#167 Phil Collins_6

フィル・コリンズ特集その6。今回で最後です。

https://youtu.be/cHWJ-7BUCNg
上はフィルによるヒット曲としては最新(最後)と言える「You’ll Be in My Heart」(99年)。
ディズニーアニメの主題歌として有名ですが、その歌唱スタイルはエンディング部を除いて
かなりソフトなものです。#164でフィルの真骨頂は絶唱型のバラードだと述べましたが、
フィル自身は元来この様な歌い方が好きなのかもしれません。もう一つの動画は#160でも触れた
フィルが初めてリードヴォーカルを担った「怪奇骨董音楽箱」に収録された「For Absent Friends」。
70年代後半から80年代はシャウトをよく用いていましたが、初めて世にお披露目された歌と
最後のヒット曲は、当然声質の変化はありこそすれ、実は共通しているのではないかと思っています。

あまり知られていませんが、70年代半ばからフィルは純粋にドラマーとして自身の力量を試そうと
あるジャズロックバンドにも籍を置きます。それがブランドX。80年代に読んだものの本ではフィルの
ドラマーとしてのソロプロジェクト、という書き方がされており、私もそう信じていたのですが、
実は違うらしくあくまでフィルは一ドラマーとして参加しただけの様です。もっともレーベルは
カリスマレーベルですからジェネシスツリーのバンドとされても致し方ありませんが。
ジェネシスもかなりテクニカルでしたが、ブランドXはまた方向性の違う技巧です。上は1stアルバム
「Unorthodox Behaviour」(76年)におけるオープニング曲「Nuclear Burn」。
方向性としてはソフト・マシーンやハットフィールド・アンド・ザ・ノースといった
正統派英国ジャズロック、つまりカンタベリーミュージックの系譜です。
フィルはあるインタビューでこう述べた事がありました。『やはり自分はドラマーとして ” アンタはすごい ”
って言われたいよ』と。自身のファンダメンタルはあくまでドラムにあるという証拠でしょう。
同じインストゥルメンタルでもジェネシスにおけるそれとは明らかに違います。ジェネシスは物語、
言い替えれば世界観・コンセプトの中で演奏する訳ですが、ブランドXにもそれが無いとは
言いませんけれども、やはりジャズのインプロヴィゼーション(即興演奏)を大きく取り入れているので
もっと自由です。フィルが新ジェネシスにおける活動のさなかに忙しい合間を縫ってなぜ参加したのか、
何となくわかる様な気がします。

フィルはドラムソロを否定していました。やはりコメントの中に ” 先がみえみえの陳腐なドラムソロには
うんざりだ。ああいうのだけはやるまいと決めている(中略)僕は一晩中四拍子だけを打っていても平気さ ”
というものがあります。ジェフ・ポーカロとも共通した信念ですが、ドラマーである事がアイデンティティーでありながらもやはり音楽本位の姿勢が伺えます。上はアルバム「Genesis」(83年)のプロモーション
ツアーである『Mamaツアー』におけるメドレー。#165でも触れたましたが「シネマショー」が
本メドレーのハイライトとなっており、ここぞという場面でチェスターとのツインドラムに移行します。
ドラムを知り尽くしている人間だからこそ、最も映えるシチュエーションを理解しているのです。
7:50頃からがそうですが、何度聴いてもチェスターによるダブルベースドラムの連打からシネマショーへ
移る箇所は鳥肌モノです。むやみやたらとただ連打するのではなく、ツーバスとはこの様に使うべきものだと
改めて教えてくれます。ちなみにメドレー最後の「アフターグロウ」でも再びフィルとのツインドラムが
始まる直前にツーバスの連打がその呼び込みとなっています。このパートも素晴らしい事この上ない。

ソロデビュー以降のフィルを売れ線ミュージシャンと毛嫌いする人達がいます。80年代における
ポップミュージックの良くも悪くも体現者の様なスタンスにいた彼は、所謂 ” 硬派な ” ロックを好む層からは
目の敵にされた所があります。私もフィルの音楽全てが好き、とは言いませんが、俗に売れ線と言われる
他のミュージシャンとは全く一線を画しているものと思っています(その売れ線とされるミュージシャン達にしたって、結局は主観の問題なのですけどね。前述した ” 硬派なロック ” とされているものの中でも
全く屁とも思わない音楽もたくさんあります。例えば・・・・あぶねー … うっかり言う所だった・・・)。

