#176 Piano Man

鳴かず飛ばずだったビリー・ジョエルの1stアルバム「Cold Spring Harbor」ですが、
前々回・前回と取り上げた通りその内容は非常に秀逸なものでした。
運が悪かった、世間の見る目が無かった等、原因はいくつか考えられますけれども、
販促が弱かったというのは否めない事実です。
「Cold Spring Harbor」はファミリープロダクションというレーベルから
リリースされました。若きビリーの才能を見出したというのは特筆に値する慧眼ですが、
如何せん零細レーベル故にプロモーションは脆弱で、しかも回転数を誤りピッチが
上がってカッティングされてしまったというオマケ付きという有様でした(前々回ご参照)。
そんなレコード会社だったので、拾ってくれた恩義を感じながらもファミリー・プロダクションへ
見切りを付けようとしたビリーの心情も理解出来無くはありません。

「Piano Man」(73年)は同名アルバムからの1stシングルであり、ビリーにとって
最初のヒット曲であると同時にビリー自身を象徴する楽曲でもあります。
全米チャートで最高位25位と、無名の新人としては申し分ないヒットです。

アルバム一曲目の「Travelin’ Prayer」。前回でも触れましたが、ビリーとカントリーミュージックとは
あまり結び付かないイメージですが、初っ端から思いっきりブルーグラス調のナンバーです。
ビリーの音楽は良い意味で無節操であり、「素顔のままで」「オネスティ」しか知らないリスナーには
意外なものでしょう。ソロデビュー前のサイケバンドも、ビリーの一音楽であったのかもしれません。

ファミリープロダクションから逃げだすかの如く72年にビリーはN.Y. からL.A. へ移ります。
それは何故かと言えば、同年春にフィラデルフィアのFMで流れた「Captain Jack」のライヴを
耳にしたコロムビアレコードの重役が、ビリーの音楽に興味を持ち会社へ紹介したのです。
前述の通りファミリー・プロダクションの脆弱さに不満を抱いていたビリーは当然の如く
大手レコード会社であるコロムビアと契約をし、L.A. へ移住を決めたという訳です。
ビリーにまつわる有名な逸話として、音楽に没頭するあまり学業がおろそかであったビリーに対し
高校の教師がその姿勢を非難したところ、「俺はコロムビア大学ではなく、コロムビアレコードへ
行くのだから勉強は必要無い!」と言い放ったというのがあります。
本当にコロムビアレコード相手に契約と相成った訳です。

コロムビアと契約したとは言いましたが、当然ファミリープロとの契約も活きていました。
この辺りは ” 大人の ” 話し合いがなされたらしく、前作の権利をファミリーから買い取る、
また記述は見当たりませんでしたが、次々作の「ニューヨーク物語」までリリース元が
ファミリープロ/コロムビアとなっている事から、その辺りで手を打ったのでは?
(更に怖い話としてコロンビア側の重役がファミリーの社長を脅したとかナンとか・・・)

上はA-③の「Ain’t No Crime」。ビリーによるソウルフルなヴォーカルと
ゴスペル風女性コーラスからR&B・ソウルへの傾倒ぶりも伺えます。

A-④「You’re My Home」は当時の妻であるエリザベスの為に書いた曲。ウェストコーストに
いた頃は経済的余裕の無さから何も買ってあげられなかった故、バレンタインデーの贈り物として
彼女へ捧げたナンバーだそうです。「ストレンジャー」以降は家など何軒でも買える様になりました。
あっ! あと、ついでに言うと奥さんも何人でも …………… ヤメロ!ヽ( ・∀・)ノ┌┛Σ(ノ;`Д´)ノ
本曲もカントリーテイストが漂い、フィンガーピッキングによる生ギターやペダルスティールなどが
よりそれをイイ感じで演出しています。

話しは「ピアノマン」に戻ります。ビリー最初のシングルヒットでありシグネイチャーソングとも
言うべきこのナンバーは、アメリカを代表するミュージシャンであるビリーらしく、自身のそして
アメリカの魂とも言えるジャズ風のピアノイントロに始まります・・・・・・・・・・・・・・が、
その後の展開はいきなり三拍子、つまりワルツのリズム。そしてマンドリンやアコーディオンといった
楽器を用い欧州風の音楽、ブリティッシュ・アイリッシュトラッドミュージックかの様な曲調です。
カントリーでもマンドリンを使用する事はあるそうですが、やはりこれはヨーロッパの感覚でしょう。
勿論白人であるビリーのルーツはヨーロッパにあります。父はドイツ系、母はイギリス系の共に
ユダヤ人。しかしビリーにはあまり自身のルーツであるとか、特にユダヤ系である事にさして
思い入れは無いと言われています。
つまりこの人、音楽的に良ければ何でも取り入れる、先述した通り良い意味で無節操なのでは?
歌詞の内容は良く語られる所なのでここでは最小限にとどめます。
自身をバーのピアノ弾きに見立て、そこに毎夜やってくる常連や百戦錬磨のウェイトレス
(最初の奥さんエリザベスがモデルとも)が繰り広げる群像劇といったストーリーになっています。
これはファミリープロからトンズラし、L.A. で日銭を稼ぐため実際にラウンジミュージシャンを
していた頃の実体験を基にしているとか。
チャートアクションこそ「ストレンジャー」以降のシングルヒットには及ぼないものの、
コンサートではエンディング曲の定番となっており、オーディエンスの大合唱と共に終えるのが
お約束となっています。その事からしてもビリーにとって特別な一曲であるのは確かです。

ここまででアルバム「ピアノマン」に関してのまだ半分です。なので次回も「ピアノマン」その2。

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