#185 Just the Way You Are_3

BS-TBSで放送されている「SONG TO SOUL」にて「Just the Way You Are」が
取り上げられていました。もう十数年前のことですが・・・
内容はうろ覚えですが、プロデューサーであるフィル・ラモーンが出演し、その制作過程について
語っていた記憶があります。

覚えているのがドラムトラックについて。始めは普通の16ビート、口で言うと、
チチチチチチチ・チチチチチチチ といったリズムだったのですが、
たしかラモーンの提案により普通じゃない、アクセントをずらしたラテンフィールになったという
コメントがありました。これも口で言うと
チチチチチチチ・チチチチチデン という、我々が本曲で耳にしているドラミングです。
ラテンと言ってもそんなにリズミックなものではなく、ほんの少しアクセントがずれただけ、
4拍目のスネアが一つ前の3拍目最後の16分に移動し、4拍目裏にタムタムが鳴る事で
あの独特のグルーヴを醸し出しています。何てことのない差異に思えますが、
普通の16ビート(2・4拍にスネアがあるやつ)ではだいぶ違った印象であったでしょう。
前回までに述べた本曲を決定している要素、メロディ・歌・エレピ・声のウォールオブサウンド、
そしてフィル・ウッズによるサックスの名演といったものほどではありませんが、
目立たないけれども工夫されたアレンジの一つです。

本曲にもカヴァーヴァージョンが数多く存在しますが、「New York State of Mind」のように
スタンダードナンバーとなるほど様々なヴァリエーションは無いと言えます。
名曲が必ずしもスタンダードになるとは限りません。私見ですが、本曲には先述した通り多くの要素が
詰め込まれており、しかしながらそれらは過剰なアレンジとして嫌味に聴こえる事がなく、
すべてが調和され本曲として完成されているからではないでしょうか。
キーボードもしくはギター一本で歌っても取りあえずは良いものに仕上がります、素材が極上ですから。
しかし、自分なりの解釈で本曲を料理しようとすると、これが大変な難曲だと気づかされるのでしょう。
あまりに完成され過ぎている事、それによってどうしても原曲の呪縛に縛られてしまう、
といった要因が難壁として立ちはだかり、それに挑むのがあまりにもハードなのです。
そのカヴァーにおいて私が白眉と思うのがこれ。バリー・ホワイトが翌78年にリリースしたもの。
仮にミュージシャンないしはアレンジャーが本曲のメロディを与えられたとしたならば、
ピアノでシンプルに弾き語りで演るか、あるいはバリーの様なアレンジになるのではないでしょうか。
私以上の世代(50歳~)ならキャセイパシフィック航空のテレビCMで一度は耳にしたことがある
「愛のテーマ」でおなじみのバリー・ホワイト。ゴージャスなアレンジに彩られたそのバリーによる
ソウルミュージックマジックによって(彼の歌声も含めて)、ひょっとしたらこういうヴァージョンも
あったかも? という我々の思いを満たしてくれます。

本曲の大ヒットによってその後ビリーが破竹の勢いでスターダムを駆け上がるのは周知の事実です。
全米3位・全英19位、翌78年にはゴールドディスクを獲得し(余談ですが、40年後の18年に
プラチナに認定されています。四十周年記念盤でも出たのでしょうか?)、79年のグラミー賞では
最優秀レコード賞及び最優秀楽曲賞を受賞しました。

この曲も一回では終わらず結局三回に渡ってしまいました。名曲が必ずしも時間をかけて録られるとは
限りませんが(ファーストテイクであっという間に終わったというのもあります)、
10ccの「I’m Not in Love」同様に、よく練り込まれたポップミュージックとはその裏に
クリエイター達の頭が下がるような努力が込められているものなのです。
三回で折に触れ述べてきたように、本曲はビリー一人では完成し得なかったものです(何しろ
最初はボツにしようとしたほど、というのは先述の通り)。フィル・ラモーンとのタッグによって
結晶化された珠玉の名曲であり、この二人のタッグはその後も続き、ビリーを最も成功した
ミュージシャンの一人へと伸し上げる事となります。