フィルは天才肌のミュージシャンではないと私は思っています。彼の資質を具体的に述べるならば、
器楽演奏・歌唱・作曲能力がいずれも高い次元で完成されていて、更に特筆すべきは
エンターテインメント音楽における ” ツボ ” を的確に把握しているミュージシャンであるという点でしょう。
この辺りが彼を売れ線と批判する輩が多い要因なのでしょうが、これ程完成・洗練されたロック・ポップスを
創って歌い上げ、しかも高度な演奏をもこなすミュージシャンが一体何人いるでしょうか。
関係があるかどうかはわかりませんが、少年期における子役としての活動がエンターテインメントの
センスを彼に培わせたのではないか?などと勝手に推測しています。

以上でフィル・コリンズ特集は終わりです。40年弱に渡って聴き続けてきたミュージシャンを
出来るだけまんべんなくその魅力を網羅して書こうと思いましたが、ホントにまんべんなく言及すると
際限が無い事に気づきました(当たり前だ)……… 可能な限りポイントを絞ったつもりでしたが、
どれ程彼の魅力を伝える文章になった事か?・・・・・ 先ほど聴き続けてきた、などと述べましたが、
実を言うと中には20年以上振りで耳にした曲もあります。中学・高校時代に初めて聴いた時の感覚が
よみがえると同時に、以前は気が付かなかった箇所が改めてわかったりしました。
もとより誰も読んでいないこんなブログを書き続けているのは(とうとう自分で言いだした ……… )、
思春期から聴き続けている洋楽について、己が再確認する為に付けている記録・誰に提出する訳でもない
レポートの様なものなので、もうすぐ五十路を迎えるこのオッサンがいつ死んでもイイように、自分の為だけに書き綴っているものと割り切っています・・・・・ あれ?これってなんか死亡フラグっぽくね? ………

スゴイこと思いついた!!( ゚∀゚)o彡゚!!! 死ぬまでにあとどのくらいとか、ブログに毎回
カウントダウンしていったら、スゲー話題になるんじゃねえ?! いまだかつて誰もやった事ないし!!!
世間の注目チョー浴びまくりで、ブログランキングの一位とかになんじゃねえの???!!!!!!
ネエみんな?! そう思うよね?・・・・・ねえ?・・・・・・・・・・・・ねえねえ?・・・・・・・・・・・・・・・・・

#166 Phil Collins_5

前回に引き続き、今回もドラマー フィル・コリンズに焦点を当てて書いていきます。

上は92年における『We Can’t Dance Tour』ツアーの模様を収録した「The Way We Walk」より
恒例になっているチェスター・トンプソンとのドラムデュエット。
フィルの使用機材は80年代に日本のパールを使った時期もありましたが、その前後ともにグレッチの
ドラムがメインです。本コンサートでもグレッチを使用しているのが確認出来ます。
何と言ってもその特徴はシングルヘッドタム。通常表と裏に張っているドラムヘッドを表面にしか
使用しないというもの。裏面のヘッドが無いので当然ヘッド同士の共鳴が無くなり、
サスティーンが殆ど無くヒットした時のアタック音がより強調、というよりもそのアタック音のみと
言っても過言ではありません。大昔であればとても楽器としては成り立たないものだったでしょう。
悪く言えば ” てんてんてんまり ” の如くチープな太鼓の音にしかならなかったのですが、
レコーディング環境やPA機器の発達により聴くに堪えられる楽器となりました。
厳密に言えばピンク・フロイドのドラマーであるニック・メイスンなどはかなり早い時期から
使用していましたが(コンサートタムというシングルヘッドドラム。「狂気」に収録された「タイム」の
冒頭で聴くことが出来る ” あの ” ドラムです)、シングルヘッドがトレードマークの様になった
ドラマーとしてはフィルがその筆頭でしょう。
シングルヘッドを使うようになったのにはその伏線があり、それはロートタムというドラムです。
太鼓の胴体を無くし、金属製のシャーシー(ドラムヘッドを装着する為の枠)にヘッドを張り、
殆どアタック音だけの打楽器なのですが、70年代において本器が世にお目見えしました。
それを普及させた立役者は何と言ってもビル・ブラッフォードです(#20~21ご参照)。
「トリック・オブ・ザ・テイル」のツアーでフィルがロートタムを使用している画像が確認できます。
さらには同ツアーでブラッフォードがドラムをプレイしているのも。間違いなくブラッフォードに
感化されたのだと思います。ちなみにネットで検索すると相当昔に、ロートタムを生み出したレモ社の
パンフレットでフィルとチェスターがロートタムと共にその表紙を飾っているものが出てきます。
このパーカッシヴでインパクトのある音色からシングルヘッドタムの起用と相成ったのでしょう。
ではいつ頃からシングルヘッドを使用するようになったのかというと、あくまで私がググった限りですが、
ピーター・ガブリエルが在籍していた「幻惑のブロードウェイ」のツアーでは普通に裏面もヘッドを
張っているのが確認出来ますが、ピーター脱退後のツアーでは前述した通りロートタムも用いながら、
ベースドラム上にマウントされた通常のタムタムの裏面にヘッドが張られていない画像が出てきます。
もっともハイハットの右側(フィルは左利きなので右利きで言えばセットの左サイド)には裏面にヘッドを
張ってあるタムも確認出来ます。この頃から音色への探求が始まったのではないかと私は睨んでいます。
また何よりも「トリック・オブ・ザ・テイル」においてロートタム独特のピッチを変えながら音を出し続ける
というプレイが聴けますので本作で使用しているのは間違いありません(ロートタムは本体を回すと
チューニングを変える事が出来ます)。

