#186 The Stranger

1964年2月9日。一部の人以外には ” 誰それの誕生日とか? ” とか言われて終いですが、
その一部の人たちには説明不要なまでにメモリアルな日です。一部の人たちとはビートルズファン。
アメリカにおける人気番組『エドサリヴァンショー』にビートルズが出演し、その回は
全米で7500万人以上が視たと言われています。
これを視た若者たちがこぞってギターを買いに走ったとか。その中にはブルース・スプリングスティーン
などもいました。

ビリー・ジョエルがギターを買いに走ったかどうかはわかりませんが、彼もこの放送によってR&Rの
洗礼を受けた一人です。勿論エルヴィスなどは既に聴いていたのでしょうが、自分より少し年上の
イギリス人によるこの音楽にすっかり虜となったのです。
結構有名な話しですが、77年のアルバム「The Stranger」のプロデューサーとして、はじめは
ジョージ・マーティンへ依頼したそうです。マーティンもビリーの音楽に興味を持ち、
話は動きかけたのですが結果的におじゃんとなります。それは何故だったのか?
上はタイトルトラックである「The Stranger」。日本で特に人気のある曲ですがそれには理由があります。
米ではなされなかったシングルカットが日本のみでされ(厳密には豪・仏等でも)、オリコンチャートで
2位という大ヒットなります。50万枚近くを売り上げ洋楽としては空前の成功を収めました。
ニヒルな口笛のイントロに始まり、一転してハードな曲調、そしてまた口笛のエンディングへと。
日本人の琴線に触れる要素を幾つも兼ね備えています。

話は少し遡ります。アルバム「Turnstiles」(76年)はビリー自身のプロデュースとなっていますが、
当初は外部の人間を迎え入れました。そのプロデューサーはエルトン・ジョンバンドの面子を
レコーディングにあてがい、実際に録音を行ったそうですがビリーがこれを気に入らず、結局は
ツアーメンバーで再レコーディングし、それが採用されました。
ジョージ・マーティンもプロデュースする条件としてセッションミュージシャンの起用を
打ち出したそうです。しかしビリーはラフではあるが勢いのある自身のバンドにこだわりマーティンへの
依頼を断念します。憧れのビートルズを育てたと言っても過言ではない人物との仕事はビリーも切望していた
はずです。しかしそれさえも上回るほど自身のバンドに強い執着がありました。これには最初の作品三枚での
セッションミュージシャンの起用が、彼らのサウンドが洗練され過ぎておりビリーとしては実の所好みでは
なかったという経緯があります。この辺りからもビリーのロックンローラーとしての気概が伺えます。
それにしてもR&Rの洗礼を与えてくれた人物によって、(あくまでビリーとしては)ロックっぽさが
取り除かれようとしてしまったというのは皮肉な話しです。
上はオープニング曲である「Movin’ Out」のライヴヴァージョン。前回でも触れたイギリスの有名な
音楽TVショー「Old Grey Whistle Test」の模様です。ちなみに ” Old Grey Whistle Test ” とは?
” Old Grey ” はホテルのドアマンやポーターを指すそうで、ロンドンにおいて音楽関係の会社が
ひしめき合っている地域では、新しくリリースしようと思った曲を彼らに何度か聴かせ、それを口笛で
吹けるかどうかを試すというリサーチをしたとの事。彼らがすぐに吹ければ、そのメロディは覚えやすい、
つまりキャッチーで皆が親しみやすいものであり、ヒットする可能性が高いという訳です。

アルバム「The Stranger」がR&R色の強いものだとは決して言えませんけれども、ビリーが求めたのは
表面的な音楽性よりも、もっとスピリット的なものだったのでしょう。
フィル・ラモーンも当時において既にベテランプロデューサーでしたが、マーティンよりは
下の世代であり、ビリーの考えに同意できる部分が多かったのではないでしょうか。
B-①の「Vienna」は初期にあった内省的シンガーソングライター風のナンバー。
やはりエルトン・ジョンの雰囲気が漂っている様に感じるのは私だけ?

ラモーンがビリーの言い分を無条件で通した訳では無い事は「Just the Way You Are」の回で
既述した通りです。ラモーンが良いと思ったものは押し通し、それが結果的に本アルバムを傑作へと
導いたのです。ビリー一人では成し得なかったというのも前回で述べた事。
しかしながらビリーとジョージ・マーティンの共同作業も聴いてみたかった、という思いもありますが・・・
上はラテンフレーバーの「Get It Right the First Time」。アルバム中に少なくとも一曲は
ラテンタッチの楽曲を入れるのがビリーのモットーだったようです。ノリノリの歌いっぷりが見事。

アルバムラストを飾る「Everybody Has a Dream」。ソウル・ゴスペルといった黒人音楽への
リスペクトもビリーの中にはしっかりあります。というか、前にも書きましたけど白と黒、米と欧などの
区別はこの人にはあまりなく、良ければ何でもイイ、というポジティヴな無節操が感じられます。

「Just the Way You Are」のシングルヒットと共に本アルバムも爆発的な売れ行きを記録します。
リリースから3か月後の77年12月にはゴールド、翌年1月にはプラチナに認定されるという、そのセールスは
驚異的なスピードを見せます。ちなみに03年にはダイアモンドを獲得、すなわち全米にて1000万枚以上の
売上を達成したと認定されました。ベスト盤を除くとビリーの作品中最も売れたアルバムです。

「Just the Way You Are」及び本アルバムからビリーの超絶ブレイクが始まる訳ですが、
それはまた次回以降にて。

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