最後にライヴの模様を。ビリーによる本曲のライヴ動画は数多く上がっていますがその中から二つ。
一つ目は鉄板のやつ。昔からよく観る事が出来た映像ですが、77年というだけで詳しい情報が
ありません。オフィシャルビデオと銘打っていますが、おそらくTVショーの模様でそれを
プロモーション用に使ったのではないでしょうか。想像ですがヒットする直前であり、
であるのでサックス奏者も原曲に縛られず自由なプレイをしているのでは?
ちなみに翌78年にイギリスの有名な音楽TVショー「Old Grey Whistle Test」に出演した際の
動画も上がっていますが、そちらではほぼ原曲通りのサックスソロです。
二つ目は82年12月、故郷ロングアイランドで行われたコンサートから。78年と比べて王者の余裕の様な
ものが感じられます。動画説明には ” In 1983 ” とありますが、映像がVHS及びLDで
パッケージ化されたのが翌83年なのでそれと混同したのでしょう。
(細かいですね・・・興味の無い人からすれば ” しらんがな!!” と言われて終わりですね ……… )

#184 Just the Way You Are_2

その曲をその曲たらしめている要素とは何か? 一概には語る事が難しい命題ですが、
万国共通で言えるのはその旋律、つまりメロディでしょう。もっと具体的に言えば
テーマ・サビと称される最も ” イイところ ” のメロディという事になります。
音楽、特にポップミュージックを構成する要素は70年代には複雑さを極めました。
その後の80年代以降の方がシンプルになっていき、00年代以降などは良く言えば虚飾を
排した、率直に言えば余計なアレンジやレコーディングテクニックは疎まれるような雰囲気に
なっていったようです。ラップ・ヒップポップ等の台頭に因るものでしょうか。

音楽の基本構成要素はメロディ・和音(ハーモニーとする場合も。いずれにしろ復音)・リズムである。
と、その昔にものの本で読んだ記憶があります。勿論これは揺らぎようのない事実であり、
私もそれを
否定する気は毛頭ありません。
上でも述べたように人が音楽を聴くときに最も注意を惹かれるのは主旋律です。ポップソング、
流行歌、大衆音楽では特に歌い手の(インストゥルメンタルは敬遠されます)、歌唱が最優先です。
器楽演奏者・アレンジャー・レコーディングエンジニアがどれだけ丹精込めて創り上げたものでも、
歌が好きじゃないから聴かねえ! とか言われてしまいになる事が多々あります(トホホ・・・)。
それでも稀にメインの歌以外の要素が多くの人々の心をわしづかみにするといったレアなケースも
存在します。
例えばロネッツ「ビー・マイ・ベイビー」の冒頭にて聴くことが出来る
” ドン ドドン タッ・ドン ドドン タッ ” というあの問答無用のドラミング。
技術的には何てことないプレイですが、ハル・ブレインのあの音色、あのグルーヴがあってこその
ものです。暴論を承知で言いますが、「ビー・マイ・ベイビー」を決定づけている35%くらいは
ハル・ブレインのドラムなのではないかと私は思っています。

だいぶ前置きが長くなりましたが、「Just the Way You Are」を名曲たらしめている要素とは。
メロディ、ビリーの歌唱、テープループによる声のウォールオブサウンドなど幾つも挙げられますが、
構成要素の一つとして疑いようのないものが間奏及びエンディングにおけるサックスプレイです。
アルトサックス奏者 フィル・ウッズによる完璧としか言いようがない本プレイ。世の中には、
この歌・この演奏以外考えられない、と言われるものは結構ありますが、中には最初に聴いたのが
それなので所謂 ” 刷り込み ” では? と思われるものも個人的にはあります。
スターダストレビューの根本要さんがビリーの来日公演(70年代後半から80年位の)を観に行った際、
ツアーバンドでのサックス奏者はフィル・ウッズではありませんでしたが、原曲と寸分違わぬ
プレイを行っていたと以前に語っていました。
つまり崩しようがない・オリジナリティを加えようがない程にあの演奏のイメージが強すぎて
同じプレイをせざるを得なかった、あるいはそれを主催者ないし聴く側がそれを望んだから、
といったところだったのではないでしょうか。
現在ユーチューブで観る事が出来るライヴの模様では必ずしもそうではありませんので、
年月を経てようやく本プレイの ” 呪縛 ” から逃れる事ができるようになったのでは?
と推察したりします。