上は「トリック・オブ・ザ・テイル」のオープニングナンバー「Dance on a Volcano」と、
エンディングを飾る「Los Endos」。この頃はまだ基本的にダブルヘッドのタムを使用していますが、
部分的にロートタムやコンサートタムらしき音を聴くことが出来ます。

フィルがメインで使用しているシンバルはセイビアンです。彼が使い始めた頃はまだ設立されたばかりの
新興メーカーでしたが、やがてジルジャンやパイステといった老舗と並ぶ三大シンバルメーカーの
地位を獲得します。フィルはその発展に貢献した立役者の一人です。
日本版のウィキにはジルジャンの方がセイビアンより音が柔らかい、とあるのですが、私は全く逆の
印象を抱いています。勿論両社全てのシンバルを試した訳ではありませんけれども、クラッシュシンバルに
ついて言えば、同じシンクラッシュ(シンバルは厚みの順にてシン・ミディアム・ヘヴィーと
区分けされるのが一般的)を叩き比べた印象は、ジルジャンは良くも悪くも ” 金物 ” といった感じがあり、
セイビアンのクラッシュはジルジャンよりも金属音が抑えられ、” スッ ” と衝撃音が消えていく
印象があります。当然ドラム本体やギターなどと同様に個体差があるのは言わずもがなですが。

フィルのドラムにおいて絶対に切り離せないのがゲートリバーヴの存在です。80年代のドラムサウンド、
というよりもその音色によってポップミュージック自体を変化させてしまったと言っても良いほどです。
人によってこの音色が好きか嫌いかは分かれる所でしょう。率直な所、私も基本的にはドラム本来の
ナチュラルなトーンの方が好きです。しかしこれだけ一大ムーヴメントを巻き起こした事象を
無視するのは無責任であります(別に責任なんてネエだろうが・・・)。
上は3rdソロアルバム「No Jacket Required」(85年)のオープニング曲である「Sussudio」。
「No Jacket Required」は全米だけで1200万枚以上を売り上げ、英米を含め9か国で
アルバムチャートの一位に輝くというお化けの様なアルバムでした。さながら世界はフィルを
中心に回っているのではないかという程に。
リアルタイムで当時を体験したから言えますが、当時日本の洋楽関連番組ではフィルの姿や話題が
上らなかった週はなかったと断言出来ます。と言ってもその頃の洋楽番組なんてベストヒットUSAと
MTV位でしたけどね・・・・・

