前回に引き続きビリー・ジョエル74年のアルバム「ストリートライフ・セレナーデ」について。日本版ウィキの揚げ足を取る様でナンですが、本作も「ピアノマン」と同じくゴールドディスクを獲得している、とあるのですが、ゴールドに認定されたのは80年12月の事です。つまり77年における「ストレンジャー」の大ブレイクによって遡及的に売れたのであり、発売当時はそれ程のヒットとは言えませんでした。全米最高位35位と、もし無名の新人であればTOP40入りしたと十分な健闘ですが、「ピアノマン」の後を受けてのリリースの割にはいまひとつ奮わなかったというのが実際の所でしょう。
その「ピアノマン」についても、ウィキを参考にすれば4☓プラチナ(400万枚以上)という凄い数字ですが、ゴールドに認定されたのは75年11月。発売から二年後の事でした。ちなみにプラチナ認定が86年で4☓プラチナになったのが99年です。プラチナはやはり「ストレンジャー」の超特大ヒットによるものである事は否めませんが、しかしゴールドはそれより前なので、じわじわとセールスを伸ばしていき、二年の月日を経てゴールドディスクを獲得したのです。本当に良い作品とはこういう売れ方をするのでは。
本作で最も有名な曲である「The Entertainer」。シングルカットされ全米最高位34位、85年の二枚組ベストにも収められています。多くの人の初聴はそちらでしょう(勿論私も)。ヒットを飛ばした ” エンターテイナー ” 及び彼が置かれた状況についてかなり自嘲と皮肉を込めて歌っています。まさに当時のビリーの心情を歌ったもので、ピンク・フロイドの「葉巻はいかが」に通じるものです(#27ご参照)。
上はB-②「Last of the Big Time Spenders」ですが、前から何かの曲に雰囲気が似ているな?と思っていました。エルトン・ジョン73年の歴史的名盤「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」に収録されている「Sweet Painted Lady」に似ているんだ、と最近になって気づきました。後に何かと比較される事となる二人ですが、この時点においてはビリーはTOP40ヒットを二曲出しただけ、それに対してエルトンは70年の「ユアソング」以降大ヒットを連発し、スターダムを駆け上がっている最中でした。「ストリートライフ・セレナーデ」制作の頃には「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」は大ヒットしていたので、おそらく耳にしていたのではないかと勝手に想像したりします。
「Weekend Song」は一転してエッジの効いたロックチューン。ロックンローラーとしての一面は健在です。
「Souvenir」は「コールド・スプリング・ハーバー」や「ピアノマン」に収録されていても違和感のないナンバー。作風はそう簡単には変えられないといった所でしょうか。
アルバムラストである「The Mexican Connection」はインストゥルメンタルナンバー。ラテンタッチのノリは初期からビリーの中に在りました。人種のるつぼで産湯をつかったのだから当然か。
率直に私見を言うと「ストリートライフ・セレナーデ」は1stと2ndのクオリティーには及ばないものと思っています。ビリーの中でのストックが尽きてきたこと、制作期間の短さなどの理由があるので致し方ないとは思います。彼のディスコグラフィー中ではイマひとつ埋没しがちな作品であるのは否めませんが、やはりそこはビリー・ジョエル。駄作などは決して生みませんでした。80年代前半に出版されたロックアルバム名鑑(二千円以上という中学生の私からして大枚をはたきました)には ”「ピアノマン」のヒットを受けて次の成功を気負うあまりプレッシャーに負けた感がある ” などとレコード評が載っていましたが、今ならこれが全くの見当違いである事が自信を持って言えます。
成功したいと思わないミュージシャンはいないですし、勿論当時のビリーもそうだったでしょう。しかし気負い・焦りの様なものは全く感じられません。全てのナンバーがビリー・ジョエル印です。「エンターテイナー」の歌詞から当時の彼が極めて冷静に自分の置かれた状況を客観視出来ていたことが明白です。だからと言ってコロムビアレコードを責めるのも酷です。営利企業なのですから儲ける事が至上命題であるのは当然ですし、生き馬の目を抜くポップミュージック界ではあっという間に世間から忘れられてしまうのが常ですので、次作の制作を急かしたのもある意味致し方ないかと。しかしこの経験が後におけるビリーの大ブレイク後に重要な意味を持ってきます。
この話はだいぶ後の回になると思いますが・・・・・・・・・・・