79年1月13日、ダニー・ハサウェイは滞在していたN.Y.のホテルから転落して亡くなります。
享年33歳、自殺であったと言われています。生前にリリースした最後のレコードであり、
最大のヒットとなったのが、ロバータ・フラックとのデュエット「The Closer I Get to You」です。
前回取り上げたアルバム「Extension of a Man」(73年)の前に、実は映画のサウンドトラックを
手掛けています、それが『Come Back, Charleston Blue(ハーレム愚連隊)』。
上はそのタイトル曲。素晴らしいジャズテイストであり、ダニーのヴォーカルも見事。デュエットの
女性はマージー・ジョセフ。アレサ・フランクリンと並ぶほどの実力を持つとされていましたが、
アトランティック時代は芽が出ず、70年代にポップスのカヴァーなどで知られるようになりました。
本サントラでダニーはクインシー・ジョーンズと組んでいます。実はこの二人親しかったとの事。
クインシーの自叙伝の中でダニーについて触れている部分があり、そこでは思った通りの評価が
得られず苦悩していたとの記述があるそうです。本人としては入魂の力作であった
「Extension of a Man」がそれまでの様なセールスを上げられなかったのがやはりショックで
あったらしく、「Live」のヒットは本人的にはそれほど響かず、また最大のヒットがロバータとの
共作であったというのも(勿論ロバータが嫌いとかいう訳ではないのでしょうが)、ミュージシャンとしての
プライドには引っかかるものがあった様です。更に年下ではあるものの同じくニューソウルの騎手と
されたスティーヴィー・ワンダーが快進撃を続けていくのを傍目で見ていて、なぜ自分の作品は
スティーヴィーの様な評価が得られないんだ?という焦りもあったようです。
前回、「Extension of a Man」の後に表舞台から姿を消す様になったのは既述ですが、
ダニーの中ではこの様な思い・葛藤が渦巻いており、それが精神の病を悪化させていたようです。
その様な状態であったダニーを引っ張り出したのは、やはり盟友であったロバータでした。
彼女のアルバム「Blue Lights in the Basement」(77年)に収録し、翌年2月に
シングルカットされ大ヒットしたのが最初にあげた「The Closer I Get to You」です。
ポップスチャート2位・R&B1位という大ヒットを記録し、ダニーここに復活、と思われました。
ロバータは再びアルバムを一緒に作る事をダニーに持ち掛け彼も了承します。レコーディングを
始めた二人ですが、実はダニーの病はこの時点でもかなり深刻だったようです。スタッフの
話では制作中のダニーによる奇言奇行はひどいもので、たびたび録音の中断を与儀なくされたとの事。
しかし死の直前、ダニーはマネージャーと共にロバータの家で食事を取りながら、今後の作業に
ついて話をしており、その時は普通であったと言われています。
ロバータの家からホテルへ戻り、その後衝動的に15階の部屋から身を投げたというのが公式の見解です。
制作途中におけるダニーの死という困難に直面しましたが、ロバータ達はアルバムを完成させます。
それが「Roberta Flack Featuring Donny Hathaway」(80年)。ダニーが録音を終えていたのは
2曲だけだった為、ルーサー・ヴァンドロスなどに協力を仰ぎ一枚のアルバムとして仕上げました。
ダニーが残した2曲というのが上の「Back Together Again」と「You Are My Heaven」、
ちなみにダニー最後の録音は後者の方だったそうです。アルバムはポップス25位・R&B4位と
ヒットを記録し、ゴールドディスクを獲得します。
ロバータは死の直前におけるダニーとのやり取りなどを永らく語る事は無く、その件に触れられるように
なったのは比較的最近だと言われています。あまりにもショックが大きいと、おいそれとは語る事など
出来ないものなのかもしれません。
表舞台での活動期間が短かったダニーですので、ジミヘンほどではありませんが(ジミヘンはどうして
あれだけ未発表ライヴ・テイクなどがコンスタントに出てくるのでしょう?)、
その死後において作品がリリースされています。まずは80年発売のライヴ盤「In Performance」から
自作である「We Need You Right Now Lord」。「Live」に比べ地味だとか言われているようですが、
リズミックでアップテンポ、快活な楽曲である事だけがライヴの醍醐味ではありません。
オーディエンスの声がよく聴こえるのも臨場感を引き立てていると思えば気になりません。
ダニーの歌と演奏が残されている、ただこれだけで貴重なのです。
13年に4枚組の「Never My Love: The Anthology 」が発売され、当時はちょっとした話題に
なりました。既出曲から未発表曲・ライヴ音源までをダニーの足跡を辿るようにまとめられた作品。
上は未発表音源を集めたディスク2における一曲「Memory Of Our love」。ダニーの歌及び
全体の演奏はまだ手探り状態ですが、それでも、いやだからこそこの上ない程のテンション感です。
この曲が仕上がっていたら・・・
歴史にタラればはナンセンスであるのは重々承知していますが、ダニーが精神を病まずに
若くして命を絶っていなければ、その後のポップミュージックが若干でも違っていた気がします。
ジミヘンとジャニスが麻薬に溺れてなければ、ジョン・レノンが撃たれていなければ、
というのと同じ様な愚問ですけれども・・・・・
ダニーはスティーヴィー・ワンダーの様にシンセや当時において革新的な録音技術などを
用いたエポックメーキングな作風ではなく、あくまで音楽本位、悪く言えば地味な作品創りでした。
結果的には本人単独の名義ではゴールドディスクが一枚のみと、大成功を収めたとは言い難いです。
しかし、死後40年を経た現在においても、ソウル、いやポップミュージック界全体における
伝説的存在として語り草になっているのは、その本質を理解している人々が大勢いるからに他なりません。
最後にロバータとダニーが一緒に歌っている動画を、といっても現在の所二つしかなく、
どちらも出所は同じ(TVショー?)。「Roberta Flack & Donny Hathaway」に収録された
「Baby I Love You」。これを含んだもっと長い動画は画質・音質共に更に悪いのでここでは
本曲の動画だけを。二人が共に映っているだけで国宝ものですから …
今回をもってロバータ・フラック及びダニー・ハサウェイ回は終わりです。