ゲートリバーヴと一口に言っても実はそのサウンドは様々です。ピーター・ガブリエル回で言及しましたが、
ゲートリバーヴドラムサウンドが初めて世にお目見え(お耳聴え?)したとされる「Intruder(侵入者)」(#155ご参照)や、#162でも触れたフィルの大出世曲である「In the Air Tonight」などは
同一のものではありません。ゲートタイム(リバーブを切る迄の時間)の設定やリバーブの種類などで
様々なサウンドが表現出来るようです。その中で私が ” これぞゲートリバーブドラムサウンド ” と思う典型が
上の「Don’t Lose My Number」。やはり「No Jacket Required」に収録された本曲のドラムサウンドは良くも悪くも80年代を一世風靡したサウンドの ” ひな形 ” の様なものだと思っています。
「侵入者」や「In the Air Tonight」よりも、よりゲートタイムが短くタイトなスネアサウンドが
” ザ・ゲートリバーブ ” と呼ぶべきものです。もっとも「侵入者」はベースドラム、「In the Air Tonight」はタムタムの方がより印象的なのですが・・・・・
フィルとピーターの間にゲートリバーヴを生み出したのは自分だ、という考えの相違、ちょっとした
わだかまりがあるという事は#155で既述ですが、客観的に見るとやはりこの音はフィルとエンジニアの
ヒュー・パジャムが創ったものだと言って差し支えないでしょう。ただしピーターにはこの音に
いち早く興味を示し、自身の作品で公にしたという功績があるがあるのは言うまでもありません。

しつこい様ですがこのゲートリバーブサウンドが80年代のドラム、ひいてはポップミュージックに
変革をもたらした(もたらしてしまった)という事は紛れもない事実です。しかし良しとするか
否かは意見が分かれます。勿論これだけではなくデジタルシンセサイザーやリズムマシン・
シーケンサーの登場、エフェクターを多用したギターサウンドなども全てひっくるめて
80年代のポップミュージックが形成されたといったところが正確なのですけれども。
しかし興味深いのは90年代半ば頃からこれらを一切もしくは極力排したサウンド、
エコーが殆ど効いていない生々しい音色、そして煌びやかなシンセなどは
全く用いないワイルドかつ朴訥なサウンドが復興したようです。私は殆ど知らないのですが
クランジロックと呼ばれるものなどが。もっともこれも人の好き好きですけれども・・・・・・・・・

#165 Phil Collins_4

フィル・コリンズその4。今回はドラマーとしてのフィルに焦点を当てて書いていきます。
80年代以降のドラミングしか知らない人にとって70年代のそれはかなり刺激的なものです。
当時におけるジェネシスの、というよりも彼らがカテゴライズされる英国プログレッシブロック全体が
そうであったのですが、ジェネシスもテクニカルな方向へと突き進んでいました。

フィル・コリンズ特集であるのに動画のサムネはピーター・ガブリエルとベースのマイク・ラザフォード
であるのは致し方ありません。当時のフィルはスポットライトが当たる存在ではありませんでしたから。
上は72年ベルギーでのTVショーの映像。ベルギーはジェネシスがブレイクするきっかけとなった国です。
本国でもパッとしなかった彼らだったのですが、突如ベルギーをはじめとした英以外での欧州各国にて
彼らの人気が高まり、それにつれて本国でもジェネシスに注目が集まったのです。
上は「Nursery Cryme(怪奇骨董音楽箱)」(72年)のエンディングナンバーである
「The Fountain of Salmacis(サルマシスの泉)」からアルバム未収録である「Twilight Alehouse」
へのメドレー。当時におけるジェネシスの音楽性に伴いフィルのドラミングも16ビートが主体です。
楽曲展開がコロコロ変わるものが多いのでプレイも目まぐるしく変化します。そしてプログレッシブロックにおいて切っても切れないものが変拍子。当然フィルも変拍子を得意とするドラマーでした。
余談ですがこの頃の映像を観るとフィルは下を向いて一心不乱に叩くクセがあったようです。

変拍子や同一曲内におけるリズムの変化が顕著である楽曲として先ず思い浮かんだのがコレです。
ジェネシス74年の二枚組大作「The Lamb Lies Down on Broadway(幻惑のブロードウェイ)」に
収録の「In the Cage(囚われのレエル)」。
タンタタタンが2回続くリズムである6/8拍子と、ドンタンが3回の6/4拍子が混在するパートが
リズムトリックとでも呼ぶべきこのフレーズは所謂 ” ポリリズム ”(複合リズム)になっています。
タンタタタンタンタタタン(6/8拍子)
ドンタンドンタンドンタン(6/4拍子)