本曲が収録されたアルバム「ストレンジャー」ではN.Y.における所謂 ” ファーストコール ” の
セッションマンが多数集結しています。前回も触れたキーボード リチャード・ティー、ギターに
スティーブ・カーンとハイラム・ブロック他、パーカッション ラルフ・マクドナルド、そして
コーラス隊には前回でも触れたフィービ・スノウやパティ・オースティンといった超強者ばかり。
ビリーもニューヨークっ子ですが、以前に述べたようにソロキャリアの初期はL.A. におけるもので
あったので、N.Y. に戻ってきた当初は人脈・コネなど無かったでしょう。
これは間違いなくプロデューサー フィル・ラモーンの功績です。
フィル・ウッズもその中の一人かと思っていましたが、ラモーンが13年に亡くなった際に
ネットの記事にてウッズとジュリアード音楽院において同級生だったと初めて知りました。
ウッズの起用にはこの様な背景があったのです(同じフィル(フィリップ)同士で親しくなったのかな?
とか安直な推察もしたりします)。
更に言えば70年代からはロック・ポップス畑で台頭しましたが、60年代はジャズ界での仕事がメインで、
あの世界的ボサノヴァブームを巻き起こした「ゲッツ/ジルベルト」にてエンジニアとして参加しています。

前回述べた本曲におけるラモーンの三つ目の功績とはウッズの起用、そしてこの稀代の名演を取り入れた
事だと私は思っています。根拠は定かではありませんがラモーンはウッズのプレイの中から切り貼りして
あのヴァージョンを創り上げたとされています。自身もヴァイオリンの神童として名をはせたラモーンで
あったので、プレイヤーとして、そしてプロデューサー・エンジニアとしての両輪が盤石であったからこそ
出来た仕事でしょう。

少し横道に逸れますがフィル・ウッズつながりで。「New York State of Mind」回(#182)で
触れるのを忘れてしまいましたが、初出と85年の二枚組ベスト盤ではサックスが異なります。
つまり85年ベスト盤にてサックスが差し替えられたという事ですが、それがフィル・ウッズだと
言われています。ただこれも根拠は定かではありません。
歌のメロディをなぞったソロを展開する初出版に対して、85年版はかなり自由なプレイです。
聴き比べるのもご一興。

#183 Just the Way You Are

10ccの「I’m Not in Love」が実は一度ボツにされた、といういきさつは#170で書きました。
ポップミュージック史に残る名曲が、下手をすれば陽の目を見ていなかったというのは驚きです。
そしてまた、ある名曲も最初は創った当人が世に出すつもりではなかったというのも、
まるでドラマの様な話です。
その名曲と「I’m Not in Love」との関係性も#174にて触れています。

” 僕を喜ばせようとして、新しいファッションや髪の色をかえたりしないで、そのままの君が好きなんだ ”
普通の状況で言ったらアタマがどうかしたのか?と疑われる様な言葉も、この稀代の名曲に乗せると
何ら違和感が無くなるから不思議です。勿論その曲とはビリー・ジョエル「Just the Way You Are」。

ビリーは本曲のインスピレーションを夢の中で得たと語っています。最初の妻でありマネージャーでもある
エリザベスの為に書いたもので、売り物にする曲というよりはプライベートで書いた曲という感じでした。
実際ビリーもバンドも本曲を次作である「ストレンジャー」へ収録するつもりはなかったとの事。
しかしたまたま同建物の別スタジオで作業していたフィービ・スノウとリンダ・ロンシュタットが
ビリーが演奏していた本曲を聴き、アルバムに入れるべきだ!と訴えたそうです。
彼女達が聴いたのはおそらくスタジオで、ラフな感じの弾き語りであったろうと推測されます。
であるからして当然我々が知っているものとは違っていた事は言わずもがなです。
本曲を名曲たらしめている要素は幾つもあるのですが、この時点で既に出来ていたであろう根本的な
メロディとコードプログレッションが素晴らしいことは言うまでもありません。
であるかして、フィービとリンダはその素晴らしさに惹きつけられたのです。

