキャリアは、カーティス・メイフィールドが設立した
カートム・レコードにおけるソングライター・プロデューサーとしての立場から始まります。
ダニー自身もカートムでシングルを一枚レコーディングしており、その後アトランティックの
子レーベルであるアトコと契約し、1stアルバムにも収録された「The Ghetto」(69年)で
シングルデビューする事となります。

ロバータ・フラックとの共作「Roberta Flack & Donny Hathaway」(72年、#129ご参照)、
と前回取り上げたそれに先立つ自身のライヴアルバム「Live」の大ヒットによって、
ダニーの名はニューソウルにおける急先鋒の一人として世間に知られる所となります。
そのダニーが満を持して発表した4thアルバムが「Extension of a Man」(73年)であり、
上はオープニングナンバー「I Love the Lord; He Heard My Cry」と2曲目の
「Someday We’ll All Be Free」。クレジット上は別の曲ですが、メドレーとなって
いるので実質一つの曲として捉えるのが適当でしょう。
いきなり荘厳な、本アルバムが大作であるのを感じさせる始まり方です。従来の作品とは
カラーが明らかに異なり、良い意味で期待を裏切ってくれています。5:32からが
次曲「Someday We’ll All Be Free」ですが、その前辺りからエレピやハープ(竪琴の方)の
音で雰囲気がガラッと変わりメローな本曲へと移っていきます。アコースティックギターの
音色の美しさも見事で(コーネル・デュプリーかデヴィッド・スピノザのどちらか)、
更にホーンとストリングスが見事な彩を添えて非常に贅沢な作りです。勿論それに相応しい、
言い換えれば負けていない楽曲であるからこそこれだけのアレンジが映えるのです。

「Flying Easy」と「Valdez in the Country」は共にリズミックでクロスオーヴァースタイルの曲。
前者は過去にインストゥルメンタルで録音した事のある楽曲でしたが、本作で歌詞を付け改めて録音した
との事。エレピが印象的ですが、前回ダニーが使用していたのはウーリッツァーと述べましたけれども、
本作ではフェンダー社のローズピアノを採用しています。これぞ ”エレピ” といったお馴染みの音色です。

アル・クーパーの曲であるスローナンバー「I Love You More Than You’ll Ever Know」。
ダニーの切ないヴォーカルが映えており、バックの演奏も秀逸。コーネル・デュプリーのヴォリューム奏法
(ピッキング時はギターの音量をゼロにし、その後上げていく事で独特の効果を出す)が素晴らしい。

珍しく(?)正統派的ソウルナンバーの「Come Little Children」。のっけからシャウトするのはダニーと
してはレアなヴォーカルスタイルです。鼻にかかってくぐもった様な歌い方が特徴ですが、スティーヴィー・
ワンダーと確かに酷似しています。前々回、スティーヴィーがダニーを参考にしたと述べましたが、
お互いにインスパイアされていたのではないかな?と私は思っています、声質が似てますからね。

本作でもっとも親しみやすく、そしてシングルカットされた「Love, Love, Love」。オリジナルでは
ないものの、女性コーラスの入れ方などを聴くとマーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイン・オン」や
「マーシー・マーシー・ミー」が元イメージであるのかなとも推察されますが、いずれも名曲である事に
間違いはありません。ラルフ・マクドナルドのパーカッション、ウィリー・ウィークスのベースが
素晴らしい事この上ない。

「The Slums」は一転してヘヴィーなファンクナンバー。デュプリーのギター、ウィークスのベースは
彼らの真骨頂とも言えるプレイです。タイトルがひたすら掛け声で繰り返されるだけで(あと後ろで
人の声が聴こえますがスラムの喧騒を表したのでしょう)、基本的にはインストゥルメンタル。
しかし歌詞は無くとも黒人差別・貧困問題などを提起しているように聴こえるからこれが不思議。
伝える手段は必ずしも言葉だけではないという事でしょうか。

ラグタイムやヴォードヴィル風の軽快なナンバー「Magdalena」は本作では異色の楽曲ですが、
これがアクセント、良い意味で箸休め的な存在になっています。マグダレーナはヨーロッパ系の
女性名なので、やはり欧州ヴォードヴィルショーのイメージなのかな?と思われます。

エンディングナンバー「I Know It’s You」。ラストを飾るに相応しいエモーショナルな
楽曲であり、ダニーの歌唱も同様です。全然話は変わりますが、出だしにおけるピアノのフレーズが
吉田美奈子さんの名曲「時よ」(78年)の歌い出し ” 秘かに会った … ” とそっくりなのですが、
こういうのはパクリとは言いません、「リスペクト」「オマージュ」というやつです。
パクリというのは・・・・・あぶねえ … 言いそうになった・・・・・・・

先述の通り、本作はそれまでの作品とは方向性が違います。半分近くがカヴァーなので、
歌詞にストーリー性があるとかは当然無いのですが、所謂トータルコンセプトアルバムを
意識して創ったのではないかと思えるのです。フー「トミー」やピンク・フロイド「狂気」
などが有名ですが、そこまではいかなくとも壮大なオープニング曲や個々の楽曲の配置、
そして先ほどは楽曲毎の歌詞に繋がりは無いと言いましたが、各曲名及びアルバムタイトル
(直訳すれば ”人間性の拡張” )などが意味深く、顕著なのはオープニングが ” 主よ愛しています:
主は私の嘆きを聞いた ” で始まりエンディングが ” 主よ御助けを ” ですので、
そこに何かしらのダニーによる思い(想い)を感じざるを得ません。デビュー作からキリスト教的
感覚があったのは間違いない事なのですが、しかし本作では更にそれを推し進めた、
明らかにそれまでとは異なる、並々ならぬダニーの本作に対する意気込みが伺い知れるのです。
しかしながら、作者の作品に対する入れ込みようと商業的成功が必ずしも比例しないのは
世の常であり、本作はポップス69位・R&B18位と、ロバータとのアルバムや「Live」と
比べてお世辞にもヒットと呼べるものではありませんでした。
そして結果的に、ダニーの生前における最後のオリジナルアルバムとなります。

ダニーは作品が世に認められ始めた頃、一方で精神疾患(躁鬱病とも統合失調症とも言われる)に
悩まされるようになり、そしてそれにより周囲と軋轢を生み始め、やがては盟友である
ロバータとも一時袂を分かつことになってしまい、しばらく表舞台から姿を消します。
その様な状況でありながらも音楽をやめる事は出来ず、その時期も場末のライヴハウスなどで
演奏は続けていたと言われています。かつては全米TOP10ヒットを飛ばしたミュージシャンが、
わずかその数年後にはうら寂れたクラブで歌っているというのは、なかなかに悲壮感が漂いつつも、
まるで伝記映画的展開とも取れるのですが、その後ダニーはどうなるのか?
続きは次回にて。