こちらもリズムトリックの一種を聴くことが出来る「Duke’s Travels~Duke’s End」。
前回も取り上げた80年の傑作「Duke」におけるエンディングナンバーである本曲では、
タンタタタンタンタタタン(6/8拍子)
タッタタッタタッタタッタ(4/4拍子における三連の中抜き、所謂 ” シャッフル ” )
というポリリズムが見事な効果を上げています。特にシャッフルビートでは力強い、ともすれば
アフリカンビートの様な感じも受けます。ピーターが抜けてからこの様なよりインパクトのある
ビートが強調されました。前回も書きましたが本作はゲートリバーヴが用いられる直前の
ドラムサウンドでありますが、私はこの頃におけるフィルの音色が一番好きです。
余談ですが本曲はコンセプトアルバムである「デューク」を締めくくるラストとして素晴らしい
内容、というよりも本曲があるからこそ「デューク」は傑作になったのです。
荘厳な導入部から先述した力強いタムタムの連打と雄大な6/8拍子が同居するパート、
4:40辺りからタイトな曲調及びビートへと展開し、そしてAー③の地味な小曲であった
「Guide Vocal」が見事なまでにドラマティックな再演がなされ「Duke’s Travels」は一旦完結。
ほっと息をついたのもつかの間。「
Duke’s End」はオープニングの「Behind the Lines」が
よりハードにリプライズされ、感動のフィナーレへと向かいます。何度聴いてもこのパートは
身震いがします。ちなみに上の動画では「Duke’s Travels」と「Duke’s End」の境目が
少しかぶっていて本来とは異なります。是非アルバムを丸ごと聴いてみてください。

変拍子でもう一曲。73年の名作「月影の騎士」から「The Cinema Show」。ヴォーカルパートに
おけるミディアムテンポの16ビートも心地良いものですが、圧巻はインストゥルメンタルパートに
移ってからの7/8拍子です。7拍子としてはオーソドックスな4+3の構成ですが、
それが楽曲と違和感なく見事に溶け込んでいます。変拍子はとかくテクニカルさが際立ってしまい、
” 凄いなあ~ ” とは思っても ” 良い曲・気持ちの良いリズムだな~ ” と感じる事は少ないです。
本曲はその稀有な例の一つ。本当に難しいのはこういうアレンジ及び演奏だと思います。
また本ドラミングではフィルの特徴であるダイナミクスの妙を味わう事が出来ます。具体的には
アクセントの付いたスネアショットと囁くようなストローク、所謂 ” ゴーストノート ” というやつです。
聴こえるか聴こえないか、という程の軽いストロークによるスネアショットですがこれがリズムを
ドライヴさせる、俗に言うグルーヴ感を出す秘訣です。別にフィルの専売特許という訳ではなく
プロアマ問わず多くのドラマーが行っている事ですが(ジェフ・ポーカロ回#64等ご参照)、
フィルもこのテクニックが非常に巧みです。おそらくは彼が夢中になった60年代のソウルミュージック等で
プレイされたシェイクなどのリズムが元になっているのでしょうが、フィルやビル・ブラッフォードなど
イギリスのプレイヤーは、米のジャズフュージョン(当時で言う所のクロスオーバー)なども
貪欲に取り込み、英国風ジャズロックとでも呼ぶべき演奏スタイルを確立しました。
本曲はジェネシスによって重要なライヴナンバーであり、コンサートのハイライトで演奏されます。
フィルがヴォーカルを取るようになってからは、かつてウェザー・リポートにも在籍した凄腕ドラマー
チェスター・トンプソンがツアーサポートを務めますが、本曲における7/8拍子のパートでは
見事なツインドラムがお約束になっていました。
77年の二枚組ライヴ盤「Seconds Out」では、本パートにおいて先述したビル・ブラッフォードとの
ドラムデュエットを聴く事が出来ます。当時ブラッフォードは一時的にどこにも所属していない時期であり、ジェネシスのツアーに同行していました。同じプログレ界の先輩ドラマーとしてフィルは
ブラッフォードを尊敬しており、この時是非参加して欲しいと声を掛け実現したそうです。
同じくライヴアルバムである「Three Sides Live」(82年)ではメドレーの中の一曲として
演奏されていますが、前述した「囚われのレエル」から「シネマショー」へのつながりは本当に見事で、
チェスターによるツーバスの連打から本曲へ移行する所は何度聴いても鳥肌が立ちます。その後の
二人のツインドラムが素晴らしいのも言わずもがな。とどのつまり何が言いたいのかとするなら、
スタジオ版、「Seconds Out」版、そして「Three Sides Live」版の全てが名演だという事です。

ハッ!(゚Д゚;)!! またこんなに書いてしまった・・・フィルの使用機材やゲートリバーヴについてまで
述べようと思っていたのですが、それは次回フィル・コリンズその5にて。