本曲はシングルカットされる際に一分以上短くされています。原曲の4分47秒というのはやはり
シングルとしては長すぎると判断されたのでしょう。ラジオでオンエアされ易いのは3分台という
呪縛はこの時代でもまだまだ健在でした。上がそのシングルヴァージョンで、二番がまるっとカットされ、
フェードアウトも早くなってしまっています。

本曲及びアルバム「ストレンジャー」を語る上で欠かせない存在がプロデューサー フィル・ラモーンです。
彼が起用されるに至ったいきさつは別の機会で述べますが、75年にポール・サイモンの作品でグラミー賞を
獲得しており、プロデューサーとして世間の注目を浴び始めたところでした。
ラモーンが本曲で果たした重要な役割は三つあります。二つは曲創りに直接つながる事において、
もう一つは制作に関わる事ではありませんが、本曲を ” 生かす ” のにある意味最も大事な事柄でした。

一つ目ははじめに触れた「I’m Not in Love」によってインスパイアされたサウンド創り。
バックで流れるヴォーカルのテープループは「I’m Not in Love」に触発されたもので、
それはビリーのアイデア及び要求だったのでしょうが、具現化したのはラモーンの力量です。
今でこそ声を重ねまくってあのサウンドを創ったというのは皆が知るところですが、
当時は情報も少なくメロトロンでは?などと憶測が飛び交っていた状況だったので、
ヴォーカルのダビングとそれをルーピングする事によってあの音が得られるという事実を見抜いたのは、
百戦錬磨のエンジニアであったラモーンの力によるものでしょう。
「I’m Not in Love」から触発されたのはエレクトリックピアノのサウンドも同様です。
フェンダーローズによる独特の浮遊感がどちらの曲にとっても素晴らしい効果を挙げています。
このプレイがリチャード・ティーによるものだという記述がいくつか見られますが、クレジット上では
アルバム最後の曲「Everybody Has a Dream」でオルガンを弾いているのみとなっており、
本曲でのローズピアノはビリー本人とクレジットされています。でもティーのプレイに聴こえなくも …

二つ目はこれも冒頭で触れた、世に出ていなかったかもしれない本曲をお蔵入りにさせなかった事。
ある意味これが最も大きな功績かもしれません(失礼な!音楽面の貢献もハンパじゃねえよ!!)。
ビリーは他の収録曲と比べて場違いな、甘ったるいバラードだとして本曲をアルバムから外そうと
していましたが、ラモーンはこれに同意しませんでした。先述したフィービ・スノウと
リンダ・ロンシュタットがスタジオに来て、これを却下しようとしていたビリーを窘めた件。
実は彼女たちをスタジオへ招き入れたのはラモーンであり、プロシンガーであり当然耳の肥えた
彼女たちであれば、本曲の価値をビリーへわからせる事が出来るはず、という目論見があったのです。
それは見事に成功し、彼女たちの本曲へ対する賞賛がビリーの考えを変えさせるに至ったのです。

三つ目は・・・・・・・・・・・・・・ これは次回にて。

#182 New York State of Mind

ビリー・ジョエル76年発表のアルバム「Turnstiles」について書いてきましたが、
お分かりの人には ” あの曲がヌケてねえか? ” と気づかれたかと思います。
読んでる人が ” い・れ・ば ” な・・・・・ (´∇`)

