ビリー・ジョエルのアルバム「Piano Man」(73年)に収録されている
「The Ballad of Billy the Kid」。西部劇において伝説化された人物をモチーフにした本曲は、
ビリーがこの人物について目にしたものを基に創り上げたストーリーであり、
実際のビリー・ザ・キッドについて史実通りかどうかは不正確であると本人も認めています。
歴史上の人物なんてこんなものでしょう。忠臣蔵なんかお上から任された指南役としての
仕事を忠実にこなしていたいただけなのに、仕事が出来ず癇癪持ちの指導相手に切りつけられ、
さらにそれを逆恨みした部下たちによって一方的に押し入られ殺害された、というのが
実際の所であると現在では定説になっています(話が横道に逸れたかな・・・・・)。
ビリーの父親がユダヤ系ドイツ人というのは前回触れましたが、宝石商を営みかなり裕福で、
しかもかなりのピアノの腕前であったそうです。ビリーはこの父親によって英才教育を受けました。
彼の音楽的ルーツはここにあります。
ちなみにビリーの本名はウィリアム・マーティン・ジョエル。私昔はビリーというステージネームは
上記のビリー・ザ・キッドから付けられたものと思っていましたが、後にウィリアム(William)を
短縮した愛称が ” Bill(Billy)” であると知りました。つまり、ビリー・ザ・キッドも本名は
ウィリアムという事です。
「The Ballad of Billy the Kid」は後にビリーお得意のスタイルとなる小物語的楽曲創りです。
「ストレンジャー」に収録された名曲「イタリアン・レストランで」に代表される様な、
ちょっとした短編映画を観ている様な感覚にさせてくれます(音だけですが)。
もろ西部劇といったイントロから、良い意味で大仰なアレンジ構成に移るといった、複数パートからなる
曲創りは本ナンバーから始まったものでしょう。特にオーケストラが素晴らしい効果を挙げています。
2ndシングルである「Worse Comes to Worst」。ある評論家曰く ” 少しカントリー、少しロック、
そして少しゴスペル ” だそうです。そんな気もしないではありません。
「Stop in Nevada」は前作に収録されていても違和感の無いナンバーです。ですがやはりここでも
オーケストラアレンジが一際際立っており、やっぱり大手のレコード会社と契約したからこそ
贅沢な作りが出来たのでしょう。スティールギターも素晴らしい(前作とは違うギタリスト)。
スケール感溢れるナンバー「If I Only Had the Words (To Tell You)」。ビリーは決して
美声の持ち主という訳ではありませんが、朗々とした歌いっぷりが素晴らしい。
「Somewhere Along the Line」はゆったりとした中にもリズミックでなおかつゴスペルの
香りもするダイナミックなナンバー。
余談ですが本作にはラリー・カールトンが参加しています。しかしラリーを含めて三人の
ギタリストがクレジットされており(ペダルスティールは更に別)、正直どれがラリーの
演奏であるかは判別出来ません。
良いものが必ずしも世間に認められるとは限りません。何度か同様の事は書いていますが、
存命中は見向きもされず死後になって評価されるなどという事もありますし、
いまだに埋もれている名曲などは沢山ある事でしょう。
これだけ逆を張ってから言いますが、「Captain Jack」は認められるべくして認められた曲だったのだと
私は思っています。
FMでかかっていたのをコロムビア・レコードの重役がたまたま耳にし契約のキッカケとなったのは
既述ですが、この話にはもっと深い流れがあります。フィラデルフィアのWMMRというFM局に
よってそのスタジオライヴの模様は72年4月にオンエアされたました。前作から7曲未収録曲が5曲という
セットリストで、「Captain Jack」は未収録曲の一つでした。それが上記2曲のうち下の方です。
本演奏はすぐにWMMRのオーディエンスによって絶賛され、その後一年以上に渡って
レギュラーローテーションとなり放送されました。そしてこの曲は何のアルバムに入っているんだろう?
と、皆が求めるようになったのです。その後更にN.Y. におけるいくつかのFM局でもオンエアされ
世間に浸透していく事となります。
たった一度だけ地方のラジオ局で放送された演奏がたまたまコロムビアの重役の耳に留まった、
というのであれば運命論なども信じたくなりますが、実際はローカルであれども評判が高まり
オンエアされる頻度も上がっていった中においてコロムビアに知られる所となったのです。
この経緯にかなりの必然的要素があった事は否めない事実なのです。
現在殆どのリスナーがアルバムに収録された「Captain Jack」を先ず耳にし、その後に
11年に発売された「Piano Man」のレガシーエディションによって(先のスタジオライヴが
ボーナスディスクとして付いている)、あるいはユーチューブにて72年のライヴ版を
遡って聴いたことでしょう。勿論私もそうです。なのでアルバム版の印象が刷り込まれて
しまっていてライヴ版をまっさらな耳で聴くことが困難なのですが、アルバム版は
コロムビア契約前からビリーが持っていた本曲のイメージ通りだったのではないでしょうか。
先にも書いた通り大手と契約した事によってオーケストラなど贅沢なアレンジが実現しましたが、
最初からビリーの中にはアルバム版の様な形があったのではないかと思えるのです。
勿論先述した様にアルバム版を先に聴いた故の刷り込みによるものかもしれませんが・・・・・
アルバム「Piano Man」に収録された楽曲も基本的には前作と同系統の素材であると思います。
それがコロムビア・レコードの力によって贅沢かつ華がある創りとなり、よりエンターテインメント音楽
として完成されたものになりました。個人的にはどちらも甲乙つけがたい内容なのですが、
上の様な理由から商業的に成功したのではないでしょうか。
当然の事ながら、コロムビアによる強いプロモーションも大きかったのでしょうけれども。