#164 Phil Collins_3

所謂 ” 十八番・おはこ ” というものは歌舞伎に由来する、などと耳にしたことがあります。
その役者が最も得意とする演目を指すとか何とか。ただし音楽の場合はそれとは若干ニュアンスが
違う場合があります。ジャズやクラシックでは歌舞伎のそれとほぼ同じ意味合いで捉えて良いでしょう。
先人の残した交響曲やピアノソナタ、ジャズではスタンダードナンバーの中でそのミュージシャンが
得意とする、という意味ではまさしく ” おはこ ” です。しかしロック・ポップスにおいては異なります。
ローリング・ストーンズのおはこは「サティスファクション」だ、という表現は聞いた事がありません。
この場合のおはことはそのミュージシャンの歌唱・演奏が最も映える曲調や奏法という意味です。

フィル・コリンズはどんなスタイルの曲でも自分の歌に出来る優れたシンガーですが、” おはこ ” 、
言い替えればその歌唱における真骨頂は絶唱型のバラードだと私は思っています。
上は84年の映画『カリブの熱い夜』の主題歌である「Against All Odds(見つめて欲しい)」。
映画オンチの私は当然詳しくないのですが、それでもタイトルくらいは知っている『愛と青春の旅だち』の
監督が満を持して発表した次作だそうです(勿論観た事はありません)。
絶唱型、つまりシャウトが多用されるという事ですが、フィルのそれをあまり好まない人がいる様です。
とどのつまりは好みですので何とも言えませんが、フィルを売れ線シンガーと捉えている人に多いのでは
ないかと思っています。確かにフィルの声質はよく言えば聴き易い、悪く言えば軽く心に響かないとも
言えます。声質は生まれ持ったもので本人の努力如何ではどうにも出来ないものなので、
残る選択肢は二つ、諦めるかそれとも何とかしてそれに抗うかです。
今回検索してみて、フィルの歌が好きではないと書いていた人達の多くが80年頃より前のジェネシスを
聴いた事がないようでした。ピーター・ガブリエル脱退後、ジェネシスのメインヴォーカルを務めたフィルは
バラードに限らずシャウトを多用していました。ピーターの良く言えば迫力がある、悪く言えば
重々しくクセのある歌声と比べるとフィルのそれは前述した通りなので、シャウトの多用はそれを
補うためであったのではないかと私は勝手に推測しています。ですのでその歌唱スタイルは
ソロになってからのものではなく、従前から変わらない歌い方であったのです。
勿論シャウトを用いない前回・前々回にて取り上げた「モア・フール・ミー」や「マッド・マン・ムーン」も
素晴らしい歌であるのは言うまでもありません。
前回フィルとピーターの声質が似ていると言っておきながら上は矛盾した話になってしまいますが、
もっと正確に具体的な事を述べると、ピーター脱退後のフィルは意識的にピーターを模倣した、
もしくは意識せずとも自然とピーターのスタイルに寄っていってしまったのではないかと思っています。
フィルの歌の巧さはピーター在籍時からバンド内でも認められており、であるかしてアルバムの中で
丸々一曲リードヴォーカルを任せられた訳ですけれども、やはり降ってわいたようなフロントマンへの
抜擢はフィルにとっても戸惑いのあるものだった事でしょう。バンドの音楽性もピーター脱退によって
ガラッと変わった訳ではなく、音楽面の実質的なイニシアティブを握っていたのはトニー・バンクスなので、
彼のカラーが良く出ていた「月影の騎士」的な作風へと向かったのは前回の最後で既述の事です。
であるのでフィルがお手本にしたのは「月影の騎士」の頃におけるピーターの歌い方だったとしても
何ら不思議はありません。

フィルのヴォーカルスタイルが確立された、語弊があるのを承知で言えばピーターの呪縛から
解放されたのは本曲及びそれが収録されたアルバムからだと思います。
その曲こそ中期の傑作「Duke」(80年)におけるオープニングナンバー「Behind the Lines」。
躍動感あふれるポップな曲調・リズム、何より水を得た魚の如く活き活きとしてハジけるフィルの
ヴォーカルは従来と明らかに異なります。
厳密に言えばこの前作「…And Then There Were Three…(そして三人が残った)」(78年)から
その前兆はありましたが、ここまでジャンプした作風及びフィルの歌は「デューク」からです。