ビリーにとって、ひいてはポピュラーミュージック界において非常に重要な、
もっと具体的に言えばスタンダードナンバーと化した名曲が収録されています。
それが「New York State of Mind」です。
リズムこそはポップス的16ビートですが、曲調はジャズテイスト溢れるもので、
シナトラが歌っていても違和感が無い、というより実際に取り上げています。
今回は数えきれない程のミュージシャンにカヴァーされている本曲のみに焦点を当てます。

シナトラも歌っていましたがジャズ界ではこの人が最も良く知られる所。シナトラ同様の
大御所 メル・トーメです。彼は77年の「Tormé: A New Album」で本曲をレコーディングし、
それ以来好んでレパートリーとしていた様です。ちなみに69年以来アルバムをリリースしていなかった
トーメが久しぶりに録音したのが本作であり、表舞台へ返り咲いた作品です。

シナトラ、メル・トーメとくれば残る男性ジャズシンガーの大御所であるトニー・ベネット。
彼も本曲を歌っています。上は16年にマディソン・スクエア・ガーデンで行われたビリーの
コンサートへトニーがゲスト出演した際の映像。この二週間後に90歳の誕生日を迎えるトニーの為に
ビリーが「ハッピー・バースデー」を歌ったというオマケ付き。

ビリーは本曲について、歌詞の中にある ” taking a Greyhound On the Hudson River Line ” という
状況でインスピレーションを受けたそうです。Greyhound とはバス会社の事で、つまりバスに乗って
ハドソン川沿いを進んでいる時に浮かんだとの事。家路に着いてから直ぐに本曲を書き上げたそうです。

インストゥルメンタルでも当然山の様にカヴァーされています。上はアルトサックス奏者
エリック・マリエンサル「
Got You Covered」(05年)に収録されたヴァージョン。

女性シンガーのヴァージョンも素晴らしいものが沢山あります。バーブラ・ストライサンド版が有名ですが、
個人的にはあまりピンときません(あくまで本曲に限ってですよ … )。
上はオリータ・アダムス「Evolution」(93年)に収録されたヴァージョン。歌唱・演奏・アレンジともに
文句の付け様が無く、本物の音楽とはこういうのを言うのではないかと思います。
ちなみに素晴らしいストラトキャスターでのプレイ・サウンドを聴かせてくれるのはマイケル・ランドウ。
スティーヴ・ルカサーの後輩であり、そのルカサーも認める世界屈指のセッションギタリストです。

盲目のシンガー ダイアン・シューアによる「Deedles」(84年)における本曲も秀逸です。
GRPレーベルからリリースされた本作は、80年代のジャズ・ブラックコンテンポラリーの
雰囲気がプンプン匂ってきます(良い意味でですよ)。プロデューサーは当然GRP創設者である
デイヴ・グルーシンで、テナーサックスはなんとスタン・ゲッツ。贅沢が許される時代でした。

音だけ聴けば米国のジャズフュージョン・AORにカテゴライズされるミュージシャンかと
信じて疑いませんが、実は英国人であるジョン・マークとジョニー・アーモンドから成る
マーク=アーモンドが76年に発表した「To The Heart」に収録されたもの。
この二人はなんとエリック・クラプトンが在籍した事でも有名なジョン・メイオールの
バンドで知り合った事がキッカケだそうです。

永いこと本曲を聴いてきましたが、その歌詞についてはあまり真剣に考えてきませんでした。
マイアミビーチやハリウッドという単語は聴きとれるので、ウェストコーストとN.Y. を
対比させているんだろうな、くらいでした。
” I’m in a New York state of mind ” というフレーズからして自分はN.Y. の人間だ、
という趣旨なのが間違いない事は明らかなのですが、それがN.Y. に居るシチュエーションなのか、
L.A. なのか、よくわかりませんでした。” Greyhound ” がバス会社だというのは今回初めて
知ったので、” I’m just taking a Greyhound on the Hudson River Line ” が
上記の様な意味だとは思わなかったのです(昔は調べようがなかったし、その気もなかったし・・・)。

英語に『都落ち』という概念があるかどうか知りませんが、「ピアノマン」のヒットこそあったものの、
その後自身の望む結果とは相成らず、故郷に舞い戻って書いたのが本曲、といった所でしょうか。
L.A. が決して悪いばかりの所だとは思わないけれど、やはり自分にはN.Y. の水が合っている。的な …
ちなみN.Y. もL.A. も都なので、どちらに転んでも ” 落ちる ” という事にはならない気がしますが・・・

https://youtu.be/Smxc0Haz5ns
最後は面白い動画を(笑えるという意味ではなく)。何かにつけて比較されてきたエルトン・ジョンと
文字通り顔と顔を合わせてジョイントする事となった” FACE TO FACE ” ツアーの初年である
94年におけるエルトンによる演奏。音も映像も決して良くありませんが、これは貴重なもの。
とにかくこの人は何を演ってもエルトン印にしてしまう、それはずるいほどに・・・・・・・・・・

#181 Turnstiles

ビリー・ジョエル4thアルバム「Turnstiles」についてその2。
上はA-②「Summer, Highland Falls(夏、ハイランドフォールズにて)」ですが、
今回調べていて初めて知った事ですけれども、淡々として爽やかささえも感じられる本曲は、
実の所かなり深刻な歌詞でした。
ビリーが若い頃から鬱病を患っていたのは以前に書きましたが、本曲の歌詞にはそれが
色濃く反映されている様で、理性と狂気、断崖絶壁に立つ状況というのは悲劇か?
それとも刹那の幸福か?という様なかなりめんどくさい … 思慮深い内容です。

A-③である「All You Wanna Do Is Dance」はスカのリズムを取り入れたナンバー。
初期からラテンを含めたワールドミュージックへ視点が向いていた事は既述です。

「James」は1stを思わせる内省的な曲調。音楽性は簡単に変わらないというのも既述。

のっけからそのピアノテクニックに圧倒される「Prelude/Angry Young Man」。
前作における「Root Beer Rag」と同様にプレイヤーとしてのビリーをフィーチャーした
楽曲ですが、「Root Beer Rag」は楽曲ストックの少なさから苦肉の策で収録したと
言われていますが、本曲はイントロ後の本編と呼べる 
” Angry Young Man ” への
移行も見事であり、きちんと練り込まれたナンバーです。

エンディングナンバーである「Miami 2017」には ” Seen the Lights Go Out on Broadway ” と
副題が付いています。81年のライヴ盤「Songs in the Attic」ではオープニングに収録されている本曲は、
その快活なロックチューンの印象とはかけ離れた歌詞(イントロのサイレン音が象徴的)。
アメリカが混乱に陥り、ブロードウェイの灯は消え、エンパイアステートビルは崩れ落ちて橋は朽ち、
人々はニューヨークを去って南へ行ってしまうという近未来ディストピアSFといった内容。
2017年のマイアミで語り部はニューヨークを回想するというストーリーは、
9.11テロを予言しているとか一部オカルトマニアが騒いでいたらしいですが、
それはお好きな人で勝手にどうぞ(その2017年も既に過ぎてしまいましたが … )。

「ピアノマン」「さすらいのビリー・ザ・キッド」から始まって、彼には物語的歌詞を好む傾向が
あるようです。それはやがて名曲「イタリアン・レストランで」や「ザンジバル」、
そしてアルバム「ナイロン・カーテン」など
へ結実する事となります。

本作は大変に内容の充実した秀作であると私は思っています。「ストレンジャー」や「52番街」に
肩を並べるとまでは言いませんが、クオリティー的にそれほど劣っているとは考えられません。
しかしチャート的にはアルバムが最高位122位、「さよならハリウッド」等のシングルに至っては
チャート外という結果でした。良いものが必ずしも陽の目を見るとは限らないという典型です。

「Turnstiles」が改札口・出札口を意味するというのは前回述べましたが、アルバムジャケットが
もろにそのものですので今更触れる事ではありません、が、今回調べていて初めて判った事ですけれども、
ビリー以外の写っている人物は収録曲に登場する人物たちを表しているそうなのです。
誰がどの曲なのかはヒマな … もとい興味がある人は調べてみるのもご一興。