「デューク」はその音楽性と親しみやすさが非常に高い次元で同居している作品です。さらにサウンド面でも
特筆すべきものがあり、ドラムの音色はゲートリバーヴを使用するようになる直前のもので、
自然な鳴り(多少は電気的なエコーも使っているかもしれませんが)が非常に心地良い、フィルのタイトな
ドラミングが堪能出来ます。また本作でフィルは初めてリズムマシン(ローランド CR-78)を
使用します。今日からすると非常にチープなものに聴こえてしまいますが、これから後にこの無機質な
ビートを使って、ゲートリバーヴによるドラムサウンドと共に80年代の音楽シーンを変えてしまう程の
インパクトをもたらしました。上はそれを聴くことが出来るA-②「Duchess」。
「Behind the Lines」からメドレーになっており、華々しかったオープニングから淡々とした
曲調・サウンドに展開するのですが、このリズムマシンが非常に効果的に使われています。

80年代のフィルはワーカホリックなどという言葉では片づけられない程の仕事振りでした。
それは、泳いでいないと死んでしまう回遊魚か?というくらいに・・・
自身のソロ及びジェネシスの他に、今回最初に取り上げた「見つめて欲しい」の様な映画のサントラ、
他ミュージシャンとのデュエット及びプロデュースなどです。
列挙すると、サントラに収録されマリリン・マーティンとのデュエット「Separate Lives」(85年、
全米1位)、同じくサントラから「A Groovy Kind of Love」「Two Hearts」(88年、どちらも
全米1位。後者はモータウンの伝説的ソングライティングチームである ” ホランド・ドジャー・
ホランド ” のラモント・ドジャーとの共作)、そしてエリック・クラプトンのプロデュース(#11ご参照)
等々。ホントにいつ寝てるんだ?という程の仕事振りです。
以前どこかで書いた記憶がありますけど、85年におけるチャリティー『ライヴエイド』は英米同時公演という
大規模なコンサートでしたが、フィルは英ウェンブリー・スタジアムに出演した後、超音速機コンコルドで
移動し米JFKケネディ・スタジアムへも出演するという離れ業を成し遂げました。先進国の首脳や
アラブの大富豪より多忙で尚且つ稼いでいたのではないでしょうか・・・
正直その全てが素晴らしい、とは個人的に思いませんけれども、それらの中で極めつけは本曲でしょう。
アース・ウィンド&ファイアーのフィリップ・ベイリーとのデュエット曲「Easy Lover」(84年)。
同年におけるベイリーのソロアルバム「Chinese Wall」からのシングルカットである本曲は、
全米2位・全英1位を記録し、英米双方でゴールドディスクを獲得します。
既に述べた事ですが米本国以上にブラックミュージックの影響を受けたイギリスの若者であった
フィルにとって、本場の黒人音楽を体現したベイリーとの共演は喜ばしい事この上なかったでしょう。
では、60年代ソウルミュージックやEW&F全盛であった70年代ディスコをトレースした楽曲で
勝負したかと言うと、全然違いました。上の動画にて一聴瞭然だと思いますが、ソウル・R&B・ディスコ
というものより、むしろロックスピリッツ溢れる曲調そして何よりビートです。勿論80年代前半は
ソウルはおろか、あれほど一世を風靡したディスコも陰りを見せ、黒人音楽と言えばクインシー・ジョーンズ&マイケル・ジャクソンに代表されるダンサンブルなファンク+AORでした。その路線で言っても
当時におけるフィルの勢いならヒットはしたと思いますが、敢えてそれを避けたのは英断です。
フィルお得意のシャウトとベイリーのファルセットが、このハードなロックンロールの中で
見事に融合・昇華されています。どのみち売れ線と批判する手合いは必ずいるのですが、
本曲以上にこの二人のコラボレーションを成功させるものがあったと言うの
ならば、具体的に示してから
売れ線だナンだと言って欲しいものです。実際に本PVではフィルがEW&F風コスチュームを
提案するとベイリーが苦笑いして困惑するというシーンがあり、それが何よりも旧来のEW&Fとの
決別を図る決意であったベイリーの心中を表したものです。
「Chinese Wall」のプロデュースは勿論フィルによるもの。余談ですが、ジェネシス81年のアルバム「Abacab」にEW&Fのホーン隊が参加しています。その辺りがベイリーとの共演との足掛かりに
なったのではないかと思っているのですが、それに関する経緯は出てきませんでした。
最後にそのホーン隊が加わった「No Reply at All」を張ってフィル・コリンズその3を終わります。